はじめに
戦艦大和進水式記念品再生プロジェクトチームについて
本クラウドファンディングを起こした戦艦大和進水式記念品再生プロジェクトチームは、IT関連企業(MUVRシステム)の役員をやっております私や、映画「男たちの大和」を作成した関係者等を中心としたメンバーで結成したチームとなります。
「戦艦大和」を通じて知り合ったメンバーで、色々と歴史を調べていくうちに当時の超国家機密であったが故に、世間には知られていない事実が数多くあることが判ってきました。語り継がれたりしてきたエピソードの他に、歴史的にも芸術的にも意味のある物までも、歴史の裏側へ葬り去られてしまっています。それが、今回「再生」致します、「戦艦大和進水式記念品の風鎮」となります。
本記念品の「再生」には、「戦艦大和会」(元乗組員など戦艦大和に関わった方々により結成された会。詳細は本文をご参照ください)の顧問をされている相原氏にも、その是非を巡ってご相談申し上げたところ、後押しして下さることをご承諾いただき、本プロジェクトの監修を引き受けてくださる運びとなりました。
戦後生まれの若輩者である我々が戦艦大和進水式記念品の再生と言うと興味本位と思われがちなのですが、本文をご一読いただいてご賛同いただければと思います。
概略
2020年8月、東京では第2回のオリンピックが開催されますが、遡ること80年。第二次世界大戦直前の1940年8月。当時の最高機密事項であった、「A140-F6」型の1号艦となる「大和」が呉海軍工廠で進水しました。
当時の最高機密であった戦艦「大和」、進水式も秘密裡に行われ、本来関係者に配布されるはずであった、進水記念品500組は製造されたにも拘らず、全て破棄を時の政府から命じられました。
近年、全数破棄命令が出ていた進水式記念品の「風鎮」が発見され話題となりました。この、歴史的意味合いの深い「風鎮」を作成した佐賀県有田町の窯元である深川製磁にご相談したところ、数量限定で「再生」して頂ける運びとなりました。
風鎮とは、掛け軸が風で裾がめくれないようにするための重りのことです。現代社会では掛け軸を掛けることがほとんどないため、風鎮をめったに見ることがありません。そこで、どなたにでも風鎮を使っていただけるよう、新進気鋭の墨絵師 御歌頭(おかず)氏に依頼し、戦艦大和を描いて頂き、それを掛け軸にしました。
80年の時を越えて再生された由緒ある風鎮と、床の間がなくてもインテリアとして飾って頂ける墨絵の掛け軸をセットとしました。
歴史的意味合いのある「風鎮」再生プロジェクトの目的とバックグラウンド
「風鎮」再生までのお話
戦艦大和の進水から2020年で丁度80年となります。当時を覚えている人も少なくなり、戦艦大和が建造されるに至った経緯なども忘れ去られようとしています。そこで、当時の造船技術の結晶としての戦艦大和の進水式で配布されるはずであった風鎮を再生・配布し、当時を思い起こすきっかけとなる物としたい。(副題として:風鎮という現代生活ではほとんど見かけることのない物を再生し、掛け軸と共に供することで、忘れかけている日本文化にも再度目を向けてもらいたい。)本来の目的で配布されることなく、皇紀2600年記念と名を変え、一部が配布された風鎮ですが、今一度「戦艦大和進水式記念品」として再生することで、この風鎮に日の目を見させたいと考えております。
今回、この文化的・芸術的意味合いの高い風鎮を正統な製作者(窯元)の手によって再生することで、粗悪なレプリカが世に出回る事も防ぎたいと考えています。
様々な調査を行ったところ、「戦艦大和」の進水式で配布されるはずであった幻の記念品には、今回再生する風鎮の他に、湯呑があることが判りました。湯呑の方はすでに何度か再現されております。実物は有田焼にもかかわらず、別産地などで再現されていることに、末端ではありますが、史実に基づいたものではないことに非常に落胆しました。
一方、風鎮につきましては、希少性や復元の難しさもあり、まだ再現はされておりません。しかし、いつ湯呑と同じように別の産地で再現され、あたかも、当時の物そのままを復刻したかのように世に出てくるか判りません。
そこで、我々は歴史背景からきちんと調べ上げ、正統な風鎮をこの世に再生し、歴史的事実を世に伝承していこうと考えた次第です。
我々の様な、戦争を知らない世代が行うべき事柄ではないかもしれませんが、プロジェクトチーム一同、「戦艦大和」には熱い思いがあり、是非とも当時と同じ窯元できちんと再現したいと思いました。
今回の戦艦大和進水式記念品「風鎮」再生プロジェクトでは、調査の段階から、映画「男たちの大和」を制作された映画会社の東映株式会社にご協力いただきました。
その、東映さんからご紹介いただきました、元大和ミュージアムの統括で、「戦艦大和会(*1)」の顧問でもある相原謙次氏に監修をお願いしたところ、快諾して頂きました。相原氏からは、多岐にわたるご指導を承りました。
「戦艦大和会」は元乗組員の方など戦艦大和に関わった方々が中心となっている現存する戦艦大和の歴史を現代に引き継ぐ方々の集まりで、毎年追悼式などの行事を行っています。本クラウドファンディングが成功いたしましたら、「戦艦大和会」に、風鎮一双寄贈に加え、ファンドの一部を寄付する計画です。
また、戦艦大和とも関わりのある「大和神社(*2)にも、風鎮一双を奉納します。
*1 戦艦大和会:「戦艦大和会は、戦艦「大和」乗組員の志に対し、追悼式や行事等を行い、鎮魂の慰霊、威勲の顕彰、遺族の思い、造船技術等を、後世に伝承していくことを目的としています。」(戦艦大和会Webサイトより)
https://senkanyamatokai.amebaownd.com/
*2 大和神社:「世界最大最強を誇る「戦艦大和」の守護神とされた。同艦も、昭和20年4月7日、鹿児島県坊ノ岬沖にて轟沈した。その英霊、第二艦隊司令長官伊藤整一命外、2,736柱と護衛艦の方々が境内の祖霊社に合祀されている。」(大和神社Webサイトより)
http://ooyamatohp.net/concept.html
世界最強の不沈戦艦として期待された「戦艦大和」ですが、あまりの機密の高さから、その進水式も紆余曲折があり、船として産声を上げた時から、波乱万丈の生涯を背負う運命にあったのかもしれません。「戦艦大和会」との共通認識として、忘れてはいけない歴史を言葉だけでなく、本来配布されるはずであった「戦艦大和進水式記念品」の風鎮を正統なる窯元で再生することで伝承していくことができると考えています。また、「掛け軸と風鎮」の文化の継承にもつながると考えています。
プロダクトのご紹介
戦艦大和進水式記念風鎮の歴史と墨絵師「御歌頭(おかず)」氏
最近は、洋風の家やマンションが多く、床の間に掛け軸を飾らなくなりました。掛け軸と共に使われていた「風鎮」を見たこともない人も多く、「風鎮」と言われても、殆どの方が認知できないのではないかと思います。風鎮とは、書いて字のごとく「風を鎮める」物で、掛け軸が風に揺られることが無いようにぶら下げる重りであり、飾りとして用いられるものとなります。
そんな、現代社会では殆どお目にかかる事の無い風鎮ですが、ここに、非常に意味の深い風鎮をご紹介いたします。
時をさかのぼる事1937年。時代は太平洋戦争の直前。ロンドン海軍軍縮条約の失効と共に世界の列強国が建造すると想定される新型戦艦に対して、絶対的な強さを持つ戦艦を持つことが必要だと考えられました。今は亡き、大日本帝国海軍軍令部はまだ世界のどこにも存在していない46センチ砲を装備した超大型戦艦の建造要求。この要求に応えるべく設計されたのが「A140-F6」で「第一号艦」「第二号艦」と仮称されました。仮称1号艦、すなわち、「戦艦大和」は46センチという世界に類を見ない巨砲を装備する戦艦大和は国家の最重要機密事項であり、建造そのものも秘密裏に行われただけではなく、設計者に手交された辞令すらその場で回収されるという異例の環境下で建造されたのです。さらに、戦艦大和の建造を秘匿するために、建造ドックに大屋根を取り付けるなど、異例づくしの造船でした。そして1940年8月8日、国家の威信をかけた戦艦大和が呉海軍工廠の造船船渠で厳かに進水式が行われました。
国家機密の塊である戦艦大和。進水式も厳かに、かつ秘密裏に行われました。
戦艦大和は超国家機密とはいえ、世界最強の戦艦(フネ)であり、フネとして初めて水上に浮かぶという、人間でいうなれば出産という晴れ晴れしい式典である進水式を行うにあたり、何らかの記念品が作成されても何ら不思議はありませんでした。戦艦大和の進水式記念について、当時の呉海軍工廠造船部長の庭田尚三少将が戦後に書いた「戦艦大和を忘れるな―今は亡き帝国海軍の造艦史を語る」 (1979年) 庭田 尚三 (著) の中で、以下の様に述べています。
「最後に進水式には記念絵はがきや記念品を作るのが恒例となっておりましたが、大和の場合には勿論絵はがきは作りませんでしたが、記念品だけは極めて少数の範囲で作って分配しようという事になり、極秘裡に私が意匠して有田焼の風鎮五百組を作ったのでしたが、その図案に当り、その時にはまだ艦名が知らされていなかったので艦名に因んだ絵を取入れることができなかったのでずが、私はひそかに考えて多分大和と武蔵と命名せられるだろうと予想して、風鎮の一方は橿原神宮(右)を、一方は千代田城二重橋(左)を描いて注文しました。そのわけはこれまで戦艦には国名を名付ける慣例となっていましたが、大和と武蔵はまだ旧大和、旧武蔵の両艦が廃艦となっていなかったので、大正十年頃の加賀、土佐時代にはこれを襲名することができませんでしたが、それから戦艦建造休止期間を経た今日では両艦はすでに昭和二、三年に廃艦になっているのでこの目出度い艦名を必ず襲名するだろうと考えたからでした。はたして十五年の七月中句、艦名の内報があったので安心しましたが、これが分配は許されず、やむを得ず竣工後直接関係のあった方面にのみ紀元六百年記念としてお配りいたした次第です。」(注:皇紀六百年とありますが、二千六百年の間違いと推測されます。)
本来配布される予定だった進水式記念品も全て回収・破棄され大和が進水した事を認める痕跡はことごとく破棄されたはずでしたが、一部は、皇紀2600年記念として、配布されていました。
庭田 尚三氏は著書の中では述べていませんが、戦艦大和念品として、作成されたのは、風鎮だけではなく、湯呑もあったようです。しかし、湯呑については、すでに有田ではない別産地品で再現されております(産地名は記載されておりません)。つまり、この湯呑の所有者は史実とは異なる別産地のものを史実に基づいて再現された湯呑だと思っていたり、史実に詳しいマニアの中にはオリジナルの窯元で焼かれたものと勘違いしたりしている場合があります。さらに、それが高価な取引されていたりしております。同じようなことが風鎮でも起きる可能性があります。
そこで、この歴史的・文化的価値のある戦艦大和の進水式記念品として風鎮の再生について、本プロジェクトを監修して下さっている、「戦艦大和会」の相原顧問に相談いたしましたところ、ご賛同いただき、ご支援いただけることになりました。当時製造を委託された佐賀県有田町の深川製磁にお願いしたところ、数量限定で当時のものを手本に、現代の職人が出来るだけ近い風合いのものを製作することを許諾して下さいました。
風鎮だけではなく、風鎮をちゃんと使えるものとするために房も当時の物を手本に再現いたします。(上記5点の写真は、現存する個人所有の実物を特別に撮影して頂きました。)
また、 武者絵で有名な新進気鋭の墨絵師「御歌頭(おかず)」氏に戦艦大和を題材とした作画を依頼しました。戦艦大和のもつ鋼の重厚さと力強さを掛け軸に描いて頂いています。2種類あるので、お好みの方もしくは両方を是非ご堪能ください。(掛け軸の表装はイメージとなり、実物とは異なることご了承ください。尚、御歌頭氏の落款は、各掛け軸に別途頂くことになっています。)
風鎮の復刻を応援してくださった皆さんの手元に、戦艦大和進水式から丁度80年の時を経た来年の8月8日に墨絵師の御歌頭氏が描いた戦艦大和の掛け軸と共にお届けする予定です。
こだわり・特徴
本物にこだわりました。
実際に80年前に制作した深川製磁のご協力(深川製磁のご紹介)
深川製磁は、1894年(明治27年)に深川忠次により設立。1900年(明治33年)のパリ万博に参加し、出品した大花瓶で名誉金牌(メダーユドール)を受賞。1910年(明治43年)に宮内省御用達を拝命。その後、明治、大正、昭和、平成、令和の5代に渡り皇室でご使用になる御陪食用食器の謹製上納を賜っています。
深川製磁で焼き上げられる陶磁器の特長として、1350度の高温焼成によって生まれる「フカガワブルー」と呼ばれる鮮やかな青色の染付技法や、「透白磁」の磁肌があり、国内外の陶磁器愛好家の垂涎の的となっています。
明治27年創立から操業する工房は今も現役。本店は、大正期に建設が始まったモダンな建物です。手の込んだ外壁タイルや富士山のステンドグラスから当時がしのばれます。
深川製磁と旧日本帝国海軍との歴史
明治期から海外に輸出された深川製磁の食器は、連合艦隊司令長官の東郷平八郎の乗艦としても有名な、連合艦隊旗艦「戦艦三笠」にも、士官用ディナーセットとして使われていました。また、東郷元帥が愛用していた湯呑も深川製磁の制作した物でした。(戦艦三笠が佐世保港で謎の爆沈した際、この湯呑は行方不明となっています。)
明治22年(1889年)に佐世保鎮守府が設置され、すぐに深川製磁は食器を納入、「海軍省御用達」となっています。
昭和期にはいり、深川製磁の食器類は海軍艦艇の士官用や、鎮守府における来賓をもてなすときに使われ、時には進水式の記念品も使われることがありました。
佐世保海軍工廠で昭和13年(1938年)進水が行われた工作艦「明石」の進水記念の品。
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今回のクラウドファンディングでは、1939年(昭和14年)の戦艦大和進水式用に納品された進水式記念品に注目しました。なぜなら、戦艦大和の建造そのものが極秘であったため、この進水式記念品は配布されることなく、回収され破棄されたという歴史があります。
そんな、歴史をもつ戦艦大和の進水式記念品ですが、奇跡的に回収を免れた逸品が数点確認されています。そこで、この幻の進水式記念品を、製造元である深川製磁さんに依頼して、数量限定で再現して頂くこととなりました。当時と同じ工房にて当時と同じ手法での再現となり、単なる形だけを再現したレプリカではありません。
風鎮と切っても切れない掛け軸
芸術性の高い、戦艦大和の墨絵を掛け軸にしました。
墨絵とは、墨の黒一色で表現される絵画で、よく見かける水墨画はその一種です。唐の時代に完成されたと言われる水墨画では、墨一色の濃淡によって描き出す東洋独自の絵画技法となります。墨線だけで対象の構図や骨格を描くのを白画または白描というのに対し,水墨画は墨の濃淡によって彩色をも表現します。
そんな墨絵を描く画家を墨絵師といいますが、墨に濃淡をつけない独自のスタイルを考案し、白と黒のコントラストの美しさを追求している墨絵師がいます。それが新進気鋭の墨絵師「御歌頭(おかず)」氏。戦国武将を題材とした作品が多いが、人気キャラのワンピース等も描く新進気鋭の墨絵師となります。
墨絵師でありながら、「墨絵」の概念をぶち破ったカラフルな色使いで「オナガドリ」を下絵なしで描いて見せたヤマダ電機のTVCFで広く一般にも知られるようになりました。
そんな、日本が誇る墨絵師である御歌頭氏に、進水80周年を迎える、世界に類を見ない超弩級戦艦大和の墨絵を掛け軸に二幅描いて頂くことになりました。御歌頭氏の独特の筆遣いにより、戦艦大和の鋼の重厚感あふれる墨絵掛け軸となっています。
戦艦大和の進水式で配布される予定で作られながら、戦艦大和が超機密事項であったことから、回収破棄された進水式記念品の風鎮(風鎮(ふうちん)とは、掛け軸が風でめくれ上がらないように取り付ける重りのこと。)と合わせてお届けします。
配布される予定で作成されたにも拘らず、破棄されてしまった風鎮と、現代アートとして進化発展した御歌頭氏の墨絵が描かれた掛け軸が80年の時空を飛び越え、令和の今にコラボレーションしました。
墨絵師「御歌頭(おかず)」氏の公式URL:
http://www.sengokudama.com/okazu/
監修
本プロジェクトは、現在は、「戦艦大和会」の顧問をされており、呉市海事歴史科学館(愛称:大和ミュージアム)の設立から深く関与され、参与として就任されていた、戦艦大和に造詣の深い相原謙次氏に監修して頂きました。
相原氏のプロフィール:
相原謙次
昭和29(1954)年12月1日生
元大和ミュージアム参事〈創設・統括担当〉
戦艦大和会 顧問
海軍史研究家
学芸員・軍事史学会会員
平成7(1995)年度から呉市海事歴史科学館(愛称:大和ミュージアム)の建設事業のプロジェクトを立ち上げ、以来設立業務に携わる。また、平成25(2013)年から定年まで再度、大和ミュージアムに戻り、参事として全体を統括する業務に従事した。
大和ミュージアムでは、資料収集事業全般、10分の1戦艦「大和」の企画・建造、常設展示資料の解説・キャプション及び映像関係の制作全般を行った。大和ミュージアムでの活動中、平成11(1999)年8月には、戦艦「大和」の実態の謎を解明するため、豪華客船「タイタニック」の一部を引き揚げたフランスの潜水調査チームと犬吠埼沖に沈んでいる潜水調査を2週間にわたって行った。また、戦艦「武蔵」発見時、各マスコミで解説をおこなった。
最後に
来年、2020年8月で戦艦「大和」の進水式からちょうど80年を迎えます。そこで配布されるはずであった幻の「風鎮」再生に、望みうる最強の布陣で臨めたと思っております。
リターンのご紹介
風鎮2個(左右ワンセット):房(組紐)と共に木箱入りでご提供
風鎮の絵柄:
橿原神宮(かしはらじんぐう):大和の国(奈良)
千代田城二重橋:武蔵の国(東京)
日本最古の正史ともされる『日本書紀』において、日本建国の地と記された橿原(かしはら)。天照大神(あまてらすおおかみ)の血を引く神倭伊波禮毘古命(かむやまといわれびこのみこと)(皇紀元年に神武天皇として即位)が、豊かで平和な国づくりをめざして、九州高千穂の宮から東に向かい、想像を絶する苦難を乗り越え、畝傍山(うねびやま)の東南の麓に橿原宮を創建されました。
武蔵の国は東京(埼玉と神奈川の一部を含む)の旧名であり、その象徴となる千代田城(江戸城の別名)。江戸城は、武蔵国豊嶋郡江戸(現在の東京都千代田区千代田)にあった日本の城で、江戸時代においては江城(こうじょう)という呼び名が一般的だったと言われている。千代田区の名前の由来となった千代田城とも呼ばれていた。現在の皇居に当たる場所。
注:クラウドファンディング上の風鎮、風鎮の房、木箱は現存の物となります。
墨絵師「御歌頭」氏の現代アート墨絵掛け軸2種。迫力のある現代墨絵アートとなっております。(掛け軸の表装(デザイン)はイメージですので、実物とは異なりますことご了承ください。)
製品情報・仕様
風鎮: 有田焼(深川製磁)一対(2個)
風鎮用木箱 13.5㎝×7.2㎝
風鎮 直径およそ4.5㎝(左右とも)
風鎮用房: 組紐2本
掛け軸:170㎝x43㎝(軸部分51㎝)
(サイズにつきましては、予告なく変更になる場合がございますこと、ご了承ください。)
注1:本クラウドファンディング上に掲載されております「風鎮」は、当時制作された現存する実物となります。今回再生いたします風鎮は、現代の職人が当時と同じ技法で、一つ一つ丁寧に作成いたしますが、焼物の特性上、絵付や色合いが掲載されている画像の「風鎮」とは微妙に異なる場合があることを予めご了承ください。また、2個以上ご注文いただいた場合、上記の理由から、微妙に異なるものとなる場合がございますので、ご了承ください。
注2:この「風鎮」は全て職人の手作業での作成となるため、ご賛同いただいた最初の120組につきましては、2020年の戦艦大和進水80周年に合わせての発送となる予定です。御支援いただく方が多く、120組を超えた場合、お届けする時期がずれる可能性があることをご承知おきください。なお、再生製造は最大200組までとなります。
注3:木箱、房などは、当時の物を参考に致しますが、現在入手可能な物となりますので、風合いは現存の物と異なりますこと、ご容赦ください。
謝辞
戦艦大和進水式記念品の風鎮再生プロジェクトを実行するにあたり、終始熱心なご指導を頂きました多くの方々に感謝の意を表します。
全体を監修頂いた「戦艦大和会」相原顧問には、実存する貴重な風鎮やまつわる文献などをご提示いただいたうえ、一方ならぬお世話になりました。
また、深川製磁におきましては、歴史的かつ、文化的に貴重な風鎮の再生に真摯に取り組んでいただき、心より感謝いたします。
墨絵師の御歌頭氏においては、戦艦と言う墨絵ではなかなか表しにくい題材にも関わらず、類稀なる感覚で戦艦大和を表現してくださいましたこと、ありがとうございました。
多くの方々によるご尽力により、戦艦大和進水式記念品「風鎮」の再生が可能となった事、この場をお借りして厚く御礼申し上げます。
・戦艦大和会(顧問 相原謙次様)
・大和神社
・深川製磁
・墨絵師 御歌頭様
・東映株式会社
・神田技研株式会社
・株式会社MUVRsystem
Q&A
Q:風鎮の絵柄はプリントでしょうか?
A:いいえ。今回の風鎮は、職人が丁寧に手書きしております。ですので、微妙に個性があります。
Q:戦艦大和の進水式記念品として風鎮が深川製磁で作られたのは事実ですか?
A:佐賀県有田町にある深川製磁本店にも、確認できる資料が残っておりませんでしたが、深川製磁のOBが所蔵していた同様の風鎮が、佐世保の海上自衛隊史料館に寄贈されており、(木箱は後世のもの)これが唯一の手がかりとなっています。
Q:風鎮を収める木箱には記念となる文字が書かれているのでしょうか?
A:当時の木箱には何も書かれておりません。そのため、今回も加筆することはしません。
Q:風鎮の木箱に記念の「大和」の文字が書かれているものがあるようですが?
A:風鎮を作られた庭田尚三氏の著作の中にあるように、発注時はまだ「大和」の名前が決まっておらず、また、正式には進水式で配布していません。そのため、文字がないものが配布され、文字は後に加筆されたと考えます。
Q:手元に届いたときに、破損等があった場合はどうなりますか?
A:まず、お手元に届いた段階で商品をご確認いただき、そのときに破損等がありましたら、お手元に届いた商品と交換で新しい商品を発送させていただきます。但し、お手元に届いてからの破損等につきましては対応することはできません。
Q:修理を行ってもらえますか?
A:誠に申し訳ありませんが、修理は受け付けておりません。
Q:御歌頭さんの墨絵は直接、掛軸に描かれたものでしょうか?
A:御歌頭さんが書かれた墨絵を印刷したものを掛軸に取り付けたものになります。
Q:返品は受け付けていますか?
A:誠に申し訳ありませんが、返品は受け付けておりません。
Q:本件に対する質問はどちらにすればよいですか?
A:以下のURLからご連絡をお願いいたします。本クラウドファンディング上にあります、URL先への問い合わせ無きようお願いいたします。
https://camp-fire.jp/mypage/messages/new?to_user_id=629326
Q:本プロジェクトの主体はどなたになりますでしょうか?
A:戦艦大和進水式記念品再生プロジェクトチームとなります。チームリーダーは、MUVRsystem(https://muvrsystem.com/ )の役員が務めております。
<All-or-Nothing方式の場合>
本プロジェクトはAll-or-Nothing方式で実施します。目標金額に満たない場合、計画の実行及びリターンのお届けはございません。
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