私たちはまだ邦画で舞台にされていない1942年のガダルカナル島の戦いを舞台にした戦争映画を撮りたいと考えています。この作品を通して戦争の悲惨さ、平和の尊さ、そして日本軍が失敗した原因を描き世の中に伝えたいと思っています。

プロジェクト本文

自主制作映画監督・映像作家の大学生得能佑介(21歳)と申します。

私の企画をご閲覧下さりありがとうございます。


▼このプロジェクトで実現したいこと

私はこの企画を通して戦争が人々の繋がりを引き裂いてしまう悲しさ、極限の環境が人間をどう変えるのか、日本軍が犯してしまった失敗を包み隠したり忖度せず批判的に描きたいと考えています。日本のために戦っていただいた先人方には最大限の敬意を払って取り組みますが、決して過去の日本軍や大本営の行いを称賛するような作品は作らないということを先に表明させていただきます。実際に起きたガダルカナル島の戦いは約半年間に渡り続きました。私はこの戦場に情報や兵站を考えずに投入されてしまった一兵士を主人公にして描きたいと思います。実際のできごとをテーマにはしますが、ガダルカナル島の戦いでは最初に投入された兵士たちの殆どが戦死してしまっているため、この戦いを最初から最後まで描くために今回はフィクションという形を取りたいと思います。ただし、実在の登場人物や実際に起きた戦闘なども可能な限り忠実に再現したいと思います。


▼プロジェクトをやろうと思った理由

アジア・太平洋戦争が終結してもうすぐ75年が経とうとしています。私は、戦争を知る世代が次第に少なくなっていく今だからこそ戦争の悲惨さ、虚しさ、そして、平和の尊さを次の世代に伝え同じ過ちを繰り返さないためのきっかけを作りたいと思いました。そこで今まで私たちが取り組んできた映画という形でそれらを表現したいと考えています。

日本が太平洋戦争の道を歩んでしまった点、そして200万人以上もの犠牲者を出してしまった点については様々な事情があります。私は特に日本が太平洋戦争開戦直後、緒戦の勝利で慢心し、補給・兵站・情報・協調・戦術・指揮を軽視して2万2千人もの多大な犠牲を出してしまった「ガダルカナル島の戦い」に焦点を当てたいと思います。この戦いは同年のミッドウェー海戦と並ぶ太平洋戦争の大きな転換点になったと言われていますが、日本ではまだ映画化されておらず、この島の名前だけは知っていてもそこで何が起こったかを知っている人はあまり多くないと感じます。

そこで私は今まで共に映画を撮ってきた仲間たちと歴史再現者や収集家、専門家、歴史家、当事者の方々などに協力を依頼しこの一連の戦いを忠実に描き、世の中に発信したいと考えています。


▼これまでの活動

脚本・監督を務める私、得能佑介は大学のゼミやサークルの友人たちと映画を撮ってきました。高校のころから映画を撮り続けていて、今まで作った作品は地元の「みやざき自主映画祭」でも二度上映されており、一度受賞しています。2017年には「田宮夏雄」名義でポリティカルサスペンスアクション「黒い傘」)を監督し2018年には近未来SFアクション「SHEEPLE」を監督しています。こちらは現在制作中で2019年春の公開を予定しています。この二作では平和についての考え方を一つのテーマとして追及していて、この点は今回の企画でも一貫して続けていきたいと思っています。また、大学で映画の歴史や理論、撮り方などを専攻している傍ら、専門学校で編集技術や3DCGなどの映像の特殊効果を勉強していて実写とCGの合成、特撮なども注力しています。そしてこれらの環境・経験で知り合った方々に協力を依頼し今企画の撮影、編集などを可能にしていきたいと考えています。



▼資金の使い道

戦争映画を描くうえでまず欠かすことができないのが当時の衣装や小道具、ロケーションを用意することです。既にコレクターや再現者(リエナクター)の方々に協力を依頼していますが、戦場の質感を表現するためには制作側でも購入しあえて汚したり破損させたりしなくてはいけません。また、大規模な戦闘を舞台にするのでスタッフ・役者・エキストラらを含め多くの人員を動員したく思っています。協力していただける方々に最低でも交通費や食事代などは支給させていただきたいです。そして、ロケーションや大型兵器などはCG・合成・特撮等の撮影技法を駆使し予算を削減しつつ効果的に表現したいと思います。しかしそれでも機材やロケーション代、また背景だけでも可能なら現地で撮影したいと思っているので多額の予算がかかります。私がこれまで監督してきた作品では主に監督の私とスタッフたちの協力を得て予算を工面しましたがやはりやりたい企画の規模に対してできることの限界を感じていました。今作は監督・企画者である得能佑介の大学の卒業制作でもあり、各コンペティションやコンクール等にも応募し受賞を目指しています。そして最終的には劇場で上映できるクオリティの作品を作り上げたいと思っているので、皆様に力を貸していただきたいです。また、私たちは予算不足を理由に映画制作を断念したことは無いため今作も一度企画した以上は必ず最後まで作り上げることを確約します。


▼撮影期間

2019年3月~10月(完成は2020年春頃予定)

▼キービジュアル

先日、こういった映画を撮りたいと説明するために撮影したティーザー映像から一部抜粋します。

▼ストーリー

1942年太平洋戦争の初期、北海道で暮らす陸軍兵士「吉川」は婚約者の「清子」を残してガダルカナル島の戦いに出征する。初めての戦闘を経験した吉川は軍、そして戦場で知り合った仲間たちの殆どと死別する。ガダルカナル島の戦いは日本の惨敗で終わり飢餓と戦いながら島を彷徨っていた吉川は奇跡的に救出され帰還を果たす。国に帰り清子と再開した吉川だったが彼の目に生気は無く戦場の恐怖体験に苛まれ日常に戻れなくなっていた。自分だけが生きながらえていることに罪悪感を抱いた吉川は再び軍に戻るも終戦まで出征の機会は無かった。終戦から一年後、吉川はかつての戦友たちの墓参りをし戦争を二度と繰り返させないと誓う。


▼プロット

1941年夏、北海道小樽市に住む吉川は互いの両親の許しを得て幼馴染の清子と結婚する。同年12月、太平洋戦争が始まり吉川は陸軍第七師団に徴兵される。翌年3月、吉川は第28連隊一木支隊としてミッドウェー島攻略作戦のため出征する。しかし6月に発生したミッドウェー海戦において日本海軍が大敗し一木支隊はグアムからトラック諸島に輸送される。そして8月7日、連合軍がガダルカナル島に上陸し建設中の飛行場が制圧される。これを受けて日本海軍は三川軍一中将率いる第8艦隊を派遣、8日に発生した第一次ソロモン海戦に勝利するも、米軍の輸送艦は攻撃されず戦略目標は達成できなかった。16日、吉川たち一木支隊916名が無血上陸に成功する。しかし一木支隊は、実際には1万人いた敵兵力を2000名程度だと誤認しており、20日のイル川渡河戦で全滅してしまう。吉川と途中で合流したガ島警備隊の生き残り加藤は上陸物資の警備を任されており幸いにも生きながらえていた。吉川と加藤は仲間と合流できないまま1か月間、飢餓に苦しみながらガ島を彷徨うこととなる。8月中旬、一木支隊第一梯団の壊滅を受け日本軍は4000名の川口支隊と一木支隊第二梯団をガ島に派遣する。その間、妨害となる連合軍機動部隊に対抗して日本海軍は機動部隊を派遣、第二次ソロモン海戦が発生、日米機動艦隊同士の大規模な空母戦が発生する。空母翔鶴の飛行隊長村田重治はミッドウェーの雪辱を果たすため艦上攻撃機に乗り出撃する。第二次ソロモン海戦は日本の敗北で終わり、増援の川口支隊は上陸が遅れる。9月7日、ガ島を彷徨っていた吉川たちは遅れて上陸に成功した川口支隊と一木支隊第二梯団に合流する。彼らは12日に、戦略目標であるヘンダーソン飛行場を奪還するため総攻撃の準備を進める。しかし野砲や車両、航空支援、糧食の不足、各隊の強調不足などから12日に総攻撃が行われるも失敗する。川口支隊、そして一木支隊の生き残りはアウステン山からマタニカウ川西岸にかけて敗走し、応援の到着まで再び飢餓と戦うこととなる。10月初旬、百武晴吉率いる歩兵第17軍と第2師団がガ島に投入される。一方の米軍も陸軍1個師団を上陸させていた。日本海軍は12日のサボ島沖海戦に勝利し13日にヘンダーソン飛行場の艦砲射撃に成功するも、戦闘機用滑走路が移設されていたため制空権は確保できなかった。一方、ニューギニア戦線でも敗戦の色が濃くなっており大本営はこちらの撤退を優先させた。24日から26日にかけて、再び飛行場奪還のための総攻撃が行われたがこれも失敗、その後ガ島は僅かな駆逐艦・発動艇の輸送以外ない孤立無援の状態となる。一方日本海軍はソロモン諸島の制海権・制空権確保のため南雲忠一中将率いる第二艦隊と第三艦隊を派遣する。26日、これを察知した米機動艦隊との間で衝突となり南太平洋海戦が発生する。南太平洋海戦は日本の戦術的勝利に終わったが村田重治含む多数のベテラン搭乗員を失ってしまう。11月初旬、南太平洋海戦に勝利したことにより第38軍1万人がガ島に上陸する。復旧したヘンダーソン飛行場を再び破壊するため日本海軍は第11戦隊を派遣、米海軍との間で第三次ソロモン海戦が発生する。三川軍一も参加したこの二度の夜戦では日本軍・連合軍共に多大な損害が生じ、計44隻の軍艦が沈んだこの海域は鉄底海峡と呼ばれるようになる。一方、38軍は幾度か攻勢に転じようとするも、飢餓、傷病者が多く連合軍に追撃されてしまう。その後、ガ島は3万人近くの日本兵が彷徨うことになり、カニバリズムや仲間割れも発生する。吉川と加藤は理不尽な上官の元でなんとか年を越すまで乗り越える。1月、ガ島の米軍兵力は5万を超え、勝機が無いと判断した大本営はガダルカナル島からの撤退を決断する。日本軍の陽動作戦から成る大規模な撤退作戦「ケ号作戦」は奇跡的に成功したが、吉川は撤退の前に飢餓と病気で動けなくなった戦友、加藤の処分を決断させられていた。この島では撤退前多くの負傷者たちが自決・処分を迫られていた。約1万人の将兵を撤退させることにした日本軍は、この戦いの後、攻勢に転じた連合軍に敗北を重ね、終戦へと続いてゆく。情報保全・治療のためしばらくの間南方にとどめられていた吉川は3月、北海道へ帰還を果たす。そこで清子と再開するも、ガダルカナル島での惨劇でPTSD(心的外傷後ストレス障害)に陥っていた吉川は日常に戻ることができなくなり清子を置いて再び軍へと帰る。1946年8月15日、吉川は一木支隊の戦友たちの墓参りをする。


▼リターンについて

支援していただいた方全員に2020年春に立教大学で予定しております本作品の上映会への招待(交通費は関東圏内のみ支給)とエンドロールへの名前掲載(※支援時、必ず備考欄にご希望のお名前をご記入ください。記入のない場合はCAMPFIREのユーザー名を掲載いたします。ご了承ください)、作品とメイキング映像が収録されたBlu-rayディスクの配布、撮影で使われた衣装の配布を予定しております。本プロジェクトはAll-in方式で実施します。目標金額に満たない場合も、計画を実行し、リターンをお届けします。また、完成した作品は日本各地の映画祭に応募するほか、全編YouTubeにアップロードする予定です。


▼最後に

クラウドファンディングという素晴らしい場を利用させていただけることにとても感謝しています。

平和へのメッセージを世の中に伝えていくため、どうかご協力お願いいたします。

ご意見、質問、連絡事項はこちらのアドレスまでお願いいたします。

chaostyoro@gmail.com

Twitter @ChaosChoro

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