目標額を達成しました、誠にありがとうございます。新たな目標額を500万円とします!

 目標額が達成できましたのも、これもひとえに『薩摩おごじょ新宿店』を応援してくださり、ご支援いただきました皆様のおかげです。心より御礼申し上げます。 

 目標額は達成できましたが新型コロナウイルス感染拡大による影響は大きく、開店時間を16:00~としてTAKEOUTも始めておりますがお客様が”0”の日が続いたり、緊急事態宣言解除後も非常に苦しい経営状況は続くものと考えられます。そこで、新たな目標額を500万円と設定し、新型コロナウイルス感染収束まで長引く不況を乗り越えられるよう、引き続き精進してまいりたいと存じます。

 今後とも一人でも多くの方に伝わりますよう、皆様のご協力・ご支援の程、何卒宜しくお願い申し上げます。

追記:令和3年1月26日

知覧特攻の母鳥濱トメ・孫
薩摩おごじょ新宿店初代店主 赤羽礼子・次男

二代目店主 赤羽 潤

はじめに・ご挨拶

 当店「薩摩おごじょ 新宿店」は、先の大戦において陸軍特別攻撃隊(特攻隊)の出撃基地となった鹿児島県知覧町出身である私の母 ”赤羽礼子” が、50年以上前に始めた歴史のあるお店です。

 母は ”特攻の母”といわれた鳥濱トメの次女で、自らも”なでしこ隊”の一員として戦時中は特攻隊員の身の回りのお世話をしていました。”なでしこ隊”とはいわゆる女子挺身隊のことで、知覧高等女学校の校章の「なでしこの花」にちなんで名付けられました。私の祖母である鳥濱トメは、知覧町で陸軍指定食堂となった「富屋食堂」を営み、私財を投げ打ってまで多くの特攻隊員に尽くし、無限の愛情を注ぎました。その特攻出撃を見送るたびに、ご遺族へ出撃の様子をを綴った手紙をしたためたりしていました。

祖母・鳥濱トメと特攻隊員

昭和20年4月12日
知覧から出撃する穴澤少尉を見送る”なでしこ隊”

   戦後20年ほど経って、戦争中に特攻隊員として出撃して様々な理由で生還した方が、ひとりまたひとりと母のもとに集まってお酒を持ち寄るようになりました。戦友たちと昔話に花を咲かせ、軍歌を歌ったりして深夜や早朝まで飲み明かす日々が続きました。そこで母はトメに相談し、祖母にこう言われるのです。「私は戦争中にあの方たちの面倒をみた。今度は礼子が生き残った方々の面倒を見なさい。」と・・・。生還した方々の心を癒す場所として母は、東京でお店を始めることにしたのです。

それが、「薩摩おごじょ 新宿店」です。  

 上の写真に写っている、トメの左側で目をとじておられるのが、特攻出撃したものの生還され、戦後に日本全国を巡って、特攻で亡くなられた特攻隊員の遺書や遺品を何十年もかかって集めながら慰霊に奔走し、「知覧特攻平和会館」の初代館長となった「板津忠正」さんです。知覧特攻平和会館は今では多くの方が訪れている場所となりました。そして、板津さんも「薩摩おごじょ」に何度も来てくださいました。

 店名の「薩摩おごじょ」とは鹿児島の女性(美人)という意味で、気立てが良い・優しい・芯が通ったしっかり者などというイメージが定着していますから、母にピッタリであったろうと思っています。
その母も平成17年にこの世を去り、現在はトメの孫である私「赤羽潤」と、女将を任せた妻とふたりで母の代からの常連さんや、足繁く通って下さる皆様をお迎えしております。もちろん、お店を手伝ってくれているバイト仲間もおります!

薩摩おごじょ新宿店初代店主 母・赤羽礼子

 そんな大切なお店「薩摩おごじょ 新宿店」も、昨年春前頃から猛威を振るい始めた”新型コロナウイルス”感染拡大の影響を受け、昨年4、5月は緊急事態宣言や東京都の自粛要請に沿って休業を余儀なくされました。そして、昨年は5月26日から何とか営業を再開することができましたが、ご来店者数は昨年の3分の1以下という日々が続き、それは現在も続いております。前回行ったクラウドファンディングでは皆様から多くのご支援を頂戴し、なんとかお店を継続していこうと精一杯頑張って参りましたが、日に日に新型コロナの影響は厳しさを増している状況です。東京都では依然として新規感染者数は増大し続けており、1月9日からまた緊急事態宣言が発出されるかもしれず、本当に危機的状況から抜け出せないでおります。空気が乾燥しやすい時期となった今、感染者は激増し続け、お店は開いているのにお客様は誰一人来ないということが多々あり、心配と不安は拭い去ることが出来ません。

薩摩おごじょ外観

このプロジェクトで実現したいこと

 新型コロナウイルス感染拡大の影響で、お店は大きな損害を被りました。いえ、それは現在も続いており、かつてない、お店存続の危機だと感じています。昨年は春から初夏にかけて休業を余儀なくされ、営業再開後もお客様は以前のように頻繁においでになることができないでおられます。本年1月8日以降は、二度目の「緊急事態宣言」の発出、飲食店には20:00までの時短営業が求められており、本当に苦しい状態ではありますが、お店は開け続けていきたいと思っています。
 私たちが感染拡大防止対策を徹底しているとはいえ昨年夏のお客様は一昨年の3分の1以下、わずかに期待をかけた昨年の忘年会シーズンも残念な結果でしたし、新年会シーズンである今月も間違いなく不発に終わります。このままではお店がつぶれてしまうかもしれません!しかし、祖母トメや母・礼子の想い、通ってくれた元特攻隊の方々の想い、そして何よりも私自身、絶対にこのお店「薩摩おごじょ」を残したいのです!
 今回のクラウドファンディングでご支援いただいた資金はすべて、「薩摩おごじょ 新宿店」の運営資金に回し、存続をかけてコロナ禍を戦い抜きたいと思います!

新型コロナ流行前の「薩摩おごじょ 新宿店」店内

プロジェクトをやろうと思った理由

とにかく、この大切なお店「薩摩おごじょ 新宿店」を絶対潰してはならない!その想いが一番です!

 先代オーナーである母の時代には、特攻隊員であった方々や元軍人や戦争体験者、そのご遺族・関係者など多くの常連さんでお店は連日賑わっていました。店内には「かきやったもんせ(どうぞ書いてくださいの意味)」、「少飛会 御来店御芳名簿」というノートが複数年間、置かれていました。

 そのノートには旧軍時代の所属や階級、名前、連絡先、イラスト、祖国日本への想い、鳥濱トメや礼子への感謝の言葉、そして戦友への想いなどが書かれ、後日、それを読んだ別の方がまた新たに連絡先を書く。このノートを通じて互いに生存していることを知り「薩摩おごじょ」で再会を果たすという、ドラマも数多くあったようです。

「かきやったもんせ」と「少飛会 御来店御芳名簿」は複数冊に及ぶ

特攻隊員の多くは「少年飛行兵(少飛)」や「特別操縦見習士官(特操)」でした。

元特攻隊員が同期であった戦友の最期を勇ましく描く。知覧から飛んだ特攻隊の多くは「第●●振武隊」であった、隊員の袖に「振武」の文字が見える・・・。

 昨年、戦後75年を迎えましたが、旧軍人や戦争体験者の多くは鬼籍に入られてしまいました。また、お元気でいらっしゃるとしても、ご高齢のためほとんどご来店されることはありません。しかし、そのご家族やご遺族、自衛隊関係者、特攻隊や先人に崇敬の念を持っている方々、先人の想いを後世に伝えるべく頑張っている方々、そして鹿児島料理と鹿児島の美味しい焼酎を楽しみに来てくださる新しいお客様など、多くの方々に支えられています。
 私は祖母と母の遺志を継いで、特攻隊の方々のことを語り継いでいます。講演会だけではなく、場所を選ばず「薩摩おごじょ 新宿店」でも語っています。それは一人でも多くの方に”特攻魂”を知って欲しいからです。”特攻魂”とは、何にも代え難い日本人の矜持、そして、自分よりも他人に優しくすることができるという特別な優しさのことです。

「知覧のおばさん有難う御座います」そこには、永久に知らせます、とある。 平日は東京でお店「薩摩おごじょ 新宿店」を営み、週末は特攻隊の語り部をするために鹿児島知覧へ飛ぶ、母はそんな暮らしを何年も続けておりました。病に倒れた母の手を固く握りしめ「おふくろが守ってきたこのお店、薩摩おごじょとおふくろの想いは俺がちゃんと受け継いで守っていくから! 」と伝えると母は、「潤がやってくれるならそれが一番安心だよ」と言ってくれました。母の手を握っていた私の手の上に、母の大粒の涙がポツン、ポツンとこぼれ落ちてきました。母が亡くなるわずか2日前の出来事でした・・・。

 ずっと母の背中を見てきた私は、母が亡くなった後、お店を受け継ぐだけでなく母と同じように語り部をしながら特攻隊の慰霊顕彰を続けていく覚悟を決めました。 特攻隊の彼らが願ったのは、戦争の無い平和な世の中です。親兄弟、家族や恋人、友人たちが不自由なく幸せに暮らせる世の中です。そして、私はこの「薩摩おごじょ 新宿店」にも、特攻隊員の方々の平和への願いや想いがたくさん詰まっていると考えています。

店に立つ、母・礼子の写真は今も店内に飾っている

だからこそ、絶対にこのお店の魂の火を絶やしてはいけないと思っています。
そのために、ふたたびご賛同いただける皆様のお力添えを頂くことは出来ないだろうかと考えました。

これまでの活動

『新型コロナになんか絶対に負けられない!』そう思って、前回クラウドファンディングを始め、皆様の多大なるご支援を賜りました。改めまして、ご支援くださいました皆様に、この場を借りて心より御礼申し上げます。
 前回はクラウドファンディング自体が私たちにとって初めての試みで、右も左もわからずにスタートし目標額もひとまず1か月分の運営資金の足しになればとの思いで設定しました。ところが驚くほどのスピードで目標額に達し、その後も多くの皆様からご支援を賜りました。
 その皆様のご支援を支えに新型コロナウイルス感染防止対策を充実させ、入り口や洗面所などにアルコール消毒液の設置、トイレの共用タオルの廃止、カウンター席に飛沫防止板のご用意、店内には飛沫防止のビニールシートを垂れ、新型コロナウィルスの不活性化に有効性が証明された「オゾン発生器」クオフューチャーも設置しております。さらに地下なので換気が悪いのではないかとご心配する方々にもご安心頂けるようにサーキュレーターを5台置いて、換気扇も吸引力の強いものに交換するなどの工夫をして営業しております。東京都の「感染防止徹底宣言ステッカー」いわゆる虹色ステッカーも当然取得し、安心してご来店いただけるよう万全に整えております。

オゾン発生器「クオフューチャー」
リターンについて

 前回は「薩摩おごじょ 新宿店」の食事券、貸し切り券などをご用意させていただきました。
お陰様で多くの皆様にご支援いただいて、営業再開後においでくださったお客様もたくさんいらっしゃっいます。
 今回は「薩摩おごじょ 新宿店」の存続が何よりも大切だと考えて、お食事券のご提供ではなく、ご支援くださった皆様とともに鳥濱トメと礼子から受け継いだ”想い”を遺すという部分に目を向けさせていただき、リターンを考えさせて頂きました。

【リターンその1】
 たった一つしかない命を賭して戦ってくださった特攻隊員の姿を模した「特攻勇士の像」を限定数量製作し、特攻隊員の御霊を祀る特攻平和観音様が鎮座する「世田谷観音」様にて読経をいただいたのち、皆様のお手元へお届けさせて頂くリターンを筆頭に、皆様のお心と寄り添ういくつかのリターンをご用意いたしました。特攻勇士の像は今まで出回っているものとは違い、デザインから新たに製作致します。ご支援いただきました皆様の御芳名をお一人ずつプレートにして勇士の像の台座に添付しお届けします。また、皆様のお手元に届くものよりも大きなサイズの特攻勇士の像を製作し世田谷観音様に奉納させていただき、末永くお祀りいただくこととなります。大きな特攻勇士の像の台座のプレートにも、ご支援して頂いた皆様の御芳名を全員記載させて頂きます。その分もご支援に含まれます。
 世田谷観音(世田谷山観音寺)は、大東亜戦争で戦った陸海軍の特攻隊員の御芳名を記載した巻物を胎内に納めた「特攻平和観音」2尊を安置する特攻観音堂があります。昭和30年に知覧の特攻観音堂に安置された特攻平和観音像は、世田谷観音に祀られている特攻平和観音像と同じものをいただいたものです。鳥濱トメも、知覧に特攻観音像を安置するために尽力した一人であることはよく知られています。母、礼子も世田谷観音にはよくお参りに行っておりました。

世田谷山観音寺「特攻観音堂」

特攻観音堂の中に祀られた「特攻平和観音」様 陸海軍の2尊

鳥濱トメも長時間電車に揺られ
東京の世田谷観音まで参拝に訪れた
【リターンその2】
 鳥濱トメの遺した言葉を書いた「薩摩おごじょオリジナル日本手ぬぐい」
知覧に有ります「ホタル館 富屋食堂」で販売している鳥濱トメの言葉が書いた日本手ぬぐいの、薩摩おごじょオリジナルデザイン版を作成します!

【リターンその3】
 母の著書「ホタル帰る」文庫本と母・礼子の名刺(復刻版)のセットをご用意させて頂きたいと思います。「ホタル帰る」は、先の大戦で知覧から出撃した特攻隊員の方々と鳥濱トメ、そして当時15歳の女学生で知覧高等女学校の生徒で結成された”なでしこ隊”(特攻隊員の方々の身の回りのお世話をした)であった母自身の体験をもとに書き上げた、後世に遺したい一冊です。一人でも多くの方に見ていただきたいのです。そして、母が「薩摩おごじょ 新宿店」でお客様にお配りしていた名刺の復刻版も特別に一緒にお付けしたいと思います。

【リターンその4】※カートエンターテイメント 柿崎ゆうじ監督 全面協力!

 祖母・鳥濱トメと母・礼子の想いを受け継ぎ、私が「薩摩おごじょ 新宿店」の店主となったことや、この事実を後世に残す為に舞台や映画などで伝えてくれている方々がいらっしゃるという実話を基に描かれた映画『さつまおごじょ』。この作品を作ってくださった柿崎ゆうじ監督からも、この度のクラウドファンディングにご支援・ご協力を賜ることになり、なんと!再編集を施した『さつまおごじょ』特別編集版の公開が決定しました!
 こちらのリターンでは、特別編集版の『さつまおごじょ』が劇場公開される際に、このリターンにご支援してくださった皆様のお名前といただいたメッセージ(15文字程度)をエンドロールにて流させて頂くことになりました!さらに、支援者の方は公開の際に劇場にご招待させていただきます!

実施スケジュール

 映画『さつまおごじょ』特別編集版の公開をのぞき、そのほかのリターンは3~4月頃着手し8月頃までにお届けできるように準備、計画しています。「特攻勇士の像」の作成に関しては、少々長めに期間をいただきたいと思いますので少々お待ちいただくかと存じます。映画『さつまおごじょ』の公開については本年中を予定しておりますが、こちらも少し気長にお待ちいただきますようお願い致します。

映画「さつまおごじょ」のワンシーン

 私たちにとっては、皆様にお店に来ていただいて元気な笑顔を拝見するのが一番の喜びです。ですが、新型コロナウイルスの影響は大きく、収束の目途は未だたっていません。
私たちは皆様との再会を楽しみにして、感染防止対策を万全にした「薩摩おごじょ 新宿店」で、いつでもお待ちいたしております!

最後に

 このお店の名前「薩摩おごじょ」とは、最初に言った通り鹿児島の女性(美人)という意味で、美人なだけでなく気立てが良く、優しい、芯が通ったしっかり者の女性を指した方言ですが、このお店の名前は、ある特攻隊員の方が、当時知覧高等女学校の生徒だった私の母に 「礼ちゃんがお店をやるなら、店の名前は「薩摩おごじょ」がいいよ」とおっしゃっていただいたのがきっかけです。
 そのときのことは母が当時つけていた日記にも記しており、「富屋食堂」に足繁く通ってくださった特攻隊員の方が、将来、礼子が鳥濱トメのように飲食店を営むのであれば是非にと言ってつけてくださった大切な大切な名前で、礼子はその特攻隊員との約束を守ったのです。

在りし日の「富屋食堂」

知覧の特攻慰霊祭で祖母トメと母の礼子

 母は晩年ガンを患っていましたが、平日は毎日お店に立ち、週末は知覧で語り部をするという過酷なスケジュールを繰り返しながら、どんなに辛くても無理をしてお店に立っていました。ついには、お店の入り口の階段を昇り降りできなくなるほど体が辛くなって、お店を休んでやっと病院で診てもらったときにはすでに手の施しようがありませんでした。亡くなる2か月ほど前のことです。私はその時、何としてでも母の想いを残さなくてはならない、特攻隊員の方々の想いを伝えていかなければならない、そう考えてお店を継ぐ覚悟を決めたのです。

あれから、14年が過ぎました。

何とか今までお店を続けてこられたのは、皆様の支えがあってこそです。
そして今、お店を続けられるかどうかの瀬戸際を迎えています。このまま新型コロナウイルスの猛威が収まらなければ、ご来店者様が以前のような人数に戻らなければ、いつ、お店を開けられなくなってしまうか予測も立ちません。しかし、やれるだけのことは精一杯やります!

 祖母・鳥濱トメと母・礼子の想いを決して絶やしてはいけないと思っています。そして、ぜひ、皆様のお力をお貸しいただけませんか。ご支援頂いた皆様と一緒に、この大切なお店「薩摩おごじょ 新宿店」を護り続けていければと思います。

どうぞ、一人でも多くの皆様の想いとお力をご支援頂けますように心よりお願い申し上げます。

薩摩おごじょ新宿店二代目店主・赤羽潤と女将である妻の康予

知覧特攻の母鳥濱トメ・孫
薩摩おごじょ新宿店初代店主 赤羽礼子・次男

二代目店主 赤羽 潤


※本プロジェクトはAll-in方式で実施します。目標金額に満たない場合も、計画を実行し、リターンをお届けします。
※本プロジェクトは、CAMPFIREの新型コロナウィルスサポートプログラムを利用させていただいております。 機会を提供いただいたCAMPFIRE様に感謝いたします。

  • 2021/06/25 13:12

    皆様、薩摩おごじょ新宿店店主の赤羽潤です。「祖母・鳥濱トメと母・礼子から受け継いだ『薩摩おごじょ』を絶対に護りたい!」クラウドファンディングで皆様よりいただきましたご支援のリターンを発送いたしました。今回は、母・礼子の著書「ホタル帰る」の文庫本や、母が店(薩摩おごじょ)でご来店の皆様にお渡しし...

  • 2021/06/12 19:23

    こちらの活動報告は支援者限定の公開です。

  • 2021/02/27 08:36

    薩摩おごじょクラウドファンディング 「祖母・鳥濱トメと母・礼子から受け継いだ『薩摩おごじょ』を絶対に護りたい!」が昨日、深夜0時を持ちまして終了致しました。この度、お陰様でたくさんの皆様からのご支援をいただきまして、先ずはこの場をお借りして感謝の気持ちとともに御礼を申し上げます。本当に有難う御...

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