「新たな目標」達成に向けてみなさんお力を貸してください!

多くの皆様からのご支援により、間も無く、目標金額100万円が達成いたします!
ご支援いただいた皆様には、当初お約束したリターンをご提供させていただきます。ありがとうございました。

6—7月の核兵器禁止条約交渉会議は約3週間に及ぶ長丁場の会議です。100万円で派遣する3名の被爆者は最初の前半の約1週間滞在します。会議の傍聴は主に前半部分が、市民に開かれていること大きな理由です。また、各国から市民が集まって交渉会議を盛り上げるために開催されるイベントの多くが最初の週末に企画されており、それらに参加も予定しています。

しかし、このままだと会議の後半の2週間は現地に被爆者が滞在しないことになります。つまり、交渉会議最終日に「核兵器禁止条約」が成立することになった瞬間、被爆者が誰も立ち会えないかもしれないのです。

そこで、私たちは会議の後半に、会議を見守る被爆者を追加として1名派遣することに決定しました。計4名の被爆者の現地での活動費も勘案して、目標を50万円に設定させていただきます。

被爆から72年、「核兵器禁止条約」が生まれる瞬間に被爆者を立ち会わせたい!

みんなで支えて実現させましょう!よろしくお願いします!

被爆者を国連に送るために、みなさんのお力を貸してください

初めまして。ヒバクシャ国際署名です。 

知っていますか?今年、核兵器が国際法で禁止されるかもしれないんです。 

今年、世界中から指導者たちが集い、核兵器禁止条約をつくるための国際会議が、国連で行われます。この会議に、わたしたちは、ぜひ多くの被爆者を派遣したいと考えています。

しかし、そのためには皆さまのご支援が必要です。どうか、力を貸してください!

どうして被爆者の方々を国連で開かれる国際会議に派遣するの?

原爆が投下された1945年から、もう72年が過ぎようとしています。広島・長崎の被爆者たちの平均年齢は80歳を超えました。

8月の暑い夏の朝、何気ない日常を過ごしていた被爆者は、一瞬のうちに、家族、友人、恋人、家、将来、身体など、あらゆるものを奪われました。核兵器がもたらす放射能による被害。突然の嘔吐・吐血、原因不明の死.白血病やガンにかかりやすかったりなど、身体への影響は多岐に渡りました。

さらに,こうした被害は、社会的差別を生みました。 

「(病気が)うつる」「奇形児が生まれる」

こうした言葉は,被爆者たちを孤独にさせました。あの日から72年経った今でも、自分が被爆者であることを隠し続けている方は少なくありません。被爆体験を語ることだって、大きなリスクを覚悟の上でのことなのです。それでも被爆者は、どんな言葉を浴びながらも、今日まで「核兵器のない世界」を叫び続けてきました。

「後世の人びとが私たちと同じ生き地獄を体験しないように、生きている間に何としても核兵器のない世界を実現したい」と、訴え続けてきたのです。

 

核兵器禁止条約の交渉は、こうした被爆者の声なしにはありえませんでした。というのも、核兵器の非人道性を訴え続けてきたのは、まさに被爆者だったからです。非人道的な兵器であるならば、禁止されなければならない——これが国際社会のルールです。そしてようやく、本当にようやく、核兵器は「非人道的な兵器」として認められ、禁止されようとしているのです。 

このプロジェクトで実現したいこと

わたしたちは、その国際会議の場に、被爆者を派遣したいと考えています。会議は二回あります。

・3月に一週間

・6月後半から7月上旬までの三週間

核兵器禁止条約の内容の細かいことは、6月後半から、国連のあるニューヨークで話し合われ、決定されます。国連での会議であり、世界核国の首脳や知識人が一同に会します。

私たちは、この後半の会議に、ぜひ多くの被爆者を派遣したいと考えています。

 

被爆者は、今回つくられる核兵器禁止条約が、核兵器廃絶へ向けた確かな一歩に繋がるような内容にして欲しいと、世界の指導者へ呼びかけています。そして、被爆者はこうした「自分たちの願い」を、会議が行われている国連本部の場で、直接、自らのことばで伝えたいと意気込んでいます。

また国際社会では、被爆者のリアルな被爆体験を聞くことは、核兵器禁止条約を議論するうえで、非常に大事なことであるという共有認識があります。このことを特に強く語っているのは、他でもない、核兵器禁止条約交渉会議の議長であるホワイト氏です。

核禁止会議議長「被爆者の声が原動力」 コスタリカ大使(『朝日新聞』2017年4月27日) 

しかし、自らの言葉で伝えたくても、国際的にその声が非常に重要であっても、すでに仕事も退職された方も多く、金銭的に余裕のある人しかニューヨークまでは行けません。今回のクラウドファンディングは、こうした被爆者たちの渡航費・現地滞在費の支援と、被爆者の現地サポート(通訳、現地で身の回りの世話)のために使用するものです。

 

資金の使い道

もし,目標金額の100万円に達成すれば、現地に3人の被爆者を送ることができます。100万円が達成した後、およそ30万円増えるごとに,被爆者の数を一人増やすことができます。(一定数増えると現地スタッフを増やす必要もあるため、その点は別途資金が必要です)

みなさまの支援によって、現地へ発つ予定の一人をみなさんに紹介します。

和田征子さん

(*写真ではマイクを持つ女性)和田さんは、1943年長崎に生まれ、1歳10ヶ月の時に被爆しました。

和田さんの被爆体験についてはこちらのサイトから見ることができます。

「未来と向き合い平和について考える」〜大学生協の戦後70年特別企画

リターンについて

ご支援をいただいた場合のリターンは、以下の通りです。 

3000円(同志が100人集まれば、被爆者一人分の渡航費になります)お礼のメール、国連の旅報告メール

5000円(同志が60人集まれば、被爆者一人分の渡航費になります)日本被団協特注折り鶴ピンバッチ / 被爆者からの直筆メッセージ付きポストカード(いずれか一つ)以上に加えて、お礼のメール、国連の旅報告メール

10000円(同志が30人集まれば、被爆者一人分の渡航費になります)日本被団協特注折り鶴ピンバッチ / 被爆者からの直筆メッセージ付きポストカード / 国連で購入したお土産(限定30個)(いずれか一つ)以上に加えて、ホームページに支援者としてお名前を記載、お礼のメール、国連の旅報告メール

20000円(同志が15人集まれば、被爆者一人分の渡航費になります)被爆者と会っておしゃべりできる権利以上に加えて、ホームページに支援者としてお名前を記載、お礼のメール、国連の旅報告メール 

30000円(同志が10人集まれば、被爆者一人分の渡航費になります)被爆体験講話を開催できる権利(交通費別)以上に加えて、ホームページに支援者としてお名前を記載、お礼のメール、国連の旅報告メール 

50000円(同志が6人集まれば、被爆者一人分の渡航費になります)広島・長崎で被爆者の解説付き平和遺構巡りツアーを開催する権利以上に加えて、ホームページに支援者としてお名前を記載、お礼のメール、国連の旅報告メール

ヒバクシャ国際署名について

ところで、この活動がそもそも何なのかということについて紹介したいと思います。

ヒバクシャ国際署名は、2016年4月、被爆者唯一の全国組織「日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)」を中心に、世界各地の被爆者9名が代表の呼びかけ人となって始まった署名活動です。 NPT再検討会議が開催される2020年に向けて、署名を全国で集め、それらをまとめ、提出を毎年続けています。

 

*NPT再検討会議とは,NPT(核不拡散条約)の運用状況をチェックするために開かれる大規模な会議です。5年に一度開催され、その期間は1ヶ月にわたります。

現在までに集められた署名数は、なんと170万筆を超えました。その数は毎日増え続けています。

 

昨年は日本被団協の事務局次長で被爆者の藤森俊希さんが渡米し、国連総会の第一委員会議長ザブリ・ブカドゥム大使に、直接、56万筆もの署名を提出しました。

さらに藤森さんは、3月に開かれた核兵器禁止条約交渉会議の前半戦にも参加し、国連に赴いています。先述のホワイト議長と面会し、議長は藤森さんに「6月の会議の時にも、被爆者が会議に参加することが非常に重要です」と話されていました。

 

この時、ホワイト議長は、藤森さんに対して「6月の会議のときに、ヒバクシャ国際署名をたくさん持ってまた私に会いに来て欲しい」と励ましの言葉をかけてくださったそうです。また、藤森さんは「核兵器禁止条約」交渉会議にあたりオープニングで国連総会議場の縁台に立ち、被爆体験の証言も行いました。

ヒバクシャ国際署名は、このほか、賛同団体が集まって大規模街頭署名活動を行ったり

被爆者の声を可視化するための集会を行ってきました。

また、核兵器禁止条約についての学習会も開催しています。

そして全国各地で、地域に根ざした活動が展開されています。

広島の活動の様子

長崎での活動の様子

被爆者と共に街頭に立つ田上富久長崎市長(上)、中村法道長崎県知事(下)

この署名は現在国内だけでも10人の知事を含めて570を超える自治体首長や、多数の著名人からも署名をいただいています。

詳細はこちらから→http://hibakusha-appeal.net/3605921516327731239822768.html

 最後に——

この国に原爆が落とされてから、70年以上が経ちます。それまでのあいだ、核兵器はずっと禁止されてきませんでした。「唯一の被爆国」として核兵器禁止の立場を国際的に表明しなければならないはずの日本も、「私たちは核の傘の下にいるから」と、態度を示さないできました。そのことが、どれほど被爆者の心を、立場を、傷つけてきたでしょうか?

核兵器禁止条約は、「核兵器のない世界」に向けた最重要の第一歩です。そして核兵器禁止条約が中身をもつためには、現実に核兵器の被害にあった、その声を組み入れる必要があります。交渉の場に被爆者の方が一人でも多くいることが、核兵器禁止条約を、より良いものにしていくのです。そしてそのことは、回り回って、日本が核兵器のない世界にあって重要なポジションを占めることにもつながるはずです。 

皆さまの温かいご支援を心よりお待ちしております。ほんのちょっとの支援が、100年後の世界で「核兵器のない世界」をつくることになるかもしれません。どうぞ、宜しくお願いします!

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