11年前の今日、3月11日14:46分 津波が気仙沼を襲いました。東日本大震災…尊いたくさんの命が失われ、残された遺族にも深い傷が残りました。私も母を亡くし、月日が経つにつれ母がいない実感が増してくる気がします。「行ってきます!!」と言い家を出た母に二度と会えなくなるなんて考えもしませんでした。震災が二度とこないでほしいと祈りながらも、もしもに備え、語り継ぐことが必要だと思います。それは小さい子ども達にも必要です。今日慰霊塔に行ってきました。小さい子どもたちの名前が刻んであり胸が締め付けられる思いでした。「てんでんこに高いところに逃げる!!」それだけでも救える命があるのかもしれないと思います。私は子ども達を震災から守りたいと思い、子ども達に子ども達向けの語り部をしました。https://youtu.be/UAyh_QqVMsMぜひご覧いただき私が体験した震災を聞いて考えていただけたらと思います。
お母さん の付いた活動報告
二月もあと数日になりました。今月もコロナ禍ではありますが定期開催している子ども食堂を無事に開催することが出来ました。毎回子どもたちがどんな顔をして来るのか、困った顔をしていないか、私はいっぱい会話をします。まず大切にしているのは最初の挨拶!!どんなトーンで?どんな顔で?元気に「はは~、こんにちは」!!「ただいま~」!!この反応が一番うれしいです!!「今日のご飯何??」男の子たちはすかさず聞いてきます(笑)教えると「やったー!」作る私たちにも気合が入ります。本日もバランスよく献立を考えました。スタッフは主婦!!子どもにとなると腕がなります!来る子供たちは多学年です。1年生~6年生までが集まるのです。コロナ禍で学校では他学年のクラスに行けない時代…ここに来ると「他の学年の子と仲良くなれる」と言ってくれます。11時くらいに来てカードゲームで遊んだりトランプしたり、宝探しをしたり子どもたちは大人たちが作り出そうとしている地域コミュニティをいとも簡単に作りだしました。男の子は頭を使うことに熱中する子、体をめいっぱい動かす子。個性が一人一人違い、性格もシャイで話すのが苦手な子、はは~と懐いていっぱい話す子がいますがみんなまとまると他学年関係なく仲良しになるのです。本当に面白い!!女の子は学年が上がれば上がるほど面倒見のいいお姉さんになっていきます。性格は男の子と同じくシャイだったり、おませだったりしますが低学年の子ども達をスタッフ以上に相手をしてくれるので逞しいです。そしてアイデアを次々浮かばせ遊びを次から次へ変えていきます。男女が一緒に遊んだりもしていて壁がなく子どもたちの行き来が見ていて面白いです。マスク越しではあっても大きな笑い声や歓喜の声が建物内を包む空間がとても素敵に感じました。私が子ども食堂をしようと思った一番の目的は「一人でさみしく弧食しない地域にして、子ども達の笑顔をたくさん見たい」からです。26日は15名の子どもたちのたくさんの笑顔がありました!!おかわりを4回もする子。すごい食べてくれるね~と聞くと「だってみんなで食べるとおいしんだよ~!!温かいからね!」みんなで食べる大事さを改めて感じました。三月もこども食堂開催します。気仙沼にとっての三月は鎮魂の空気に包まれます。私も震災で母を亡くしましたが母は気仙沼の子ども達が日々笑顔で過ごすことを望んでいると思うのでいつか年老いてあっちで会うときに胸を張って会えるように子ども達のために全力で笑顔を作っていきます。