(山梨県唯一の桜の名所百選・大法師公園からの富士山)

山梨県唯一の桜の名所百選・大法師公園。ここには約2000本の桜が咲き乱れ、桜の時期には全国から人が訪れます。富士山と自分だけの満開の桜を望みながら花見を楽しんで欲しい。富士川町のバックアップのもと、山梨県や桜を愛する多くの人たちの熱意で、今回のプロジェクトが始まりました。

●自分の桜の木の下で、みんなでカンパイできるシアワセを!

日本人のみならず、外国人も魅了される満開の桜。どこかの桜ではなくて、自分だけの桜の木の下でカンパイして欲しい。そして桜の名所百選・大法師公園を擁する富士川町のことも知ってほしい。そんな思いから、今回、富士川町のバックアップのもと、桜オーナーの募集を決めました。家族で、仲間で、会社内で。みんなだけの桜を植樹し、育て、富士山を仰ぎ見つつ、満開の桜の下でかけがえのない時間を過ごす。そんな体験をぜひみなさんと味わいたいと思っています。

(日本三大急流の富士川と富士川舟運の河岸跡周辺)

山梨県唯一の桜の名所百選!でも知っている人はごくわずか。

山梨県富士川町は、人口1万人ちょっとの町。旧鰍沢(かじかざわ)町と旧増穂(ますほ)町が合併してできた町です。人口は月を追うごとに減少する一方。少子化の影響もあり、町の若者もどんどん減っています。しかしこの町の東側には大法師(おおぼし)公園という300メートルほどの山があり、頂上付近の公園の周囲には約2000本の桜が咲き乱れ、山梨県唯一の桜の名所百選になっています。夜にはライトアップも行われ、桜の時期には毎年1万人ほどが訪れますが、全国はおろか、山梨県内でも大法師公園を知っている人はそれほど多くはありません。

(まちいくふじかわメンバーでの議論の様子)

町の強み・桜と富士山で地域活性の手本をつくれるか。

山と川しかない、典型的な過疎の町、富士川町はどこの田舎にもあるように、商店街のシャッター街化が進んでいます。富士川町にはなにもない。一見、そう思いがちです。とくに今住んでいる人、若い人たちはそう思うかもしれません。しかし、元日にはダイヤモンド富士が見られる町として、多くの写真愛好家たちが集まりますし、桜を見ながら富士山を望み、一杯楽しむこともできるのです。よく見れば、富士川町にも魅力はある。そんな本来持っている町の強みを引き出し、富士川町を地域活性化の先進事例にしたい。そこで立ち上げたのが「まちいくふじかわプロジェクト」です。

(メンバー全員で田植え)

(10月には稲刈りも)

  • 120年ぶり!甲州富士川・本菱・純米大吟醸の復活!

「まちいくふじかわプロジェクト」は2015年に自治体に頼らない新しい地域活性化モデルをつくるために立ち上げました。まず行ったのは、甲州富士川・本菱・純米大吟醸の復活。この酒は、実は私の実家で造られていたものですが、調べてみると、本菱の最盛期にはかなり飲まれた記録がありました。富士川町は、歴史の教科書にも載っている「富士川舟運」でかつて、物流の拠点として栄えた町。長野や山梨県中の年貢米が集められ、舟運で駿河湾まで運ばれ、将軍に献上されました。帰りは駿河湾から上がった塩や海産物が運ばれてきました。また日蓮宗の総本山・身延山にも近く、宿場町としても栄えた記録があります。米が集まったことから、当時は酒蔵も多く、本菱もその中のひとつでした。しかし今、富士川町に酒蔵は1軒しか残っていません。1軒残った「萬屋醸造店」の協力のもと、本菱をブランド開発の手法でメンバーと一緒に現代につくりあげ、味の設定や田植え、稲刈りまで行い、2017年4月に約1年かけて復活させました。

異例!復活2年目!世界で評価された本菱。

富士川舟運の晩年の1900年。本菱は今から115年前に忽然と姿を消しました。時代の変化についていけなかったのか、もしくは災害か(当時富士川はよく氾濫していました)。詳しい資料がすでにないので、わかりませんが、愛されたはずの酒が、そこで途絶えたことは確かなことです。残念ながらレシピなどは全く残っていません。(日本酒の製造は基本的には口頭伝承。昔ほどそうだったと思います)。プロジェクト開始後、2017年、1回目の本菱の復活を遂げ、限定1000本はすぐに売り切れました。そして2018年2年目の本菱は世界での評価を獲得します。ロンドン酒チャレンジ2018銀賞、インターナショナル・ワイン・チャレンジCOMMENDED受賞。復活2年目の酒が世界で評価されたことは異例中の異例のことと思います。また、2017年の途中からは富士川町のふるさと納税返礼品にも選ばれています(https://www.furusato-tax.jp/product/detail/19368/4547498

(本菱のストーリー)

(大法師公園頂上にある山王神社)

本菱は正真正銘、ご縁のお酒。

ぜひ大法師公園に行ったら見ていただきたいのは、頂上の公園に小さな社の山王神社。ここには全国の酒蔵が崇める松尾大社の御祭神「大山咋神(おおやまくいのかみ)」とその妻「玉依姫(たまよりびめ)」が祀られています。前者は言わずとしれた酒の神。後者はあらゆるご縁をとりもつ神。本菱を全国から集まった有志で復活させようという意図と不思議と一致してしまったのです。もちろんこれは最初からわかっていたことではなく、まったくの偶然。富士川町がいかに「酒蔵の町」であったかを偲べる遺構だと思います。偶然集まったいろんな人たちの力を合わせて120年ぶりの復活を遂げ、短い間で世界で評価されるようになった本菱の奇跡。だから本菱はご縁のお酒。毎年4月には山王神社で奉納も行います。結婚、出産、入学、卒業、御祝い、周年行事、など大切なときに、たくさんの人が集まって、思い出が残るお酒になってほしい。そしてその場所が、桜を植えた富士川町だったら、これほど嬉しいことはありません。(詳しいストーリーはこちらへhttp://honbishi.jp/
(地元のいち柳ホテル開発の本菱アイス)

日本酒からアイスへ!地元で、全国で取り上げられる本菱。

2017年に復活した本菱は、2018年の夏、地元、いち柳ホテル開発の「本菱アイス」として数量限定発売され、広がりを見せています。本菱に使用されている酒米、地元で採れた「玉栄」の酒粕を使用し、アルコール度数1.4%とかなり大人の味付け。ほのかな甘味と、口を通り抜ける爽快感がやみつきになる味です。いち柳ホテルはもちろん、地元の道の駅富士川で買うことができます。こうして本菱は富士川町の名産として、日本酒からアイスへと、どんどん展開しています。また、マスコミにもかなり取り上げられ、本菱は広告費をほとんど使用していないにもかかわらず、地元や全国にかなり広く紹介され、広告換算金額で累計3000万円以上のPR効果を得ています。

(満開の大法師公園)

自分の桜の木の下、本菱でカンパイ!

富士川町の水、富士川町の米でつくった甲州富士川・本菱・純米大吟醸には、街を代表するシンボル、ダイヤモンド富士と桜のマークがラベルにあしらわれています。多くの人が本菱や今回の桜オーナーの募集で富士川町を知るきっかけになり、実際に「自分の桜」の木の下で、街の愛情をたっぷりと詰め込んだ本菱でカンパイすることはプロジェクトに参加している私たちの悲願でもあります。その味はきっと格別なものになるはずです。またクラウドファンディングに参加していただいたすべてのみなさまに2019年3月中旬に行われる植樹に参加する権利を付与させていただきますので、ご案内させていただきます。根腐れ防止の関係でこの時期の植樹が一番適しているとのことです。また2019年春はまだ咲きませんので、ご注意ください。街のシンボル、桜を背に、街の新たなシンボル、本菱を飲む。桜と日本酒。日本が誇る文化を、みんなで感じられたら、とてもうれしいです。


富士川町とタッグ!完全バックアップ!

大法師公園はもちろん町の敷地。この企画を行うには富士川町の許可が必要です。現町長志村学氏も全面バックアップを約束してくれました!志村町長のコメントは以下になります。
(山梨県富士川町・志村学町長)

「大法師公園については、平成2年に、日本さくらの会による『さくらの名所百選』に認定され、約2千本のソメイヨシノが咲き誇り、眼下に富士川や甲府盆地、遠方には八ヶ岳や富士山を一望できる公園であります。毎年3月下旬から4月上旬には『大法師さくら祭り』を開催し、町内外から多くの花見客で賑わっております。このような中、『まちいくふじかわプロジェクト』様より、未来ある大法師公園の桜のため、また、ふるさと富士川町のため、『桜オーナーを募集したい』とのことについて、お話をいただき、この度場所を提供する運びとなりましたので、ご理解ご協力をよろしくお願いいたします」(山梨県富士川町・志村学町長)。

(2列目中央、富士川町・志村学町長とまちいくふじかわのメンバーの一部)

【富士川町の文化】
京都と江戸の文化の融合・山車

山車(だし)は富士川舟運の時代の文化を感じられる貴重な祭りです。一時期は毎年、大法師公園のさくら祭りの時期に巡行されていましたが、今では引手の子供の数の減少もあり、5年に一度しか巡行されません。保存会の皆さまの尽力もあり、今は4体、昔ながらのままの形で保存され、祭りのときは組立を行って、町へ繰り出されます。その組立もまた、口頭で伝えられてきました。富士川町の山車は京都の可憐さと江戸の力強さが融合した荘厳な姿。山車を引いて、汗をかいた後に一杯、酒を酌み交わす。きっと、昔の人たちもそうしていたに違いありません。

(今は老朽化で取り壊されている宿や料亭のあと)


葛飾北斎富嶽三十六景にも描かれた町

葛飾北斎がさまざまな地域から描いた富士山。その富嶽三十六景に描かれているのが旧鰍沢町です。禹之瀬(うのせ)と呼ばれる、両サイドの山が競り立ち、急流だった場所から見る富士山だと言われています。葛飾北斎が生きた時代はちょうど富士川舟運で旧鰍沢町が賑わった頃。その頃の鰍沢には多くの酒蔵があったことでしょう。もしかしたら、本菱で一杯...の後で描かれた画かもしれませんね。


ボロ電と呼ばれた交通網。

かつて甲府駅〜青柳間を通っていた通称ボロ電。今はバスを運行させている山梨交通が走らせていた電車線で、20kmほどを55分で走りました。最盛期には200万人〜300万人の利用客で賑わったと言います。1962年廃止。遡ればもともとは「山梨馬車鉄道」。甲府〜勝沼・鰍沢(現富士川町)を結んでいました。富士川舟運と連携し、貨物と観光客輸送で大いに賑わいました。


真打ちしか演じられない落語「鰍沢」。

もともと富士川町は旧鰍沢町と旧増穂町が合併した町。鰍沢と題名の付いた落語噺があることはご存知でしょうか。幕末から明治期に活躍した名人三遊亭円朝がまだ20代の頃、文久年間(1861~64年)につくられた話だと言われています。三題ばなしの会で発表したと伝えられ、その時のお題は「鉄砲」「卵酒」「毒消しの護符」、または「小室山の護符」「卵酒」「熊の膏薬(くまのこうやく)」と言われています。演じるのがとても難しく、真打ちしか演じることができないとも言われているのが「鰍沢」です。


すべてのリターンに植樹会に参加する権利があります!3月に施工会社による施工、4月の土曜日(大法師さくら祭り期間中)にセレモニーを予定しております。お申込みの皆様に別途ご案内致します。


【ご注意】

支援時、必ず備考欄にご希望のお名前をご記入ください!記入のない場合はCAMPFIREのユーザー名を掲載いたします。ご了承ください。

ソメイヨシノの寿命は50年です。寿命が来れば植え替えとなります。50年未満で植え替えとなる可能性もあります。告知なく植え替えとなりますので、くれぐれもご了承ください。

リターンのすべてには植樹施工金額+その後の管理費(防虫や枝切り)を含んでいます。町の敷地内ですので、実際にご自身で剪定などの管理をすることはご遠慮頂いております。

植樹したその年に桜は咲きません。2020年の開花に向けて首をなが~くしてお待ち下さい!そして桜と富士山と、ぜひ日本酒で日本の贅沢を楽しんでください!


酒類販売責任者標識はこちらに掲示しております。

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