2022/04/22 00:57

プロジェクトに縁のある方に、ヤングセンターの思い出や応援メッセージを頂きました。

元ヤングセンターの若
寺本博文さん

私が生まれる前からヤングでしたのでヤングの子として育ちました(笑)お客様からは最後(47歳)まで"ヤングの若”と呼んで頂いてました。舞台には花道がございますが、出べそ(通称)があったのは大衆演劇ではヤングだけだったようです。(きっとこの先も)
この度、東京神父さんのステンドグラス補完計画を通して改めまして皆さまがヤングを応援して頂き、なにより愛して頂けましたことを再確認出来きました!感謝の想いでいっぱいです。これから先もステンドグラス=ヤングが鉄輪の「ひろみや」さん始め、沢山の場所で生きつづけることがとっても幸せです。


コトリカフェ店主
八木みちるさん

旅行で訪れたとき、立ち登る湯けむりの風景の中で一際目を引く『ヤング』の文字が気になって気になって。絶対にいつか行ってみたいと思い、友達に連れていってもらって初めて足を踏み入れたときは衝撃で、こんな世界があったんだ!と一瞬でトリコになりました。
好きな劇団が来る時は月に何度も足を運び、たくさんの友達と目をハートにしながら共有した時間は宝物です。嫌なことがあったときも、忙しいときも、ヤングセンターに居る3時間は全てのことから解放される癒しの空間と時間でした。もちろん温泉も素晴らしくて、鉄輪の真ん中で広い湯船にドバドバ掛け流されている良質の温泉に浸かるだけでパワーチャージできました。
私にとってはなくてはならない場所だったので、閉館と聞いたときは悲しかったけど、悲しさ以上に心の奥から沸いてくる、寂しさと感謝が入り混じったような何とも言えない気持ちで胸がいっぱいになります。建物はなくなってしまったけれど、私の宝物のような思い出のカケラを残してくれたこのプロジェクトに感謝すると共に、陰ながら成功を祈っています。


食堂
勝太郎さん

鉄輪の活気がなくなり、非常にさみしいです。ヤングセンターのおかげでたくさんの人との思い出ができました。 ステンドグラスもチャンスがあれば見たいと思います。


元役者
澤村恵里

私の人生のすべてです。いまだにヤングの話がでない日はありません。母も亡くなった妹もファンです。あって当たり前の場所だったのに、それがなくなって心のよりどころがなくなりました。ヤングセンターで繋がった人たちとは今もご縁が続いています。ステンドグラスは見たことがなかったので、とても楽しみです。改めて友達と訪れてヤングセンターの思い出を話してみたいです。

飲食店店員
加藤千恵美

幼少期、叔父がヤングセンターのすぐ裏で理髪店を営んでいて私もしょっちゅう遊びに行ってました。お店の前で遊んで居ると大衆演劇の役者さんが通りかかってはお菓子をくれたり、一緒に遊んでくれたり‥。大衆演劇の役者さんには小さい頃からお世話になっていました。
大人になって今度は客としてヤングセンターに行くようになりましたが、最初はお付き合いで行くだけ‥という形でした。でもどんどん大衆演劇の魅力にハマって 最後は時間を作っては自ら進んで観に行くように。ヤングが無くなると聞いた時は、本当にショックでした‥。役者さんの送り出しで キャーキャー言いながら写真を撮ったりしたのは今も大切な思い出です。
物心ついた頃からあって当たり前だったヤングセンター。無くなると聞いた時は本当に悲しかったですが、このような素敵な企画を計画して下さった事に感謝の気持ちでいっぱいです!別府にはヤングあり!『来て見て!夜見て!帰り見て!』のキャッチコピーもどこかに潜ませて頂けたら嬉しいな‥と密かに期待してます(笑)

東京神父の祖母
福田サヨ

旦那の兄が昔ヤングセンターの向かいで旅館をやっていて、そこで結婚式を挙げました。ヤングセンターには婦人会で一度だけ行ったことがあります。今年で102歳になりましたが、昔は鉄輪に行くといつもヤングセンターの前に浴衣姿の人や観光客が沢山いたことを思い出します。
孫が残したステンドグラスを生で見てみたいです。

占い師
ジェミニさん

父親がヤングセンターの、お風呂場のタイル張りをしてました。私はヤングセンターの娘さんと同じ学校で不思議なご縁で、繋がってましたね。
無くなってしまったのはさみしいですが、今でもあの看板があった辺りを通ると別府に来たなぁと思い出されますね。可愛い丸文字のヤングセンターの看板素敵でした。

インストラクター
郁恵さん

インスタグラムでこの企画を知りました。広島在住の母がヤングセンターのファンで、必ず月に何度か別府に遠征に行っていました。ヤングセンターが無くなった時は人生の楽しみが一つ減ったと落ち込んでいました。
演劇を観覧することもそうですが別府の街並みや人、温泉に入るのが好きだったみたいです。ステンドグラスが設置されたら母を誘って、別府に遊びに行こうと思います。

イラストレーター
トビイルツさん

ヤングセンターのすぐ側にある湯治宿「ひろみや」さんの一角に仕事場を構えてから、ヤングセンターが身近になりました。ひろみやには、神父さんが運んできた13枚のステンドグラスのうちの1枚が、扉として設置してあります。私にとってヤングセンターは楽しい鉄輪の象徴です。

無数の湯けむりの中に浮かぶヤングの看板の赤い文字は、大好きな鉄輪の風景の大切な一部でした。ヤングセンターの閉館後、その文字を残すことと、ひろみやのステンドグラスの設置費用を募る目的を兼ねて、一足先にヤングTシャツプロジェクトを立ち上げ、神父さんとお仲間の方々にご協力いただきました。70年近く鉄輪の名所として存在したヤングセンターの記憶を残したい思いは神父さんと同じです。

13枚のステンドグラスが、今度はそれぞれの場所の歴史の一部となって輝き続けられるように、神父さんの活動を応援したいと思います。フォーエバー、ヤング!