▍遊んでいたら、囲碁がわかっていた。
プロ棋士が本気で作った、囲碁への新しい入口。

こんにちは。プロ囲碁棋士の柳澤理志です。
突然ですが、私の最終学歴は中卒です。
最後にもらった通知表はオール1でした。
テストで0点を取ったこともあります。
担任の先生にこう聞かれたこともありました。
「通知表、全部斜線(/)にするか、1にするか、どっちがいい?」
きっと「オール1はかわいそう」という思いやりだったのだと思います。
しかし私は、満面の笑みでこう答えました。
「1でお願いします!」
高校に行こうと思ったことは、一度もありません。
受験勉強をしたこともなければ、偏差値を測ったこともないです。
なぜ、そうなったのか。
答えはシンプルです。
9歳のとき、「プロ棋士になりたい」という気持ちをハッキリと自覚して、それ以外のことを全て捨てたからです。
■ 幼少期、囲碁との出会い
〈生後間もない私〉
突然ですが、私の名前はあと一歩で「諭吉」になりそうでした。
「次世代のリーダーとなる期待を込めて、この子を諭吉と名付ける!」
と宣言した父に母が待ったをかけ、
「では、口より心だ!」と一文字変えて「諭志」になりました。
ただそれだと、両親ともに学校の先生なので、
「教諭の子供だからそう付けたみたいになるのがイヤ」
ということで、最終的に「理志」になったのです。
〈囲碁を覚えた頃の私(5歳)〉
そんな教育熱心な父から囲碁を教わったのは、5歳のときでした。田舎で周りに教室などもなく、ちょこちょこ囲碁に触れていた私ですが、性に合っていたようです。小学3年生のときに、大人に混じった大会で入賞して、賞状と盾をもらいました。それがいたく嬉しかったのを覚えています。
そしてそのあたりから、「プロ棋士になりたい」という自覚が芽生え始めます。
週末は車で30分〜1時間の碁会所に送ってもらったり、県内の大会があれば出ました。そして、地域の強豪の方に家まで来てもらって、指導を受けるなどしました。
この志を立てたときから、地元の中学校に進む気はもうありませんでした。小学校の間に「アマ7段」くらいの棋力になったら、東京か名古屋に出て院生になることに決めていたのです。
小6のときには、県内では小学生チャンピオンになり、中学生を含めても自分より強い子供はいませんでした。これならいけるだろうと、本格的な修行の場を求めて名古屋に来たのは、小学校を卒業してすぐのこと。まだ12歳でした。
〈県大会で優勝した11歳の頃(地元囲碁雑誌より)〉
〈小学6年生の頃(左)、長野県内の囲碁イベントで師匠となる吉岡九段に打ってもらう〉
■ 単身、名古屋へ、修行の日々
師匠のもとに住み込みで修行する「内弟子」というのもよくあるパターンですが、折しも師匠に子供が生まれたばかりで、結果的に一人暮らしという形になりました。
親もさぞ心配だったでしょう。
子供の夢に理解のある親だったとはいえ、よく出してくれたものだと思います。
最後の最後に息子を名古屋に出すことを決断したエピソードを、後から父に聞きました。
実際に住む数か月前、1週間ほどテスト期間で名古屋に滞在したときのことです。
初日からプロを目指す子供の集団に放り込まれ、初めてその洗礼を受けたのです。
なんと、自分より4歳下の小学2年生の子供に打ち負かされました。
こんな天才がこの世に存在するのか、と衝撃を受けました。
しかしそれは私にとって挫折ではありませんでした。
「こんなヤツがいるからこそ、もっと頑張らなければいけない。一刻も早く名古屋に行かせてほしい」
と父に訴えたそうです(私には記憶はありませんが)。
井の中の蛙が大海を知り、落ち込んで帰ってくるかと思いきや、むしろ火が付いた息子の様子を見て、「これならば」と思ったそうです。
かくして、院生(プロ養成機関)の一員となりました。

〈プロ棋士を目指し、地元を離れた12歳の頃(信濃毎日新聞より)〉
一人暮らしの食事はどうしたか。
選んでもらったアパートは、単身赴任の人向けに朝食サービスのある食堂付きのところでした。
おじさんたちに囲まれながら朝食をとり、昼は学校で食べ、夜はやむを得ず弁当か外食、という生活です。
日々の時間は全て囲碁が中心でした。
土日は院生の研修対局、平日も必ず何かしら囲碁の修行の場がありました。
月・火・金は昼からプロや院生が集まる「研究会」に参加し、水・木はプロの対局を見学しに行きました。
そんな調子なので、学校は早退と欠席を繰り返していました。
「俺は今、こんなことをしている場合じゃない。勉強が必要になったら自分でやるから、後にしてくれないか」そう思っていたのです。
「学校なんかいらない」というタイトルの作文を書いたり、白紙でテストを出したりしました。
先生方もさぞ困ったことでしょう。
中学校を卒業したときには「ああ、やっと解放された」と思ったのを覚えています。
もちろん高校には行きませんでした。
行こうと思ったことも一度もありません。
そのかわり、全ての退路を断っているので、プロになれるかどうかに生死がかかってきます。
■ プロ試験、二度と戻りたくないあの頃
プロ試験というのは、ペーパーテストなど一切なく、ただただリーグ戦を勝ち抜くだけです。
一局の重み、一手の重みは半端ではありません。
『ヒカルの碁』をお読みになった方は、プロ試験の雰囲気がわかると思いますが、まさにあんな感じです。
名古屋に来て4年目、修行の甲斐あってその頃にはかなりの水準まで実力は伸びていました。ついに最後の3戦のうち1つでも勝てばプロ入りできるところまでこぎつけました。
〈(左)長丁場となるプロ試験の成績表(右とは別年度)〉
〈(右)中部と関西で1枠を争う平成16年度はプロ入りまであと一勝だったが…〉
ところが、そこから半目負け(最小差の負け)を皮切りに、3連敗でそれを逃しました。
この時の帰り道は、世界が歪んで見えました。
今年惜しくても、来年なれる保証は一切ない。
周りは天才ばかりだから、あっさり追い抜かれるかもしれない。
重要な対局のときに、体調を崩すかもしれない。
「これで来年もダメだったら、もう生きてはおれない」
そのくらい思いつめた気持ちで、一年間を過ごしました。
翌年、16歳のとき、幸いにもプロ入りを決めることができました。
その瞬間に湧き上がったのは、夢がかなった喜びよりも、張りつめていたものが一気にほどけ、崩れ落ちそうになるほどの安堵でした。
あの一年は、今振り返っても、人生で最も戻りたくない時間です。
■ プロになって見えてきたもの

〈地元佐久市での入段祝賀会の様子(柳澤理志六段が17歳の頃)〉
17歳でプロ棋士としてデビューした私は、ようやく夢の入口に立ちました。
けれど、その先で見えてきたのは、思い描いていた華やかな世界だけではありませんでした。
囲碁を取り巻く環境が、少しずつ変わっている。
そのことは、プロになる以前から薄々感じていました。
しかし、プロになって囲碁業界の内側から、さまざまな資料や現場に触れるようになると、それまで漠然としていた感覚が、はっきりと輪郭を持ち始めました。
競技人口をはじめ、目にする数字の多くが、囲碁の広がりが少しずつ失われていることを示していました。
自分がこれから人生をかけて生きていこうとしている世界が、少しずつ小さくなっている。
それまで肌で感じていたことが、いくつもの数字と結びつき、無視できない現実として迫ってきたのです。
もちろん、当時の私に、大きなことができるわけではありません。
それでも、心の中には二つの思いが残りました。
「自分を育ててくれた囲碁に、何かを返したい」
「囲碁の面白さを、もっと多くの人に届けたい」
そこからは、自分なりにもがいてきた棋士人生だったように思います。

■ 囲碁の魅力を伝えるために、積み重ねてきたこと
プロになってから私は、囲碁の面白さをどうすればもっと多くの人に届けられるのか、ずっと考え続けてきました。
まず始めたのは、文章で伝えることでした。ブログを書き、囲碁専門紙『週刊碁』に寄稿し、新聞ではプロ同士の対局を伝える観戦記を担当しました。
囲碁を知らない人にも面白く読んでもらいたい。その思いが先走り、少し攻めすぎた文章を書いて、怒られたこともあります。
教える場所も、囲碁教室だけではありません。
大学では非常勤講師として囲碁の授業を担当し、小学校や幼稚園にも足を運びました。
行きつけのカフェで、たまたま隣に座った人にまで、囲碁を教えたこともあります。
また、若い世代に囲碁を届けようと、棋士仲間が立ち上げた普及活動にも加わりました。
その活動は13年間続き、ワークショップは100回を数えました。私はその大半に関わり、カフェやバーでのイベント、合宿、公開対局など、さまざまな企画に挑戦しました。
囲碁を「教える」だけではなく、碁盤を囲んで人が集まり、楽しめる場所そのものを作りたい。
そんな場所を、仲間たちと作ってきました。
文章で。教室で。イベントで。
囲碁と人が出会うきっかけを、できる限り作ってきました。
そして、もっと多くの人に届けるため、YouTubeを始めました。

〈柳澤理志六段のYouTubeチャンネルのトップ画面、2026年7月1日当時〉
当時は今ほど囲碁動画が充実しておらず、「プロ棋士として、責任を持って囲碁動画を残したい」という思いがありました。
その思いで発信を続け、公開した動画は1500本を超え、今では5万人以上の方に登録していただくチャンネルになりました。
さらに、NHK『囲碁フォーカス』で講師を務める機会にも恵まれました。
〈NHK囲碁フォーカスの講師を半年間担当した当時の様子〉
書くこと。教えること。人が集まる場所を作ること。動画で届けること。
振り返れば、自分にできる限りの方法で、囲碁の魅力を伝えてきたつもりです。
もちろん、すべての人が囲碁にハマるとは思っていません。
それでも、知るきっかけさえあれば、夢中になってくれる人はまだ大勢いるはずです。
その人たちに、囲碁はまだ十分に届いていません。
囲碁は面白い。本当に面白い。
けれど、多くの人が、その面白さにたどり着く前に、入り口で立ち止まってしまう。
囲碁のルールを覚えるところから始めるのではなく、その手前に、もっと自然に囲碁の楽しさへ触れられる「新しい入り口」を作れないだろうか。
その問いから、WOOLVESの構想は始まりました。
■ WOOLVESとは?
WOOLVESは、「囲んで捕まえるヒツジ」と、「守りを突破して灯火を狙うオオカミ」が戦う、1対1の非対称型ボードゲームです。
同じ盤を使いながら、両者の目的も、できることもまったく違います。
守り切るか。突破するか。
灯火をめぐる、羊と狼の頭脳戦です。
〈(左)WOOLVESのテストプレー会での盤面(右)羽根彩夏二段・馬場滋九段・加藤千笑四段も楽しんでくれました〉
🐑 ヒツジチーム
毎ターン1匹ずつヒツジを置き、オオカミの進路をふさぎながら、中央の灯火を守ります。
ベーシックルールでは、10ターン守り切ればヒツジの勝利。
一匹ではオオカミにかないませんが、仲間と力を合わせて囲めば、オオカミを盤上から取り除くこともできます。
灯火の守りを固めるのか。それとも、迫ってきたオオカミを囲みにいくのか。
次の一匹をどこに置くかで、守りの形が大きく変わります。
🐺 オオカミチーム
新たなオオカミを送り込むか、すでに盤上にいるオオカミを動かすか。
ヒツジの守りの隙を見つけ、中央の灯火を目指します。
灯火の上にたどり着き、そこから1ターン耐えればオオカミの勝利です。
正面から突破するのか。別のオオカミを囮にして、守りを崩すのか。
どのオオカミを進め、どのオオカミを捨てるのか。その判断が勝負を分けます。
囲む。つながる。仲間を助ける。相手の狙いを読む。
ときには、仲間を捨てて道を開く。
囲碁の知識がなくても、最初から一つのボードゲームとして楽しめます。
それなのに、遊んでいるうちに、囲碁にも通じる思考が自然に現れてくる。
囲碁ではないのに、なぜか囲碁っぽい。
それが、WOOLVESです。
では、このゲームはどう生まれたのか?
■ WOOLVES誕生までの道のり
囲碁の魅力を、初めての人にどう伝えるか。
これは、囲碁普及に関わるなかで、ずっと考えてきたテーマです。
囲碁入門でよく使われるものに、「石取りゲーム(ポン抜きゲーム)」があります。
囲碁の「石を囲んで取る」という部分だけを取り出した、わかりやすいゲームです。
一方で、石を取ることだけが目的になりすぎると、囲碁本来の考え方へつなげにくい面もあります。
実際の囲碁では、目の前の石を取ることだけが、いつも正しいとは限りません。
「囲碁のルールをただ簡単にするのではなく、囲碁らしい思考を、自然に使うボードゲームを作れないだろうか」
私が作りたかったのは、囲碁を知らなくても一つのゲームとして夢中になれ、遊びの中で囲碁らしい思考が自然に生まれるゲームでした。
これまでにも、囲碁をわかりやすいゲームにしようという、さまざまな試みがありました。
ならばプロ棋士として、私なりの答えも形にしてみたい。
そうして始まったのが、このプロジェクトです。
〈ゲーム開発初期のラフ案〉
ゲーム開発に取り組み始め、最初に出たラフ案がこちらです。
左側の家のボードは、カードをマスに埋め込んでいく案
真ん中は畑を耕していく案
右側はキモカワ忍者をモチーフにした案
など様々な案が出てきました。
しかし、囲碁の一部分を切り取ってわかりやすくしようとすると、全然囲碁ではなくなってしまう。
ゲームとして面白くすると、囲碁から離れる。
囲碁らしさを残そうとすると、難しくなる。
そのギリギリのせめぎ合いでした。
特にゲームデザイナーさんとのやり取りでは、何度も議論がありました。
たとえば最初、「マスの中に駒を置く(左側のゲーム案のような)」という提案がありました。
ボードゲームとしては自然な発想です。でも、私はそこだけは譲れませんでした。
「交点に打つ。」
これは囲碁の感覚を身につける上で、絶対に守りたい一線だったのです。
どこまでが譲れて、どこからが譲れないのか。プロ棋士としての感覚と、ゲームとしての面白さ。そのギリギリを、何度も何度も探りました。
世界観も試行錯誤しました。
〈専門学校からインターンとして参加した学生による初期の世界観アイデア〉
さまざまなモチーフを検討した末、最終的にたどり着いたのが「羊 VS 狼」という形でした。おとぎ話にもよく出てくる、世界的にポピュラーな構図で、直感的にわかりやすいのではないかと思います。
〈羊と狼のコンセプトが決まった後のボードアイデア(専門学校のインターン生より)〉
肝心のゲームルールも、うまくいかないものが多数でしたが、今の形にたどり着いたとき、
「これならいけるかもしれない」と感じました。
〈コンセプトとネーミングがWOOLVESに決まった初期の案〉
いろいろなルールを盛り込んでいるのに、ちゃんと囲碁の思考を使っている。
囲碁の本来の思考法から逸れないで、ちゃんと本格的な囲碁に接続する。
いわば、「石取りゲームで本来やりたかったこと」ができるゲームとなったのです。
もちろん、囲碁プレイヤーも楽しめます。ある囲碁イベントの打ち上げでテストプレイしてもらったところ、有段者の方も熱中してくれました。読みの力を鍛えることにも使えるゲームです。
実際、このゲームを遊んでもらった後に囲碁を教えると、驚くほどスムーズでした。
〈WOOLVESのテストプレーに子ども達も夢中!!〉
下地ができているので、囲碁に入ったときの説明が短くて済む。
「石を置くことへの抵抗感」がなくなっている。
囲む感覚も、攻めと守りの感覚も、すでに少し身についている。
半信半疑で進めてきましたが、
「これは、もしかしたら本当に囲碁の入口になれるかもしれない」と今は感じています。
▍リターンについて
本プロジェクトにご支援いただいた皆様に、様々なリターンをご用意いたしました。
※金額は全て税込・送料込となります。
※今回のクラウドファンディング限定で以下の特典をセットにさせていただきます。
①ボードゲーム「WOOLVES」
②ボードゲームの箱部分に「柳澤理志六段の直筆サイン」
③柳澤理志六段による『WOOLVES』の遊び方解説の特別動画(20分程度)
④柳澤理志六段によるクラウドファンディング支援御礼メッセージ動画(5分)
【画像挿入:リターン早見表のわかりやすい図解画像】
🎲 ボードゲーム『WOOLVES』クラファン限定プラン
・【超早割】WOOLVES 1個:4,555円(15名様限定)
・【早割】WOOLVES 1個:4,777円(20名様限定)
・【2個セット】9,999円(5名様限定)
・【3個セット】13,333円(5名様限定)
・【普及セット】10個で44,555円(3名様限定)※囲碁教室やボドゲカフェにおすすめ!
※定価5,050円(税込5,555円)で販売予定(送料込み価格)
📣 グッズ・応援で支援する!
・【純粋応援】スペシャルサンクスお名前掲載:1,515円
※300セット分の説明書に記載、さらに柳澤HPにスペシャルサンクスとして2年間お名前掲載
・ボドゲ + 柳澤理志六段の直筆色紙:8,555円
・ボドゲ + 選べる!賛同プロ棋士の直筆色紙:8,555円
・ボドゲ + 柳澤理志六段のサイン入り扇子:10,555円
・ボドゲ + 夏川愛実さんの直筆色紙:8,555円
♟️ 柳澤理志六段の指導碁を受ける!
・ボドゲ + 指導碁(オンライン・3面打ち90分):10,555円
・ボドゲ + 指導碁(オンライン・1対1で90分):19,555円
・ボドゲ + 指導碁(対面・120分):25,555円
🎪 特別なイベント・体験に参加する!
・ボドゲ 1 + 最大3ヶ月10回マンツーマン(うち1回は日本棋院案内(+ランチ)):205,555円
・ボドゲ + 発売記念 1日イベント参加権:7,555円
・【限定2名】ボドゲ + 柳澤理志六段のYouTubeチャンネル出演権:105,555円
・【限定数】ボドゲ + 柳澤理志六段と行く!囲碁・ボドゲ合宿(現地集合):45,555円
・柳澤理志六段をあなたのイベントに呼べる権:55,555円(+交通費)
✨ 番外編(豪華ゲストによる特別リターン)
・イグゼロさん:1時間コンサル(ZOOM):38,555円【3名様限定】
・塚本さん:動画アドバイス、チャンネル制作アドバイス(60分×2回):65,555円
・中橋祐一さん:プロによる販売戦略相談:291,515円【1組様限定】
▍最後に|暗夜の一灯
〈囲碁の魅力をこれからも伝え続けていきます〉
なぜここまで囲碁に惹かれたのか。
私にとって囲碁の最大の魅力は、圧倒的な自由さです。
広い盤面のどこへでも自分の好きなところから行け、自分の100%の意思を表現し、それに相手が応えてくれる世界です。
私は、囲碁というゲームに人生を育ててもらいました。
居場所を与えてくれ、たくさんの人と出会わせてくれました。
今私が生きていられるのは、囲碁があったからです。
ある時期、サインを頼まれた際に西郷隆盛の詩から「暗夜の一灯」という言葉をよく書いていました。
暗闇の中でただ一つ輝く灯火。私にとって、それが囲碁でした。
図らずも、今回の『WOOLVES』のゲームのカギを握るのも「灯火」です。
まずは、楽しいこと。
気軽に遊べること。
そして気づいたら、その先に囲碁があること。
このゲームが、家族の団らんや、友人との時間、子どもたちの学びの中で、たくさんの笑顔と新しい出会いを生んでくれたら。
そしてその先に、「囲碁って、面白いかもしれない」と思ってくれる人が一人でも増えたら、それは、私にとって本当に幸せなことです。
ぜひ、この挑戦を応援していただけたら嬉しいです。
最後まで読んでくださり、本当にありがとうございました。
プロ囲碁棋士 柳澤理志



