はじめに

山形県飯豊町の「天養寺(中村)観音堂保存会」と、地域文化財の修復や保護の支援をおこなっている「株式会社文化財マネージメント」です。
このプロジェクトは天養寺(中村)観音堂保存会と(株)文化財マネージメントが共同で実施しています。


令和4年(2022)8月3日未明から、新潟県・山形県の両県を豪雨が襲いました。
その状況と被害は全国的に報道されましたが、中でも山形県飯豊町は甚大な被害がありました。
河川が氾濫し、橋の崩落、住宅被害、農地被害など広範囲の被害があり、激甚災害に指定されました。


飯豊町にある600年前に建設された「天養寺観音」も、その豪雨で被災しました。
裏山から大量の土砂が崩れ落ちたことで、建物全体が前方に押し出され、建物全体がゆがみ、一部分は倒壊する状態になりました。

裏山からの土砂により前方に押し出されたお堂。一部倒壊している

お堂の背面に押し寄せた土砂

建物全体がいつ倒壊するかわからない状況にあり、修復が求められます。


修復のための費用はお堂だけで、4000万円以上。
観音堂は県内有数の古建築物であるため、県の指定文化財になっています。
そのため、お堂の修復には県と町から補助金が出る予定はあります。
しかし、指定文化財であるお堂の修復に不可欠な「復元のための部材の状況調査」については、檀家の負担となってしまいます。
観音堂の檀家は25軒と大変少なく、この調査費用だけでも捻出が困難です。
この調査費用をクラウドファンディングでご支援いただきたく、皆様のご協力をお願いいたします。


観音堂の歴史と文化財

観音堂は飯豊町に留まらず、県を代表する文化財です。

被災前の観音堂

置賜三十三観音の一つであること、応永21年(1414)に再建されたという記録があること、本尊の木造観音菩薩立像が平安時代中期の制作された像であること、これらのことから飯豊町に現存する最古の建造物と位置付けられています。
観音堂の柱は炭素年代測定という自然科学的な測定がなされおり、15世紀頃、約600年前に伐採された木材を使って建築されたことがわかっています。
建設者についてははっきりしていませんが、本尊が納められている厨子の屋根部分に伊達家の家紋(丸に竪三つ引き両紋)が記されていることから、伊達家、もしくはその家臣に関わる人物と考えられています。

厨子にある家紋。左が伊達家の家紋の一つである丸に竪三つ引き両紋厨子にある家紋。左が伊達家の家紋の一つである丸に竪三つ引き両紋

本尊である観音立像は平安時代中期の11世紀頃に制作された像で、県内屈指の古い木彫像ということで、県の指定文化財になっています。
指定の名称としては「聖観音菩薩」としていますが、地域では「十一面観音菩薩」として信仰されてきました。

本尊である観音立像
(11世紀頃。県指定文化財)

堂内には本尊以外にも、大永3年(1523)に制作された賓頭蘆尊者坐像、元和8年(1622)の多聞天立像と持国天立像など、多数の仏像が安置させています。
その他、江戸期の年号が記された、絵馬や奉納札、扁額、鰐口、石仏が多数納められており、観音堂を舞台に繰り広げられてきた人々の活動や想いを知ることができます。

被災前の堂内

被災前の石碑

観音堂は、お堂全体が地域の歴史と文化を伝える装置の役割を果たしているのです。


損傷状況

山形県を襲った8月3日からの豪雨によって、観音堂は被災しました。
裏山から大量の土砂が崩れ落ち、お堂の背面に押し寄せたため、建物全体が3.5mほど前方に押し出されました。

お堂の背面に押し寄せた土砂そのため、すべての支柱が礎石から外れ、建物がゆがみ、壁や床が外れ落ちました。
入口の向拝が前方に倒壊、土砂が押し寄せた裏面の壁と柱はすべて折れてしまいました。

入口の向拝が前方に倒壊している

倒れた向拝

裏山の斜面は土砂崩れによって広範囲が裸山になり、大量の土砂が流出し、周辺に建立されていた石碑も土砂に押し流されました。

土砂崩れを起こした裏山

土砂に押し流された石碑

激しい雨水により参道の一部が崩れ落ち、土砂の勢いで地盤にも歪みが生じ、お堂前面の階段も歪んでしまいました。


堂内の文化財の避難ついて

観音堂が損傷したことで、建物全体が倒壊するともわからない状況になりました。
また、屋根には雨漏りも生じていました。
こうしたことから、堂内に安置・保管されている数々の文化財も危険に晒されることになりました。
そのため、文化財を堂内から緊急避難させ、旧コミュニティセンターに輸送しました。

堂内の文化財を避難して、仮置きしている状況

文化財の中でも特に仏像については、このように保管することは痛々しくもあります。
しかしお堂が修復されるまでは、仮置きをせざるを得ない状況に置かれています。


復元のための部材の状況調査について

建物部材の調査はお堂を解体した後、被災した部材の状況を一点一点調べていくものです。
この調査を経て、現在使われている部材を同じ場所に戻して組み立てたり、壊れてしまった部材も継ぎ加工などをして補修したり、どうしても再利用できないものは全く同じ形状の部材を用意することができるようになります。
指定文化財の工事に必ず必要となる調査です。
しかし工事のスケジュールの都合上、復元のための部材の状況調査については、補助金を得ることがまったくできないことが確定しています。


観音堂の全面的な復旧に掛かる費用について

現在、観音堂の復旧だけで、4000万円以上の費用が必要となっていますが、今後同じ規模の雨が降り、同様の災害がおこる可能性を考えると、排水溝の設置、斜面への補強といった対策工事も求められます。
また破損した基礎部、変形した参道、倒壊した石碑群、崩壊した周辺地形など、天養寺観音堂の霊域全体を復旧するのには、莫大な費用が必要になります。
これまで、お堂の維持管理は、檀家の費用と労力によって賄ってきました。
しかし檀家は25軒しかなく、今回の被災による負担は極端に大きなものとなっています。

管理している檀家たち。ご詠歌の様子。観音堂は県の指定文化財であるため、お堂の復旧には県と町から補助金が出る予定はあります。
しかしそれ以外の部分でも檀家にかかる負担は大きく、このままでは参道などを含んだ霊域全体の復旧は不可能な状況にあります。


プロジェクトの資金の使い道

・復元のための部材の状況調査費:約300万円

・リターンの作成費・送料:約6万円

・プラットフォーム手数料:約34万円


スケジュール

①プロジェクトのスケジュール

令和5年4月
・リターンの実施と送付

令和5年4月~令和6年3月(予定)
・復元のための部材の状況調査


②観音堂修復全体のスケジュール

令和4年度
・背面に押し寄せた土砂の撤去 ・解体前の予備調査(破損状況) ・復旧計画の策定、実施設計 ・解体工事(部材の管理) ・解体した部材を建物に収納

令和5年度

・部材の点検、状態調査 ・その他霊域の復旧

令和6年
・組立工事 ・その他霊域の復旧

令和7年
・組立工事 ・その他霊域の復旧 ・修理工事報告書の作成

令和8年
・組立工事 ・その他霊域の復旧 ・修理工事報告書の作成 ・本尊などの搬入 ・事業完了


リターンについて

ご支援いただきました皆さまには、お礼に以下のリターンをお送りします。 

■天養寺観音堂リーフレット

A4・三つ折りの観音堂のリーフレットです。


■オリジナルポストカードセット

今回修復を目指す観音堂、本尊・観音立像などの3枚1セットのポストカードです。


■お札

21×10cmcm程度のサイズの観音堂のお札です。
「修復祈念」と入れた特別版で発行します。


■支援者様のお名前を和紙に書いて本尊台座内に納入

本尊である観音立像は一木造で内部に空洞はありませんが、台座内には空洞があります。
その内部空間に、支援者様のお名前を墨書きした和紙を納入し、像と共に後世まで安置・保管します。
像は現在避難しているため、まずはその場・その状況での納入となりますので、ご理解くださいませ。
観音堂の修復後には像の安置とともに、改めて現地で納入します。
納入時にはその状況を撮影し、画像で支援様にお知らせします。

画像下の四角い物が梱包された台座。奥が観音立像

※記載を希望される都道府県名とお名前を、支援時に「備考欄」に必ずご記入ください。
 基本的には「〇〇県 姓名」という格好となります。


■御朱印

観音堂の御朱印です。
通常のものに、「修復祈念」と入れた特別版で発行します。


この画像は通常のもの。リターンでは「修復祈念」と入れる


■お札(大)

36×10cm程度サイズの、大判の観音堂のお札です。
毎年7月に行われる祭礼時にのみ発行するものです。
来年の祭礼時にお送りします。

画像は以前の祭礼時に発行したもの


最後に

散居集落の景観で知られる飯豊町、そこに所在する天養寺観音堂は当地域の歴史と文化のシンボルと言えます。

被災前の飯豊町ぜひ、この観音堂の重厚な歴史を知っていただくと共に、後世へ伝えていきたいという我々の想いを感じていただき、復旧にご支援いただければ幸いです。

もし過分のご支援をいただくことができ、目標金額を超過した場合には、今後必要となってくる、参道、石畳、石碑など、令和4年8月3日の水害により被災した霊域の復旧のための費用として使用させていただきたいと考えています。
ぜひお力添えをお願いいたします。

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