皆様、はじめまして!
㈱gufo代表、産前産後マネージャーの貞方智子と申します。
2024(令和6)年6月、新会社を設立いたしました!
会社の名前は、 ㈱gufo(グーフォ)。フクロウという意味のイタリア語です。
2018(平成30)年から5年間活動してきた、産前産後サポートをはじめとする母子の健康と安全をサポートする団体「日本sango15」をベースにしています。みんなを温かく包み込むイメージで、この名前を付けました。
㈱gufoをお披露目するとともに、私たち㈱gufoの活動に賛同し、応援してくださる方とつながりたい!と思い、このプロジェクトを立ち上げました。
㈱gufoは、産前産後サポートをはじめとする母子の健康と安全をサポートする会社です。
㈱gufo HP
出産は、おめでたいことであるのと同時に女性の体に大きなダメージを与えるものでもあります。そのダメージは、「全治数か月の怪我を負ったのと同じ」といわれるほどです。
妊娠・出産で変化し、ダメージを受けた身体が元に戻ろうとする期間が、産褥(さんじょく)期です。その際、ホルモン変化による心身の状態悪化や悪露(おろ)、歩けないほどの骨盤の痛みや腰痛、座れないほどの会陰部の痛みなどが発生します。
古来、日本における産前産後サポートは親家族や近隣の共同体によって行われてきました。里帰りや床上げといった習慣は、産褥期の産婦を守るための習慣として根付いたものです。
しかし、1950年代に安全面から出産の場所が家庭から病院などの施設に移行するとともに、産前産後の健康管理は産婦自身やその家族に任されることが多くなりました。そのうえ、産婦の高齢化によりその親も高齢化が進んでいます。
その結果、出産は無事に済んだけれど、子育てを親に頼れず近所に頼れる人もおらず、夫婦だけで乗り切らざるを得ない家庭が増えてしまっています。せっかく根付いていた、産褥期の産婦を守る習慣を実行できなくなっているのです。
子育ては、産前産後サポートから始まる。そう考えた私が、頼れる支援者がいない母子の健康と安全を守るために設立したのが、㈱gufoです。「日本sango15」をベースにしています。
㈱gufoでは、産前産後サポートと食育、このふたつを柱として母と子の健康と安全を守る事業を展開していく予定です。産前産後に本当にゆっくり過ごしていただける、子育て長屋のような形を実現したいと考えています。
第一事業部:産後サポート事業
㈱gufoのベースである日本sango15ではこれまで、以下のような事業を行ってきました。
①ママの身体の回復と健康管理
②赤ちゃんのお世話と育児サポート
③心理的サポート
日本sango15から㈱gufoとパワーアップした現在、①~③の寄り添い事業に加えて
④産後サポート施設運営
として、主としてママが、時にはパパがゆっくり過ごせる産後サポート施設、いわば「ママ・パパひと休み場所」を、名古屋市中区に開設することになりました。現在、鋭意準備中です。
日帰りはもちろん、宿泊にも対応しています。施設には薬局と内科医院があり、別のフロアには小児針の先生もいらっしゃるので、いざというときも安心です。
ママがスムーズに体調回復でき、母乳がたくさん出やすくなるよう、体を温め、赤ちゃんと一緒にリラックスできるようなお部屋を整えています。産前産後のうつや虐待予防など、様々な心身のケアに対応する予定です。
赤ちゃんを預けてひとりの時間を過ごす、といった使い方も可能です。ママだけでなく、パパがひとりになりたいときにも使っていただけますので、ぜひご活用ください。
第二事業部:食育事業
㈱gufoのベースである日本sango15では、アンチエイジング健康相談でママたちの産後の食事のメニューを担当したり、鬱で外に出られない方たちもほっこりできるような体験型のお料理教室を行ったり、子ども向けにはお魚さばき体験で命をいただいていることを実感してもらう教室を行ったりと、様々な取り組みをしてきました。
こういった食育の取り組みを、㈱gufoではこのたび事業として独立させました。
子どもたちに食に関心を持ってもらい、「自分の身は自分で守る」という促しをする現場づくりや、高齢者の方に向けては詰まらせない、それぞれの病気に対応する食事メニューの提供などを行う予定です。
私は4人の子どもを育ててきました。ひとり目は男の子。1987(昭和62)年、19歳での出産でした。
鉄剤と促進剤を間違って処方されるという、院内処方の時代だったからこそ起きた手違いにより、8か月と2日で1390gの超低出生体重児として出産。ドクターヘリで総合病院に運ばれ、そのまま入院することとなってしまったのです。
早すぎた出産の影響は長男の体に大きな影響を与えました。今も薬を常に持ち歩き、入退院を繰り返しています。でも、命ってすごいですね。無事に成人を迎え、普通に生活も仕事もできていることに、感謝しかありません。
1989(平成元)年に次男、1993(平成5)年に長女を無事に出産。次男は中学でソフトテニス部に入り、新人戦に出場しました。試合前に練習していた時、通りすがりの女の子に後ろから声をかけられたそうです。
「かっこいいね」
その一言が、次男のその後を大きく変えてしまいました。その女の子の彼は、とあるヤクザの息子で暴走族リーダーだったのです。帰り道で待ち伏せされ、リンチというにはひどすぎる仕打ちを受けました。
全裸にされて首にチェーンを巻かれ、車で引きずり回された挙句、全身を木刀で叩かれタバコで焼きを入れられ、肋骨も顔骨も歯も折れ耳はちぎれ、耳と鼻は割り箸で貫通させられて、かろうじて生きてはいたけれど、人間のスタイルを保てていない状態だったのです。
今でこそこんな風に話せていますが、その当時は本当に、もう何も考えられませんでした。
次男の入院先の病院は「襲撃が来たら困る」と私服警官と刑事で埋め尽くされてものものしい雰囲気となり、会う人会う人チェックされるような状況でした。
そんな中、私にできることは笑顔でいることだけでしたが、長く続くはずもありません。私はストレスと疲労と過労で体の中が悲鳴を上げ、腎機能停止に近い状態になってしまったのです。
次男と同じ病院で2か月入院し、子宮頸がんが見つかるという事態に発展。さらにストレスは長男にも波及し、長男までくも膜下出血で入院することになってしまいました。
それでも入院したことで次男も長男もなんとか快方に向かうめどが立ち、ここでも命のすごさを感じずにはいられませんでした。
その時、決めたんです。もうひとり子どもを産もう、って。
次男は子どもがすごく好きなんですね。だから、次男のために産みたいと思いました。
年齢的なものもあるし、子宮頸がんのオペもあるし、腎臓も相当不安ではあるけれど、子どもたちが協力してくれればきっと大丈夫。そう伝えたら、子どもたちはみんな賛成してくれました。そして2006(平成18)年に生まれたのが、長女と13歳離れた三男です。
不思議なことに、三男を産んだらすべてがきれいに完治したんです。癌が再発することもなく、移植や透析の話が出ていた腎臓もよくなり、担当の先生も驚くほどでした。こんな奇跡のようなことって、本当にあるんですね。
この奇跡の出来事に対する感謝を、恩返しを、どこにしたらいいんだろう。
そう考えたとき、人が作り出そうとしてもできない、生まれてくる命を守る活動をしたいと思い、個人事業主として始めたのが日本sango15という活動です。
日本sango15という名前は、鹿児島県の方言「さんごじゅうご」から付けました。これは夫が妻を労る言葉で、「産後15日(半月)位はゆっくりしなさい」という意味だそうです。
当時はまだまだ亭主関白の男性が多く、女性は家事が当たり前。だからこそ、「さんごじゅうご」の意味に加え、3X5=15の倍々型式で子育てにかかわるすべての人が笑顔になり、日本全体が笑顔に、元気になることを願ってこの名前を付けました。
産前産後サポートと一口に言ってもいろいろな方法があり、子どもの年齢や家庭環境、ママの置かれている状況などにより、対処法も違ってきます。
そんなママたちの多種多様な要望に、できる限り応えられるようになりたい。
そう思った私は、活動を始める前の数年間を準備期間として、ママと子どもをケアするさまざまな講座を受け、施設で経験を積んできました。
ベビーマッサージやなでなで育児、野外学習指導者などの子育てに関する様々な資格や、ヘルパーや心理カウンセラー、エステティシャンなどママをケアするための様々な資格を取得しています。
学びと並行して、学童保育に始まり、産婦人科での産前産後サポートや、ママと赤ちゃんのお世話を担当。保育室や病児保育室、小学校お受験塾など、幅広い年齢の子どものケアを経験しました。
そうした準備期間を経て、三男が中学校に入学した2018(平成30)年、日本sango15として産前産後に特化したケアを始めました。出産と同時に始まる子育てをがんばるために、まずはママの疲れを癒したい。子育て支援のベースは産前産後サポートだと考えたからです。
日本sango15の活動のメインは、ママへの寄り添い支援と、基本的な赤ちゃんのお世話をはじめ赤ちゃんとママに必要なさまざまなことをお伝えする産前産後サポートです。
また、赤ちゃん連れで離乳食を作る講座や、いざというときにも使えるパッククッキング講座など、ママたちが育児や家事を少しでも楽にできるような講座を開催してきました。
もう少し大きなお子さんのいるママに向けては親子クッキング教室を開催したり、時にはお子さんひとりでスイーツやお弁当を作る講座を開催!参加したお子さんたち、毎回とても楽しんでくれています。
料理以外にも、折り紙や工作など、お子さんの成長度合いに合わせて参加できるイベントを数多く開催してきました。また、その合間をぬっての執筆や講演、配信出演など、私にできることはすべて行ってきたつもりです。
日本sango15の活動を始めて5年間、さまざまな活動を行ってきましたが、やがて個人事業主としての活動の限界が見えてきました。
2019年(令和元年)に母子保健法が改正され、令和3年度から「各自治体において産後ケアを必要とする出産後1年を経過しない女子及び乳児につき、「産後ケア事業」を行うよう努めなければならない」という努力義務が発生しています。
国からのお達しにより、愛知県も取り組みを開始してはいますが、実質動いている方は数えるほどしかいないのが現状です。
そんな状況にもかかわらず、個人事業主だと行政から依頼を受けることが難しいということが何度もありました。
依頼をいただけたとしても個人事業主だからと減額されたり、ボランティア価格で受けざるをえなかったり、無料対応でと言われたり。やりたいことができないということが続いたのです。
「それならいっそのこと、会社にしよう!」
会社にすれば、個人事業主のような縛りにとらわれず、もっといろいろな支援ができるはず。できる支援を増やし、産前産後サポートの支援の輪をもっともっと大きくしたい。そう考え、立ち上げたのが㈱gufoです。
㈱gufoとしての最初の試みが、産後サポート施設です。先に記載した通り、産後サポート施設を名古屋市中区に開設する運びとなりました。現在、スタッフ育成の真っ最中です。
出産という大変なイベントを終えたママたちが、心からゆったり過ごせる施設を作りたい。その一心で、今回のクラウドファンディングに挑戦いたしました。ママたちがゆったり過ごすその時間が、その先に待ち受ける子育てを乗り越える原動力となるはずです。
私たち㈱gufoの挑戦に、どうぞお力をお貸しください。
皆様からご支援いただいた資金は全額、大切に使わせていただきます!
まずは最初のゴールとして、
■ゴール設定:120万円
・産後サポート施設運営費 6か月分
-家賃 8万円/月×2
-人件費(正社員)20万円/月×4名
-人件費(パート)1,200円/時×3名(随時)
※現時点で想定している、仮の金額となります
を設定させていただきます。
また、もし多数のご支援をいただきゴールを達成することができましたら、
・更なる産後サポート施設運営費
のためのネクストゴールを順に設定させていただきます。皆様、どうぞよろしくお願いいたします。
※ご支援いただいた資金のうち、17%+税はCAMPFIRE手数料として納入いたします。
既に「クラウドファンディングを行うなら協力したい!」とご連絡くださった皆様、本当にありがとうございます!3,000円から50万円まで、8パターンのスポンサーをご用意しました。ご予算に合わせてお選びくださいませ。応援してくださる皆様、重ねて御礼申し上げます。
妊娠・出産を控えたママ、パパにはきっといろいろな心配事があるでしょう。貞方もしくは㈱gufoのスタッフがご相談を承る『オンラインパパママご相談』と、普段、講演などでお話しする内容である「産前ママパパ向け講座」を特別にマンツーマンでお話しさせていただく『産前のママパパ講座』をご用意しました。出産に向けて不安なことも多いと思いますので、お気軽にご相談ください。
「スポンサーとして応援したい!」という個人や企業の皆様、本当にありがとうございます!『Webスポンサー個人』は㈱gufoのHPに支援者としてお名前を、『Webスポンサー法人』は㈱gufoのHPに企業名とURL、企業ロゴを掲載させていただきます。
また、ユニフォームに会社名を記載させていただく『自社ユニフォームに会社の名前を入れる』もご用意いたしました。㈱gufoの活動とともに、御社のお名前を広くお伝えできれば嬉しいです。
その他のリターンやリターン詳細につきましては、リターン一覧をご覧ください。
2025年3月末日 クラウドファンディング終了
2025年4月 調整が必要なリターンに関して、調整開始
2025年5月 準備でき次第、リターン対応開始
次男はその後、警察に守られ、周りのみんなに助けられ、日々を過ごしています。日によって家から出られなかったり、気持ちが落ち込むこともありますが、調子のいいときはしっかり仕事ができるまでになりました。
だからといって、よかったよかったで終わる話ではない。我が家に起きた以上、日本のどこかで同じような事件は起きているはずだし、それを放置しておいてはいけないと思っています。
次男の事件の主犯格はみんな少年院に入りました。主犯だった暴走族のリーダーの少年は、事件の後「箔がついた」と言ったそうです。その父親のヤクザからは「金を払えばいいんだろ」と言われ、心底怒りに震えました。
でも、その少年もひょっとしたら、父親から暴力を振るわれていたのかもしれない。
そういった育ちの環境が、今回の事件を引き起こしてしまったのではないかと気づいたとき、なんだか切なさがこみ上げてきました。
そういう環境を作ってはいけない。私の周りからだけでも、子育ての始めから終わりまで子どもたちが無条件で愛され育まれる環境を整えてあげたい、と心の底から思い、その思いを原動力に、ここまで無我夢中でやってきました。
繰り返しになりますが、私は、子育て支援のベースは産前産後サポートだと確信しています。出産と同時に始まる子育てをがんばるために、まずはママの疲れを癒したい。そうすればきっと、子どもを慈しむところから子育てを始めることができると思うのです。
産前産後サポートに興味を持ってくださった方、「産後サポート施設を利用してみたい!」「食育イベントに参加してみたい!」と思ってくださった方、私たちの思いに賛同してくださる方、そしてここまで読んでくださった方、すべての方にお願いです。
そんな私たち、母子の健康と安全をサポートする会社㈱gufoに、お力をお貸しいただけないでしょうか。
皆様のお気持ちに深く感謝いたします。どうぞよろしくお願いいたします。
㈱gufo代表 貞方智子
㈱gufo HP
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