2017/02/01 11:06


「万象園の歴史的な説明を聞きたい!」というリクエストにお答えする第二弾のレポート。テーマはずばり…「京極家!」そのものです。

…つまり、家系図(笑)。
(マニアックすぎてイヤ!というかたは飛ばしてください)

実は、京極家って、名門です。
そして、皆さまもよく知っている家系です。

それは、こちら!



そう、「浅井家3姉妹(茶々、初、江)」にまつわるエピソードですね!
浅井の三姉妹は、それぞれ豊臣、京極、徳川に嫁ぎます。

 

それを“京極高次”の視点から表現すると、


・信長の妹・お市は、“おば”。

・お市の娘の茶々に憧れられていたかも。(妹の初がお嫁に来た。茶々は、いわずとしれた秀吉の愛妾・淀君となる)

・姉妹・竜子は、秀吉の側室「松の丸殿」となった。

・二代目将軍秀忠とは、その正室である江と、妻・初が姉妹であるため縁続き

となります。

 

ただ、そういった縁戚関係ゆえに、「妻や姉妹の七光りで出世した蛍大名だ」と失礼なことを言われたこともあったそう。

 

しかしその後、関ヶ原の戦いで功を挙げ、一国の大名として復活します。

 

そしてそんな京極家ゆえに、たいていの年表では、その高次あたりをクローズアップされることが多いのも事実。。。

 

京極丸亀藩が誕生したのは、高次→忠高→高和と2代も下ったあとなのです。

そこで、それ以降にも注目した家系図をつくってみました。

(真鍋による作成ため、誤りがあった場合は申し訳ありません!)

 

 

こうやってみると、京極家というのは、なかなか実子に恵まれにくい家系だったのだなあ…ということが分かります。

 

そもそも丸亀に転封になったのも、忠高公に子どもがおらず、甥である高和公に家を継がせることになったから。(このときに活躍したのが“京極にすぎたるものが三つある。ニッカリ茶壺に多賀越中”の、家老・多賀氏)

 

ちなみに、この高和公については、ホントは忠高公の側室にできた実子だったのに、正室の初(2代目将軍秀忠の子。同じ名前でヤヤコシイですが、浅井三姉妹のうちの京極家に嫁入った初からすると、姪ですネ)に憚って甥とした、という説もあるそう。

 

この初と忠高公は夫婦仲が悪く、初が死の床にあるのに忠高公は見舞いにも行かず、将軍秀忠の不興を買った……というエピソードもあるようですよ。