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お願いだじゃ!「マタギ飯」とば助けでけ!!!

江戸時代に拓かれた弘前市嶽温泉山のホテルは、なんと創業346年。先祖のマタギが食したご飯を再現した「マタギ飯」は、青森県の山菜炊込みご飯の代名詞となりました。新型コロナウイルスはその味をも奪おうとしています。誠に申し訳ございませんが「マタギ飯」をお送りいたしますのでご支援お願いできませんでしょうか。

現在の支援総額

6,558,000

65%

目標金額は10,000,000円

支援者数

364

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2020/05/16に募集を開始し、 364人の支援により 6,558,000円の資金を集め、 2020/06/27に募集を終了しました

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現在の支援総額

6,558,000

65%達成

終了

目標金額10,000,000

支援者数364

このプロジェクトは、2020/05/16に募集を開始し、 364人の支援により 6,558,000円の資金を集め、 2020/06/27に募集を終了しました

江戸時代に拓かれた弘前市嶽温泉山のホテルは、なんと創業346年。先祖のマタギが食したご飯を再現した「マタギ飯」は、青森県の山菜炊込みご飯の代名詞となりました。新型コロナウイルスはその味をも奪おうとしています。誠に申し訳ございませんが「マタギ飯」をお送りいたしますのでご支援お願いできませんでしょうか。

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インタビュー の付いた活動報告

来歴d-iZe(ダイズ) 1984年弘前市(旧岩木町)生まれ。24歳でSONY MUSICオーディションを経て音楽活動をスタート。2010年にスタートした音楽ユニット「Goose House」のリーダーとして活動後、2015年よりソロで再始動。現在は長期音楽活動休止中であり、2020年より拠点を青森県へ移転し、新しい分野での活動を模索している。―――Goose Houseの方々と山のホテルにいらっしゃったこともあるのだとか。d-iZeさん 山のホテルは地元の大きな企業だったので、昔から温泉やマタギ飯を楽しみに何度も通っていました。小学生になり、年齢こそ違いますが赤石の姉妹(赤石香織・三輪静香)とは仲良くさせてもらってました。その縁で丑湯まつりのライブではGoose Houseのメンバーと、ソロ活動中のライブの時もバンドメンバーと一緒に宿泊させてもらいました。―――今でも赤石家とは交友があるのですか?d-iZeさん 音楽活動を始めてからもふたりには応援してもらったり、相談に乗ってもらったりと色々な面でサポートしてもらっています。―――では、山のホテルはd-iZeさんにとってどんな場所ですか?d-iZeさん 嶽温泉では毎年土用の丑の日に「丑湯まつり」というお祭りをやっています。昔から先代の社長とも仲良くさせていただいていて、その心強い支援でお祭りの特設会場でライブをさせてもらったこともありました。本当に恩を感じています。 ライブでは東京や大阪、本州を越えて九州からファンの方がいらっしゃって、ソロ活動を始めてからもたくさんの方々に支えられているなと思い出させてくれる場所になっています。山のホテルや嶽温泉は、遠くからいらっしゃったファンの方々に僕のルーツを知ってもらえる場所になっています。―――素晴らしい思い出ですね。d-iZeさん ライブをさせてもらうたびに「みんなが山のホテルや嶽温泉をすごく好きになる」というのが伝わってくるのが思い出深いです。 でもやはり、僕の中での山のホテルでの一番の思い出はなんと言っても「マタギ飯」ですね笑―――マタギ飯について一言で感想をお願いします!d-iZeさん おいしい!好き!―――マタギ飯のおすすめの食べ方などありますか?d-iZeさん 僕はマタギ飯を半分くらい食べ進めたら、残してあるマタギ汁をマタギ飯にかけて食べます。マタギ汁の出汁とマタギ飯の山菜がいい感じにまとまって、いい味になります。―――最後にコメントをお願いします。d-iZeさん 山のホテルの素晴らしさは「人」に尽きると思います。以前私が色々な友人たちを連れてきたときも、家族のように迎えてくれました。最高級のおもてなし、というのではなく、本当に家族のような、ちょうどいい湯加減のような接し方で迎えてくれるのが先代の社長でした。今は現在の社長である奥様や従業員の皆様が、それをしっかり引き継いでいると思います。どのような状況になっても、この地にお湯は沸き続けるかもしれませんが、このホテルとこの人たちは、守られなければならないと感じています。僕も微力ではありますが、お手伝いできれば幸いです。引き続き、クラウドファンディングにご協力をお願いします。―――ありがとうございました。 d-iZeさんデザインの温泉浴衣は御礼品「d-iZe デザイン温泉浴衣」と「おうち ga 山のホテル」でご用意してございます。ご支援してくださった方は到着をお待ちください。制作嶽温泉 山のホテル 編集部協力d-iZeTwitterYouTube関連記事プロジェクト協力者さまへのインタビュー ポストカード及びオリジナル浴衣のデザイン d-iZeさん「1曲目」


来歴d-iZe(ダイズ) 1984年弘前市(旧岩木町)生まれ。24歳でSONY MUSICオーディションを経て音楽活動をスタート。2010年にスタートした音楽ユニット「Goose House」のリーダーとして活動後、2015年よりソロで再始動。現在は長期音楽活動休止中であり、2020年より拠点を青森県へ移転し、新しい分野での活動を模索している。 本プロジェクトの御礼品「温泉浴衣」のデザインを提供してくださった協力者であるd-iZeさん。旧岩木町出身のシンガーソングライターとして活躍し、現在は多方面に活躍の場を広げている。Goose Houseやソロ活動を経て、多くのd-iZeファン「豆粒」に支えられてきた。青森で青春時代を過ごしたd-iZeさんの目に映るのは、大切なファンと嶽温泉を愛する人々の姿だった。 ―――自己紹介をお願いします。d-iZeさん 出身は青森県中津軽郡岩木町(現在の弘前市)です。高校卒業後に東京に出て、大学では音楽を学びつつ独学で作詞や作曲をしていました。音楽ユニット「Goose House」ではリーダーとして活動し、脱退後はソロで活動していましたが、現在は音楽活動を休止しています。―――趣味などはありますか?d-iZeさん これといった趣味はありませんが、話をするのが好きなので、友人との電話は長くなることが多いです(笑)。―――アーティスト名である「d-iZe(ダイズ)」。この名前の由来は何ですか?d-iZeさん よく聞かれますが、本当の由来は正直覚えてないです笑 大学院在籍時にたまたま見かけたオーディションに応募したときにはもう「d-iZe」になってました。当時は大学の友人とふたりでユニットを組んでいたので、そもそもは個人名ではありませんでした。―――もともとはユニットだったんですね。これは相当な豆粒(d-iZeのファンのこと)でも知らないのではないでしょうか。d-iZeさん ふたりの共通の好きなものからユニット名を付けるつもりだったんですが、趣味も好みも合わないふたりで、共通点がほとんどありませんでした笑 だから名前を考えるには一苦労ありましたね。d-iZeになったのは「大豆」からだった気がします。当時はお互い学生で、金がなかったから毎日大量の米を炊いてはよく納豆を食っていて、唯一その納豆がふたりの共通の好きな食べ物でした。それでダイズです笑―――「dream realize」を略して「d-iZe」という意味だと捉えておられるファンの方も多いようですね。d-iZeさん そうですね。ユニット名に無理やり「DreamやDramaを実現する」みたいな意味を持たせた覚えがあります。英語では形容詞に「-ize」がつくと動詞になるので、表記は「d-iZe」になりました。今思うとものすごく恥ずかしいので、最近聞かれると「納豆が好きだから」と答えています笑 それから、WANSさんやRISEさんといった方々のバンド名と「ダイズ」の語感が似ていたので、あやかってみたというのもあります。―――音楽活動を意識したのはいつごろですか?d-iZeさん もともとは「歌を歌う仕事したい」と思っていたわけではありませんでした。当時はレコード会社や広告代理店への就職を目指していましたが、あくまで裏方の仕事を志望していました。大学院でデモCDオーディションに応募したあたりが、初めて音楽活動を意識したときなのかもしれません。―――きっかけとなったのは「オーディションへの応募」。当時を振り返るといかがですか?d-iZeさん そのオーディションの年齢制限が24歳で、当時の僕はちょうど24歳。レコード会社に勤めたいと思っていたところに、オーディションと音楽活動を意識し始めたのが重なって、最後の悪あがきのつもりでデモCDを作り、オーディションに応募しました。しばらくして担当者の方から連絡があり、「通った」とのことで音楽活動をスタートしました。―――それが「音楽活動を始めるきっかけ」になったのですね。d-iZeさん そのあとは友人のレコード会社の新人開発部の担当者にCDを渡してもらい、その方にも評価していただきました。当時僕は人前に立ってライブなんて一度もしたことがなかったんですが、担当の方々から献身的なサポートを受けながら少しずつ経験を踏ませてもらいました。その1年後にGoose Houseの前身となるユニットが企画されて、それから本格的に音楽を生業にするようになりました。関連記事プロジェクト協力者さまへのインタビュー ポストカード及びオリジナル浴衣のデザイン d-iZeさん「2曲目」※2020年6月18日19時公開予定


来歴トムさん 1984年埼玉県生まれ。高校で地元の吹奏楽部に入部し、サックスを始め音楽にのめり込む。大学では音楽を専攻し、卒業後はスタジオに就職。現在は映像やデザインの仕事をしている。―――山のホテルではどんな思い出がありますか?トムさん 丑湯まつりのときに初めて泊まったんですけど、やっぱり温泉に24時間入れるのがいいなと思いました。めっちゃ温泉好きなので、それが嬉しい第一印象ですね。あとはやたらご飯がおいしい笑 その時はバーベキューで歓迎までしてもらって、山のホテルさんにはもういい思い出しかないですね笑 それでd-iZeさんがことあるごとに連れてってくれたんだと思う笑―――赤石家は食事でもてなすのが好きですから、私も帰省すると必ず太って帰ります笑トムさん そうですね笑 毎回胃薬持っていかないと、と思ってます笑香織 もう家族みたいなものですから笑―――マタギ飯はお好きですか?トムさん マタギ飯も好きなんですけど、土瓶蒸しも好きなんですよ笑 この間、d-iZeさんに「おいしい食べ方あるよ」って教えてもらって、マタギ飯に土瓶蒸しの汁をかけていただきました。そしたら「これだ!」って思うくらいおいしかったです。香織 その食べ方、d-iZeさんがすごくおすすめしてるんですよね笑トムさん コロナの影響で青森行けないけど、思い出の味を家で楽しみたくて「青森体験」したんですよ。いただいたマタギ飯(2合炊き)を家族で食べたとき、嫁が土瓶蒸しっぽいものを作ってくれて、かけて食べたらやっぱり美味しかったです。マタギのギフトボックスを購入された方も同じ食べ方を楽しんでほしいですね。―――香織さんへ、ところで「心の支え」とはどういう意味なんですか?香織 安心感、ほっとする、私たちのオアシス、って感じですね笑 トムさんほどの技術や機材をお持ちの方に頼めば、本来ならきっと高額な料金を請求されると思うんです笑トムさん 笑マタギ飯365日分※CGによるイメージです(こちらはトムさんに作っていただきました)香織 山のホテルの話をするときに、いつも家族のように心配してくださるんです。それこそ奥様も一緒に親身になって。だから奥様と初めてお会いしたときにも、初めて会った気がしませんでした。トムさん それこの前も言ってましたね笑香織 多忙であられるにもかかわらず、それをさらりと手伝ってくださったり、今回のようなインタビューにもご協力してくださったり、お持ちになっている優しい雰囲気で私たちを癒してくれる、守ってくれる父親のような存在です。なんとも言葉にすることが難しくて歯痒いのですが・・・―――風景写真を提供してくださった対馬さんにも似た雰囲気を私も感じています。香織 本当に色々な面でサポートしていただいているんです。料理の写真の撮り方をロジカルに指導してくださったり、私たちには気がつくことのできない山のホテルの魅力を「外側からだけど内側からの視点で」気がつかせてくれたり。私たちには目の行き届かない細かなところに気がついてくださって、懇切丁寧に、しかしさっぱりとして教えてくださいます。本当の家族のように、精神的な面を親身になって手伝ってくださることが本当にありがたいです。―――最後にコメントはありますか?香織 もう家族です!トムさん 笑 家族です!制作嶽温泉 山のホテル 編集部協力トムさん関連記事プロジェクト協力者さまへのインタビュー 心の支え トムさん「1日目」


来歴トムさん 1984年埼玉県生まれ。高校で地元の吹奏楽部に入部し、サックスを始め音楽にのめり込む。大学では音楽を専攻し、卒業後はスタジオに就職。現在は映像やデザインの仕事をしている。 本プロジェクトのオーナーである赤石香織を多方面から助けてくださったトムさん。以前よりチームDの一員としてd-iZe氏の撮影やPVの制作へ寄与していたが、最近は家族で山のホテルへ遊びにいらっしゃるなど、現在はお客様として当館を支えてくださっている。音楽や映像への知識の造詣が深いトムさんは、本プロジェクトを陰で支えてくださる「要」だった。 今回は埼玉(トムさん)、青森(香織)、東京(筆者)からリモートで鼎談を行った。―――現在は映像やデザインの仕事をしているトムさん。そのルーツは何でしょうか?トムさん はじまりは今の仕事とは別のところにあります。地元の歩いてすぐの距離にある小中で育ったんですけど、高校ではやたら吹奏学部に力を入れてるところに入学したんですよ。文化部という名の運動部に近くて、東関東でも上位に食い込むような高校でした。そこで3年間音楽にハマって「吹奏楽できるから音楽系の大学に進学したら?」と担任に言われ、大学に進んだ感じですね笑―――音楽は映像やデザインとは切っても切り離せない関係にありますが、全く別のものにも見えます。その後に大きな転機があったのでしょうか?トムさん 大学卒業後はレコード会社のスタジオに就職して音楽の仕事をしてました。そこで周りに映像やデザインの仕事をしてる人を見て、そういうところに興味を持ちました。今はCGの仕事が多いです。ライブとかキャラクターもの、特殊なソフトを使った映像を作っています。名刺の肩書はビジュアルデザイナーになっていて、「見るもの全てのデザイン」が自分の仕事の範囲です。香織 初めて会ったときに某アイドルとか某アーティストのライブ映像制作の裏話聞いて「大変そうだけどめちゃくちゃ楽しそう」と思いました。その時、あるアーティストのライブに行った話をしたら、トムさんが携わっていたことを聞いて驚きました。トムさん 実は今の仕事であるCGや映像関係は、会社を辞めた後に自宅でずっと独学で勉強したんですよ。香織 そうだったんですか。意外!トムさん ネット社会になって、欲しい情報は手に入るようになったのと、あと「独学でも勉強できる」っていう自信がありましたから。―――それはどうしてですか?トムさん 高校の頃の出来事が大きいですね。高校まで全く音楽や楽器に触れてこなかったんですけど、高校の3年間でかなりできるようになったんです。それで「好きなことならどこまでもできるな」っていう自信が芽生えました。 高校入学の時は「ただただ楽器やってみたいな」と思って吹奏楽部に入ったんです。でもその高校が音楽で強いことを知らなかったんですよね。周りとか先輩は音楽で高校に入ってきた特待生で、自分はドレミどころか譜面も読めない状態から・・・。そこで揉みに揉まれて「いつか先輩を見返してやろう」って思いが強くなって、その時自力で朝晩必死になって練習しました。 結果、卒業した先輩に「すごく上手くなったじゃん」と言われたのが嬉しかったですね。―――山のホテルを知ったのはいつごろのことですか?トムさん 何年か前の何かのお祭りだったかなと思います。香織 嶽温泉で毎夏開催している「丑湯まつり」の時ですね。「わっち」にも生放送で出てたと思います。あの時はチームD勢揃いで、10名弱でうちの旅館に泊まっていただきました。そのときはトムさん大人しくて、ほとんど話しなかったですよね笑。トムさん そのとき初めて山のホテルさんを知って、そのまま初めて泊まったんですね。香織 その後、常盤野小中学校の文化祭テーマソングをd-iZe氏と一緒に作るプロジェクトがあって、その時にもいらっしゃっています。それから奥様と一緒に来られたり、ご家族で雪遊びに来られたりと、何度もいらっしゃっていただいていますね。みんなでスマブラしました笑―――すみません、ところでチームDとはなんですか?トムさん d-iZeさんのツアーメンバーのことです。全国ツアーがあった時はチームD総出で全国駆け巡りました。自分は大体のライブ会場で撮影を担当していました。―――もともとはどこでd-iZeさんとお知り合いになったんですか?トムさん d-iZeさんとの共通の友人がレコード会社に勤めていて、ツアーとかPVを制作するときに「撮影ができる人はいないか」と話があり、自分に白羽の矢が立ちました。「In the bedroom」っていうアルバムの写真と「Million Dream」のPV撮影のときにも携わっています。Million dreams / d-iZe (from "IN A BEDROOM")関連記事プロジェクト協力者さまへのインタビュー 心の支え トムさん「2日目」※2020年6月16日19時公開予定


来歴対馬慎太郎(つしましんたろう) 1994年弘前市(旧岩木町)生まれ。関東でWEB全般の制作関係の仕事をする傍ら、2016年秋からカメラマンとして活動開始。これまでに「岩木山フォトコンテスト 特選&入選(2018)」、「FUN FIND 東北 × 東京カメラ部フォトコンテスト 優秀賞(2019)」などたくさんの賞を受賞。「岩木山が弘前を見守っている」―――H Pにありました「勝手に青森カレンダー」。ご自分で撮った写真をカレンダーにしてしまうだけでなく、被写体の説明もご丁寧にされていましたね。「勝手に青森カレンダー」を公開した理由はなんですか?対馬さん 関東で仕事をする前は弘前市でねぷたに関わる観光の仕事をしていました。僕は弘前ねぷた祭りが好きで、観てる回数より笛を吹いて参加した回数の方が多いんです。弘前ってねぷたやさくらまつりが有名なんですけど、本当は四季がはっきりしていて綺麗なところがたくさんあります。でも、青森の魅力って地元の人でも気がつけないところが多いんですよね。―――確かに、ねぷた祭りやさくらまつりでクローズアップされることは多いですが、四季というイメージは正直思い浮かびませんでした。対馬さん 例えば関東から旅行される方なら、それ以外の季節にわざわざ青森を訪れる選択肢があまりないのが現実で。自然を楽しみに北に行くなら北海道まで行く方が多いんです。もともと観光の仕事をしていたので、このイメージを払拭して、好きな地元である青森の魅力をP Rしたり、個人的に青森との繋がりを保ち続けたりしたいと思って、「勝手に青森カレンダー」を公開しました。―――地元のことをとても愛しているのですね。中でも一番印象に残っているのはどの写真ですか?対馬さん 去年の夏、岩木山へペルセウス座流星群を見に行った時に撮った写真です。頂の眺望 / Shintaro Tsushima―――「勝手に青森カレンダー」の7月に載っているものですね。私も昨年同じ日に流星群を見に奥日光に行ったのですが、生憎の曇り空と満月で流れ星は見れませんでした。対馬さん そうなんです。山頂まで行って夜空を見上げたものの星が見えなかったので、岩木山神社の奥宮まで登って弘前市を見下ろしてみたんです。そうしたら「岩木山が弘前を見守っている」ような写真が撮れまして。ダイナミックなんですが、静的で優しいものが撮れたので最近では一番満足している写真です。―――とても綺麗ですね。この写真も時間をかけて撮ったものですか?対馬さん 約9分かけて撮ったものです。鳥居の赤もアクセントになっていて、フォトコンで賞までいただけました。―――手前の奥宮と奥に見える八甲田山脈の「静」と市内の車や人々の「動」が対比的に一枚の写真に映り込んでいる。素人目に見ても美しい写真ですね。―――今後山のホテルでやってみたいことなどありますか?対馬さん 山のホテルさんから「個展をやってみませんか」とお声掛けいただいておりまして、世間が落ち着いてきたらやってみたいと思っています。僕は弘前が好きなので、青森市の中でも津軽地域の写真を多く撮っています。弘前は春から夏にかけてお祭りが有名なのですが、秋も冬も「その季節にしか見ることができない」絶景がたくさんあります。弘前の知られざる風景をメインに個展を開きたいと思っています。―――最後に、ポストカードの御礼品を選んでくださった方へコメントをお願いします。対馬さん 新型コロナウイルスの影響で、青森県までの道のりがさらに遠くなったのかなと思います。そうお考えの方や青森県に来れなくなってしまった方へ「青森に来たい」と思ってもらえるような写真をお届けしたいと思っています。―――ありがとうございました。 対馬さんのポストカードは1,000円の御礼品としてご用意しております。ご支援くださった方は到着をお待ちください。制作嶽温泉 山のホテル 編集部協力forcamera.jp関連記事御礼品のご紹介「絶景!津軽の風景写真」プロジェクト協力者さまへのインタビュー 風景写真 対馬慎太郎さん「1枚目」