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未曾有の災害の記憶を託した市民アート「西田橋の拓本」公開プロジェクト!

江戸末期に鹿児島にかけられた五大石橋をご存知ですか?市民に愛されたこの石橋は1993年の8・6水害後に撤去されることになり、この時「石橋を拓本でのこす」活動が述べ三千人にも及ぶ市民の手によって行われました。2022年3月「かごしま県民交流センター」にて開催予定の全面公開に向けてご支援をお願致します!

現在の支援総額

281,000

56%

目標金額は500,000円

支援者数

32

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2022/02/11に募集を開始し、 32人の支援により 281,000円の資金を集め、 2022/03/15に募集を終了しました

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現在の支援総額

281,000

56%達成

終了

目標金額500,000

支援者数32

このプロジェクトは、2022/02/11に募集を開始し、 32人の支援により 281,000円の資金を集め、 2022/03/15に募集を終了しました

江戸末期に鹿児島にかけられた五大石橋をご存知ですか?市民に愛されたこの石橋は1993年の8・6水害後に撤去されることになり、この時「石橋を拓本でのこす」活動が述べ三千人にも及ぶ市民の手によって行われました。2022年3月「かごしま県民交流センター」にて開催予定の全面公開に向けてご支援をお願致します!

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講演会 の付いた活動報告

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この齢になると・・・「天使」が見えてくるものです。と、言っても、光冠と翼の女性という姿ではなく。なんでもない人の姿に、この方はなにか天からの役割を負った人だ(=天使)、と判る時があるのです。30年前、鹿児島の五大石橋撤去が決まった時に、それを残したいと願う人の最後の市民活動が起きました。それが、『石橋の拓本取り』でした。市民3000人とも言われる市民の協力で採取された拓本を、A4サイズ2万枚もの和紙コピー取り作業と保存を独力でなしている人がいるのです。驚愕でした。石原正信さん。本業の内装の仕事の終えた自宅の作業場で深夜、たった一人でコピー機に向かい、延々と拓本原本の転写、転写、転写、、、当然、コピー機や膨大なインク代、紙代もすべて自費。さらには「拓本」の技術習得のために京都の拓本師のもとに走り(といっても歴史的石碑拓本はせいぜい合板一枚程度。何の拓本とりはるん?と聞かれて「西田橋」と答えて師匠が震撼したエピソードも)そのA4サイズ和紙を、今度は丁寧に糊で畳寸に接合。さらには以降、今に至るまでの30年、保管場所として提供してもらっている古家を一人で管理。草刈り、清掃、水漏れ点検、、、、誰からの強制でもなくたった一人で高齢となる今日まで続けてこらているのです。それは、天から遣わされた人としか(私には)思えないのです。石原正信氏。本日はそんな石原さんの講演会がありました。野添さん(桜島の画家)のラジオ放送をキッカケに拓本の活動に参加したこと。当時経紙屋さんだった石原さんは、今回展示する拓本のコピーを刷り続けコピー機を2台潰し、時には機動隊に強制排除されたことことなど、当時の活動を優しい口調で語ってくださいました。来週(3/5)は当時ご一緒に活動された写真家の木原 安妹子さん、その翌週(3/12)にはまちづくり県民会議の芳村泰資さんの講演会があります。この機会にぜひいらっしゃってください。☆2022年3月5、12日(土)13時−14時30分 レトロフトMuseo☆参加費 1000円 15名限定 ☆正式なお申し込みはこちら https://nishidabashi.base.ec/ からただし操作が不慣れで、どうしても聴きたいというかたは私にお電話ください。090-7166-5823(永井)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・全長57メートル高さ9.5メートルの拓本の命を守り続けた人です。当時、橋を守る市民と鹿児島市との協定で、拓本を取るまでは解体はなされなかったそうです。逆に言うと、、、、「拓本をとった部所から解体がされていった・・・」。そんな石原さんの肉声、生の経験の凄みを未来へ繋ぐために、是非皆様の心に直接刻んでほしいのです。石原さんの口から聴く当時のリアルは、石橋を守る側も涙、壊す側の建設業者にも涙と温情とが入り混じる劇的世界です。人を怨まず。聖ルカ伝による福音書23 にあるイエスの言葉、「父よ、彼らをお赦しください。自分がなにをしているのか知らないのです」私の心にはこのフレーズが、石原さんの心の声のようにずっと響いていました。西田橋を拓本てのこす会永井 明弘