
皆さん、はじめまして。
徳川埋蔵金調査プロジェクトの青木です。
私たちは長年にわたり、日本史上最大の謎の一つとされる「徳川埋蔵金」の調査を続けてきました。



この極秘作戦の首謀者は、幕府の財政改革で知られる小栗上野介でした。
彼は土木工事の権威である林鶴梁と協力し、旗本の次男・三男70数名、
そして全国から集めた罪人1400人を動員して、前代未聞の埋蔵工事を開始しました。

しかし、この計画には恐ろしい秘密が隠されていました。
工事完了間際、作業に従事した1400人余りの人々が、口封じのために生き埋めにされたのです。
工事の中心人物だった多田外記のみが生き残り、江戸に報告を行いました。
これほどまでに徹底した秘匿工作。
そこに隠されたものは、想像を絶する規模の財宝に違いありません。

小栗上野介忠順は、幕末を代表する幕臣の一人です。
勘定奉行や外国奉行を歴任し、横須賀製鉄所(現・米海軍横須賀基地の前身)の建設を主導するなど、日本の近代化に大きく貢献しました。
しかし、幕府への忠誠を貫いたことで新政府軍に捕らえられ、慶応4年(1868年)、群馬県権田村の烏川河原で斬首されました。
享年41歳。
その最期はあまりに突然で、小栗が管理していた幕府の軍資金の行方は謎に包まれたまま。
これが「徳川埋蔵金伝説」の始まりとされています。

小栗の妻「歌」と子「忠弘」は、山梨県増穂村春米にあった小栗家の秘密の領地へと逃れました。
小栗の家臣・多田外記は、孫の「秀守」に埋蔵に関する遺言状を託し、この地を見守り続けました。
昭和に入り、秀守は本格的な発掘を開始。陸軍中将・斎藤恒や清水組の協力を得て、9mまで掘削を進めました。


その後を継いだ息子・河原次郎は、製材業で資金を蓄えながら探索を継続。
平成11年、ついにボーリング掘削で金の粒が出土し、山梨県工業試験場での検査でその存在が確認されました。
口伝によれば、地下67m地点に8畳ほどの空間、さらに深い90m地点にも何かが眠っているといいます。
幕末から令和へ——三世代100年以上にわたって受け継がれてきたこの探索は、いま最終章を迎えようとしています。

工事完了後、京都で小栗上野介の長男夫婦が暴漢によって殺害されました。
しかし多田外記の機転により、孫の秀守は無事に逃げ延びます。
秀守が26歳の時、多田外記から埋蔵の在り処が伝えられました。
同時に厳重に伝えられたのは「多くの犠牲者の供養と、薩長の時代には掘ることなかれ」という遺言でした。

秀守は52歳でついに発掘を開始。
多田外記の教えに従い、目印の石5枚を探し当て、その下30尺を掘り起こしたところ、
おびただしい人骨と悪臭が立ち込めていたといいます。

生涯をかけて人力で96メートルまで掘り進めましたが、翌日に穴が崩落し断念。
秀守は82歳で志半ばにしてこの世を去りました。

これまでに何回も試掘を実施し(別紙写真参照)、木片・金・陶器の破片・釘・竹などが出土しました。
これらは明らかに人為的に埋められた痕跡であり、口伝の信憑性を裏付けるものです。


2001年頃から、二代目の河原次郎氏が本格的な機械による発掘を開始しました。
エアーハンマーを使って直径150mmの鉄管を打ち込んだところ、
偶然にも初代が手掘りで掘った穴に打ち込むことに成功。
継ぎ管で98メートルまで掘り下げたところ、驚くべき発見がありました。
鉄板の削り屑が吹き上がってきたのです。

すぐに鑑定を依頼したところ、専門機関から「現在はこのような不純物の鉄は使用しない」という回答を得ました。
つまり、この鉄板は江戸時代のものである可能性が極めて高いのです。
さらに不可解なことに、石を砕いて打ち込んだ管が約2メートル自然と下がりました。
地下に空洞があることの明確な証拠です。


調査は続きました。
約35メートル離れた地点で再度探査を行ったところ、
深さ約60メートルから油で練った粘土が吹き上がってきました。
この発見の意味は重大です。
河原次郎氏の分析によれば、この油混じりの粘土は防水効果を目的として使用されたものと考えられます。
つまり、濡れてはいけない貴重なものを保護するために、人工的に施された防水加工なのです。
これは浅い場所に埋蔵物があることを示す決定的な証拠。
口伝によれば、この付近に8000貫(約30トン)の金が眠っているとされています。

私はもともと機械関係の仕事に従事していました。
2001年頃、人からの紹介で河原次郎様にお会いし「掘ってくれ」と依頼されたのが、このプロジェクトの発端でした。
最初は半信半疑でした。しかし、河原次郎様の自宅倉庫に保管されていた膨大な書籍と資料を読み進めるうち、
この話が単なる夢物語ではないことを確信したのです。
特に印象的だったのは、初代の秀守さんが実際に掘り起こした供養石の写真でした。
そこには確かに、多くの犠牲者を慰霊する気持ちが込められていました。
これはただの財宝探しではない。歴史の真実を明らかにし、犠牲者を供養する神聖な使命なのだと悟ったのです。
現在私たちが使用している主な調査方法は、エアーハンマーです。
大きなコンプレッサーでエアーを流し、先端にロッドを取り付けて石を砕きながら掘り進めます。
この方法により、人力では不可能な深度まで調査することができます。
しかし、この技術をもってしても、地下の構造は複雑で、予想以上の難しさがあります。
これまでに私たちは、何人かの仲間と共に総額1億円を超える費用をかけて調査を続けてきました。
私個人でも4000万円から5000万円を投資してきました。
それでも続ける理由は、この歴史的謎を解明したいという純粋な探究心と、
犠牲者への供養という使命感があるからです。
調査を進める中で、この土地の歴史的意義も明らかになってきました。
現在の発掘地点は、もともと武田信玄の領地でした。
武田家が滅亡した後、徳川に継承された際に、小栗上野介がこの地を埋蔵地として選定したと考えられています。
地形的にも、秘密の埋蔵には最適な条件が揃っています。
山に囲まれた隠蔽性の高い立地、水害の影響を受けにくい標高、そして当時の輸送路からのアクセスの良さ。
すべてが計算され尽くした、完璧な隠し場所なのです。

今回のクラウドファンディングで目標金額1000万円を達成できれば、200尺(約60メートル)の本格的な調査を実施します。
現在、共同で進めている土地所有者の方から正式な許可をいただいており、
1000坪の敷地の一部で安全に作業を行うことができます。
この深度での調査は4日から5日で完了する見込みです。年内に1本の施工を目指し、
ついに170年間の謎に終止符を打つ準備が整いました。

もし実際に埋蔵金が発見された場合、文化財保護法に基づき、適切な手続きを行います。
私たちは一攫千金を狙う宝探しではなく、学術的価値と歴史的意義を重視した調査を行っています。
そのため、すべての発見物は適切に記録・保存し、学術機関との連携も視野に入れています。

支援していただいた皆様には、調査の過程を共有いたします。
・発見物の詳細写真と分析結果
・歴史的発見の瞬間の記録
また、記念碑を建立した際には、支援者の皆様のお名前を刻ませていただく予定です。

二代目の河原次郎氏は102歳まで長生きされ、今年7月にお亡くなりになりました。
私は河原氏が生きているうちに埋蔵金を発見し、その喜びを一緒に分かち合いたかったのですが、それは叶いませんでした。
しかし、河原氏が残してくださった豊富な資料と調査実績、
そして「歴史の真実を明らかにせよ」という強い意志は、確実に私たちに受け継がれています。

河原氏から聞いた話では、初代の秀守さんは「埋めた張本人から口で伝えられた場所」を頼りに発掘を行いました。
目印にしていた石も実際に見つかり、その30尺下には確実に人骨がありました。
これは偶然では説明できない、確実な証拠だと考えられます。
小説にも出てくる話ですし、実際に人骨も出てきている。
口封じのための生き埋めという残酷な史実も含めて、すべてが一つの真実を指し示しています。
確率は決して低くありません。むしろ、これほど多くの物的証拠が揃っている宝探しは、
世界的に見ても極めて稀だと感じます。

これは日本の歴史に新しいページを書き加える、壮大なプロジェクトです。
そして、長年にわたって犠牲者の供養を続けてきた、人道的な使命でもあります。
もしかすると、あなたの支援によって歴史が動くかもしれません。
もしかすると、あなたの名前が教科書に載る日が来るかもしれません。
歴史的瞬間を、ぜひ私たちと一緒に見届けてください。







2月10日:プロジェクト公開
3月31日:プロジェクト終了
4月〜:順次リターン配送
3月〜5月:掘削予定
3月:順次リターン配送

・埋蔵金調査費用
・掘削費用(工事費)
・リターン費用



