中学生の時から結婚するまで、祖母と二人暮らしをしていました。祖父が亡くなり、東京(中目黒)で一人で暮らす祖母を心配して、母が「行く?」と言ったのが切欠でした。熊本からの一人での上京。祖母は「若柳吉若寿」という名前で日本舞踊の師範をしていました。小さいときに「ねえや(お付きの女中さん)が4人いた」というお嬢様でしたが、おっとりした中にも芯の強さを持った人でした。毎週水曜日に日本舞踊のお稽古があり、その日は着物を着たお弟子さん達がうちに入れ替わり立ち替わり来て、稽古場からはずっと音楽と板の間を踏みならすドン、ドン、という音が聞こえていました。ところが、当時私は思春期真っ盛り。祖母にもひどい事を言ったり、無視したり。優しい祖母も流石に鬼のように怒ったことが何度かありました。そんなこともあって、祖母は私に着物を着せたがったのに、私は頑なに拒否。私が祖母のことを無視して、向かっていった先は外国(エクアドル)でした。それでも祖母は1年間の留学の間、親よりも沢山私に手紙を書いてくれて、お金を送ってくれました。留学帰りの夜遊び時期も、文句を言いたかっただろうに、辛抱強く付き合ってくれました。2014年に祖母はくも膜下出血で突然他界し、中目黒の実家には大量の着物が残りました。あのとき着ていれば、着付けもできて、この着物たちを着ることができただろうし、残された着物の価値も分かっただろうし、と後悔ばかりが頭に残りました。そして。エクアドルのKIMONOを見たとき、ああ、自分が祖母と過ごした時間と、自分が選んだ留学から続くガラパゴスへの世界が、こんな風に繋がるのか、と、何ともいえない感動というか、苦さの混じった感慨に近いものを感じました。この点と点を繋ぐ作業が、このエクアドルKIMONOプロジェクトです。自分に予め用意された役目かとすら思いました。文化が融合するということは、世代や空間を超えて様々なものが繋がるということなんだと、身をもって感じ、そしてこのKIMONOプロジェクトの大きな意義に気が付きました。日本とエクアドルが繋がる。一歩踏み出し繋がることで、思いもよらない出会いがあり、そしてまた繋がりが生まれる。なんて素敵なんだろうと思う。クラウドファウンディングは、5月31日まで。あと6日。皆さんも繋がってみませんか?奥野玉紀