「おたすけマン トキ」自己紹介
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「おたすけマン トキ」──そう名乗って、僕は生きています。大阪出身、1995年生まれ、30歳。僕は約8年間、裸足で暮らしています。
僕は昔から、じっとしていられない子どもでした。中学校もあまり行かず、
中2の頃には自転車で近畿地方をぐるっと旅していたくらい、放浪好きの少年でした。
15歳から働き始めて、昼は現場仕事、夜は居酒屋。親が病気がちで、高校生の歳の頃は友達と遊ぶよりも、働いて家を回す日々でした。
でもあるとき、母の病気が落ち着いて、こう言ってもらえました。
「もう好きに生きていいよ」
その言葉に背中を押されて、僕は世界へ旅に出ました。行き先なんて決めず、
ヒッチハイクと野宿で──ヨーロッパ、中南米、アマゾン、オーストラリア。
気づけば世界を渡り歩いていました。

今、僕が暮らしているのは宮崎県の綾町。人口約7,000人の小さな町です。
ここで今、仲間たちと初めての春の祭りを立ち上げようとしています。
……正直、「お前は何者やねん」と思いますよね。
だからまず、ここから話させてください。僕がなぜ裸足で生きているのか、旅で何を見て、
そしてなぜ今、この町にこれから先もずっと残る祭りをつくろうとしているのか。

旅の果てに見つけた 裸足の理由
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もちろん温かい思い出も山ほどあります。
ヒッチハイクで拾ってもらったこと、見ず知らずの僕を家に泊めてくれたこと、食べ物を分けてもらったこと。世界には、出会ったばかりの人間に手を差し伸べてくれる人たちがたくさんいました。
その中で強く感じたのは、
・人は人に助けてもらって生きているということ。
・そして、便利になることと幸せになることは同じではないということ。
・誰かのために何かをして「ありがとう」と言ってもらえた瞬間、
・自分が苦しいときに助けてもらって心の底から「ありがとう」と言えた瞬間
──お互い助け合うことで、人の幸せっていう感情は生まれるのかなと思いました。
でも同時に、苦しい現実もたくさん見ました。ヨーロッパでは難民の人たちと生活し、
中南米では路上に立つ子どもたちや、赤ちゃんを抱えて夜の通りに座る家族を見ました。
目の前の子どもにお金を渡すことはできる。
でも、「お金をもらい続けないと生きていかれへん子になっていくだけなんじゃないか。」
そう思いながら、それでもお金をあげていました。

答えが見えないまま旅を続けていたとき、アマゾンにたどり着きました。
そこで暮らす子どもたちは、裸足でジャングルを駆け回っていました。
お腹が空けば自分たちで木の実を取り、お父さんの狩りについていく。
お金もない、インフラもない。でもあの子たちは、
自分の足で地球の上に立って、自分の手で生きていた。
「地球で人が生きるって、こういうことなんや」
旅の中でずっと抱えていた問いに、ひとつの答えが見えた気がしました。
お腹が空いたら森に入って食べ物を調達できる知識、畑を耕して作物を育てる技術。
──そういうものを持っていることが、一番の生活の安心に繋がるんじゃないか。

それから僕は、ずっと裸足で生きています。
真冬でも、山の中でも、どこへ行くにも裸足。もう8年になります。
そして僕は、自然とともに生きる術を学べる場所を探し始めました。
旅の終盤、オーストラリアで見つけたYouTube動画。
「自然とともに生きるまち、綾町」。
住むとかそんなことは何も決めていませんでした。
ただ、「そんな町が日本にあるんや」
──それだけで、僕は宮崎県綾町を目掛けて帰国しました。

綾町との出会い
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初めて綾町に来たとき、僕は「学びに来た」というより「確かめに来た」に近い感覚でした。"自然とともに生きる"って、現代の日本で本当に成り立つのか。自分の目で見てみたかった。
僕が綾に来て最初に飛び込んだのが、綾手づくりほんものセンターの前にある「That's Bock Ring」というカフェでした。ちなみにこの綾手づくりほんものセンターは、今や全国にある「道の駅」のモデルになった場所でもあります。
当時の僕は、オーストラリアから帰ってきたばかり。手元にお金もほとんどなく、友達もいない。住む場所も仕事もない。そんな"何もない状態"の僕に、「That's Bock Ring」店主の郷田晃平さんが返してくれた言葉は、とてもシンプルでした。
「じゃあ、とりあえず住む場所用意するよ」
次の日にはカフェで働き始めて、綾での暮らしが、いきなり"現実"として動き始めました。
暮らしていく中で、この町には表面的な"田舎暮らしの良さ"だけではない、もっと深い芯があると感じるようになります。人と人の距離感、自然との付き合い方、当たり前のように守られてきた文化。
綾では「結い(ゆい)」という言葉に何度も出会いました。
「結い」──もともとは田植えや稲刈りなどの重労働を、集落の人たちが互いに助け合う仕組みのことです。綾町はこの精神を町づくりの根幹に据えてきました。
一人一人が結いで繋がっている。自分たちの地域のことは自分たちで取り組む。そしてそれは人と人だけじゃなく、人と自然の間にもあるものだと。

僕は旅の中で「自然とともに生きる」という答えを見つけました。
でも綾町に来て初めて、それが"個人の趣味"ではなく、暮らしとして根づく形を持ちうるのだと知りました。
この町には、僕が学びたかった「自然と共に生きる思想」と「それを支える仕組み」がありました。
2019年12月、僕は綾町へ移住しました。

綾町の6年間─手を動かし日々
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綾町に来た最初の頃、僕は「何をしたらいいか」なんて分かっていませんでした。
だからこそ、名前の通り"おたすけマン"として動くことにしました。
山をひとつ越えた限界集落のおじいちゃんおばあちゃんの家を、ピンポンと訪ねる。「何か僕にできることありませんか?」と聞く。草むしり、話し相手、荷物運び、道の掃除。町の催しにもボランティアで入る。ゴミ清掃、イベントスタッフ。とにかく手を動かして、顔を覚えてもらうところから始めました。
そうやって1年、2年と動き続ける中で、
綾町の初代ふるさと大使に委嘱していただきました。
テレビやラジオで綾町のことを語る機会もいただけるようになりました。

そうやって続けていくうちに、僕がやることも少しずつ変わっていきました。
学生向けの講演では、僕自身の生き方をそのまま話します。伝えたいのは知識よりも、
「生きるバイブスを上げる」こと。

幼稚園や保育園の園庭には、鉄製の遊具ではなく、石や丸太、木を組み合わせた“起伏のある小さなお山”をつくっています。子どもたちはそこで、よじ登ったり、跳んだり、寝そべったりしながら、手ざわりや足ざわり、風や光を全身で感じます。
遊びそのものが自然とのふれあいになり、五感と想像力、そして“生きる感性”を育む場づくりを大切にしています。
途絶えかけていた綾神楽の復元プロジェクトにも関わり、「続けられる形」に戻す取り組みを続けています。今回の祭りでも、この神楽を舞います。

造園や環境改善の仕事では、山や庭の現場に入り、土の中の環境を整え、自然の機能を取り戻す方向へ手を入れる。職人としての地道な積み重ねです。

ツアーコンシェルジュとしては、ただ場所を案内するのではなく、森に入る前に滝行などの"儀式"を行い、「神聖な森にお邪魔します」と挨拶をしてから足を踏み入れる。日本古来の八百万の神の感覚で、綾の自然を丸ごと体験してもらう案内をしています。

僕は器用な人間ではありません。でもこの6年間、ひとつだけ意識し続けてきたことがあります。
それは──未来に手渡せる形で残すこと。
綾の暮らし、文化、知恵、人のつながり。そこに触れた人が「自分にも何かできるかもしれない」と思える入口をつくること。それが、僕がやってきたことの芯です。

ネオトキワとの出会い──"祭り"が動き出した日
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綾で街づくりに関わる中で、僕が強く感じた課題がありました。同世代の若者が、圧倒的に少ないことです。
街づくりに本気の人はたくさんいる。でも中心は40代、50代以上。その人たちも年を重ねていく。「次に渡す相手」を意識して動かないと、若い世代はある日突然現れたりしない。だから僕は、同世代の仲間を増やして、そこから子どもたちへバトンを渡す"場"をつくりたいと思うようになりました。
そのために動き始めた矢先に、大きな出会いがありました。
ネオトキワ──若い世代に圧倒的な人気を誇るアーティストグループ。そのメンバーの一人、Yoppyと、僕は宮崎市で出会いました。
「裸足の人ですか?」とYoppyに声をかけられて、「そうやで」と返したところから、距離が一気に縮まりました。話してみると、共通点があった。滝行と木登り。そんな趣味が被ることは普通ない。でも僕らはその二つがきっかけで一気に打ち解けて、次の日には一緒に綾町に来ていました。
滝に入り、森に入り、木に登る。木の上で、自分の人生のこと、これからの未来のこと、自分たちに何ができるのかを熱く語り合いました。

それから約1ヶ月後、Yoppyから電話がかかってきます。
「トキくん、ネオトキワの全国ツアー、来月から回るねん。3月の宮崎編、トキくんにオーガナイズしてもらいたい」
その時、僕はまだ"一人"でした。仲間も体制も整っていない。それでも、反射的に口から出た言葉がありました。
「いいよ。やるで。」
そこからが、正直いちばん苦しかったです。スケジュールが合わない、
進め方が分からない、頭を抱える日が続いた。でも、その姿を見て手を差し伸べてくれた人たちがいた。
少しずつ、少しずつ、仲間が増えていきました。
今では、約30人の仲間がいます。綾町の中だけじゃなく、町外、県外から。高校生もいる。農家、塩職人、庭師、飲食店、花屋、現場作業員、サーファー、タレント、旅人、経営者。いろんなジャンルの人たちが集まって、みんなで一つの景色をつくろうとしています。

「ネオトキワ未来ツアー ~帰ろう、日本の森へ~ てるはまつり」
2026年3月21日(土)、宮崎県綾町・築山特設ステージにて開催決定。
この出会いから、てるはまつりは現実のものとして動き始めました。
自然と共に生きる町から、新時代への「のろし」をあげる
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僕は、祭りというものの力を強く感じています。
祭りは、その土地で育まれてきた文化を、後の世代に手渡すための"装置"です。祭りがあれば、世代を超えた縦のつながりが生まれる。おじいちゃんおばあちゃんと子どもが同じ場所に立つ時間ができる。
その土地で昔から食べられてきたもの、喋り方、暮らし方
──「昔はこうしてたんだよ」という知恵が、交流の中で自然と受け継がれていく。
だからこそ今回、僕らは"音楽イベント"の形を取りながらも、ただのライブにはしません。
音 × 人 × 文化 × 自然──朝、餅つきの音で祭りが始まる。昼は和太鼓が鳴り響き、ネオトキワのライブで会場が沸き、夜は綾神楽で静かに締める。綾町という土地、宮崎という土地に根づいてきた文化を、ちゃんと"祭り"として表現する一日にします。
そしてもうひとつ。てるはまつりは、若者が参加しやすい入口を町につくる挑戦でもあります。音楽の力を借りて、高校生や中学生が自然に足を運べる場をつくる。そこから森のこと、文化のこと、暮らしのことに触れてもらう。それが未来へのバトンタッチになると信じています。

ただ、ここまで来るのに、想像以上のお金がかかります。
・会場設営・音響・照明・人件費等
チケット収入や協賛だけでは、どうしても届かない部分が出てきました。
正直に言います。
もしクラウドファンディングが届かなかったとしても、僕はこの祭りをやります。
最悪、300万円の借金を背負ってでもやると決めています。
なぜなら、これは一回きりのイベントではないからです。
てるはまつりを、綾町発信の伝統行事にしたい。毎年、この町で、この森で、人が集まり、文化が受け継がれる場を続けていきたい。今回の3月21日は、その始まりの一歩です。
だからこそ、この一歩目を借金ではなく、みんなの力で踏み出したい。
目標金額は300万円です。
いただいた支援は、当日の運営費・安全管理、音響・照明・会場設備などの設営費、スタッフ・警備・誘導の人件費、告知物・記録素材などの制作費として、すべてこの祭りを実現するために使わせていただきます。
僕の想いと綾について、てるはまつりについてを読んで
共感いただけた方。応援していただける方。綾町に来てみたいと思ってくれた方。
3月21日、会場で待っています。
遠くて来れないけど気持ちを届けたいと思ってくれた方。
綾の「ほんもの」を届けます。
リターンは綾のほんものをお届け



さいごに
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世界中で、先の見えない不安が広がっています。便利にはなっている。でも、心が満たされている人が増えているかというと、そうでもない。
僕自身、旅をして、その矛盾をたくさん見てきました。
でも同時に思うんです。大事なことって、いつだって足元にある。
人が人を助けて、自然と共に生きて、そこで育まれたものを次の世代に手渡していく。当たり前に見えるそのことが、実はいちばん強い未来のつくり方なんじゃないか、と。
てるはまつりは、綾町のためだけのイベントではありません。「自然と共に生きる」とはどういうことか、「助け合い」が生まれる場とはどういうことか。そのヒントを、体験として持ち帰れる場所にしたい。
一人で始めたことが、Yoppyとの出会いで動き出し、今、30人の仲間がここにいます。毎日、みんなでこの祭りを形にするために走っています。でも、まだ足りない。もっと多くの人の力が必要です。
僕は、人が助け合うことで幸せになれると、旅の中で学びました。だから今度は、僕が「助けてください」と言う番です。
もしこの文章を読んで、少しでも気持ちが動いたなら。どうか、てるはまつりを一緒につくってください。
あなたの応援が、この町の未来への、最初の一歩になります。




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