※山崎マイキができるまで1st STAGEの続編をこのままお楽しみください。その時には、まだアーティストやラッパーになるといった夢は持ってませんでした。。。漠然と、「モデルで頑張る」ということだけが脳裏にあったのを覚えてます。モデルとしてランウェイは身長の関係で厳しかったけど、被写体系のお仕事はちょこちょこいただけた。美容室新店舗のイメージモデル、ECサイト掲載のUSブランド(NIKEやadidasなど)の着用モデル、団体活動の冊子の表紙、、、などなど。ありがたいことに仕事はありました。(カメラマン:仲野光衛)半年ほど経ってオーディション番組の企画が事務所にきました。このオーディション番組がぼくの人生を大きく動かす仕事となります。モデル事務所の社長の意向でモデル事務所のメンズはみんな応募するとのことだった。1人は内容が特殊だと社長に直談判して辞退し、1人は条件に合わないと事前オーディションに勝手に応募せず、また1人はわざと別の予定を入れていた。それだけ、ハードルが高く特殊な内容だった。それでもぼくはそこで自分にとってのなにかを掴みたくて応募した。1回目のオーディションに残ったのは所属事務所からは3人。次で最終審査。ここで更に人が減る。結局ぼく以外の2人は最終審査の当日、もう一人はいなかった。結果、ぼくだけで挑みオーディションは合格。オーディション番組なので、番組内で更にオーディションが続く。ふんどしを締めてのオーディションとは、当日までは聞かされてなかったのでびっくりしたのは今でも鮮明に覚えてます。あれはほんとに驚いた。。。放送されるたびにランキング形式でそれぞれのその日の評価を公開する仕組みの番組。ちなみにぼくは下から数えた方が早かったです。そんな、ふんどし男たちのオーディション番組を通してSEAMOさん、DJ AViAさん、監督の佐藤徹也さんとの出会いがあり、ひとりひとりからぼくは多くのアドバイスをいただき、そのおかげでこの業界について、表に立つ人間としての在り方などなど教わり、少しずつ成長していくことができました。現在、ラッパーとして活動しているぼくの原点でもあるラップオーディションの話は外せません。オーディション番組から結成されたグループで活動が始まり、最初は様々なゲストを呼び演技などを行ってましたが、後半からは歌とダンスがメインになっていました。その流れでメインボーカル、ラップ担当のオーディションも行われた。ぼくは、このオーディションがあると知ったその日から(これだ!)と直感で感じて稽古そっちのけでラップ動画や当時流行っていたフリースタイルダンジョンという番組も見たりして少しでも周りよりラップが出来るように見漁った。審査員には紅白にも出演歴のあるラッパーSEAMOさん、名古屋のHIPHOPユニット「カルテット.」からDJ AViAさんのお二方。審査内容は即興ラップバトル、歌唱審査、最終審査といった内容だった。ぼくのランキングは最下位、自業自得だがあまり稽古に集中してなくて調子は最悪でした。ラップバトルの対戦相手はメンバー内実力はNo1。どんな分野でも一番にこなせちゃうグループのエース。いきなり、もう詰んでしまった、、、きっと番組としては下剋上が起きた!!みたいなのを期待していたと思います。でも、相手が相手。本当に勝てる気がしない。。。どうしようとみんながいないところで頭を抱えました。あの時の直感、ここまで費やした時間、今まで他を捨ててでも頑張ってきた自分を無駄にしたくない、自分を信じよう。と委縮することなく彼に挑みました。結果、、、勝利。本当に下剋上が起きた。(え、、?やばすぎる。何が起きてるの?)と本気で思いました。いきなり、ランキング一位。この調子で二次審査の歌唱審査では洋楽ラップをカマし最終審査では、SEAMOさんの代表曲のひとつ「マタアイマショウ」を本人の前で歌唱するという審査。ラップパートは完璧。サビが来た瞬間、大裏返り。これは大失点だったと思いましたがなんとか、ラップでカバーして大きなマイナスは生じませんでした。そのまま、1位で逃げ切り。1位、、、!初めて何かで1番になり、ラップ担当という役割をいただけた。小さいですが、これがぼくのアーティストとしての最初の快挙なのです。これを機に、ラップについてやヒップホップについて、もっと音楽にのめりこみました。でも、1番になったからといっても素人同然。。。浮かれてる暇はなかったです。頑張って積み重ねて数あるステージで場数を踏み、笑われてもグッと堪えて耐え抜きました。「自分はまだ下手くそだ。」と悔しく思いながらも積み重ねました。そんな中で芽生えたのが「自分もSEAMOさんやDJ AViAさんのようなアーティストになりたい。」と思うようにいつの間にかなってました。To be continued.....