私はNPO団体HSC~子どもたちの笑顔のために~の副代表をしております。

今回は、沖縄の子どもたちへの支援をお願いに参りました。

この団体は大阪に拠点をおいていて沖縄支部として現在、那覇市を中心に活動しております。

私の経験を元に、現在に至るまで活動報告もふまえお話させて頂きます。少々長くなりますがご一読頂き御支援賜りますようお願い申し上げます。

私は一般的な中小企業に就職し、その後小学校の教員をしておりました。

毎日子どもたちと過ごす日々は驚きの連続で本当に楽しい仕事でした。

しかし、中には過酷な家庭環境で一所懸命生きている子どもたちが居たのも事実です。

公務員とは公に平等を重んじるあまり一人に過剰な保護ができないのです。

私は大阪の箕面市、八尾市、奈良県、大阪市、東大阪市と、色々な地域で教壇に立たせて頂きました。

もちろん、その各学校で頭を悩ませ職員の協力を得ながら奮闘してきました。

しかし、この団体を立ち上げるきっかけになった出来事が東大阪市の学校で起こります。

 私は4年生、6年生の理科専科として小学校に赴任しました。

そして2学期の終わりごろ産休に入られる1年生の担任のなり手がどうしてもいないということで10月に1年生の担任となりました

。子どもたちはとても可愛くて頑張り屋さんが多いクラスでした。

初めてクラスに入ったとき数人、目に飛び込んできた子どもの姿・・・。

頭のてっぺんの髪がざっくり切られている女の子。

明らかにサイズの小さい服を着ている男の子。

子どもたちは無邪気で分け隔てなく仲良くしていましたが大人の私から見ると明らかに違いました。

もちろん学校には子どもが安全に生活できていないようなら教育委員会をはじめ様々な行政に報告義務があります。

その子どもたちも見守る対象になっていました。

子どもが帰宅するとき時間が作れれば一緒に帰り保護者の方とできるだけコミュニケーションを取ったり、忘れ物のサポートをしたり。

ほかの先生方に協力もお願いしながらできる限り見守りを続けていました。

そんなある日、いつも学習そっちのけで元気に遊びまわっているその女の子が朝から自分の机で大人しくしていたので「どうしたの?しんどい?」と、声をかけ体温を計りましたが、平熱。特に顔色が悪いわけでもない。

女の子からは、「別に!登校してくるのに疲れたから。」の返事。「無理しないで、しんどくなったら言ってね。」と会話を終えました。

担任業務は一クラスの子どもたちの様子を朝すべてチェックするため横目に気にしながらその他の仕事をしました。

そのまま1時間目、2時間目と学習を進めました。しかし、いつもなら外の飛び出していく休み時間も女の子は、机に伏せていました。発熱もない・・。

 3時間目が始まってしばらくすると、血の気が引いたような顔に。保健の先生の所に!!と、授業を中断し女の子を連れ出ようとした時、朝の時点で話を聞いていてくださった保健の先生がちょうど様子を見に来てくださりその子を保健室で見てくださいました。

 その後、報告を受けました。脱水症状を起こしかけていたと。

あの後保健室で経口補水液を750㎖一気飲みしてそうです。(一気飲みする勢いという意味かもしれませんが・・)

給食の時間には元気なって教室に戻って、しっかり食べられるまで回復していました。

しかし、心配なので保護者に迎えに来てもらえるようにしようか?と尋ねると

「いやだ。」「どうして?」「学童に行かないとお菓子が食べられへんやん!」との返事。

校長や保健の先生とも相談し学童が校内にあることもあってそのまま残すことにしました。

学童に行かないとお菓子が食べられないそんな理由で?!

女の子にとっては大事だったのでしょう。お家でご飯を食べていないのか・・。

お母さんと話しても真実は話してもらえず、福祉で訪問している行政も追い返してしまう。

季節は秋。でも女の子は半袖のワンピースを着ている。体操服や給食エプロンも洗濯されていない。水筒も持ってこない。

持ってくる様に再々お願いしてもダメでした。

私にも小学生の子どもがいます。水筒の予備は家にあります。

しかし、個人的にそれを貸すこともできない。

こんなに身近で手をかけてやれるのにかけてやれない。心が痛い。そう感じました。

学校は行政と連携しできることはやっているのです。でもそれを保護者が受けてくれない。

ママ友ならできるかもしれないことが担任だと出来ない。毎日会うのに・・・。

 

そこからは体調が悪くなるようなことはなく、日々のサポートを続けながら過ごしていました。

そんなことがあった1週間ぐらい後に今度は男の子が3日間の夜間放置にあっていることが夕方ほかの保護者からの連絡で分かります。

男の子は5年生の姉、1年生の本人、3歳の弟の兄弟で保護者のいない三日間を姉が見ていたのです。

ちょうど連絡会で教育委員会、家庭児童相談所(家児相)、子ども家庭センター(子家セン)の方が学校に来られている日でした。

以前にも何度か、その家庭は夜間放置があり次に発覚した時は家児相が子どもを保護するという通告もされていました。

事実発覚が17:00頃、以前から保護者と密にコミュニケーションを取ってくださっていた姉の担任が電話で、確認をしてくださいました。夜間放置は濁して返事。19:00には戻るからと。

家児相は保護者と直接話をすることを決め子どもの安否確認後19:00まで待機。

時間になったので自宅へ向かいました。

インターフォンを押して姉が対応。

家のドアの前までは行けるのですが開けてくれない。

「お母さんは帰ってきてるけど忙しい。」担任が携帯へ電話する。

着信音は聞こえない。

様子がおかしいと感じたので何とかドアを開けてくれるように話続けるとようやくドアが開いた。母親はいない・・・・。

母が帰宅するのを待って保護することが決まりました。

しかし、母が帰ってくると子どもたちは離れたくない。泣き叫ぶのです。

結果、その日の保護は無くなりました。今度、話し合いの場を作ると約束して。

私たち担任団は、憤りを感じました。

今まで母とコミュニケーションが切れないように何事も慎重に進めてきたのです。

保護者とのコミュニケーションが切れると子どもたちの安否確認ができなくなるからです。

今回は、保護してもらえるとの確信で母とのコミュニケーションが切れても子どもは大丈夫と。(保護者とコミュニケーションが取れなくなると子どもの生命に直結するので本当に勇気のいる決断なのです。)

家児相の決定に準じたのに、保護がされなかった・・・。

その日は眠れませんでした。

 しばらく連絡が途絶えたのは言うまでもありません。

私たちも家児相も何とか連絡を取ろうとした結果、年明けにようやく話し合いの場が設けられ子どもは児童養護施設に預けられることになりました。

1年生の男の子だけ。

保護者から下の子は渡したくない。姉がいないとやっていけない。でも三人は見られないと言われたようです。

私は正直、家児相の決定に納得はいきませんでした。なぜ、一人だけ?

 現在、家児相も児童養護施設も足りていないそうです。

 私はその後持病のある息子の為に仕事を辞めなくてはならなくなり教職を離れました。

その頃から児童養護施設がなぜ、足りてない? 家児相も受け入れがなければ保護が難しくなることも知りました。保護しても生活をしていく場所がない・・・。

何か自分ができることはないかと、色々なことを調べ始めました。

シングル子育て世帯への食糧支援を行っているところに寄付は始めましたが、心は落ち着かず。

仕事をしていない私には、動ける時間があったからだと思います。

そんな時、地元の掲示板に「NPOを立ち上げたい。一緒にやりませんか?」と当団体の代表が出しておりました。

彼女は自分の幼少期の経験から子どもシェルターの設立を心から望み行動に移そうと発起したのです。

その志に賛同しました。

そこからは分からない事を調べ、様様な所へ足を運び、現在の団体へと成長させて頂いております。

私たちの第一目標は「子どもシェルターの設立」

しかし、活動を重ねていくうち保護する子どもたちを減らせる支援もあると感じ、少しでも虐待やネグレクトの原因である貧困をなくしていきたいと子ども食堂・食品配布を行う事となりました。

 

大阪で支援を求める方がどんどん増え、現在では月間100食を超える配布を行っています。

コロナ禍で本当に苦しんでいる家庭は増えていると感じます。 

そんな中、以前にも小学校へ使い捨てマスクを寄付するボランティアを個人で行った時に「私もやる。」と手を貸してくれた沖縄在住の妹(ニックネームRENYU)が「以前から、沖縄の貧困は気になっている。私もやりたい。」と。

 

一人でやるのは大変だと話しましたが「やってみないと。

私は、仕事に出られない。(妹は病気を持っています。)

周りのシングルのママさん達は時間のない中で必死に子育てをしている。私には時間がある。それを使いたい。」

実際に我が子のクラスメイトなどにネグレクト疑われるお子さんを目の当たりにしていたようです。 

そこから、沖縄の支援がスタートしました。

 沖縄の貧困はご存じ方も多いと思いますが本当に深刻です。

配布を取りに来てくださる方の中には、いつも笑顔で、子どもたちもとても元気!しかし、母親の着ている服は毎回同じ・・。

子ども為にとどれだけの我慢をしておられるのだろう。

母になれば当たり前なのだと世の中に言われているように感じ、しかし、仕事は子どもがいて休みがちになるからとパートどまり。

負のループに入ってしまいます。

母親も人間です。

頑張っても、頑張っても、抜け出せない貧困に追い詰められれば・・・。

それが本当は起こらなかったネグレクトや虐待へと変わっていくのだと感じました。

今はシングルファザーの子育て家庭も増えています。

父親はフルタイムの仕事をしながら子育てをしていることが多く、年上の子どもたちが下の子を看る。家事もこなす。

そこはヤングケアラーと呼ばれる子どもが出来てしまいます。

 現在、様々な企業も子ども支援をと頑張ってくださっていますが一般の家庭に中々周知されていなかったり、沖縄には交通手段も少なく、車の無い貧困家庭には食品配布などがあっても遠くまで取りに行くことにお金がかかる。など色々な障害があります。

私たちはこの地域にあった支援を行いたいと思っています。

もちろん!食品配布・子ども食堂は継続したい。

しかし、「遠いから取りに行けない。」を賄おうとすると郵送、配達、拠点地の追加など、お金と時間のかかることばかりです。

そこで今後は、一つの家庭が晩御飯のおかずを少し多めに作る。それを取りに来て頂く。

という活動の協力者を募りその地域で立ち寄りやすい場所を作っていきたいと考えています。

那覇ではすでに開催を行っており要支援者の方から喜びのお声を頂いております。

当たり前の様に毎日作る食事。

夕飯のおかずを一品作らなくて済む。

そんなことが保護者の心を救い、子どもたちに手作りの食事を提供できるのです。 

沖縄の社会福祉協議会は積極的に子ども支援を行っておられます。

私たちは協力し合い今後の活動をもっとたくさんの方々に知って頂き少しでも子どもたちの、貧困の中で必死で子育てをされておられる保護者の皆様の力になりたいと思います。 

今後の活動を続けていくために皆様からのご支援を頂きたく思います。

一人でも多くの子どもたちに食事が行き届きますよう努力して参りますのでよろしくお願い申し上げます。 

長文となりましたが最後まで読んでいただきありがとうございました。 

 

2022/3/31まで行なっていたプロジェクトの支援金は入金され次第すぐに大阪の活動にて使用します。

本プロジェクトは沖縄での子ども食堂や子育て家庭対象の食品配布等の運営資金に使用させて頂きます。

沖縄での活動を応援して頂けますようよろしくお願いします! 

写真に関してですが、著作権等の心配はありません。


スケジュールについて

6月下旬 クラウドファンディング終了

7月中旬 子ども食堂開催

7月中旬 子育て家庭対象の食品配布

7月下旬 クラウドファンディング入金

8月中旬 子ども食堂

8月中旬 子育て家庭対象の食品配布


資金の使い道

子ども食堂食材費 10万円

子育て家庭対象の食品配布用食材費 10万円

子ども食堂、子育て家庭対象の食品配布で必要な備品費(容器や袋等)   5万円


 ホームページでは今までの活動を見ることが出来ます。

今後の活動に関しても随時アップしております。

是非見てくださいね😊

団体ホームページhttps://npo-hsc.org/

 

団体ツィッターhttps://twitter.com/hsc_npo

 お問い合わせメールhsc.npo@gmail.com


プロジェクト達成のご協力ありがとうございます😆

こんなにたくさんの方々が子どもたちの為をと思ってくださる事を嬉しく思います😊

まだプロジェクト終了まで日数があります。

ここからの資金(25万円以上)に関しては前回達成出来なかったので大阪の活動資金の足しにもさせて頂こうと思っております。

どうか皆さまご支援、拡散のご協力をお願いします。

最終日まで応援のほど皆さまよろしくお願いします🥺

前回のプロジェクトのURLを載せておきます😊

良ければ見てくださいね😊

https://camp-fire.jp/projects/view/546456

  • 2023/03/28 21:28

    皆さまお久しぶりです♡NPO団体 HSC 〜子どもたちの笑顔のために〜代表の井阪 明希です♬今年度の活動を応援頂いた皆さま本当にありがとうございます♪おかげさまで当団体も4/1で設立2年となります★これも皆さまが応援してくださったおかげです♡4/1〜も活動頑張っていきますので応援よろしくお願い...

  • 2022/06/28 20:42

    プロジェクト終了しました☆達成させて頂きましてありがとうございます♬合計40人もの方にご支援頂けてとても嬉しく思っております♬今後も子どもたちの為にボランティア活動頑張っていきますので応援よろしくお願いします!リターンですが、タイミングを見て少しずつ返させて頂きますので気を長くしてお待ちいただ...

  • 2022/06/21 07:19

    団体で子ども食堂を始めて1年が経ちました〜☆たくさんの子どもたちが来てくれるようになって毎回ホッコリさせて頂いてます☆いつもありがとうございます♡でも始めてみて、これだけたくさんの方が困ってるんだという事にも気付きました少しでも皆さんのお力になれるよう続けていきます♪よろしくお願いします♪

このプロジェクトの問題報告はこちらよりお問い合わせください