はじめに・ごあいさつ
はじめまして。フルート奏者の吉田優子と申します。
生まれ育った沖縄県石垣島でコンサートやリサイタルのステージに立ち、
フルートの音色を島の人たちにお届けしています。
また、島で「なかよし音楽教室」を主宰する、ピアノとフルートの先生でもあります。
教室には、イスに座るのもやっとな小さな子どもから、
脳トレピアノ®️に取り組むシニアの方まで、
毎日たくさんの方が通ってくださっています。
さまざまな音に包まれるやさしい日々を送りながら、
「音楽家」としての毎日を過ごしています。

プロジェクトを決意した理由
私がピアノをはじめたのは4歳、フルートと出会ったのは12歳のときです。
18歳で音大進学のために上京し、その後、東京・埼玉で暮らし、結婚・出産を経験しました。
環境や立場は変わってきましたが、ピアノとフルートはいつも私とともにありました。
もし私に人に誇れるものがあるとすれば、それは、
どんな環境にあっても音楽を手放さなかったことです。
特別な才能があったわけではありません。
ただ、小さな憧れから進む道が定まり、
「好き」「うれしい」「楽しい」という素朴な気持ちが、
ここまで運んでくれました。
一途に音楽を続けてきただけですが、
「音楽の殿堂」といわれる上野の東京文化会館のステージに立つことができたり、
世界的フルート奏者とデュオコンサートを行ったりと、
夢のような経験にも恵まれてきました。
今回、そんな私の音楽人生を多くの人に知ってもらいたいと思い、
出版プロジェクトを立ち上げました。
マイペースでのんびり屋の私にとって、大きな挑戦です。
迷いもありましたし、今も不安はあります。
それでも、「音楽家」がどのような思いで、その“一音”を奏でているのかをお伝えしたい。
その思いで、今回の挑戦を決意しました。

音楽があっての私
喜びが自信になる
私が音楽をはじめたきっかけは、3つ上の姉でした。
姉が通いはじめた音楽教室についていくと、それがとても楽しそうで、
私もその後を追いかけ習いはじめました。
決して練習熱心な子どもだったわけではありません。
幼い頃は母から「練習したの?」とせっつかれることもしばしば。
誰にも負けたくない、という強い競争心があったわけでもありません。
それでも、不思議と「やめたい」と思ったことは一度もありませんでした。
先生が「よく弾けたね」と褒めてくれる。
友だちが「優子、ピアノうまいよね」と言ってくれる。
そんな何気ない一言が、何よりもうれしかったのです。
その小さな喜びの積み重ねが、少しずつ自信となり、
私を前に進めてくれたのだと思います。
音楽と距離が生まれた出産・子育て
母になるということは、ある意味、別の人生を歩きはじめることなのかもしれません。
音楽との距離が一時的に遠くなったのは、出産・子育ての時期でした。
子育ての合間を縫って、ピアノを弾いたり、フルートを吹いたりはしていましたが、
まとまった練習時間を取ることはできませんでした。
穏やかで幸せな毎日。
そんな日常へ感謝しつつも、音楽のことがずっと胸の奥に引っかかっていました。
音楽は、スイミングや自転車のように「体が覚えている」ものではありません。
どんなプロでも、楽器から離れた時間のぶん、技術は確実に衰えていきます。
でも、それ以上につらかったのは、「音楽があっての私」だったはずなのに、
「私」と「音楽」が遠く離れていってしまうように感じたことでした。
住む場所が変わり、私の過去を知る人はいない。
周囲には、私が音楽を続けてきたことを知らない人ばかり。
いちばん近くにいる夫にも、私の音楽への思いがあまり伝わっていないみたい。
音楽が自分から離れていく不安を感じたことで、
より一層、奏でることへの思いが募っていきました。

教えることは私の存在意義
子どもが少し大きくなり、のんびりとわが子に音楽を教えはじめると、
ママ友から「うちの子にも教えてほしい」と声をかけてもらいました。
自宅リビングではじめた小さなレッスンでしたが、
「音楽を教えることに私の存在意義がある」そう感じるようになりました。
当時を振り返ると、自分自身で言い聞かせていたような気もしますが、
音楽がまた私の日常になったことは何よりうれしいことでした。
そして2018年、家庭の事情から石垣島に戻り、「なかよし音楽教室」を開校。
幼い頃、思い描いていた「石垣島でピアノとフルートの先生になる」という夢を
叶えることができました。

一途に続けた私への神様からのご褒美
2018年夏、「なかよし音楽教室」のホームページに、1通のメールが届きました。
ミラノ・スカラ座の元主席フルート奏者、ロマーノ・プッチ氏の日本人マネージャーからの連絡でした。
「石垣島でリサイタルを開催したいので、お手伝いしていただけませんか?」
最初は、何が起きているのかわかりませんでした。
ミラノ・スカラ座といえば、世界最高峰のオペラハウス。
その管弦楽団で30年以上首席フルート奏者を務め、「フルートの魔術師」との異名を持つプッチ氏。
そんな世界的演奏家がなぜ、私に?
恐れ多く、何度もお断りしましたが、
「できる範囲で一緒にやりましょう」と背中を押され、
プッチ氏とフルート・デュオコンサートを開催するという、
夢のような経験をさせていただきました。
なぜ、私だったのかはわかりません。
でも、何があっても音楽を続けてきた私への、神様からのご褒美だったのだと思っています。

この本で伝えたいこと
やめたことが将来の後悔にならないように
「昔、ピアノをやっていたんです」
音楽の指導をしているとお話しすると、よくこんな言葉をかけていただきます。
その言葉の奥に、どこか小さな後悔がにじんでいるのを感じることもあります。
「本当は続けたかったんですけど……」
また、教室には、「続けたいけれどやめざるを得ない」子どもたちもいます。
親御さんに理由を聞くと、「ぜんぜん練習しないから」とおっしゃることも少なくありません。
今の時代、楽しいことも、やらなければならないことも、たくさんあります。
限られた時間やお金の中で、何を選ぶか、誰もが悩んでいると思います。
経済的な事情は仕方のないことだと思います。
でも、そうでない場合……本人が音楽を嫌いにならないうちは、
あるいは、音楽以外の「大好き」が現れるまでは、
どうか寄り添いながら、様子を見てあげてほしいと願っています。
音楽は、スイミングや自転車と違い、
やめてしまうと、積み上げてきたものが失われてしまいます。
指は動かなくなり、楽譜を読む感覚が鈍ります。
それまでの努力が、ゼロに近づいてしまうのです。

習いごとやお稽古ごとは子どもへの「ギフト」
私自身、褒められることで自信が生まれ、続ける力になってきました。
だからこそ、指導者として「できないところを伸ばす」技術を磨きながら、
その人それぞれが持つ“光”を見つけることを大切にしています。
音色を生み出すのが上手な子
耳がいい子
歌が得意な子
リズム感が抜群な子
その子ならではの輝きを入り口に、音楽を楽しんでもらう。
「できた!」「楽しい!」「もっと続けたい!」そう思えるレッスンを、
心がけています。
習いごとは、子どもたちの未来に手渡すギフトのようなものです。
いつかきっと、「続けていてよかった」と思える日が必ずきます。
本書では、そんな指導者としての思いや日々、
レッスンに通ってくれている子どもたちとの物語もご紹介したいと思っています。

書籍をつくろうと思った理由
幼い頃の夢は、「石垣島でピアノの先生になる」ことでした。
しかし、12歳でフルートと出会い、この楽器を専門にしたいと思いました。
石垣島にはフルートの先生がいなかったため、那覇市の先生に師事し、
月に1回、飛行機で沖縄本島まで通いました。
音大受験前には、その頻度は週に1回に増えていました。
決して余裕ある経済状況でなかったにもかかわらず、
私を応援してくれた両親には、感謝してもしきれません。
だからこそ、伝えたいのです。
いまは石垣島でフルートが習えるよ
島にはたくさんの素敵な音楽があふれているよ
島だからって諦めなくていいんだよ
ぜひ、フルートにも出会ってほしい
どこにいても、音楽の道は拓けるんだからね——
2021年10月に他界した父は生前、こんなことを言ってくれました。
「優子は この島で フルートのいちばんだ」
「いちばんなのかなぁ」と思いましたが、せっかく父が褒めてくれたのです。
その言葉を胸に、その期待に応えられるよう、これからも演奏家として指導者として努力を続けていきます。
音楽は私にとって、素直な気持ちを伝えられる手段でもあります。
でも、音楽以外の形でも、何かを残したい。
そんな思いが、本づくりへとつながりました。
将来的には自分のオリジナルのCDも制作したい!なんて、大きな夢も抱いています。
その夢に向かって駆け出す前に、この本では私のオリジナル曲を聞いていただける仕掛けも考えています。
本書でより、多くの人に私のことを知っていただけたらと思っています。

書籍『私を育てた音、私が育てる音』の内容(仮)
Chapter 1 : 褒められるのがうれしくて (〜18歳)
引っ込み思案な幼少期
三線の名手だった祖父
ピアノ・フルートとの出会い
フルートレッスンは飛行機で
Chapter 2 : 出会いと東京がくれた成長 (18歳〜2018年)
憧れの先生を追いかけて
レッスンとレッスンとバイトとレッスンの日々
「音楽の殿堂」東京文化会館に立つ
音楽と私が離れていった結婚・子育て
「教える」ことで戻ってきた「音楽」とのかかわり
父の余命宣告、そして、島へ
Chapter 3 : 石垣島「なかよし音楽教室」開校 (指導者としての日々)
一人ひとりの“光“を見つけるレッスン
子どもたちとのエピソード
改めて思う、恩師たちへの思い
Chapter 4 : 島が変えた私の音楽 (演奏家としての生き様)
音楽は思いを伝える手段
三線やオーボエ、トランペットなど、さまざまなミュージシャンとのコラボ
がんの発見。演奏家としての寿命を考えた日々
「演奏者」「指導者」、そして吉田優子としての時間のつくり方
「世界的フルート奏者ロマーノ・プッチ氏」との共演
Chapter5 : 夢の叶え方 〜私の場合〜
私の音楽にかかわってくれる方々への感謝

リターンのご紹介
本プロジェクトでは、
・個人スポンサー+電子書籍
・出版パーティー記念コンサート
・音の手紙
・オンラインミニミニライブ+電子書籍
など、私と音楽を楽しんでいただけるリターンもご用意しました。
詳しくはリターン欄からご覧ください。
資金の使い道とスケジュール
みなさまからいただいた資金は、書籍の制作・編集・デザインなど出版費用として大切に使わせていただきます。(CAMPFIRE手数料を含みます)
【実施スケジュール】
2026年2月23日~3月末 クラウドファンディング実施
2026年4月~ 順次リターンをお届けします
2026年7月6日 電子書籍『私を育てた音、私が育てる音』(仮)出版
2026年8月14日 書籍『私を育てた音、私が育てる音』(仮)出版
さいごに
このプロジェクトをスタートするとき、幼稚園からの幼なじみに「私ってどんな人?」と聞いてみました。
彼女は、迷いなくこう答えました。
「優子はそのまんまだよ。ずっとひたむき。ずっと一途」
「それと、ピアノとフルートに忙しい子」
そう言って笑っていました。
振り返れば、反省することもたくさんあります。
それでも、私は音楽を手放さなかった。
演奏家として指導者として、「音楽家」としての人生を歩むことができました。
音楽に限らず、誰の人生にも、一途に向かい合える“何か”があるはずです。
この本が、その“何か”を見つけ、手放さずにいられるきっかけになれば、
これ以上の喜びはありません。
また、クラシックに限らず、ポップスやロックなど、みなさんの身近には音楽があるでしょう。
いま、耳にしているその音楽を生み出した演奏家の人生にも思いを馳せてみてほしい。この本の制作には、そんな思いも込めています。
どうか、この一冊の誕生を、応援してください。
心より、よろしくお願いいたします。
吉田優子 プロフィール
沖縄県石垣島出身。姉の影響で4歳からピアノをはじめ、12歳よりフルートを始める。フルートに魅せられ、音大受験を目指して、石垣から本島まで飛行機でレッスンに通う。
立花千春先生に憧れ、上野学園大学短期大学部音楽科入学。卒業後は各種リサイタルへ出演するなど演奏活動を行いながら、音楽教室にてフルート・ピアノ講師を務める。
2005年結婚。子育てのため一時、音楽活動を休止するも、ほどなく再開し、「なかよし音楽教室」「なかよし習字教室」を開設。2018年、石垣島へ家族とともにUターン。音楽教室を主宰しつつ、演奏活動を通して島内のクラシック音楽の普及活動を展開
https://www.instagram.com/flute_yuko?igsh=Yzgzdm95MndqdnZh
https://www.yuko-music.com/





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