〜はじめに・ご挨拶〜

こんにちは。戸野塚涼と申します。

まず始めに、数あるプロジェクトの中から僕の挑戦に目を通していただき感謝致します。

そしてお先にお伝えしようと思います。


僕は一度自分に目を背け、夢から逃げた男です。


そんな男の挑戦です。

長くはなってしまいますが、最後まで読んでいただければ幸いです。


僕は埼玉県で生まれ、幼少期からサッカーを始め、日本代表になりW杯で優勝することを夢にプレーをしてきました。

そして今現在、海外挑戦への準備とコンディション調整のため日本でプレーをしています。

2021年1月〜3月の期間でスペインでトライアウトを受け、自分の精一杯の力とエージェント、周りの方々のおかげでなんとか契約を掴み取ることができました。

そしてこの契約をきっかけに、日本人(アジア人)とスペイン人主体でリーグ制覇を目指そうという新しいスタイルを持つ

"パラモスCF"(スペイン5部)

というチームへ挑戦する機会を頂きました。

説明のように僕は、

海外でプロサッカー選手になり、日本代表まで登りつめW杯で優勝することを目指す男です。

スペイントライアウトにて(UB Conquence)


〜これまでの歩み〜

少し長くなってしまいますが、僕のこれまでを僕なりの熱量で伝えさせてください。

最後まで読んでいただければ幸いです。

僕は、幼少期、土日休みに必ず父親と一緒に我が家のおもちゃ袋という野球ボールやグローブ、プラスチックバット、バトミントンセット、フリスビーなど様々な物が入った袋を持ち、自転車で小学校へ遊びに行くことが日課でした。

その中でいくつかのスポーツに触れ、

1番楽しく夢中になれたのがサッカー

でした。


そして小学時代、地元の少年団に入団をしました。

少年団時代 前列右から2番目

そんな小学時代、休み時間は校庭で友達とサッカー。

学校が終わり、ランドセルを置き、ボール持って外へ行きサッカー。

少年団の練習が終わり午後になったらサッカー。

サッカーをしていたら小学生時代が終わっていたと言っても不思議ではないくらいサッカーだけを友達と共にしていました。

少年団ではサッカーの楽しさ、点を決めることの感動を思う存分に経験することができました。


そんな自分はあっという間に中学へ入学し、1年生までは部活動ではなく、地元のクラブチームに所属をしていました。

しかしなかなか自分がチームへフィットできず、退団をし2年生からは通っていた中学校の部活動に所属していました。

中学時代のサッカー部での一枚。当時の部長が怪我の離脱により初めてキャプテンを務めました。

しかし

小中ともに、これといった大きい大会での優勝や県大会への出場などもすることはありませんでした。


そして高校入学の年。サッカーもいよいよ本格的になってくる年齢でした。


大事な高校選びの際、この選択肢によっては今後のサッカー人生が大きく変わるかもしれない。今ならばこのようなことが言えますが、

当時15歳の人間的にもメンタル的にも未熟だった自分は、

"サッカー"

というスポーツをまったくわかっていませんでした。


本当の勝負の世界やその厳しさなどを知ることもなく、ただ地元の少し強い高校に入学し、部活動に励めば選手権へ出られる。そう考えていました。


そして僕は当時、数年前に埼玉の名門、武南高校を下し県大会ベスト8まで行き当時勢いのあった越谷西高校へ入学し、サッカー部に入部します。

ここから駆け上がってやる。

選手権へ出場してやる。

と勢いだけで意気込んでいました。

しかし僕の高校サッカー生活はそんな当時の自分の想像とはかけ離れた

"本当の現実"

と当時のそれまでの自分が経験してこなかった

"苦痛"

の高校サッカー生活が待っていました。


入学時、僕達は県リーグ2部に所属していました。1年生から2年生にかけてはリーグ戦にレギュラーとして何試合か出場をしました。

また、その1年生時を評価され、2年時には当時のトップチームにも帯同し練習に参加するなどもしました。

入学当初、リーグ入れ替え戦時
前列右から2番目


しかし練習に帯同するだけ、トップチームへ上がってもレギュラーとして出場することはなくトップの2軍で過ごす日々でした。

こんな状況に焦ってしまう自分は空回りし、怪我のループにハマってしまいました。


そして、


そんな日々の中、気づけば総体、選手権共にレギュラーとして選ばれることはありませんでした。


中途半端な自分に嫌気がさしながらプレーをしては空回りをし、復帰するも怪我をしての繰り返しに悩まされている間に気づけば2年が経ち、最後の年でした。

抜けられない怪我のループの中、自分の学年になって序盤の時期はレギュラーで出ることはほとんどありませんでした。

前列 左から2番目

そんな時、僕は当時2年時に担当されていた顧問にこう言われました。


『入学当初はお前と〇〇をチームの軸として考えていたが、今じゃ見る影もないな。』


ただ、この顧問の方は決して悪い方ではなく、選手の意見にもしっかり耳を傾けてくれる先生でした。選手に期待していることを直接伝えてくれ、モチベーションも上げるのが上手な方でした。


でも正直、今でも鮮明にあの風景を思い出せるくらいあの時の僕にとっては辛い瞬間でした。


そして、僕は考えます。

このままで終わってしまっていいわけがない。

これまでサッカーをプレーしてきたプライド、

そしてこんなに大好きなサッカーをここまでやってきて、結果を残せていない自分への焦り、

そして何より負けず嫌いであった自分が周りに置いてかれていく焦りや苛立ち。

最後の学年、最後のチャンス。全てが報われるよう全力で挑もう。そう心に決め毎日ボールを追いかけました。


しかしそんな心意気が、狭い視野での行動が、裏目に出てしまいました。


秋の時期の選手権県予選前、僕は何ヶ月か前から背中と腰に違和感と痛みを抱えながらプレーをしていました。

練習が終われば背中はガチガチになり、呼吸がしにくく、体が何倍にも重く感じました。休む訳にはいかず、当時思いつく限りの手当を試みましたが良くならずついには少しでも気を紛らわせようとコルセットを付けながら練習や練習試合などに臨んでいました。

しかし、良くなる兆しは見えず、とうとう1試合の前半分の時間も動けなくなり途中交代を余儀なくされました。

感覚的に軽症ではないことは分かっていました。でもプレーが全く出来ていないわけではなかった。こんなことを呪文のように自分の中でループしながら病院へ行き診察を受けました。


結果僕は、


腰を疲労骨折し、1ヶ月間の運動禁止と診断されました。



当時診察をしたのが7月の下旬。そこから1ヶ月間は運動禁止。そこから復帰をし練習や練習試合に参加して、そして試合へと考えても予選に間に合う可能性はとても低い状態でした。



僕は選手権に向けて最後の1番大切なレギュラー争いの時期をグラウンドの外で迎えていました。


そして、


チームは選手権県予選一回戦敗退。

僕の高校サッカーは不完全燃焼で幕を閉じました。


チームの敗戦を応援席で見つめ、涙を堪えながら仲間を励ましに行ったあの瞬間は自分の無力さに押し潰されそうでした。


2年時にトップチームを共に戦った友人は当時の試合に出場していたのですが、その彼を励ましに行った時に言われた言葉、


『もったいない怪我ばっかすんなよ、お前なんで出てねんだよ。』


少し泣きながら、でも、泣くのを抑えて少し笑いながら言われたこの言葉に僕は

『悪い、ごめん。』

としか言えませんでした。



選手権が終わりしばらく経ち怪我は癒えて、卒業を迎えるまで一般受験組などが少しずつ活動から離れていく中、僕は残されたリーグ戦などに全力で挑みました。

高校最後のリーグ戦時 中央13番



そして高校卒業後、当時関東大学サッカーリーグ2部に所属していた東京国際大学に入学をします。


しかし、すでに身体の傷は癒えていましたが、心の傷は自分が思っていたものより深いものでした。


当時の僕は、

このままサッカーを本気で続ける気があるのか。

またサッカー部へ入部してレギュラー勝ち取れる実力があるのか。

怪我と自分の未熟さ、甘さによって終わった高校サッカーで目の当たりにした負のイメージ、そこから夢を失い将来への不安を抱え自分に疑問を持ってしまった僕は、


自分から、サッカーから逃げてしまい、サッカー部へ入部をしませんでした。


しかし、この挫折が

"本当の自分"

を見つけるきっかけとなりました。


路頭に迷った僕は、大学2年時にアメリカへ約10ヶ月留学をしました。

プログラムの一環でアメリカの世界遺産を巡った際の一枚
景色や壮大さに自分の悩んでいることも小さく思えました。

そこで僕が出会ったのは、


自分のやりたいことを黙々とやり続ける現地の学生や現地でサッカーを通して出会った友人達でした。


夢に対して真っ向から挑み夢に必要なことに対して1つずつ取り組んでいる姿。そして何より、楽しそうになんの疑いもなく自分のやりたいと決めたことに対して突き進んでいる。


そんな日常を当たり前かのように毎日過ごしてる姿を目の前にした僕は、とんでもない衝撃を覚えました。

現地で出会った友人の1人。
サッカーはプレーしていませんでしたが、ご飯に一緒に行ったり遊びに行ったり大切な繋がりができました。

ジャンルは違えど、夢は夢。

迷っている、ただ不安の渦の中生きている時間がもったいない。

自分にしっかり向き合って、素直になり勇気を出して前に進んでみないと何が起こるかわからない。


そんなことを感じさせてくれた日常のおかげで、僕はもう一度自分の夢を追いかけようと決意することができました。


そこから僕は、現地で出会った人々とプレーをし

"サッカーを夢として追いかけること"

サッカーというスポーツの素晴らしさを再認識することと同時に、

"人種の違う人々とプレーすることで分かち合える喜び"

を知ることができました。


現地の大学で開かれた大会に仲間と参加した際の写真。
なんの公式戦でもない試合でしたが間違いなく僕のこれからにとって大事な瞬間でした。




留学を終え帰国をした僕は、社会人チームのさいたまSCに入団をしました。2シーズンプレーをしましたが、夏にチームを退団し、その年の冬に都リーグ2部に所属するHBO東京に入団をしました。

都リーグ戦時 前列中央


このチームは、海外への斡旋を主軸としながら都リーグを戦い、選手の準備のサポートやコンディション調整をし、海外へ送り出すという独自のスタイルを持ったチームで、自分に合っていると思い、入団を決意しました。


約1年間プレーをし、活動資金などの準備を整え、僕はチームと提携しているFCエクサというスペインを中心にトライアウトなどを展開しているエージェントの協力の元、今年1月トライアウトを受け、契約内定をいただきました。


〜戦歴〜

2004年〜2010年 大宮流星サッカースポーツ少年団

2010年〜2011年 見沼FC

2012年〜2013年 春里中サッカー部

2013年〜2016年 越谷西高校サッカー部

2017年 アメリカ オレゴン州留学(現地の地域クラブなどでプレー)

2017年〜2019年 さいたまSC(埼玉県リーグ2部)

2019年〜2020年 HBO東京(東京都2部リーグ)

2021年1月〜3月 El Álamo (テルセーラ)トライアウト参加

         UB Conquence(上に同じ)トライアウト参加


      挑戦は続く


〜このプロジェクトを立ち上げた理由〜


僕はなぜこのプロジェクトを立ち上げたのか、理由は2つあります。


まず第一は、このチャレンジにおいての活動資金面への問題解決を目的としていることです。


僕だけでは当然ないのですが、皆様も影響を受けておられるであろう新型コロナウイルスによる緊急事態宣言などの店舗の縮小や時短営業による収入減。自分はアルバイトによる貯蓄を海外挑戦への活動資金としています。


しかし、このコロナ禍の影響により以前のように思うように貯金をすることができず、今も厳しい状況が続いているのが現状です。


もし現状のままで現地で生活していくとなると、この問題が自分の目標への障壁となる可能性が高いと自分は考えます。


ですので、少しでも目標へ到達するため障壁を小さく、そして目標への道筋を確保していくための1つの方法としてこのプロジェクトに挑戦し、自分の夢を叶えたいと考え、こちらを立ち上げました。


そして理由の2つ目としましては、


このプロジェクトにより自分の経験やそこから学んだ様々なことを少しでも多くの今何かに迷っている人達へ知っていただき、何かのヒントや希望になっていただければと考えたことです。



これまでの歩みで綴った通り、僕のように夢から一度逃げ、たとえ自分から目を背けるようなことがあったとしても、わずかなきっかけや自身の行動次第で、再び夢を追いかけることができる。本当の自分を見つけることができる。そしてまだ夢の途中ではありますが、人生において好きなことを追い求め、この瞬間を悔いなく生きること。その素晴らしさを僕の挑戦で少しでも伝えたいです。


〜資金の使い道〜


ご支援して頂いた資金は、自分の貯蓄と併用をし、契約に至るまでの渡航費やビザ申請代、そして契約後、現地で必要な資金、現地での生活費などの一部として使用させて頂きます。


*現地で必要な資金とは、現地では寮生活になる可能性があるのでそこへの入寮代やその他生活する上で必要な支払いに使用させていただこうと考えております。


*現地での生活費とは、生活していく上で必要な生活必需品、リーグを戦う上で必要なサプリメントの購入などに使用させて頂こうと考えております。


-スケジュール-

6月末日 クラウドファンディング終了


7月上旬 スペイン渡航、チーム合流、契約


契約決まり次第詳細はお知らせします!


7月下旬 リーグ開幕。


8月上旬 リターン発送開始。(リターンの種類によっては帰国後のリターンとなる可能性もございますのでご了承ください。)


〜最後に〜

最後まで読んで頂けた事大変嬉しく思います。本当にありがとうございます。

僕はサッカーのエリートでもなく、全くと言っていいほど"無名"です。

しかしこれは同時にチャンスであり、可能性を秘めています。

そして、一度は自分自身とサッカーから逃げた僕の目の前に現れたチャンス。挑戦できること自体が奇跡です。けれども、ここで終わってしまってはいけません。僕の夢はまだこの先です。また不完全燃焼で終わってしまうわけにはいきません。ただの奇跡で終わらせず、僕自身が海外の地で活躍する事、目標を叶えていく事が、何よりの皆様への恩返しであると僕は考えます。

同時に、その時はわずかな可能性でも何かの出会いや、自分の行動、夢を諦めないことで後に物事は叶えられるという

"可能性の証明"を僕はこれから体現していきたいと考えています。

そして皆様の応援、またご支援によって僕はもっと強くなれます。

今頃、戦ってるのか。そういえばあの人どうなったんだろう。どんな形でも構いません。皆様の記憶に少しでも残るような、印象付くような選手にこれからなっていくよう精一杯頑張ります。


その未来のために僕の背中を押していただける皆様是非応援、ご支援の方よろしくお願いいたします。


最後まで読んでいただきありがとうございました。


本プロジェクトはAll-in方式で実施します。目標金額に満たない場合も、計画を実行し、リターンをお届けします。

  • 2021/07/17 17:52

    皆さんこんにちは。戸野塚涼です。梅雨も明けて暑さがいよいよ本番を迎えてきました。コロナといい、猛暑といい慌ただしい夏ですが皆様が元気であること願っています。本題へ。皆様へお知らせしなければいけないことがあります。先日、トレーニングの最中左足首を負傷しここまで実は出来る限りのリハビリを続けてきて...

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    皆様こんばんは。戸野塚涼です。1ヶ月続いたクラウドファンディングも今日をもって締め切りを迎えます!目標金額まであと約50万円。残された時間は3時間。伝えたいことは山ほどありますが、これが今の僕の現状です。ただ終了を迎えるまで、奇跡も起こるかもしれませんし、少しでも前進することもできるかもしれま...

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    皆様こんにちは!戸野塚です。体にお変わりなく元気に過ごされていること願ってます。5月21日に始めたプロジェクトもあっという間に1ヶ月が経ち、残り5日となりました。ただいまの時点で20万円を超える支援を頂き、感謝と驚きの連続です。ありがとうございます。そしてなにより驚いていることはこのプロジェク...

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