2017/09/08 02:27

アソビ社代表の山内大輔です。

クラウドファンディング開始から2週間ちょっと日が経ちました。

たくさんの応援メッセージと記事のシェア、本当にありがとうございます。

残り3週間を残し、おかげさまで80%を超えることができました。

オープンに向けてスタッフとそして内子の町内町外、子どもから大人まで、ここへ手伝いに来てくれるさまざまな仲間と日々現場作業を共にし、ようやく少しカタチがみえてきました。

みなさまの応援がどれだけの活力になっていることか。本当に有り難く思います。

 

さて、

今日から何度かにわたり活動報告をさせていただきます!

 

初回はまず私から少し長めの自己紹介を!読んでもらえれば幸いです。

 

出身地は横浜、30年ちょっとの東京近辺での生活を離れ、

3年半前にここ愛媛県内子町に引っ越してきました。 

なぜ自分が今愛媛県の内子町にいるのだろう?

なぜ内子に住み続けてるのだろう?

この場を借りて一度駆け足で人生を振り返ってみたいなと思いました。

 

 

いきなりですが、

幼少頃の夢が『お地蔵さんになること』

そんなパンチ力を持った幼少期

理由は『何もしなくても物がもらえるから』我ながら泣けてくる。。。。

 

写真:何もしなくても物がもらえた、かわいかったあの頃

そんな図太くも毎日子どもらしく遊び倒してきた幼少期を経て、

高校、大学、就職となんとなーく生きてたように思いますお地蔵さんに変わる新しい夢も特になかったですが、そこそこ頑張りながら、そこそこサボりながら、そこそこ楽しく生きてきたんじゃないかと思います。

そこからどういうわけか、横浜から愛媛へ移住することになるのです。

人生の転機とでもいいましょうか、そんな出来事が大きく2つありました。

 

それは「世界放浪」と「四国お遍路」 です。

1.世界放浪

仕事を辞め、20代半ばに、ヨーロッパ、中東、アフリカを1年半の年月をかけて旅をしました。

ここでまず生き方というか考え方が変わったように思います。

もともと日本の事も知らないくせに海外にいくとかありえない!

そんな風に思っていて海外旅行には一切行くことのなかった自分が、            大学の卒業旅行で勝手に海外企画をされ、しぶしぶ行くことに。

当たり前のことなんだけど、着いてみるとあたり一面日本人はいなく、日本語も話す人がいない。景色も大きく違う。頭の中でわかっていたのに、いざ目にすると不安ではなく、胸が高鳴った、異世界にとてもワクワクな感情がうまれた。単純な脳の構造をしている自分は、

もっといろいろな世界を見てみたい!

そんなことを思ったのを覚えています!

 

旅はドイツWcupに合わせてはじまりました。

写真:愉快なドイツ人たちと飲むも一人ウカれてユニホームきてる時

写真:思い出を作ることに必死な時

ワールドカップには世界中から人がやってきていて、いろいろな国の素敵な人たちと出会い、ますますいろいろなところへ行ってみたいと思わせてくれました。

ワールドカップが終わると旅はまず観光するスタイルへ

写真:自分がうつり、行った証拠をとるのに必死な旅初期

観光することでもちろん感動することだって多々ありますが、いいものを見続けると2週間もすると飽きてくる。

 

そうなるとそのなかでなにが楽しかったのかというと、なにげない暮らしを垣間見ること

写真:家族にご飯を作っているところ

その場所での日常をみつけたり、その日常に身を置くことが楽しかったり。

写真:あちこちでやっている青空マルシェ

それはただ商店やスーパーに行ったりカフェに行ったりマルシェに行ったり、散歩したり。

 

宿泊はほとんどゲストハウス。

ゲストハウスは基本安宿で相部屋で共有リビングがたいていあり、そこにいろいろな旅人が集まります。旅の楽しみ方も人それぞれで、そしていろいろな面白い情報を持っていたり。ゲストハウスで出会った気の合う旅人と次の目的地を目指したり。日常を垣間見ることに加え、こういった人との出会いが旅の醍醐味でした!

このときにゲストハウスの有難味と楽しさを知ることになりました。

 

一年半を語るととてつもない時間がかかるので、

駆け足で自分に影響を与えた話を3つ紹介します。

①    スペインの巡礼の道

これはのちのち四国のお遍路をするきっかけになったのですが、              スペインにもキリスト教徒の巡礼路(カミーノ・デ・サンティアゴ)があります。

自分はパンプローナというところからサンティアゴというところまで約800km歩きました。もともとは、100km以上歩くと巡礼の証明書がもらえるという情報を聞き、キリスト教徒でもない自分が、一種のアトラクションを楽しむような感覚で100km歩くことを決めました。

一日だいたい30km前後歩きます。

写真:村から村へ、ドラクエ気分

各々が自分のペースで好きに歩いて行くのですが、年間10万人以上が歩く巡礼路では老若男女いろいろな人に日々出会います。

宿泊は、5km間隔でゲストハウスのような相部屋の募金宿がありそこに泊まりながら、商店で買い出ししたり、巡礼者同士で一緒にご飯を作って食べたり。

同じペースで歩く人は、いろいろな街で再会します。街から田舎に移り変わっていく景色を楽しみながら、時には世界のいろいろな人たちと会話しながらゴールを目指す。

それがとても楽しくて、100kmでやめるのではなく、最後まで歩こうと決めました。

重たい荷物を背負い、もともと歩くための装備など何一つない状況で臨んだため、足の豆が化膿したり、膝を壊したり、風邪をひいたり、歩けなくなり散々なこともありましたが、

そんな苦しいときに必ず誰かが当然のように声をかけて助けてくれた

「一緒に歩こう」 

「おれが君のバックパックを運んであげる」

「まめにはこれがきくんだよ」                            

「ごはん買ってきてあげるからゆっくりしてて」

苦しいときほど、これらの優しさがより強く有難いことと思え、日々感謝ばかり。

そんな日々を繰り返すと、

「自分も何かできないか?」自分もなにか返せる事をって思えるようになった。

そこでまず考えたのが気持ちのよいあいさつをすること(今じぶんができているか心配ですが。)それを心がけました。気持ちの良いあいさつは、素敵な人たちを引き寄せることができたように思えます。

 

なんか会話がとても弾むように。そして外国人になぜか人気の漢字を出会った人に書いてプレゼントしたり、今まで怪我したときの治療法を他の人に伝えたり。

写真:我ながらいい漢字のチョイス

自分にできる僅かなことですが、

親切にされた人に直接恩返しできなくても、その恩を他の誰かに返していけばいい

肌でそう感じた。そしてそれは善き循環を生んでいくように思えた。

ここではそんな幸せな学びがありました。

 

こういう状況でできた仲間たちとはとても仲が良くなり、

巡礼後は、ここで仲良くなった人を訪ねる旅になっていきました。

旅のカタチが変化しながらも、豊かな旅へとなっていきました。

②    イスラエルとパレスチナ

「人を憎んで生きていくこと」、「人に憎まれていくこと」

あなただったらどちらを選ぶ?

そんな質問をされたイスラエル初日。

「争いの絶えないかわいそうなところ」

現地へ入ってからここの歴史を学んだり、今起きているひどいことを見たり聞いたりしながら そんなことを思い、勝手に感傷的になっていた自分。

そんなときにある日本のボランティア団体に出会い、パレスチナにある難民キャンプへ行く機会をいただいた。そこにたどりつくと、子どもたちがボールをけって遊んでいた。

いろいろ話を聞くと、このボランティア団体は争いで起こる憎しみや悲しみを争いによって発散するのではなく、スポーツや音楽で発散させようと、楽器やボールなどをこの難民キャンプに提供したそうだ。

この難民キャンのプでは子どもたちに笑顔がいっぱいだった。そしてそれを眺める大人たちも笑顔だった。

争いで親を失ったり友達を失ったりしているなかで、根深いつらい感情もあるとは思うのだけど、この状況下で無邪気で楽しそうな子どもたちを見て、環境のせいにしちゃダメだって思った。

『どんな状況だろうが環境だろうが楽しみや幸せを見いだせるような人間になりたい』

そんなことを強く肌で感じた。大きい学びだった。

 

③    アフリカの村々

強烈だった。

大自然の中で生きる彼ら。遊び場は自然の中で、走ったり踊ったり歌ったり。

電気はほとんどの所でないし、道はがったがた。スコールがあれば道が川になり通れなかったり。

写真:移動は乗り合いヒッチハイク

写真:スコール後の道

写真:雨でできた水たまりで足を洗う女性

写真:小さな喫茶店

写真:なんとなく昔の日本を思い浮かべた村

 

写真:布団を15枚ほど運ぶ人。それも驚いたが、この光景にまわりの人たちが驚いていないことに衝撃をうけた

不便の域を通り越したそんなところ。もちろん衛生的なことも含め厳しいことも沢山あるとは思うけど、

彼らを見て純粋に『うらやましい』なぜかそんな思いが生じた。

自然と共存しているように思えた。

写真:朝日と共に歯を磨いている人

村全体みんな家族のように思えた。幸せそうに思えた。生き方がとってもシンプルだった。

生きる上で大事なことって一体何なんだろう? 豊かなことってなんなんだろう?

こういった状況の中では、なんとなく生きてきた自分も、やっぱりそんなことを考えるようになった。本当に大切なことってごく僅かだと思った。

都会で生きてきた自分が、田舎町にあこがれる一つのきっかけになったと思う。

 

旅を通じて

いろいろな景色を見れたし、いろーーーーんな人に出会い、常識の幅が確実に広がった。

どういうことをしていきたいかというよりは、どういう人間になりたいのかが少しわかったような気がしました。好きな人大切な人がいろいろな所にでき、そこからまたいい出会いがあり、それだけで人生豊かになった気がしました。旅に出てよかったな~!!!

 

さてさてめちゃくちゃ長くなってきて申し訳ありませんが、最後お遍路のことを!

 

2.四国お遍路

先ほどのスペインの巡礼がきっかけで四国のお遍路にも興味を持つことになり実際に行くことになります。家族にお遍路しに行ってくるって言うと、

「お地蔵さんに少し近づけるわね」って笑われました。。。

※残念なことに写真は全部消えてしまったのでありません(泣)ご了承ください。

歩くもの同士が助け合って歩くのが、スペインの巡礼なら、

地元の人たちに助けられながら歩くのが四国お遍路。俗に言う『お接待』を日々受けました。 食べ物、飲み物、宿泊場所時にはお金までお接待してもらったり、日々いろいろなものをいただきました。歩き慣れず体がきつい状態でお接待をうけるのです。これは本当に有難かったです。

その中で最も自分の心に残ったことがあります。

 

愛媛のとあるお店。ここはお遍路さんを泊めてあげるお接待所でしたが、そこには90歳手前になるおばあちゃんがいました。宿泊場所には張り紙があり、そこには

「近くのお弁当屋さんに行き、納札を渡すとお弁当のお接待が受けられます」と書いてあった。

自分は納札を持ってお弁当屋さんに行き、お弁当をお接待してもらい食べました。

お弁当屋さんありがとうございます!

って思っているときに、一緒にその日過ごしていたベテラン遍路さんが、

「知ってるかい?このお弁当屋さんはね、たまったお札をおばあちゃんところに持って行って、おばあちゃんがお会計してるんだよ」って。

 

鳥肌が立った。

 

みんなお弁当屋さんありがとうって思ってる。

おばあちゃんはなんでそんなことができるんだろう。どうして自分がお接待してることを言わないのだろう。

 

考えてもわからない。だからもう少しおばあちゃんと一緒にいたいと思い、もう一泊して一緒に過ごさせてもらった。

 外国人が来ればお抹茶を一緒に作ったり、焼き肉をごちそうになったり、「好きなお酒を買ってきなさい」と財布を預けてくれたり、朝ご飯をつくってくれたり本当にいろいろとお世話をしてくれました。

なんで知らない人にそんなことできるんだろうか?

 

「私はね、お接待してあげてるんじゃないの。お接待させてもらってるの」と言う。

 

このおばあちゃんのところには、ばあちゃんにお世話になった人たちから毎日手紙が来たり、訪ねてきてくれたりする。深夜1時くらいまで、一人ひとりに手紙を書いているおばあちゃん。それがとっても楽しいんだって。徳を積ませてくれてありがとうって言ってた。嬉しいって言ってた。そんな人は85歳くらいからでも趣味ができる。絵描きをはじめたそうだ。生き方として年の取り方としてとても魅力的に思えた。こんな人になりたいって思った。

 

『徳を積む』とはそういうことなのだろう。ほんといい顔してたな~。写真はありませんが。。。

 

人間的に自分はまだまだまだまだまだまだ至りませんが 

内子晴れでも徳を積んでいけるようなそんな場所にしていけるよう頑張っていきたいな~!  って思ってます。

 

とにかく

そういった『お接待』を学んでいるうちに、出会った人々のあたたかさと、のどかな景色に魅了され、『四国』という場所が特別に思うようになり、このお遍路がきっかけで、四国のどこかに住みたいと思うようになりました。

 

そしてその数年後に念願かなって愛媛県の内子町に地域おこし協力隊として、移住することになるのです。

 

すいません。

あまりにも長くなってしまったので、今回はここまで。

地域おこし協力隊として過ごした3年間。

なぜこの地を好きになり、この地に住み続けることにしたのか、ゲストハウスをやることにしたのかを、改めて報告させていただければと思います。

 

最後まで読んでくれた方、ありがとうございました!長々とすいませんでした

 

※旅やお遍路に興味ある方がもしいたら、内子晴れでいつでもお話しましょう!!

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