Check our Terms and Privacy Policy.

山梨妖怪100体の「山梨の妖怪展2022」を開催したい!

山梨各地に伝わる伝承・民話・伝説に残る郷土の妖怪を集めて紹介する展示の企画です。いまだ知られざる山梨にゆかりのある妖怪を調査・発掘し、広く知ってもらうことを目的とします。妖怪はイラストにして掛け軸を制作。ストーリを記載したキャプション、大きな妖怪地図も作成。山梨の中心である甲府で展示会を開きます。

現在の支援総額

127,000

25%

目標金額は500,000円

支援者数

19

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2022/04/01に募集を開始し、 19人の支援により 127,000円の資金を集め、 2022/05/22に募集を終了しました

エンタメ領域特化型クラファン

手数料0円から実施可能。 企画からリターン配送まで、すべてお任せのプランもあります!

このプロジェクトを見た人はこちらもチェックしています

山梨妖怪100体の「山梨の妖怪展2022」を開催したい!

現在の支援総額

127,000

25%達成

終了

目標金額500,000

支援者数19

このプロジェクトは、2022/04/01に募集を開始し、 19人の支援により 127,000円の資金を集め、 2022/05/22に募集を終了しました

山梨各地に伝わる伝承・民話・伝説に残る郷土の妖怪を集めて紹介する展示の企画です。いまだ知られざる山梨にゆかりのある妖怪を調査・発掘し、広く知ってもらうことを目的とします。妖怪はイラストにして掛け軸を制作。ストーリを記載したキャプション、大きな妖怪地図も作成。山梨の中心である甲府で展示会を開きます。

このプロジェクトを見た人はこちらもチェックしています

富士川町 の付いた活動報告

thumbnail

おばんです!いつもご支援ありがとうございます。大蛇堂です。フィールドワークの活動報告、2回目です。(1回目は龍神親子でした)資料で読むだけでなく、現地にいくことによって感じるものもあるので、できるかぎり訪れるようにしています。なんといいますか、空気を感じることができる気がして、描く際の妖怪の印象に影響してきます。今回は前回と同じ富士川町の上高下にあ『馬頭観音』です。山の上にあるので、車をひたすらのぼらせてたどり着きました。立派な建造物です。この神社にまつわる『上高下の馬頭天神」というお話があります。〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜【上高下の馬頭天神】山梨県富士川町上高下に伝わる。昔、上高下の某で飼っていた馬が毎夜抜け出し作物を荒らしたため奥山の大木の根元に「暫く、わりゃここにおとなしくしていろ」とつないできた。そのうち2、3年の月日がながれ余りにも長くつなぎすぎたと行ってみると馬は白骨と化しながらもなおつながれたまま立っていた。思わず馬の名をよぶと白骨の馬は崩れ散ってしまった。のちに馬の飼い主の家で不幸が続き、祟りであろうと屋敷神として祭り牛馬の神としたのが「馬頭天神」であるという。〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜タイトルは『上高下の馬頭天神』ですが、祀られる前の『白骨の馬』の表記をとって妖怪として描きました。この神社から道を挟んで反対側は、ものすごくよい眺めです。山上から富士山を望むことができます。関東の富士見100景にも選ばれています。白骨の馬も富士山をみているうちに知らず知らず、立ったまま骨と化してしまったのでしょうか。富士をみながらそんなことを考えてしまいました。最後まで読んでいただきありがとうございます。限定受注生産の「蛇体さつき姫フィギュア」も完成。「予言の鳥掛け軸」のイラストも公開しました。応援、どうぞよろしくお願いいたします!


thumbnail

おばんです!いつもご支援ありがとうございます。大蛇堂です。山梨県富士川町にはなにかと縁があってよく訪れるのですが、まだ妖怪を描いておりませんでした。そんなおり南明寺さんには「龍神親子」の話があり、さらに石碑などもあるということで訪れて住職さんに話なども聞いてきました。まずは「龍神親子」の伝説をご覧ください。〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜【南明寺の龍神親子】山梨県富士川町(旧増穂町)南明寺に伝わる。南明寺の境内には昔、左右にわかれた二つの淵があり親子渕とよばれ、龍神の親子が隠れ棲んでいた。戸川の上流には妙蓮の滝があり、その滝つぼに多くの配下をもつ大龍神がいた。大龍神は配下の父龍神に娘を強要したが意に従わなかったため親子を迫害したため、龍神親子は妙蓮が淵にいることができず親子渕にいたのだった。ところが、大龍神が親子を探して親子渕までやってきたため大龍神と父龍神の大格闘となった。やっとのことで大龍神を倒した父龍神だが深い手傷をおって病床に伏す身となってしまった。当時、長沢には千住院という寺があり、龍禅という老僧が4月8日から1週間、村人を集めて法話をしていた。毎日、妙齢の美女がきてありがたく聞いてはいたがどこからきてどこへ帰るのかだれも知らなかった。実はこれが龍神の娘であり、父龍神の病の1日も早い回復を願って法話を聞いて帰って病床の父に聞かせていたのだった。そのかいあってか父龍神は全復し妙蓮が淵に帰ることができ、親子そろって龍禅和尚のもとにお礼参りにきた。これにより村人が知るところとなり、ことのありがたさに感激して淵のかたわらに2棟のお堂をたてたのが南明寺の興りであるともいわれている。〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜訪れた日はご不在だったので、後日お電話でお話をお伺いしました。丁寧にいろいろな話を聞かせていただきました。・南明寺四脚門建造された年が古い曹洞宗の寺は県内に他にもあるが、途中で改宗したものであり南明寺は山梨県内最初の曹洞宗の寺である。江戸中期の前半〜中頃に建造された四脚門があり「蒼龍窟禅堂」と掲げられ龍が棲むとされる。・淵について棲んでいたとされる淵は今は干上がってしまっているが、戦後の農地開放までは上流の水を一時貯水し不純物を沈澱させ下流に流す役目を担っていた。徳川家康との縁も深く甲斐に落ち延びた際、当時住職の用山儀存が共に学んだよしみだったため家康に法衣を着せすりこぎ棒をもたせて敵の目をのがれた「南明寺の大すりこぎ」の話もある。近隣に徳川埋蔵金が埋まっているとも言われており、住職いわく「淵の下などは埋めるのに最適では」とのこと。・竜尾石について近隣の八幡神社には竜頭石があったがそちらはいつのまにか紛失した。近ごろ南明寺の石を竜頭石とよばれてしまうことがあるが、本来は竜尾石であるとのこと。実際に現地に行くと、こうした石碑や淵が残っていることもあり想像力をかき立てられます。ここに父親想いの娘龍神がいたんですねえ。そうして描いたのがこちら。父親に聞いてきた法話を聞かせています。最後までみていただきありがとうございます。「蛇体さつき姫フィギュア」も着々と進んでおります。近日中に「予言の鳥掛け軸」のイラストも公開予定。ひきつづきご注目くださいませ!