こんにちは。
高校 3年生・17才のテニスプレイヤー、
逸崎 獅王(いつさき しおん)です。
男三兄弟の末っ子として生まれ、名前の通りワイルドで逞しく育ってきました!
父やふたりの兄の影響で、生まれた頃から週末はいつもテニスコートで、幼い頃はコートの外で走り回ったり、バッタなど昆虫を追いかけていましたが、5才くらいから徐々にテニスに興味を持ちだし、テニスボールを追いかける日々を送るようになりました。
ただ、小学生の頃は兄達もまだ学生だったので、自分が試合に出るよりは兄達の試合が優先で、インターハイや早慶戦、インカレなどの応援に行く事の方が多かったうえ、まだまだ自分はそんなに強くなかったので全国小学生大会などには出場できず、関西大会で少し勝てるくらいの実力しかありませんでした。(大きいお兄ちゃん達に憧れ、自分にはまだ出来ない事ばかりしていたので当然コートにボールは落ちてくれませんでした(笑))
中学生になり他の選手より少し身体が大きくパワーとガッツがあったことで、12才以下の全日本ジュニアではじめて全国大会に出場することができました。(ただ、全然走れなかったのと我慢ができず、3回戦で負けてしまいました(笑))
14才になり、ようやく自分の ”やりたい事"と" できる事"が少し重なりだし、関西ジュニアと全日本ジュニアで優勝することができました!
その結果、チェコで行われたワールドジュニア世界大会の日本代表No.1選手に選出してもらい、日の丸を背負い各国の代表選手と戦える貴重な経験をさせていただきました。
(この時期はコロナウィルスが世界中で猛威をふるっており、出場が危ぶまれたり度重なるPCR検査、帰国後には一週間ホテルでの完全隔離があったりと、とても大変でした。日本テニス協会の関係者の皆様には感謝しかありません。)
特に大きな怪我をすることもなく、14才までは何とか順調にやってこれました。元々、ボールを打つことや対戦相手と競い合うことは面白く大好きだったのですが、ボール出しなどの基本練習や、ランニングやトレーニングなど地味なことは大嫌いで、やらなくても中途半端に勝ててしまっていたので、当時のおバカな自分は周りからのアドバイスや忠告を受けようとも、必要性を感じられず、努力らしい努力などせずにいました。
その結果、今までパワーのみでごまかせていたのが、いつまでも通用する訳がなく、走れない、我慢ができないなど弱点をつかれ、そのことにイライラし、フラストレーションがたまって自滅するという最悪の状況に・・・。
当然といえば当然の結果、勝てると思っていた全国大会でも勝てなくなり、協会からヨーロッパ遠征やジュニアデビスカップの日本代表で遠征に連れて行ってもらうも、もちろん結果は出せず・・・。
錦織圭選手が育った盛田ファンドへのチャレンジも、フロリダIMGアカデミーでの最終選考会までいくも不合格・・・。大きな大きなチャンスを掴むことが出来ませんでした。
そんな数々の悔しさを経験したことにより、このままではダメだと一念発起し、まずはぽっちゃりしていた身体の肉体改造を始めました。大嫌いだったランニングをし、ジムでトレーニングやプールで泳ぎ、いままでは何も考えずに好きなものを、好きなだけ食べていた食事も身体に良い物を摂るようにし、栄養を考えて自分で料理までするようになりました(笑)
それでも長年のサボりのツケは大きく、再起をかけ挑んだ16才の全日本ジュニアや西岡良仁プロ主催のYoshi`s CUPでは満足のいく結果を残すことができませんでした。
まだまだ自分に甘えや、頑張りや努力が足りなかったのか、と自分を更に鼓舞し一層の努力を続け、自分に甘えず誰よりも頑張ってきました!
そして高校3年生になり、いままで出場していなかったインターハイに高校生最後で出場することに。仲間達と共に暑い中戦いましたが、結果は残念ながら個人戦・団体戦ともに準優勝、あと1勝・・・。
特に団体戦の決勝での敗戦は、チームのみんなや応援してくださった方々に本当に申し訳なく、悔しさと情けない気持ちでいっぱいでした(涙)
そして迎えたラストチャンス!
国内ジュニア最高峰の UNIQLO全日本ジュニアテニス選手権
U18シングルスで優勝することができました!!
いままで何度となく悔し涙を流してきましたが、初めての嬉し涙でした。
そして、次なる目標はウィンブルドンをはじめとするグランドスラムジュニアで活躍し、ジュニア世界一になること!!
また、先日プロのフューチャーズ大会に初挑戦し、ATPポイントも獲得できたので、
今後はプロの大会にも参戦し、グランドスラムやオリンピック出場を目指し
チャレンジしていきます!!
【 その為には多額の海外遠征費用が必要になります。
ご支援どうぞよろしくお願いいたします。】
Shion Itsusaki
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