2年連続で中止となってしまった全日本こけしコンクール。そこで、第60回と第61回に佐々木こけし工房の功工人と美穂工人が出展&出店した様子を振り返ります。この時にしか見ることが出来なかった新型こけしもあります。開催を楽しみにされていた支援者の皆様へお届けします。支援活動を始める前に著者が何気に撮影した写真なので、出来はご勘弁ください。第60回 (2018年)受賞作品 左:佐々木美穂 中小企業長官賞 「和柄2本組」 右:佐々木功 福島商工会議所会頭賞 「いのり」出展作品 佐々木功 「大将飾り」左:佐々木美穂 桜材こけし雛 「さくら」右:佐々木美穂 こけし雛 「桜の舞」 ・・・こけし村にもありました出店の様子左:佐々木功 と 白石市観光大使の活弁士バニラさん 「バニラこけし」右:出店に並ぶ「新型こけし」の数々、人気こけしは数を用意していますが、すぐに売り切れとなります。出展作品が並ぶこともありますが、毎年同じものが並ぶとは限りません。第61回 (2019年)受賞作品 左:佐々木功 国土交通大臣賞 「梅衣(紫)」 ・・・リターン品の姉妹品 左:佐々木美穂 登別市長賞 「くびかざり(白)」 ・・・リターン品の姉妹品 出展作品 左:佐々木功 「梅衣(赤)」 ・・・国土交通大臣賞の色違い右:佐々木功 「かすり 2本組」 ・・・かすり柄は父克己工人がデザイン左:佐々木美穂 「くびかざり(茶)」 ・・・リターン品です右:佐々木美穂 「レインボーカラー」この他にも多くの作品を出展しています。佐々木功工人の作品佐々木美穂工人の作品毎年作っているこけしもありますがコンクール限りの作品となるこけしも多いとのこと。問屋さんからの問い合わせがあれば道の駅や京都のような観光地のおみやげ店などにも置いてあるので買うことが出来るそうです。お楽しみいただけたでしょうか、工人へのメッセージを送ってもらえると嬉しいです。
全日本こけしコンクール の付いた活動報告
支援者の数がみごとなぐらい少ないため考えたあげくのトリッキーなタイトルですが、本当の話なので紹介させてください。新型こけしにさらに興味を持っていただけると幸いです。全日本こけしコンクール五十年誌(宮城県白石市)「全日本こけしコンクールのあゆみ~ほほえみの年輪をかさねて五十年~」が出典元で、その要旨を述べます。伝統こけしは、江戸時代末期の19世紀に東北各地で生産されるようになった木地人形のことで、産地ごとに特徴のある様式が確立していった。ひらがなで「こけし」との名称に統一されたのは昭和15年のこと。それまでは産地によって独自の呼び方があった。こげす・きぼこ・きぼっこ・でくのぼう、など。このときは「伝統」の呼称はまだ使われておらず、戦後の昭和20年代に新型こけしが出現したときに新型と区別するため「旧型こけし」と呼ばれた。当時、旧型こけしは作ってもほとんど売れないため、弥治郎や遠刈田など伝統系の木地挽たちの多くは新型こけしの白生地を白石の業者に納入する状態が続いていた。こんな話も。白石町(現在の白石市)では、昭和16年ごろから八城鉄園が制作したこけしは、新型・旧型の区別がされる以前の時代のこけしであったため「鉄園型」と言われる独自の位置づけがなされた。さらに、鉄園型こけしは昭和31年の年賀お年玉5円切手にこけし切手として採用されるなど、全日本こけしコンクール開催への熱気がみなぎっていた。写真は2代目鉄園と称した浜津千代子工人の作品で、なぜか我が家にあるこけし。切手の写真は日本郵便趣味協会のホームページから引用しました。1956年は私の生まれた年でもありご縁を感じています。ついに昭和34年に、全日本こけしコンクール第1回は白石市内のこけし業者と役員が全面的に協力して企画し運営に当たることで実現した。当初このコンクールは白石の新型こけし業を新興させ、その普及を主な目的として開催されたのである。このときは新型こけしが主流で出品作品はほとんどが新型こけしであった。旧型こけしはまだ顧みられることもなかったので、旧型こけし工人は世相を反映させた流行の名を付け、新型こけしとして出品していた。そしていよいよ昭和36年第3回のときに次の3部種が創設された。第1部:伝統こけし(旧型こけし)第2部:新型こけし(市場価値のあるもの)第3部:創作こけし(芸術的価値のある一品制作もの)このときに41人の旧型こけし工人を無審査級扱いすることが決定され、「伝統こけし」の普及・発達・保護に尽くすことが宣言されて、伝統こけしの出展数が増加し、その後の伝統こけしブームが到来する契機となった。その後も旧型こけしの名称は並行してしばらく使われていたが、伝統こけしのブームが続いたことから、第23回の昭和56年に「伝統こけし」の名称にすべて変わったのである。さらには、伝統的工芸品として宮城県の「宮城伝統こけし」が経済産業省から認定されたのは昭和56年6月22日のことである。さて、このように「伝統こけし」は「新型こけし」の後追いで生まれ定着した呼び名であることをお分かりいただけましたでしょうか。「新型こけし」があったから「伝統こけし」が着目されたのではないかと考えるようになり、「新型こけし」は「伝統こけし」の立役者であったと思う次第です。であればこそ、今の時代にもう一度「新型こけし」を磨き輝かせ、「伝統こけし」と共に継続させていきたいと強く願う次第です。オリジナル新作こけしは完成度をあげて仕上がってきています。この制作をお願いしています佐々木こけし工房の新型こけしの歴史については次回の活動報告で紹介したいと思います。