可愛いどろぼうさんの未来を守るプロジェクト???

■お月見どろぼうと「満月祭」

 皆さん、中秋の名月といえば十五夜が連想されますね。では、「お月見どろぼう」ってご存知ですか!?

 十五夜の夜に子どもたちが近所の家々を周り、『お月見飾り』のだんごを勝手に食べちゃう。なんとも可愛いらしいどろぼうさんのことです。

 「お月見どろぼう」は、古くから各地で伝わる風習です。古来、子どもは月からの使者と考えられていて、お月見の供え物を、この日に限って盗んでいいとされてきました。お供えする側も縁側などの盗みやすい場所にお団子を置くなど工夫していました。

 *多くの人が思い浮かべる「ふる里の風景」が残る『いわき遠野』地域

 

 私達が住む福島県いわき市遠野町は、古来からの十五夜行事を大切に守り続けています

 近年は「満月祭」という催事に発展させて、地域外のお客様もお招きし、ほのかな行灯に囲まれるステージで地元の名手による横笛や和太鼓の演奏、伝統芸能のじゃんがら念仏踊りの披露や茶会などを催しておもてなしをしています。

 『いわき遠野』の良さを広く、多くの皆様に知って頂こうと、地域住民が心をこめて準備をしてきました。

 しかしながら全国的に進行する中山間地域の過疎化は、『いわき遠野』にも影を落としています。住民の減少と共に地場産業は衰退してしまいました。更に、東日本大震災と福島第一原子力発電所の事故による風評被害の影響はまだまだ薄れることはありません…。

 こうした環境変化のなかにも「満月祭」は、地域を愛する若者たちが中心となり開催してきました。沿道には手作りの行灯を灯して、お月見どろぼうの体験コーナーや遠野町自慢の伝統工芸品が並ぶ”うまいもの市“を立てて、今では地域の一大イベントとして認められつつあります。

 地域の振興に自ら頑張ろう、と地元の若者たちが立ち上がり、さらに次の世代を担う子どもたちのために奮闘する、こうした好循環が生まれつつあります。

 *沿道に並べた手作り行灯でつくる『月明かりの小道』

 *じゃんがら念仏おどり

  *たてたお茶は来場された方へふるまいます。

 

「いわき遠野歳時記・満月祭」と和紙

■「いわき遠野歳時記・満月祭」は和紙が重要な役割を果たします

 今年で13回を数えるこの祭りは、夜空に浮かぶ満月と「いわき遠野和紙」で作られた行灯が織りなす光が美しく、訪れた人々を幻想の世界へと誘います。

 和の心とふる里の原風景が残る素敵な遠野町を象徴する祭りです。

 しかし、これまで満月祭を彩り続けた「いわき遠野和紙の行灯」の劣化が深刻です。

 毎年使い続けてきたことにより、和紙を交換しなければならない物が多くなっています。

 

「いわき遠野和紙」の現状

 最盛期には、いわき遠野地区には400人もの和紙漉(す)き職人が活躍し、江戸時代には献上和紙として名を馳せた「いわき遠野和紙」。

 最後の和紙漉き職人瀬谷安雄氏が平成22年(2010年)に引退後、その優れた技は途絶えかかっています。

 現在、「いわき遠野和紙」の伝統を未来に継承する事業が展開されています。

そこで漉かれる和紙は、遠野町の小学校・中学校・高校それぞれの「卒業証書」に使われて毎年の卒業生を讃えています。

 しかし、その事業だけでは和紙漉き職人の生計は支えられません。品質も最盛期の「いわき遠野和紙」にはまだまだ及びません。

 「いわき遠野和紙」が地域の伝統産業として復活するには、「和紙漉き職人の育成」が急務です。安定して和紙の生産を続けて品質をかつての献上和紙に近づけていくためには「いわき遠野和紙」を使った商品を多く販売して、その収益を当てていく必要があります。

 「いわき遠野和紙」の再興は、もう、待ったなし。そのための先行投資が必要です。 

皆様からのご支援金で満月祭で使用する行灯づくりに、『おたすけ和紙』として、全国の名産地から伝統和紙を購入します。

 行灯のみならず「いわき遠野和紙の再興プロジェクト」のひとつに『いわき遠野面 ・つきうさぎ』の製作があります。

 このうさぎ面は「いわき遠野和紙」を再興しようと、地元の高校生の熱い想いから誕生しました。生徒の思いに賛同していただいた地域の婦人会の有志が“貼師”となって技術を磨き5年、約600面あまりを製作・販売しています。

 遠野の人たちはもちろん、「満月祭」に足を運んで下さった方々へ紹介を続けてきたことで『幸運を運ぶお面』として、着実に認知度を高めています。

 「いわき遠野和紙」の生産体制が整うまで『おたすけ和紙』の導入でうさぎ面造りにも支援してまいります。

 『おたすけ和紙』とは、無形文化遺産に登録された石州半紙(島根県浜田市)、本美濃紙(岐阜県美濃市)、細川紙(埼玉県小川町)等の産地から和紙を購入して、行灯やお面造りの材料としてそれらを活用することです。

 加えて、研鑽中の「いわき遠野和紙」漉き職人に、「最高品質の和紙に触れ、それを使うことで、本当の和紙を知る」という、“品質を見極める眼を養う”取り組みも同時に進める目的です。

 今回は、その費用をご支援いただきたいのです。

「いわき遠野和紙」復活の一環として、満月祭とコラボした「がんばれ行灯」も展示して行きます。

 漫画家、作家、芸能人、文化人などの多くの著名人の方々に対して『いわき遠野』の魅力と「いわき遠野和紙」の復活の思いをお伝えする努力を続けてきました。「いわき遠野和紙」の現状を理解してくださった多くの皆様からその復活への活動にご賛同をいただいております。

 行灯用和紙に絵付けをしていただき、作品を特設会場で展示しています。

 

 

わたしたちが「目指すもの」

 将来的に「いわき遠野和紙」の手漉きの技を復活させて、複数の和紙漉き職人を育てます。品質にも誇りを持てるかつての「いわき遠野和紙」を取り戻します。

 定めた品質基準をクリアしたもののみに「いわき遠野和紙」の称号・“お墨付き”を与えることで、品質を保証できる体制を地域で整え、地域の伝統技巧で作る『いわき遠野』産の和紙を通して地域住民の誇りを育みます。

 

 〔起案者の思い〕

 「満月祭」は、12年前に過疎の町といわれた遠野町を存続させるためには、と考えて、昔から地域に伝わる風習「お月見どろぼう」をモチーフに立ち上げました。

 私の子どもが生まれ出生届を出しに役所へ行った時、窓口の女性からお祝いの言葉がありました。「おめでとうございます。今年は、二人しか赤ちゃんが生まれませんでした。地域の宝物ですね」と言われたときは衝撃的でした。このままでは学校は廃校になり、町は消滅してしまう!生まれ育ったふる里が無くなってしまう、という不安を地域の仲間に話したのをきっかけに、ふる里再生プロジェクトが発足して、「お月見どろぼう・満月祭」が誕生したのです。

 ふる里に残る伝統工芸や風習で地域をアピールし、多くの人に遠野を訪れて頂く祭りを立ち上げようと連日竹を割ったり、和紙を張ったりと、商工会青年部が中心となって地域住民が寝食を共にして準備をしました。結果、祭り当日に押し寄せる物凄い人の波を見た時の感激は今も忘れられません。

 平成23年(2011年)第8回は、東日本大震災の影響から開催が危ぶまれました。住む家々が全壊・半壊と被災し、ふる里から他県などへ避難している人たちがいる中で、祭りをやっている時ではないと一旦は中止を決めました。

 しかし、「中止にしたら避難した人たちの希望も、残ってふる里を守ろうとしている人の頑張りも途絶えてしまう。今踏ん張らないと町は消えてしまう、私たちにやらせてください」と青年たちが立ち上がりました。

 町は道路が崩壊し、家々は屋根が壊れ危険な状態にあったために、場所を地元の高校のグランドやサッカー場に移し、高校生の全面的な応援を得て続けることが出来たのです。

 

■「つきうさぎ面」の誕生秘話。

 祭りの開会式で、高校生代表が「思い」を発表しました。

「私たちの卒業証書は地元の遠野和紙です。先輩たちが頂く遠野和紙の卒業証書を見て、私たちもあの卒業証書がもらえるんだと思っていました。多分後輩たちも同じ思いだと思います。しかし、遠野和紙は途絶えようとしています。

 私達は、遠野和紙の存続に何か手助けできないかと和紙で作った「うさぎの面」を考案しました。このうさぎの面が売れて、生産者が生活ができ、いつまでも卒業証書が遠野和紙でありますようにと願っています。」という言葉に、会場にいた地域住民、関係者は一様に歓声を挙げました。

 いわき市全域から遠野町の高校に通ってくる彼らの言葉に私たち地域住民は奮い立ちました。

 

 あれから6年が過ぎた現在、「いわき遠野和紙」の生産者育成は道半ばです。

12年前に製作された行灯が壊れたり破れたり、作り直さなければならない状況にありますが、肝心の「いわき遠野和紙」が十分に手に入りません。

 世界遺産に登録された和紙産地でつくられる伝統和紙を「いわき遠野和紙」が復活するまでの間『お助け和紙』として購入し、本来の過疎対策としての「お月見どろぼう・いわき遠野歳時記・満月祭」を続けながら、交流人口や二地域居住者、移住者などを増やし、時代の変化に即応した新しい町を創ることがプロジェクトの趣旨です。

 多くの皆様からのご指導、ご支援をお願い申し上げます。