世界的ジャズピアニスト山下洋輔氏の生演奏が聴けると知り、杉田劇場まで1時間以上車を運転して訪れた。舞台上には、鍛え上げられた肉体を持つ男がマスクを投げ払い、女性の鳴き声とピアノの音が響いた。その一瞬で私は「ああ、やっぱり」と何かを納得した感覚に陥った。薄々わかっていても何処かで期待していたのだろう、なんか一曲くらいは弾いてくれるのでは?と。ピアーズとの競演で即興なのにそんなことが起こるはずない。世界的ジャズピアニスト山下洋輔氏の生演奏で精神障害のある方達が元気に大合唱?そんなことはやるわけがない。わかっていたのに期待もしていたらしい、そして最初の一瞬で「ああ、やっぱり。この先何が起こるのか1ミリもわからない」と覚悟を決めた。踊る人叫ぶ人舞う人跳ねる人水を飲む人笑う人様々な表現が入り乱れる時間が展開される。どこからどこまでが予定されていて、狙われていることなのか全くわからない。即興と言えども、事前にワークショップなどを複数回やったと聞いている。何かしらの準備があったのではないのか?時々雰囲気を変えてくる照明バックのスクリーンに映し出される様々なアートや言語確実に場面は切り替わっていく、物語が進んでいく、しかしその継ぎ目は見当たらない。とてつもなくスペクトラムだ。何なんだコレは?処理できないほどの疑問が湧き、さらに押し寄せる暴力的とも言える情報量。女性の鳴き声が止まらない。いつしか聞こえてくる規則的なヒューマンビートボックス、馴染みのある8ビートに少し安堵を覚える。しかしそこに乗るわけでもなく椅子に座り始める演者たち。休憩しているようにも見えなくもない。コレは一体なんだ?これまで使ったことの無いレベルの想像力を発揮しながら舞台から一瞬も目が離せない。終始ピアノの演奏が行われている。弾いているのは山下洋輔氏だ、そんなことはどうでもいいのではないか?という気がしてくる。いずれにしろ何を感じて何を思い奏でているのか全くわからない。本気なのか?手抜きなのか?何処かで聞いたことのある歌声が突然聞こえてきた。KP代表の藤井哲也氏が十八番のアノ曲を歌い始めている。ピアノは伴奏をしていない、全く関係のない事を弾いている。しかし関係あるのか?舞台上にいる人たちにはリンクする何かがあるのか?私にだけわからないのか?と不安にも襲われる。これは成立しているのか?リラックスとは真逆の時間が1時間以上超えた、会場は沸いているのか冷えているのか?それすらもわからない。個が舞台と向き合い、そして己と向き合う時間のように思える。即興が終わった後、山下洋輔氏が舞台を去った。残ったピアーズ達のスピーチは馴染みのある温度で安心が戻ってきたような感覚だった。会場からも笑いや拍手が聞こえてくる。あの即興の時間は何だったのか?今でも何一つわからない。何故こんなことが実現できたのか?詳しくは知らない。たった1つ私の中ではっきりしていることがあるとすれば、それは恐ろしいことに「もう一度見たい」と思っていると言うことだ。しかし2度と同じ事はおこなわれない、再現する事は不可能なのだ。それが生演奏であり、即興だからだ。そういった意味では大変貴重で価値の高い時間であったと言っても良いのではないか。クラウドファンディングで映像の記録を限定的ではあるが公開する予定があるらしい。今回の私が目の当たりにした光景を、他者がその目で確かめる手段はいまのところそれしか無いようだ。