はじめに(住職から)
この度は、当ページにお越しいただき有難うございます。
当山の本堂は、凡そ320年ほど前に再建された建物で、ほぼ当時のままで現存しております。故に、当時の建築様式・技術を知るうえで大変貴重な建物といえます。
その特徴の一つが茅葺屋根であり、現存する茅葺屋根としては、北関東地方でも屈指と言われております。これも歴代住職はじめ、檀信徒、地域の方々の努力のたまものと思い、お預かりさせていただいております。
しかし、近年傷みがひどくなり、この程全面葺き替え工事を行うこととなりました。この本堂に寄せてこられた先人の想いを次世代に引き継ぐ、という思いでおりますので、どうか有縁無縁の多くの皆様のご支援をお願い申し上げます。
41世 常光院住職 小久保彰田
常光院の歴史
熊谷市上中条にある常光院は比叡山延暦寺直系の天台宗別格本山であり、龍智山毘慮遮那寺常光院と称されています。
長承元年(1132)、藤原鎌足から16代目の子孫である判官藤原常光公が当地に武蔵国司として任命された後、土地の豪族白根氏の娘をめとり「中條」の地名を姓として土着。館を構えて政務に精励しましたが、保延3年(1137)5月1日に病で亡くなり、遺骸は館の東に葬られ近年まで常光塚(権現山古墳)としてその形状が残されていました。
常光の孫の中条出羽守藤次家長は、石橋山の合戦に際して源頼朝に従い、その後の信任が厚く、鎌倉幕府の最高職である評定衆にも任ぜられ、我が国最初の武家法といわれる貞永式目の制定にも携わっています。
建久3年(1192)、家長が祖父常光公及び殉死した愛童の菩提を弔うため、比叡山から天台の名僧金海法印を迎えて、自分の館を寺としたのが常光院のはじまりと言われています。
常光院は、開基以来、延暦寺直系の天台宗に属し、特に梶井宮門跡(現・三千院門跡)の令旨と、その御紋章「梶竪一葉紋」を与えられ寺紋としましたが、現在この寺紋が建造物の各所にも施されています。また、徳川幕府からの寄進も多く、寺格も関東県内では有数の高位にあり、広大な寺領を上中条地内を含め周辺の地域に有していたとされますが、明治時代における農地解放により、現在の境内地を残して一切を失いました。
現在は、元禄4年(1691)再建の茅葺屋根の大本堂をはじめとする建物を保有しています。
茅葺葺替えプロジェクト
本堂の傷んだ茅葺屋根を3年の歳月をかけて葺替え工事を実施します。
今年度は正面の1面を葺替える工事となります。
リターンについて
5000円以上のご支援をして頂いた方には当寺院オリジナルの御朱印やお守りなどを郵送させていただきます。
また、お札は正式に護摩を行ってから郵送させていただきます。
なお、全支援者対象のお名前掲載につきましては、当寺院公式ホームページに掲載させていただきます。
※お守りは「身体健全」のものとなります。
※お札は「家内安全」のものとなります。
スケジュール
令和6年度冬期 本堂正面の茅葺を葺替え
令和7年度 本堂側面の茅葺を葺替え
令和8年度 本堂背面の茅葺を葺替え
自治体からのメッセージ
熊谷市指定有形文化財・建造物「常光院本堂」に関心をお寄せいただきまして、ありがとうございます。常光院本堂は、鎌倉幕府の評定衆となり我が国におけるはじめての武家法といわれる貞永式目の制定に参画した中条家長を輩出した中条氏及びその中条氏の館跡に建立された古刹常光院の歴史的経過を今に伝える貴重な文化財です。この取組を通じて熊谷市が誇る文化財の素晴らしさと歴史を知っていただき、多くの方々に常光院へお越しいただくことへと結びつけていきたいと考えています。
大切に受け継がれてきた熊谷の歴史文化遺産を未来につなぐため、ご賛同いただける皆様のご支援をお待ちしています。
熊谷市教育委員会社会教育課(熊谷市立江南文化財センター)
公式ホームページ:https://userweb.inets.jp/jokoin/
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