はじめまして
seki_tomoyuki です
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初めてのプロジェクト

1978年生まれ、新潟県出身。東京大学法学部卒業。聖学院大学博士後期課程修了、博士(学術)。専門はキリスト教学。キリスト教の牧師。明治学院大学社会学部研究所研究員、共立女子短期大学非常勤講師、日本薬科大学非常勤講師、東京工科大学兼任講師、アイプレス 映像情報事業室長、G&M文化財団事務局長 などを経て、現在、フェリス女学院大学非常勤講師。製作しているドキュメンタリー「忘れがたきふるさと」の駿河敬次郎先生とは20年以上の交流(東大YMCA寮の先輩・後輩)。4人の子供、めろんが好き。

本ドキュメンタリーの予告編を作りました。まずはこちらを ご覧ください(2022年3月17日)


News

○お陰様でプロジェクト開始5日目で目標額を達成することができました。心より感謝申し上げます。この作品が必要な方に届きますようにと想いをこめて、Next Goalを設定しました。(2022年3月5日)

○お陰様で200%を達成することができました。製作費に必要な300万円まで、少しでも近づけたらと思っております。ご支援くださったお一人お一人に感謝しております。(2022-04-06)



ごあいさつ

はじめまして!関智征(せきともゆき)と申します。

100歳現役医師・駿河敬次郎(するがけいじろう)先生のドキュメンタリー作りに挑戦します。駿河先生は何万人もの患者を助けてきました。私自身、先生に2年前に命を救われました

私は2019年に大病を患いました。周囲も匙を投げるような深刻な精神疾患でした。街中でいきなり人前で大声で叫びだす発作が止まらなくなったり、まっすぐに歩けなくなったり、歩いていると足に力が入らなくなりその場にうずくまったりしていました。貧困妄想、罪業妄想にも悩まされました。死に直面していました。



と私は思っていました。

異常な症状の私のことを心配し、駿河敬次郎先生は99歳でリハビリ中なのに、よりそってくださいました。

この駿河先生の言葉が救いでした。

死の危険がなくなった後も聴覚過敏であらゆる音を聞くのが辛くなったり、記憶力が弱くなり簡単な文字も書けなくなりました。喜怒哀楽の感情コントロールができなくなったり、苦しみましたが、心ある人の支えの中で、私は回復してきました。

リハビリ中は、駿河敬次郎先生のことを世の中に知ってもらうことが私の生きる目標になりました。


<駿河 敬次郎 先生プロフィール>

1920年石川県生まれ。1944年東京帝国大学医学部卒業。100歳の現在も東京・駒込にあるノアクリニックで現役医師として働く。78年間の医師生活の中で、小児外科のパイオニアとしてサリドマイド児や胆道閉鎖症の赤ちゃんなど難しい乳幼児の治療の道を切り拓いてきた。一人一人の患者を大事にし、少なからぬ患者と手術後も何十年にもわたる関係を築いている。


105歳まで現役医師として働いた日野原重明先生をご存じの方も多いかと思います。地下鉄サリン事件の時に聖路加病院で多くの被害者を助けたり、新老人の会を結成するなど活躍された医師です。

駿河敬次郎先生は日野原重明先生と ほぼ同世代です。お二人とも医師としての実績は卓越しておられるのに、威張ることなくニコニコしているところが似ています。

しかし、お二人のキャラクターで正反対な部分もあります。 日野原先生は陽のあたる道を歩いてきました。医療分野で多くの貢献をされただけでなく、日野原先生の活動が歳を重ねる中での積極的な希望を人々に与えてきました。

一方、駿河敬次郎先生は、現在、町医者として目立つことなく仕事をされています。駿河先生ご本人も過去の偉業を語らないので、知る人ぞ知る名医という感じです。

お二人はクリスチャン医師ですが、聖書には「地の塩・世の光」ということばがあります。「地の塩」とは、目立たぬ行いで人のために尽くし社会の腐敗を防いでいく人です。一方、「世の光」とは、灯台の光のように人々に行く道を指し示し、目立つ行いで希望の光として明るさ、励ましを人々に与える人を指します。

私は

と感じています。

「世の光」として注目されてきた日野原先生には多くの著書や動画、写真が残されています。

他方、「地の塩」として縁の下の力持ちとして活動してきた駿河敬次郎先生の文書、動画・写真などの記録はオンラインではほとんど存在せず、紙の資料がバラバラになっています。誰の目にも触れられぬまま朽ちていったであろう資料を整理しながら、過去にもお世話になった医師の方に想いを馳せました。

私が駿河先生という素敵な医師に出会えたように、今病気で苦しんでいる方が良き医師に出会えるといいなという想いが、この作品を作る動機です。


駿河先生は戦後すぐの文字どおり物もないお金もない時代に小児外科という前人未到の分野を切り拓いてきた方です。先生は胆道閉鎖症など難病の治療に取り組み、何万人という赤ちゃんの生命を救ってきました。私は先生とは20年来のテニス友達であり 学生寮の先輩後輩なのですが、私が知り合った時は既に80歳でカワイイ町医者おじいちゃんでした。今回ドキュメンタリーを作るにあたり、初めて先生が世界的な医師だったことを知りました。

手術中の駿河先生。

「絶対絶命のピンチに立たされた時、特に一緒に手術をさせて頂いた時など、先生の身体中からメラメラと危機から脱出するための実に人間離れした執念がほとばしりでるのを見たことが何度かある。」
(宮野武、順天堂大学名誉教授)


駿河先生は、ご自宅の近くにノアクリニックという病院を90歳を過ぎて新たに開業されました。リタイアするタイミングはたくさんありました。しかし、ご自分の体力にあわせて、100歳を超えた今もできる範囲で医療行為を続けています。


①ドキュメンタリー概要

・作品時間:約25分の予定(ショート・フィルム)
・上映場所:オンライン上映および完成記念イベントでの上映(都内ホールを予定)

・完成予定:2022年10月

取材撮影風景
・今までにインタビューした方々(敬称略)


②実施スケジュール


ドキュメンタリー製作日記(14ヶ月毎月書いています)


追伸

皆様から「関智征さんご自身の回復のストーリーを知りたい」というお声を頂き「メイキング映像」も作ることにしました。

メイキング映像は、私がどのように駿河先生作品を作る中で病気の困難を乗り越えようとしたかを記録に残したものです。私が障害手帳2級の逆境で筆舌に尽くしがたい葛藤がありました。痛みや悲しみなどを抱えトラウマによるフラッシュバックを繰り返しました。でも、哀しみが駿河先生や周りの方との関係性の中で少しづつ癒やされていったのです。その過程をダイジェスト映像でまとめました。

おわりに

ある時、支えてくれている方から「関さんの希望になるものを見つけましょう」と言われました。その時に思い浮かんだのが、駿河先生の顔です。そこで先生に恐る恐る「先生の人生を記録したいです」と話してみました。先生ご自身は、自分の生涯を世の中に知らしめることに興味のない方なので断られるかなと思っていました。

しかし、先生は

と言ってくださいました。このドキュメンタリーを作ることを許してくださったこと自体も、駿河先生の私への治療の一つのような気すらしています。


  • 2022/06/13 17:53

    100歳現役医師ドキュメンタリー製作を支えてくださり、心より感謝申し上げます。お陰様で製作も6合目あたりまで進みました。現在、編集作業を進めております。駿河敬次郎先生ご本人も体調を崩しておりましたが、回復されてきました。先生がお元気なうちに完成させたいです。以下は5月の製作日記です。https...

  • 2022/05/06 09:08

    100歳現役医師ドキュメンタリーを支えてくださり、心より感謝申し上げます。4月9日でクラウドファンディングが終わり、編集作業のフェイズにプロジェクトは移行しました。4月後半、編集作業がスタートし、撮影した膨大なインタビュー素材(ラッシュ)をチェックする作業をしています。駿河敬次郎先生ご本人の体...

  • 2022/04/09 20:39

    本日イベントをしまして、私が駿河敬次郎医師ドキュメンタリー作品を作るに至った経緯をお話ししました。その中で友人の映画監督・小田ヒロさんの「作品を作ることで、新しい自分に出会う」という言葉が心に響きました。私自身、ドキュメンタリーを作るプロセスで、自分の感情に初めて向き合うことができ、回復のきっ...

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