新しいプロレス観戦をみなさんに!
こんにちは。 プロレスラーの藤波辰爾です。
早いものでプロレスラーとしてデビューして50年が経ちました。16歳で入門して17歳でデビューして今年は69歳になります。
思い返せば、つらいこともありましが、楽しいことの方がたくさんあって、レスラーになってよかったな、プロレスって楽しいな。って今でも思ってます。
今回、50周年記念ツアーのファイナル開催会場を『代々木第二体育館』でやることに決定しました。そこで、いままで経験・体験してきたことをファイナルに活かしたいと考えてます。
実は海外のプロレスイベントは、ファンも選手も一緒になって楽しめる・交流を持てる特別なイベントなんですよ。
残念ながら日本ではこういったプロレスのイベントがあまりありません。
新しいプロレス観戦をみなさんに知っていただきたい!という提案に共感し支援してくださる方々と一緒に作り上げていきたいんです。もっと身近にプロレスを楽しんでいただきたいんです。
今までの経歴
1970年6月 16歳で日本プロレスに入門。
1971年5月9日 デビュー。
1972年3月 新日本プロレス旗揚げ戦の第1試合に出場。12月第1回カールゴッチ杯優勝。
1975年6月 海外遠征出発。カール・ゴッチ氏のもとで修業を積みながら欧州やアメリカ、メキシコなど各国を転戦。
1978年1月 WWFジュニア・ヘビー級王座を獲得。
1981年末 ヘビー級に転向を宣言。飛龍十番勝負を戦い続け、WWFインターナショナル・ヘビー級王座も獲得。
1982年10月 メキシコ遠征から帰国した長州力に挑発される形でライバル抗争に突入。両雄の戦いは『名勝負数え唄』と呼ばれ、スピーディな展開でヘビー級のプロレスにも変化を与えた。新日本プロレスのエースとして活躍。
1999年から5年間にわたり新日本プロレスの代表取締役社長を務る。
2006年6月30日付 新日本プロレスを退団し、同年8月に『無我ワールド・プロレスリング』を旗揚げ。2008年1月より団体名を『ドラディション』と変更。
2015年3月には日本人選手2人目となる米国WWEの殿堂入りを果たした。
ファイナルに向けての気持ち
まさか新日本プロレスのエースとシングルマッチをやるとは思いもよらなかったね。
でも、やりたくなっちゃんたんだよね。
まだまだ現役である以上は、『プロレスを楽しむ』ことを考えて、みなさんにも楽しんでもらいたい。
年齢に関係なく、《挑戦》し続ける姿を、少しでもみなさんの勇気になるように観ていただだきたいと思っています。
リターンについて
少しでも応援してくださる方にはできるだけのことで応えたい!
そう考えて、できるだけのお返しをご用意しました。
この大一番に纏うガウンは、かけがえのない一着になります。そのガウンに50年藤波辰爾を応援してくださったみなさんの想いを背負って、リングに上がりたいと思います。12.1はそのガウンの裏面に応援していただいた方の名前をプリントして、みなさんと一緒にシングルマッチに挑みたいと考えています。
この世界に一つしかないファイナルガウンです。
その他に貴重なオリジナルグッズ、たとえば12.1代々木大会仕様のフルコスチュームセットやクラウドファンディング限定のシークレットマッチ配信などなどご用意しております。
金額に関係なく、直筆サインを入れて『I NEVER GIVE UP』の精神が届くように、楽しみにしていてください。
資金用途
ツアーファイナルイベント運営費:約200万円
返礼品費+梱包発送費 :約200万円
CAMPFIRE掲載・決済手数料(17%):100万円
スケジュール
5 月:告知Part① 5.12後楽園ホール大会でクラウドファンディング
返礼品準備 返礼品の企画
9 月:告知Part② 12.1ファイナルメインイベント告知記者会見&クラウドファンディング告知
10月:告知Part③ クラウドファンディング募集YouTube動画UP
クラウドファンディング申請
12月:50周年記念 12.1代々木ファイナル大会にてクラウドファンディング結果報告とお礼告知
返礼品準備
2023年1月:クラウドファンディング返礼品発送
ご支援おまちしております!
これは私にとってのチャレンジです。
ぜひみなさんこのプロジェクトを応援してください!
支援お待ちしております!!
そして、このページをみてくださったみなさん、どうもありがとうございます!
※写真:週刊プロレス
<募集方式について>
本プロジェクトはAll-in方式で実施します。目標金額に満たない場合も、計画を実行し、リターンをお届けします。
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