近代七宝の祖「尾張七宝」を擁する愛知県七宝町(現・あま市七宝町)の窯元は残り8軒。跡継ぎなし!七宝焼を「消え行く伝統」にしたくない。

尾張七宝の魅力を広め、担い手を集めるために、七宝焼を広める活動にご支援お願いします!

今回のプロジェクトでは、どこへでも持っていける広報素材として尾張七宝の技術をしっかり伝える約30分の映像を制作にご協力をお願いしたいと考えています。

作成した映像は、日本のみならず、日本を訪れる海外の人にも七宝焼の魅力が伝えられるよう、ワークショップ等様々な場で活用を予定しています。そこで皆様の支持があることも含め広めていきたいです。


約200軒あった窯元は現在わずか8軒。消滅は目前。なんとかするなら、今。

 プロジェクトページをご覧いただき

ありがとうございます。

私は、1883年より代々続く

七宝焼窯元 田村七宝工芸の娘、田村有紀です。

△田村有紀(たむら ゆうき) 


愛知県あま市七宝町の七宝焼窯元、

田村七宝工芸の長女として生まれました。

 

武蔵野美術大学 建築学科に入学し、

在学中から卒業後も多分野での仕事を経験させて頂くなかで、

伝統工芸の現状が厳しいことや

七宝焼(尾張七宝)が

途絶えるもはや秒読み段階だと

社会に出ることで身をもって知りました。

 

三代目の祖父 田村幸夫も亡くなり、 地域の窯元さんもご高齢で跡継ぎもいないため次々と看板をおろしていきます。食べていくので精一杯。まれに跡継ぎ希望者がいても仕事が無いので雇ってあげられない。地元に帰るたびに悲しいニュースばかりでした。

 

長い歴史のなかで育まれた七宝焼。

我が家も1883年から続く窯元で、

魅力的であり高い技術を誇ってきたからこそ、

ありがたいことにここまで続けさせていただいているのだと思います。

 

わたしは七宝焼の魅力を一番知っています。

「こんなに美しいものがなくなっていいはずがない」

「なくなったら悲しい・・・いやだ!」

色鮮やかさ、繊細さ、

その実物は本当にかっこよいものです。

わたしが変えたい、守ると決意し、

伝統工芸の道へ。

 

2015年、本格始動。

両親に師事。本格始動と同時に

七宝ジュエリーブランドを立ち上げます。

宝飾品として栄えてきた七宝焼を

よりわかりやすく伝えるためのブランドです。

往年の七宝焼作品と七宝ジュエリーブランドと両立していくことで、

よりたくさんの方に知って頂くキッカケを作ろうとしています。

七宝町の七宝焼、絶対にかっこいいんです。 

守りたい。

 

 

 

改めて七宝焼ですが、七宝焼は宝飾品として、

愛知県七宝町で栄えてきました。

(この地域の七宝焼は技術力も高く、「尾張七宝」とも呼びます。)

しかし現在、200軒以上あった七宝町の七宝焼窯元はうち含めわずか8軒。

 

△田村七宝工芸

四代目 田村丈雅 (たむら たけまさ)

 

ほかのどの窯元も

跡継ぎがいるという噂は聞きません。

このままでは七宝焼の窯元はなくなり、伝統技術が廃れることがもはや秒読み段階に突入。

現状打破すべく、町で唯一の跡取りである田村七宝工芸 田村有紀が先導に立ち、日本の伝統工芸を守るため皆様のお力を借りる場をいただきました。

 

宝のように美しいもの―七宝焼とは

 

七宝焼とは、金属の表面に色とりどりのガラス質の釉薬(ゆうやく)をのせて焼き付けたもので、紀元前から古代メソポタミア文明や古代エジプト文明にあったと言われています。
七宝とは七つの宝という意味で、仏教の経典にある七種類の宝をちりばめたように美しいものという意味で名づけられました。 

シルクロードから、日本へ

日本へは中近東からからシルクロードを通り、中国を経て伝わったといわれています。最も古い七宝は、古墳から出土したもので7世紀頃につくられたと見られています。その後、寺院や城の一部に用いられてきました。近年、ツタンカーメンの仮面にも七宝が使われていることで少し話題にもなりました。

 

明治期の日本、七宝焼は世界の最高峰へ

日本で七宝が広く作られるきっかけとなったのは、1833年に名古屋市に住んでいた梶常吉という人物が作り方を発見したことでした。それから急速に七宝の製造が広まり、愛知県尾張地方は日本の七宝製造の中心地となります。

 

△田村七宝工芸 初代(田村 春治郎)が残した記録です

 

 

1867年にはパリ万博で初めて日本の七宝焼が紹介され、各地の万博に日本からたくさんの七宝焼が出品されて世界的にも評価を得ました。特に1880年から1910年の明治日本では黄金期とまで言われました。

 

戦争により生産中断、苦難の時代を超え現在に至る

その後の第一次、第二次世界大戦といった戦時中の生産中断などを経て苦難もありましたが、

技術を守り続け、1995年に、日本を代表する伝統的な工芸品として経済産業省の指定を受けました。

 

古代から変わらない美しさ、伝統工芸品 七宝焼を広め、守り、繋ぎたい

私は七宝焼が好きです。こんなに綺麗なものがなくなっていいはずない。

 

七宝焼制作、修行を続けるなか、七宝焼の魅力を伝えるべく様々な形でここ3年コツコツと取り組みを行ってまいりました。

 

「より身近に七宝焼を楽しんでもらいたい 」と思い、アクセサリーブランドを立ち上げました。

宝飾品として栄えた七宝焼をよりわかりやすい形で伝えていくフロンティアブランドになればと思っています。もちろん一品一品が手作りで完全に同じものは2つとしてできないことから、その人だけの記念のアイテムになります。

手前味噌ですが、徐々にお客様からの好評の声もいただいております。

 

   

”こんなにカッコよくて 美しいものが なくなっちゃうのは悲しい 嫌だ”

一つ一つは小さい取り組みですが、少しづつ少しづつ知ってくださる方が増え、

その結果ようやくメディアに取り上げていただく機会やイベントのオファーをいただくことも増えてまいりました。

 

 

私の代わりに七宝焼の技術と魅力を伝えてくる映像をつくります。

メディアからのオファーが増え、映像を見ていただける場が増えつつある今が制作のチャンスだと思っています。

ですが、制作を続けながら一人でできることには限界があります。

そこで、みなさまにお力をお借りし、訴求力を高めるアイテムを私にください。

 

これまで取材を受けていても有効な対応ができていたかというとそうではありませんでした。

そのため、メディアに出させていただいても切り口は必ずしも現状を伝えきれているものではありませんでした。

 

七宝焼のPRを考えた時、大事な機会損失だと思いました。 

そういうメディア露出だけでは足りないところを埋めるためにも映像を役立てたいと考えています。 

 

日本の伝統技術の映像制作のプロフェッショナル「ニッポン手仕事図鑑」さんの協力を得られることになりました

今回のプロジェクト立ち上げに際し、ニッポン手仕事図鑑さんをご紹介いただき、映像制作のご協力をいただくことになりました。

 

ニッポン手仕事図鑑さんは、未来に残したいニッポンの手仕事を映像で紹介しているメディアです。

しかし、ただ映像として残すのではなく、映像をきっかけとして人との出会いをつくり、具体的に技術を未来に残していくための場として活動をされています。

 

私もその想いに共感しますし、なおかつ私のワガママを快く受け取っていただいて感謝しています。

 

最大の敵は、忘れられるということ

よく、「七宝焼って知ってるよ!ろくろ回すやつ!」と言われるのですが、

 

回しません!

 

でも、いいんです。そうやって言及してくれる人から増やしたいと思っています。

 

金属工芸とガラス工芸の合わさった特殊な工芸品で、手間や工程数も多い。

しかしその美しい魅力を知ったら絶対に好きになってもらえる。

まずは分かりやすい映像で、七宝焼のことを知ってもらうことからはじめたい。

   

会って七宝焼の魅力を伝えたい・・・直接会いにいきます!

ただインターネットで支援を募るだけではなくしっかりお会いして説明したいと考えています。

プロジェクト期間中、様々なイベントに出させていただくことになりました。

そこで七宝焼を手にとっていただき、本プロジェクトへの支援を募りたいと考えています。

 

イベント情報はレポートで更新しますので、プロジェクトのフォローをお願いします!

 

● 支援金の使いみち

映像制作費 50%

リターン品制作・配送費 30% 

プラットフォーム手数料 20%

 

● 実行スケジュール

クラウドファンディング終了後、すみやかに撮影に入り、年明けの完成を目指します。

 

みなさんの力を借りつつもっと沢山の人に七宝焼を知ってもらう取り組みに暖かいご支援をお願いします!