劇場ステージでの踊り発表会を終えた子どもたち

2021年11月2日、株式会社わらび座は民事再生の開始決定を受けました。

本プロジェクトは、事業を承継する一般社団法人わらび座と株式会社あきた芸術村が実施します。

▷わらび座の民事再生について(リンク)



はじめに・ご挨拶

私たちわらび座は「民謡の宝庫」と呼ばれる秋田県仙北市に本拠地を置く、昨年創立70周年を迎えた劇団です。主に5つの公演チームでミュージカルや歌舞ステージなど年間約800回の公演を全国で行っています。

しかし、2020年からの新型コロナウィルス感染拡大により経営は急激に悪化し、わらび座は存続の危機を迎えました。
修学旅行の受け入れや公演が中止となり、収入のほとんどを失った私達に手を差し伸べて下さったのは全国の皆様でした。
総額1億円以上にのぼるご支援を受け、感染症予防対策を徹底し、経費節減に努め、補助金や助成金も活用しながら事業を継続してきましたが、長引くコロナ禍により多くの公演が中止を余儀なくされ、2019年度13億5千万円の売上高が2020年度は5億3千万円まで落ち込みました。2021年の修学旅行は半分まで戻りましたが、一般のお客様や全国公演は半分以下にも戻らず、いよいよ資金も底を尽き、11月2日に「株式会社わらび座」は民事再生の開始決定を受けました。

それでもどん底に陥った私たちに、「わらび座の灯は消してはならない」と声をかけて下さった方々がいます。
わらび座の事業は決して自分たちだけのものではなく、心の灯を求める皆様のものです。だからこそ、私たちは諦めてはいけないのだと思っています。
今後は新法人の「一般社団法人わらび座」、および「株式会社あきた芸術村」へ事業を承継することを前提に、多くの方々のサポートと支援をいただきながら再生を図りたいと考えています。
つきましては、趣旨をご理解いただき、皆様のご支援とご協力を賜りますよう、何卒お願い申し上げます。

わらび座の歩み


1951年、東京新宿で3人の若者がアコーディオン一つ持ち、戦災復興に従事する日雇いの人たちを慰問することから始まりました。いろいろな歌や踊りを演じる中で、一番喜ばれたのが日本の民謡でした。ふるさとから離れ、戦争に傷ついた人たちを励ます民謡の力はどこから生まれるのか? その源泉を求めて、1953年、9人になった若者たちは秋田に向かい、根を下ろしました。そして「わらび座」と名付けました。

 創設者・原太郎は、その思いを次のような詩にしています。

   黄に 紅(くれない)に 花は咲かねど
   わらびは根っこを誇るもの
   人の営みのあるところ どこにでも
   根を張り 葉を繁らせる
   山は焼けても わらびは死なぬ

山菜の「わらび」は、華やかな花をつけることはありません。でも、その根っこはでんぷんを蓄えます。かつて人は飢饉の時、土からわらびの根っこを掘り起こし、すりおろして食べ、飢えをしのぎました。また、山火事の後、最初に芽吹くのが「わらび」とも言われています。美しく花咲くことはなくても、強い生命力でたくさんの人々の命をつなぎ続けてきた「わらび」。人が苦しんでいるとき、文化・芸術を通してその人生に寄り添い、生きる力や心の糧となること。それが「わらび座」という名にこめた原点です。

秋田に定着したわらび座は近くの農家で田んぼの仕事を手伝いながら、「たばこ」(休憩時間のこと)の合い間に踊りを教えていただきました。
笛や太鼓も、どれも地元のみなさんから1つ1つ教えていただいたものです。

こうして習得した日本の民族歌舞を中心にした公演を秋田、東北、全国へと広げながら、夢は「民族芸術創造の拠点づくり」。クラウドファンディングがなかった時代、趣旨に賛同して下さる方々に資金協力を呼びかけ、20年間に全国のべ数百万人のご支援を得て、1974年、わらび劇場が完成。「田んぼの中に劇場が建った」と演劇界で話題になったそうです。「民衆立劇場」であることが、わらび劇場の最大の特徴です。

翌1975年に宿泊施設を建設。いつでもお客様を迎えられるようにしました。そしてその年はわらび座にとってエポックメイキングとなりました。それは、東北のある中学校からの「子どもたちを修学旅行でわらび座に連れて行きたい」という相談です。

わらび座に修学旅行!?

私たちは、民族芸能とは人と人が心と力を一つにする場で生まれるものであり、コミュニティに力を与えるものと考え、長年その精神を大事に人間が輝く舞台を創ってきました。わらび座の舞台をご覧になった先生たちが、子どもたちが舞台を鑑賞するだけでなく、それを体験し、熱く生きる大人たちに出会わせたい、というのです。

教育の専門知識のない私たちが先生たちの願いに応えるにはどうしたらよいか? 考えた末選んだのは、わらび座十八番の踊り、「ソーラン節」を子どもたちに本気で教えることでした。

ソーラン節は北海道のニシン漁の労作業唄で、踊りはわらび座が振りつけました。真冬の北の海での漁は命がけです。海に落ちれば助かりません。大漁のときは徹夜で1トン以上のニシンを20人で一気に引き揚げます。どの作業も、どの人も、かけがえがなく、大変さも喜びもみんなが一つになるとき、ソーラン節が生まれたのです。

腰を下ろし、激しい動作が続く踊りですが、その動作が生まれた背景をわらび座の役者が子どもたちに話しながら、ソーラン節に重ね合わせて、一生に一度しかないこのクラスの修学旅行の思い出をみんなで力を合わせて創り上げていくのです。

<ソーラン節踊り体験の様子>

子どもたちの表情の変化は大人たちを驚かせました。

小さな点だった「わらび座修学旅行」はクチコミで広がり、1970年代半ば以降、急増。70年代後半から80年代前半は校内暴力が社会問題となった時期と重なります。
「西のヒロシマ平和学習修学旅行」「東のわらび座生きる力を創る修学旅行」と評され、農作業体験も含め、「人間と出会う旅」として、わらび座での感動体験は注目され、毎年1万人以上、46年間に全国から40万人以上の子どもたちがわらび座の本拠地「あきた芸術村」を訪れています。


<和太鼓を教える事もあります>

コロナ禍の中で

この修学旅行がコロナの中で激減しました。2020年の前半はなんとゼロまで落ち込みました。宿泊を伴う修学旅行は4割以下。日帰りではソーラン節体験を入れる時間がとれず、実施を断念する学校も多数あります。修学旅行の激減は、4分の1に減った全国公演や、年間の3分の1を休演せざるを得なかったわらび劇場公演の苦境に加え、さらに宿泊施設の売り上げ減が重なり、まさにわらび座は「どん底」に落ちました。

「わらび座修学旅行」は、民舞指導スキルを持ったわらび座の役者と、いつでも使える劇場や稽古場、子どもたちが集中して時間を過ごせる宿泊施設と、この3つの要素を持った「あきた芸術村」でしか体験できないものです。そしてそれらを包みこむ秋田の大自然が作り出した、いわば「奇跡の修学旅行」でもあります。どの1つも欠くことができません。

<ステージ発表前の円陣>

子どもたちはコロナ禍でこれまで以上の苦しみや孤独を抱えて生きています。今こそ、子どもたちの生きる力となる仕事がしたい。私たちは未来を担う子どもたちへの責任として、何があってもこのどん底から再生しなければならないと思っています。

来年も、5年後も、10年後も、いつまでも、子どもたちの「心のふるさと」となる事業が継続するため、何卒ご支援をよろしくお願い致します。


このプロジェクトで実現したいこと

まず、わらび座がどん底から再生し、修学旅行の継続はもちろん、かつて「わらび座修学旅行」で秋田に来てくれた人たちが集える「大人の修学旅行」も企画したいです。

卒業生や親御さんから、このような言葉をいただいています。
「15年くらい前になりますが、学習旅行でわらび座を観劇し、踊りを体験させていただきました。数年前に秋田に遊びに行き、当時お世話になった農家にもお邪魔しました。わらび座や秋田は思い出深いところです。秋田の風景や踊りを後世に伝えるためにも今後も続けてほしいと願っております」

「今年、娘がたいへんお世話になりました。親ではさせることのできない貴重な体験をさせていただき感謝申し上げます。人との絆を深め・魂の解放ともいえるような目の輝きが変わり帰ってまいりました」

「中学3年でわらび座に行きました。こんど、我が子が修学旅行でわらび座に行くそうです。親子二代での経験となります」

こうした言葉はわらび座だけで作り出せたものではありません。わらび座がコーディネイトする農作業体験修学旅行は、農民の哲学を持った農家のみなさんと子どもたちの出会いを作ってきました。一過性の体験ではなく、子どもたちが大人になってつながれる都会と農村の交流、農村ツーリズムに、わらび座は大きな役目を持っていると思います。

共通の思い出を語り合う場やつながりは今後ますます必要になります。修学旅行というキーワードで、なつかしくて新しいコミュティを作るお手伝いができれば幸いです。


プロジェクトをやろうと思った理由と資金の使い道

新型コロナウイルス感染拡大の影響を受け、一時は活動の終了と解散も視野に含めて今後を検討してきましたが、沢山のご支援と温かい言葉に励まされ、民事再生という手続きを通してわらび座の継続を目指すこととなりました。

昨年には、WGA「一般社団法人わらび座」支援協議会が発足し、非営利法人として安定的な資金獲得に向けた取り組みを進めております。
コロナ禍で公演活動が制限される中、わらび座も新たな取り組みとして動画配信を強化し、公演のライブ配信やレンタル販売のスタート、オリジナル楽曲のCD作成と配信サービスへの進出、修学旅行受け入れ農家の協力のもと「わらび座 育むお米」の販売を開始、会員制サービス「わらび座の会」の立ち上げなど、様々な形で資金の調達を模索してきました。
また、劇団ならではの社員研修プログラム「シアターエデュケーション」や「オンライン民舞教室」、あきた芸術村の施設を活かした「ワーケーションプラン」や「里山体験」など各種体験プランの展開。ホテルの人気メニュー「ゆぽぽカレー」の商品開発にも力を入れています。

しかしながら、未だ集客をすること自体が厳しい状況が続いており、新しい体制でスタートする当面の活動資金として少なくともあと5千万円は必要なため、その一部をクラウドファンディングにてご支援頂きたく思っております。

この事業は皆様からのご理解とご支援、そして何よりも必要とされなければ続けていくことは出来ません。

70年間のわらび座の活動を継続し、子どもたちに感動を届け、地域を元気にするために、皆様のお力を貸して頂きたく、このたびクラウドファンディングへのご支援をお願いすることにいたしました。

ご支援頂いた資金は当面の活動資金として活用させて頂き、わらび座再生の軌道に乗せたいと思います(この度のクラウドファンディングに伴うリターンや手数料にも使用いたします)。


これまでの活動

1951年 東京で創立
1953年 日本の民謡を農村で学ぶために秋田県に移住し、定着。1960年以降、全国で公演
1974年 本拠地にわらび劇場完成
1975年 本拠地に宿泊施設完成(現・温泉ゆぽぽ)
1976年 この年以降、わらび座修学旅行が急増
1985年 写真集「“青春”を見つけに行く旅―わらび座修学旅行」刊行
1987年 秋田県芸術文化章(秋田県芸術文化協会)
1994年 地域文化功労者表彰(文部省)
1995年 阪神淡路大震災に公演チームが遭遇。避難所で慰問公演。地域づくり表彰国土庁長官賞(国土庁)
1996年 本拠地を「たざわこ芸術村」と命名し、芸術+リゾートの文化的複合事業を始める。森林工芸館オープン。秋田県文化功労賞(秋田県)
1997年 秋田県初の地ビールとして田沢湖ビールオープン
2001年 わらび座創立50周年
2002年 河北文化賞(河北文化財団)
2007年 わらび劇場にて「都会の中学生と秋田の農家”元気交流30年“リレートーク」開催。仙北市芸術文化賞(仙北市芸術文化協会)
2011年 わらび座創立60周年。避難所で慰問公演。この年以降3年間、すべての公演を「東日本大震災支援公演」と位置づけ、公演会場で募金を呼びかけ。福島、岩手、宮城に支援金寄贈
2016年 「たざわこ芸術村」を「あきた芸術村」に改称
2020年 イーハトーブ賞(花巻市)
2021年 わらび座創立70周年 

リターンについて

《歌舞ステージオンライン配信》 約60分

わらび座が70年繋いできた民族芸能の歌舞ステージをオンライン配信でお届けします。
配信は2022年8月を予定しており、ライブ配信の後アーカイブ(録画)でもご視聴頂けます。


《トウモロコシ&枝豆セット 》近隣の修学旅行受け入れ農家さんとの協力で採れたての仙北市の農作物をリターン品として産地直送でお届けします!


《ゆぽぽカレー(レトルト)》修学旅行の学生などをはじめ、年間約20,000人以上に食べられている温泉ゆぽぽのカレーをレトルトにしてお届けします!牛肉と豚肉の濃厚な旨味と隠し味に使ったオレンジの爽やかな後味が特徴の辛さ控えめな大人気のオリジナルカレーです!


これからの主な活動予定

<2022年>
3月  年間パンフレット「わらびと」2022年版発行
4月  わらび劇場新作ミュージカル「ゴホン!といえば」開幕(4月~11月まで約150回予定)
   踊り教室や農家体験など修学旅行の受け入れを随時実施
5月  あきた芸術村「手創る市」「春のナイトステージ」開催
   全国公演作品「いつだって青空」ツアー開始
   全国公演作品「北斎マンガ」ツアー2年目開始
   全国公演作品「風子、飛べー!」ツアー3年目開始
7月  民族芸能ステージ「This is AKITA」
8月  あきた芸術村「花火と盆踊り」「夏のナイトステージ」開催
   「わらび劇場特別公演」開催 地域の子ども演劇体験教室の開催
9月  22年小劇場作品タイトル発表
11月 小劇場公演開幕(3月まで)
<2023年>
1月 わらび劇場新春公演、お正月イベント各種開催
2月 「あきた冬祭り」開催



最後に

わらび座は昨年で創立70年を迎えることができました。これも多くの方々のあたたかいご支援、ご声援のおかげです。心より感謝申し上げます。

これまで劇団としての公演活動をはじめ、様々な事業を行ってきましたが、特に子どもたちとの人間同士の交流を大切にしてきました。45年以上続く「わらび座修学旅行」はそのシンボルです。

秋田の豊かな自然と文化、土と共に生きる農家の人々、体験や発表会をできる劇場設備、そして民族歌舞団としてのルーツを持つわらび座の存在がすべて揃って成立する企画です。このなかに私たちのミッション、目指す姿がすべてつまっています。

この間、コロナ禍によって学校行事の中止、キャンセルが相次ぎ、経営的にも大きな打撃を受けました。それでも経費節減に努め、多くの皆様から寄付金、支援金を頂戴し、さらに国省庁・自治体の補助金・助成金も活用しながら何とか事業を継続してきました。しかしながら劇団の収入源である公演事業も中止の相次ぐ状況のなかで、いよいよ資金も底をつき、劇団そのものが存亡の危機を迎えております。

まさにどん底の状態ですが、いまを生きる子どもたち、そしてこれから出会う未来の子どもたちの為にも、何としても事業を継続し、より地域と社会に貢献できる存在として再生していきたいと考えております。

皆さまのご支援を宜しくお願い申し上げます。

わらび座一同


<募集方式について>
本プロジェクトはAll-in方式で実施します。目標金額に満たない場合も、計画を実行し、リターンをお届けします。

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