▼はじめにご挨拶

初めまして!!

静岡県浜松市にある フリースクール「ドリーム・フィールド」の代表 大山浩司といいます。 

僕は21年間浜松市内の私立高校に勤務しました。その間に「学校という環境にはなじみにくい子どもたちのための育ちの場所が必要だ」という想いを強くしてゆき、休日を使って全国各地のフリースクールや施設を見学に行き、2002年からNPO立ち上げを準備して2003年3月に退職、一年間の準備の後にフリースクールドリーム・フィールドを開校しました。

当初7名だった生徒は現在、50名以上になっています。

いじめや学校教育のしくみや人間関係に疲れて不登校となった子どもたち、広汎性発達障がい(IQは高めでありながら個性が強く独特のペースやこだわりを持つ)精神疾患を抱えた子どもたちが、お互いを認め合い、支えあって成長しています。(http://dreamfield.hamazo.tv/)

そして、彼らが自信を取り戻して社会性を身につけていったり社会へと自立してゆくことをサポートをするために「雑貨カフェいもねこ」「工房いもねこ」を開設。18歳以上の子らが就労支援福祉事業所として利用しています。

今回はドリーム・フィールドに通う子に限らず、近隣の子どもたちを含め、安心できる居場所を求めている子どもたちが身を寄せることができ、その子たちの心の声をキャッチできる場所を増やすことができればと願い、このプロジェクトを始めました。

※ 以下、使用されているイラストや写真は、ドリーム・フィールドのみんなの手によるものです。

▼このプロジェクトで実現したいこと

今、全国に「子ども食堂」の活動が広がっています。その活動目的の一つは、貧困の子どもたちや孤独感や困難を抱いている子どもたちのSOSをキャッチして、その後のサポートに繋げてゆこうというものです。

かつて私たちが育った時代と比べると、現代では子どもたちの居場所がどんどん少なくなっています。

複雑な家庭環境や貧困などによって温かく安心できる居場所を失ってしまった子どもたち、学校での比較や競争の中で疲れ傷ついている子どもたち、個性を否定され見下され、いじめを受けてしまっている子どもたちがたくさんいるにもかかわらず、地域社会での温かい心の繋がりも薄くなり、格差社会は進み、社会の受け皿も減っています。

でもいつの時代でも、子どもたちは大人が考えるよりずっと真面目です。

「いい子でいなければいけない」「こうしなければいけない」「ああしてはいけない」などと思って、つらいことを言えなかったり、我慢をしすぎてしまったりして、無理をしてしまうことがよくあります。

それが不登校や引きこもり、非行や少年犯罪、自傷行為や自殺などの根本的な原因となるケースはしばしば見受けられます。また、子どもの精神疾患が多くみられるのも、それが理由です。

そういう子どもたちの心の声に気づくことができる場所や、子どもたちのSOSをキャッチできる場所は少しでも多くあるべきだと考えます。それが一人でも多くの子どもたちの人生を良きものへと変えてゆくきっかけとなるかもしれません。

「子どもマンガ図書館」をそういう場所の一つとする、それがこのプロジェクトで実現したいことです。

▼プロジェクトをやろうと思った理由

このプロジェクトを始めるに至るきっかけとなったのは、一人の少女です。ちょっとしたストーリーにはなりますが、よかったらお読みください。

幼少から複雑な家庭環境。もともと衝動性を持ち集中力に欠け、こだわりも強いという発達上の特徴を持った子です。集団生活や、レールの上を歩く教育になじめないのはもちろん周囲の子らともトラブルを繰り返し、市外の児童養護施設へ。そこでも問題を繰り返して特別支援学校中等部へ移りますが、そこでも長続きはせずに入院。そして「退院後の生活をどうするか」ということで困った児童相談所からドリーム・フィールドへ依頼がありました。

初めてスクールに見学に訪れて一歩足を踏み入れた時から、彼女はすでに臨戦態勢。こちらの質問にもまともに答えることもできません。ふてくされた顔でブツブツと言いながら中を歩き廻っていました。

しかし、図書室のマンガコーナーを見たとき、顔つきが変わりました。一目散にマンガのところへゆき、床に座って読みだしたのです。それからは周囲の言葉は全く耳に入らず、一心不乱にマンガを読み続けました。

彼女が興味を持っているのは、マンガ、ゲーム、食事、その3つだけ。今の彼女には、その3つしかないと言っても過言ではありません。

こだわりの強さと衝動性は、「しつけ」や「育て方」などという問題ではなく、本人の持つ発達上の特徴です。ちょっとしたことでキレやすく、我慢ができない。言葉遣いも絵に描いたような悪さ。もともと「育てにくい子」であったのも、過ごした学校や施設で「問題児」だったのも頷けます。前途の多難さは最初から一目瞭然でした。

それから体験利用を繰り返す中で注意することもありましたが、彼女は嫌がることもなくやって来ました。

体験入学を続けて一か月後、児童相談所、病院、特別支援学校、相談支援事業所、そして自分が加わり、彼女の今後の生活に関する支援会議が開かれました。

本人が嫌がらずに通っている以上、利用を断る理由もありません。

「うちで受け入れるのは構いませんし、できる限りのことはしますが、うちは完璧な施設というわけではありません。
ですから、『任せてください!』とも言えません。うちで限界が見えた後の支援方法も考えてください。」

「うちに通い始めるからといって、任せっきりにされたとしても限界があります。少なくともお母さんを含めた家庭全体のサポートを各機関で継続的にお願いします。」

以上の条件を提示した上で、スクールは彼女の退院後の受け入れ場所となり、彼女は正式に通うこととなりました。

通い始めたとは言っても、やっているのはゲームかマンガか食べることだけ。。。と言うと
「フリースクールでやっていることはそれだけか?」
「好きなようにさせれば落ち着いているのは当たり前」
「そんなことしてても子どもは成長しない」などなど批判を浴びせる人は少なくないでしょう。

もちろんこの子の場合は特異なケースです。私たちスタッフとしても、彼女が他の子のようにアート、音楽、運動、お勉強など少しでも興味の幅が広がることや、周囲の子らとの繋がりを通して心が成長することを心の底から願っています。

特に僕は20年も教師やってきましたから、大人が子どもに抱きがちな「先走った期待」も、教師がつい陥りがちな「おせっかいな感覚」もよくわかります。しかしそれと同時に「教育」「学び」「育ち」というものが学問や芸術に限定された効用ではないということも長い教員生活から身をもって学んできました。

勉強、運動、アート、音楽全ては人生のツールに過ぎず、「人としての成長」はそれらのツールから何を学び取り、自分の生き方にどう生かしてゆくかということにかかっています。ツールを身につけることを目的としても、それを持っている人の心が成長しなければ、ただの色あせてゆくコレクションが増えてゆくだけ。

逆に、例えば近所のおじちゃんから教わったことが人生に大きな影響を与えることがあるように、学問や芸術というカテゴリーではなくてもマンガやゲームそのものや時にはそれをきっかけとした人との繋がりが学びや支えとなり、救いとなることもあり得ます。僕にとっては、ROCKがそういう存在でした。もちろん「依存性」までも肯定的に捉えてはいませんが、「マンガ」だから「ゲーム」だからと全否定するべきではないのです。

マンガとゲームと食事にしか興味を持てない彼女は、正式にスクールに通いだしてもブレません。

 朝9時頃、ゲームを手に母親の車から降りて来る。歩きながらゲームを続け、そのまま二階へ。スクールでは子どもたち同士のコミュニケーションと子どもたちの世界を構築する目的もあって、朝10時頃までは「ゲームフリー」の時間としています。時間を過ぎるとゲームはできなくなるのですが、もちろん彼女もそれに倣ってゲームを終わります。

体験で通いだした最初の頃は、時間をオーバーしてしまうこともありました。自分が熱中しているものを途中で切られるのは発達上の特徴が強く、こだわりの強い子らにとっては苦痛以外の何物でもないものです。「時間だから」「決まってるから」という理由は彼らにとっては何の説得力もないのです。

とは言え、何も言わず放任すべきでもありません。そこで大切なことは「信頼に基づく待ちの姿勢」と「忍耐力」です。時間になったことを伝え、キリの良いタイミングを待ってあげるのです。杓子定規な時間設定ではなく、最初に伝えてから5分や10分くらいは本人を信じて待ってあげる。タイミングが訪れれば、軽い声かけだけで自然と切り上げられることが多いものなのです。

ところが親や先生は、自分のペースで子どもをコントロールしようとしてしまいがちです。本人にとっては「理不尽」な要求を、「決まりを守らせる」「しつけをする」「言うことを聞かせる」といった大義名分で押し付けようとしてしまいます。自戒を込めて言えばそういう時、親や先生など大人は感情的になっていることが多いものです。「感情的に叱る」フリをするのは必ずしも「悪」ではありませんが、少なくとも「伝える」ことを忘れて、言うことを聞かせるためだけに「怒る」のでは、何も得るものがないばかりか、本人にとってはネガティヴな体験以上にはなり得ません。

彼女の場合もおそらく幼少からそうした経験を重ねてきたのでしょう。彼女の見せる感情の多くが「怒」であることからも、幼少から「怒られる」経験が圧倒的に多かったことが容易に推察されます。発達上の特徴としての衝動性が、彼女の場合には攻撃性として現れることが多いこともこれまでの経験の反動でしょう。(こうしたケースはしばしば見受けられます。)

そんな彼女も、最近では何も言われなくても時間になればゲームを終われますし、その当たり前のことが、以前の彼女を知る人たちから見れば驚異的なことであるらしいのです。半日ではあるが休まずに楽しみに通い続けていることも、周囲の子らと何のトラブルも起こさないことも、驚くべきことであるようです。

これまで、家庭でも学校や施設でも「決まりを守る」というところで先生方や大人たちと衝突し暴れてきた彼女。今のところそういった大きなトラブルもなく、決まりを守りながら周囲に迷惑をかけずに穏やかに過ごせているのは、頭ごなしに決まりを守らせようとしたり感情的に怒ったりすることをしないで、「時間」「決まり」というこちらの尺度と
本人の「ペース」とが合致するタイミングまで忍耐強く待ってあげているからに他なりません。
声かけの調子や雰囲気など駆け引きにも心掛けていますし、人としての信頼感も大切にしています。

お母さんが「好きなことさせてくれているのだからここでは言うことを聞いているでしょう。」などという穿った言い方をしたことがありました。もちろんお母さんご本人に対しては言いませんでしたし、これまでの母親のご苦労は推察するに余りありますが、一つだけ明確に言えることがあります。それは、彼女から大人への信頼を奪ってきたのは、大人による柔軟性に欠ける「力ずくの対応」に他ならないのだということです。

毎日、朝のゲームの時間が終わると、彼女はマンガを読み始めます。みんながいろいろなジャンルの講師による講座やドラムやベースの練習を始めても、運動に出かけてしまっても、彼女は一瞥もせずにマンガに集中しています。しかも、内容を理解できないであろう程猛烈なスピードの斜め読みで読み漁るのです。そして、お母さんのお迎えが来てしばらくすると、自分で本を片付けて帰って行くという生活が続きました。

通い始めて2ヶ月くらいすると、ほんのわずかであるが変化が見え始めました。マンガを早めに読み終え、図書室から出てくるようになったのです。読む本がなくなってきたからではあるし、周囲とのトラブルのリスクも高まることでもありますが、他の子やスタッフと関わるようになってきたのは、喜ばしい変化です。まれに、他の子と一緒に講師から料理を習うこともありました。

この頃から、僕のところに「暇だ」「お腹すいた」などと言って来ることが増えました。「なぜそんなに腹が減るんだ?」と問うと、「朝ごはんを食べていないから」と言います。どうやら、朝なかなか起きれなくて食欲も湧かず、
母親に叱られながらゲームを手に車に乗ってくるようです。もともと過食傾向にある彼女、お腹が空くのは無理もありません。母親にお願いして、一週間くらい後には朝食を弁当箱に詰めてもらって持参するようになりました。

そんな毎日の中で、彼女とはいろいろなことを話すようになりました。

「なぜそんなに口が悪いよ?」と問うと、「前に入っていた施設がそういうとこだったから。そこでは強い人が弱い人をいじめる。弱い人はもっと弱い人をいじめる。だから強く見せなきゃいけなくてこんな風になったの。そこの先生だって、子どもを叩くのも『ここだから許されるんだ。』って言ってたよ。」
もちろん子どもの言うことなので少なからず差し引いて考えなければならないと思います。彼女のように個性の強い子らばかりが集まっているのですから、現場の先生方の苦労も十二分に想像できます。
しかし彼女が、力によって押さえつける環境では、そういう構図が起こりやすいのを理解していることは確かです。僕は「こいつすごいじゃん!!」と思ったものです。

また、車に乗っているときに、何の前触れもなく突然「わ~!」と頭を抱えることもありました。理由を聞くと「施設でのことを思い出しちゃった。」と言いました。

「お母さんが死んじゃったりしたら、私はまた施設に入らないといけないんだ。」と寂しげに話すこともありました。

ある時は、電卓を手にして何やら計算しながら「私がいもねこで働き始めたら、20年間でこれくらいお給料をもらえる。」などと言っています。本人なりに、将来の自立を悶々と考えているのでしょう。

これまで家でも学校でも施設でも「困った子」と考えられてきた彼女は、コントロールできない自分を持て余し、本当は自分が一番「困っている」ということを自分自身よくわかっているのです。

周りの子に迷惑をかけ、大人の言うことも聞けず、平気で暴言を吐きながら精一杯強がる彼女の内面は、実は脆弱で繊細で傷だらけ。根っこは本当に「いい奴」なのです。

最近では、外を歩いていると小さな子どものように腕にしがみついてくることもあります。他のスタッフに対してもありますが、それは彼女にとって自然な愛着の表現なのでしょう。小さい頃にそういう経験が少なかったのではないでしょうか。

また気になるのは、「喜怒哀楽」の「怒」はしばしば見られますが、「哀」があまり見られないことです。施設に入ったり、親が離婚したりといった経験の中で、小さな頃から寂しさを心に閉じ込め、悲しみを外に出すことが少なかったのではないかと推察されます。

ある日、僕がたまたま車で外出した時、スタッフから電話がありました。「本屋に立ち読みに行きたい!」と、スクールを飛び出したというのです。目的地はおそらく、家の近くの本屋。スクールから歩いても一時間以上はかかります。
しかも本人は道を知らないはずです。

慌ててスクールに戻る途中、早歩きで歩く彼女を見つけました。その後ろをスタッフが必死で追いかけています。振り向いてスタッフが近づいてくるのを確認すると、彼女はニヤニヤしながら走り出します。

僕は、「もう追いかけなくて良いよ」とスタッフに電話しました。力づくで押さえたところで何も意味はないからです。ただ、飛び出して事故に遭うことだけは心配しました。僕はそっとしばらく車で後を追いかけました。傍で見ればただの変態おじさんかストーカーかというところですが(笑)10分ほど歩かせたところで、僕は声をかけました。「そろそろ腹減らないか?」すると彼女は何も言わず、ニヤニヤしながら車に乗り込んできたのでした。仕方ないのでコンビニで焼き鳥を食べさせてあげました。

「スタッフから逃げていく姿が、犬が飼い主から逃げてく時みたかったぞ~」

「犬だなんて失礼だな!」

「失礼なのはお互いさまだ~」

などと笑って話しながらスクールへ戻りました。彼女に話しました。

「我慢できずにパッと行動してしまうのは少しでも減らしていかないといけないね。」「小さな我慢を少しずつ積み重ねていって、我慢できたり自分で気持ちを落ち着けられることが増えていくといいね。」

彼女は「うん。」と頷いていました。

それから数日後にも再び、「本屋に行く!」と言ってスクールを飛び出しました。一般的には、「コラ!」などと言って追いかけ、首根っこを摑まえて連れ戻すのでしょう。でも彼女には強いこだわりと衝動性があります。それを放任するつもりはありませんが、かといって力づくで「矯正」しようとしても必ず歪みが生まれてしまいます。そして彼女自身が、その歪みを抱えてしまった典型でもあるのです。

僕は車から時々「寒くないか?」などと声をかけながら、少し距離を離しながら後をついていきました。残念ながらその日はお弁当を食べた後。ご飯には食いつかず、硬い表情のまま歩き続けます。

歩き始めて1時間15分。彼女は「行きつけ」の本屋に着きました。僕は先回りして彼女を出迎え、缶入りの温かい紅茶を差し出しました。

「よく頑張って1時間以上も歩いたね!!」

 叱られると思っていたのか警戒気味にこわばった彼女の顔が、満面の笑みに変わりました。

その後、今のところはスクールを飛び出すことはありませんが、彼女のこだわりは以前と何も変わりません。家に帰ると必ず本屋さんへ行き、夜までマンガを立ち読みをしているそうです。

もちろん衝動性も消えたわけではありません。

特別支援学校の担任がスクールに来て別棟で話をしている時のこと、そこに彼女がやってきました。本屋へ行きたくてたまらなくなってしまったようです。「帰りたいから送って!」そう言われても行くはずがありません。僕はお抱え運転手ではないのですから。笑

「今話をしているところだから無理だよ~」

すると、ドアをバンバンと蹴りだして叫び始めます。

「こっちは行きたいんだよ!!」

「行きたいって言っても行けないなあ~」

「このクソばばあ!!あ、違った!クソじじい!」

笑いをこらえながら、
「そんなバンバンやってると壊れちゃうよ~」

「そんなの知るか!!」

「弁償しないといけなくなったら後悔するよ~」

すると、
「今日も眠いところ起こされてきたんだよぉ!」
「こっちだって来たくて来てるわけじゃねえんだよ!!」

内心「おぉ!よく言うじゃないか!」と思っていると、すぐに小さな声で補足したのです。

「眠い時は。。。」

なかなか憎めないかわいい奴なのです。

「ま、部屋の中入りなよ~」と言うとすんなりと部屋に入ってきた彼女、すぐに担任とも話せるほどに落ち着きます。
睡眠の問題は今後の課題ではありますが、そうやって衝動的になったりキレたりした自分を自分自身でクールダウンさせることもできるものなのです。

感情的になった相手を頭ごなしに押さえつけようとすれば、こちら側もいつの間にか感情的になり、無駄なエネルギーを費やすばかりか感情的なしこりを残すだけで、本人にとって何のプラスにもならないことが多いものです。

子どもの育ちというものは、強制でも矯正でも放任でもなく、手を出しすぎずさりげなく支えながら、根気強く見守り続けるもの。そう信じます。

いつまで彼女がスクールに通い続けるかはわかりません。明日にはもう来なくなるかもしれません。彼女の成長をしばらくの間見続けることができるかもしれなません。

でもいずれにしても、「自分がどれだけ彼女の力になれるか」などという思い上がったことは考えず、もうしばらくはこの「じゃじゃ馬娘」に付き合ってやろうと思っています。

そしてそんな彼女を見ていて実感しました。

過酷な現実から逃げ込める数少ない場所の一つがマンガであるという子どもは、他にもたくさんいるのではないか?

彼女のような「孤独な小さな魂」が、安心して身を寄せられる場所、そして小さなSOSの声に気付いてあげられる場所は少しでも多くあるべきなのではないかと。

そのSOSをキャッチして、公的機関や市民団体、学校や家庭などの中から適切な場所に結び付けてゆきながら、連携を取りながらサポートしてゆくことが必要なのではないかと。

これが、僕が「子どもマンガ図書館」をつくりたい」と思い始めたきっかけです。

そしてこのきっかけをつくってくれた「じゃじゃ馬娘」である彼女、そして彼女の周りで彼女の存在を認めてくれているスクールの子らは、いつもそういう「大切なこと」に気づかせてくれるかけがえのない存在なのです。

▼子どもマンガ図書館の概要

開設場所:ドリーム・フィールド敷地内に安価なプレハブを設置する予定です。

開館時間:10時~18時

利用料:無料

利用可能対象:16才未満の子どもなら誰でも。 保護者付き添いのみ一回¥100で利用可(予定)

内容:貸し出しはなし。立ち(座り)読みのみ。

蔵書:15000冊~20000冊

マンガの内容:新旧織り交ぜたさまざまなジャンル(成人向けを除く)

サポート:支援者が必ず在室し、さりげない声かけを心掛ける。必要と判断した場合は面談。担当者で慎重に支援方法を検討。本人の状況や環境に考慮した上で、適切な関係機関へ繋いでゆきながらサポートをしてゆく。

▼資金の使い道

プレハブ設置費用 ¥1,000,000程度 

本棚、エアコン その他設備費用 ¥500,000程度

マンガ購入費 ¥500,000程度 

マンガ寄付郵送料 ¥50,000程度

※ 集まった資金では賄えない不足分は、フリースクール ドリーム・フィールドが工面し負担します。

▼リターンについて

たいしたお礼はできませんが、ドリーム・フィールドの子らがパティシエさんと一緒に、このプロジェクトのために心を込めて作った「「子どもマンガ図書館プロジェクト特製いもねこクッキー」のセットをお送りさせていただきます。

 ※ 「いもねこ」はドリーム・フィールドの子どもたちが働いている福祉事業所です。
  おいしいお食事もできる「雑貨カフェいもねこ」
  無添加のスイーツやクッキーをつくっている「工房いもねこ」
  添加物を一切使わないいもねこクッキーは、おかげさまで全国のたくさんの皆さんに親  しまれています。                 湯川れい子さん

              PANTAさん&制服向上委員会 

▼最後に

いじめや自殺、非行や少年犯罪のニュースは毎日のように報道されています。問題が起こる度にさまざまな対策を講じられたりもしていますが、一向に減る兆しは見えません。年を追うごとに格差社会はますます進み、貧困の子どもたちも増え続けています。

その一方で、障がいに対する偏見を持つ方は増え、悲惨な事件も起こっています。生活保護を受ける生活困窮者に対するバッシングも強くなり、公共機関の不適切な対応が問題になったり、生活困窮者が理不尽な暴力を受けるような事件も起こっています。

それらすべての問題の根本的な要因の一つは、「力」に依存した社会にあると僕は考えます。

例えばいじめ。いじめをしてしまう子は、自分より「弱い」子を見つけ自らのコンプレックスを埋めるためにいじめをしてしまいます。直接いじめに加わっていない子らも、自分が「弱い」子ではないことに安心します。そして「弱い」子であると思われないように心の中でビクビクしたり、強がって見せたりしながら鎧を身に着けて日々を送っている子も少なくありません。家庭でも学校でも「強くなれ」「弱いやつはダメだ」と言われます。

本来、人間とは誰もが弱く不完全でちっぽけな生き物。だからこそ皆が自然と助け合うのが当たり前であるし、お互いの欠けた部分を補いながら暮らしてゆくのがあるべき姿です。自然界の中で非力な人間という生物は、種として生き残ってゆくために「社会性」というものを身につけてきているのです。

ところが今の日本の社会も政治もその逆で、「強いものが勝つ。」「弱いものはダメだ。」「力で解決すればよい。」という考え方が蔓延し、弱者切り捨ての傾向が社会全体を覆いつつあります。切り捨てられないように、「勝ち組」に残るために必死になっている人も増えています。そして自分よりも貧しい人や弱い人を見て安心しようとする人も。

社会全体がそんな雰囲気になっているのですから、子どもの世界が荒んでゆくのも当たり前です。そして、荒んだままに育った子どもたちが大人へとなり、社会をつくってゆくのです。

その流れを止めて変えてゆけるのは、私たち一人一人の小さな努力しかないと考えています。誰しもが持つ限られた「人生の時間」は、次の世代の子どもたちのためにあるべきものだとも思います。でも、もしかしたらそれは「悪あがき」かもしれないとも思います。僕自身さまざまな葛藤の中にありますが、それでも今できることは何でもしようと思っています。

ぜひ皆さんのお力をお貸しください。

資金の支援という形でも、マンガの寄贈という形でも構いません。

よろしくお願い申し上げます。

でも、このプロジェクトそのものにご協力いただくことが不可能でしたら、それでも構いません。それぞれの場所でそれぞれができることはあるはずですから。

一番の願いは、子どもの世界そして大人の社会を温かいものに変えてゆきたいという同じ想いの皆さんとともに、諦めることなく、それぞれができることをともに続けてゆけることです。

最後までお読みいただいてありがとうございました。

  • 2017/04/26 18:33

    文中にある「じゃじゃ馬娘」ですが、お母さんが緊急入院をすることになったり、いろいろと辛い思いをしているとは思いますが、本人なりに精いっぱい頑張っています。以前に比べて見違えるほどに柔らかい子にはなっています。もちろん「じゃじゃ馬娘」であることには変わりありませんが 笑 先日「”小娘”のような...

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