はじめまして!
向田天心(むかいだてんしん)です。
広島県広島市で会社(株式会社「天山」)を経営しています。

こう見えても僕、うつ病だったんです
「コミュ障」でもあるんです

昔から僕のことを知っている人は、誰も信じませんよ。
僕がうつ病を患っていた時期があるなんて。
そして「コミュ障(コミュニケーション障害)」でもあるなんて。

なぜなら僕は、子どもの頃から学校でもどこでも中心的存在の「暴力を使わないジャイアン」のようなタイプだったから。

そんな僕がもがき苦しんだ10代終わりから20代。
人目が怖くてまったく外に出られなくなった空白の時期。
そして辛い経験から「コミュ障」になっても這い上がって起業。

僕を知っている人にも知らない人にも、ぜひ読んでほしい「『コミュ障』こそ経営者を目指せ!」を書き上げました。
はじめまして!向田天心です!

ところでみなさん
コミュニケーションは得意ですか?

ビジネスだけでなく、教育などいろいろな分野で「コミュニケーション能力」こそが重視される時代だと思います。しかしそんな時代の中で「コミュニケーションが苦手だから社会でもうまくいかないのではないか」と不安を抱える人も増えているのが実情です。

成功するためには、多くの人に好かれる人でないとダメなのか。
コミュニケーション能力が乏しい人は社会でも出世できないのか。

必ずしもそうではありません。

コミュニケーションが苦手、いわゆる「コミュ障」な人こそ、実はビジネスで成功するチャンスがあるのです。
また多くの人が一見尻込みしがちな「起業」こそ、「コミュ障」の人にとって最も活躍できる場になると思います。

僕は最初の就職をきっかけに、半年以上、家からまともに出られない「うつ状態」を経験しました。
他人の目が怖い、人に好かれないといけないという強迫観念、そして自殺未遂。

人気者から一転、どん底を経験したのに、なぜ「営業」ビジネスで成功することができたのか? 

「コミュニケーション至上主義」になっている現代で、それらが苦手な人でも成功できるということを、筆者の体験したビジネス論、成功へのセオリーを含めて教えてくれる1冊です。

最後までお付き合いいただけましたら幸いです。


『コミュ障』こそ経営者を目指せ!

僕はコミュニケーションが得意でなく、どちらかというと苦手なタイプ。
でもそんな僕が、挫折や失敗を繰り返しながらも「起業」して、社員10名、アルバイト(派遣スタッフ)約50名の企業の社長になれたのです。

僕の「コミュ障」は、「起業」や会社経営をする中で、むしろ必要な“障害”だったと思います。

いわゆる「コミュ障」こそ
「経営者」を目指すべきだと思っています

いろいろな事情があり、僕は高校卒業後に引きこもり、家から出られなくなった時期がありました。
誰とも話すことができず、目を合わせることもできない。
家の裏の山に行き、何度もこたつのコードで自殺未遂を繰り返しました。

今考えると
完全な「うつ状態」だったと思います

周囲の助けもあり、僕自身はここから社会復帰することができ、今では会社経営もできています。
しかし、うつ状態になる前の僕とは大きく変わってしまいました。
今でもメンタル面では大きな困難を感じながら、会社経営を続けています。

そんな中で思うようになったのが、この時代には僕のような「コミュ障」の人こそ経営者に向いているのでは。
他人と一緒に行動するのが辛い、怖い…。
そういう人こそ経営者を目指すことが一つの道となるのでは。

そして何よりも僕自身が経営者を続けることができている、それがいちばんの証明なのではと思います。

詳しくは書籍に綴っていま すが、少しだけ中身をお見せします。

この本では僕のプロフィールからなぜ「うつ状態」になったのか、そこからどうやって会社経営ができるようになったのかをお伝えできればと思います。

◯人気者の「暴力を使わないジャイアン」
◯就職からすべてが変わった
◯外に出られない、人の目が怖い
◯抜け出せたのは「1人の友達」のおかげ


◯引きこもりがスカウトになった!
◯「社会復帰」から「起業」へ
◯「どん底」からの復活 


◯「コミュ障」こそ経営者になれ!
  と思うその理由①
◯「コミュ障」こそ経営者になれ!

  と思うその理由②
◯辞める人は引き止めず、応援しよう

◯成功したければ、いい相棒を見つけるべし
◯他人に「好かれよう」としなくてもいい、その理由


僕が生まれ育ったのは広島県の大竹市。
広島県と山口県の県境にあるのどかな地方都市です。

そこでのびのびと育った僕はいつも明るく、友だちの中心にいるタイプでした。
よく言われていた言葉は「暴力を使わないジャイアン」
高校生までの僕は典型的な「友だちが多くて明るい人間」だったと思います。

高校卒業して就職したのは、土建業を営んでいた父親の知り合いの紹介で入った、土木作業会社でした。

土木建築は生まれた頃から慣れ親しんでいた世界でしたから、違う会社とはいえ入ることに抵抗はありませんでした。
しかしいざ飛び込んでみたその会社は、とても劣悪な環境だったのです。

その会社は人間関係が悪く、上司、先輩、同僚からの日常的な暴力は当たり前。
夜になると社長に呼び出され、翌朝はフラフラの状態で出勤して他の従業員に殴られる。
そんな生活がしばらく続きました。

もちろん何度も「この会社を辞めよう」と思い、会社に「辞めたい」と言っても辞めさせてくれないんです。

楽しかった毎日は終わったし
友だちたちはもういない

仲のよかった友人たちはみんな進学をして地元を離れていたことも、自分の精神状況に拍車をかけたのだと思います。

この会社から逃げることはできない…。
自分を追い込んでいった一因ではと今となっては思います。

このたった半年の経験が僕を決定的に変えてしまうこととなったのです。

半年後にはもう、自分の心と体が明らかに「今までとは違う状態」になっていました。
「出かけたら会社の人に会うんじゃないか…」。
そんな恐怖感から家から一歩も出られなくなります。

そうすると今度は「家から出られない自分」に自己嫌悪が湧いてくるんです。
「みんな僕のことを嫌いなんじゃないか」。
「僕のことをバカにしているんじゃないか」。

そんな精神状態だから人と目を合わせることができない。
うまく言葉が出てこない。
しゃべることができない。

これまで人気者で明るくて友だちも多かった僕が「誰とも話すことができない」「他人と話すのが怖い」状況になってしまった。

もちろん家族も友だちも心配していましたが、何よりもこの自分自身の変化についてショックを受けていたのは「僕自身」だったと思います。 



何度も死のうと思ったんです

家の裏の山にコタツの電源コードを持って行き、木にくくりつけて首を吊ろうとしたことがあります。
でもその電源コードが古くて弱っていたんですね。
首を吊った瞬間にちぎれて僕は地面に落ち死ぬことはできなかった。
そんなことが何回かありました。

 そんな状況から僕を救ってくれたのは
1人の友人でした

小学校からの同級生が、様子がおかしくなった僕の元に週4日のペースで通ってくれるようになります。
当時の僕はとにかく他人と話すことや他人といっしょにいることが苦痛で、彼が来ても何も話すことができない状態でした。
そんな僕と「ただ一緒にいる」ことを続けてくれたのです。

彼こそが 僕を救ってくれた
副社長の徐 冰山 

他人から嫌われることが怖い

そうこうするうちに「ちょっとコンビニ行こう」とか「今日はドライブに行こうや」と、彼は僕を外に連れ出すようになり、おかげで少しずつ外に出られるようになりました。

その後は父親の会社の手伝いをするようになり、少しずつ働くことができる時間を増やしていきました。

せっかく「負のスパイラル」からようやく抜け出せたのに、引きこもりが長かったせいもあり、以前の僕とは別の自分になってしまったことを自覚していました。
ようやく外に出られ、なんとか働くことができるようになったのに、「他人から嫌われる」ことが怖くなっていました。

とにかく「他人からどう見られるか」「どう思われているか」が気になって仕方がない。

自分はこのままでいいのか
結局ここで人生が終わるのか

父親の会社で働くことしかできない自分は、結局、行き着く先は「自分の父親」なのかと心の中で葛藤していた頃、とあるマンガを目にしました。

映画化もされた『新宿スワン〜歌舞伎町スカウトサバイバル〜』。

そのほんの少し前までは、他人と話すことができない完全なる「引きこもり」だった僕がスカウトマンの仕事?
声をかけるのも怖い、嫌われたくない僕が意外とこの仕事にむいていたんです。

なぜなら人に嫌われたくないから

上司や先輩に嫌われたくないから。
スカウトした女の子に嫌われたくないから。

だからこそ精神的にはきつくても頑張れたんです。
ある意味「荒療治」にはなりましたが、僕はもう一度社会に出て働くことができるようになりました。

その後、父が病気で他界し、いろいろな仕事を経験しました。



あるとき、知人から持ち掛けられたウォーターサーバーの「営業」の仕事。
これが今の「株式会社 天山」の事業の前身になります。

「うつ病」で空白の期間があった僕がようやく「社会復帰」できたのに、とんとん拍子で「起業」をすることになったのです。

何度も言いますが「声をかけるのも怖い」「人に嫌われないことばかりを考える」僕が「営業」の仕事をはじめたんです。

その後も紆余曲折はあったのですが、この営業の仕事を続ける中で徐々に仕事の幅が広がっていきます。

仕事の規模を広げる中で、取引先によっては「個人では相手にされない」という壁にぶつかることになり、法人格を作り会社として立ち上げることになりました。

「株式会社 天山」の誕生です。

この「天山」という名前。
僕「向田 天心」と、僕をうつ病から救ってくれた友人であり副社長でもある「徐 冰」の名前を1文字ずつとったものなのですが、とても気に入っています。

順調に仲間が増え、仕事も増えた
いざ自分の「会社」も立ち上げた

一見順風満帆に見えますが、ここからが大変でした。
「会社経営」と「個人事業主」では、お金の流れがまったく違うものでした。

帳簿の見方すらきちんとわからないまま立ち上げた会社は、あっという間に資金難に陥りました。
ひどいときには社員の給料も払えず、消費者金融から借りれるだけ借りて社員の給料に回す。
借金は2000万円の膨れ上がり、利息の催促の電話がじゃんじゃんかかってくる生活になりました。

もう会社をたたもうか…。
そんなときに知人から東京での電気工事の仕事を手伝わないかという依頼がありました。
国からの委託事業で、とにかく一軒一軒まわって説明をし工事をするという仕事。

当時「株式会社 天山」にいた男4人で東京に移動して、1K7畳のアパートで全員で共同生活をはじめました。
大の大人、しかも男性が4人ですからまあ狭い。
ユニットバスやトイレのバトルも壮絶でした。

昼間はひたすらその工事の仕事をし、夜はその7畳1Kで雑魚寝。
そんな生活を1年続けて、みんなで借金を返済しました。

その後広島に戻り、今の通信事業などを改めてスタートしていきます。

今の僕の会社のメイン事業は、通信大手キャリアのイベントやショップなどでの販促活動です。
ショッピングモールや街で通信会社の勧誘を見かけませんか? 
通信キャリアのイベントなどに人を派遣していく仕事になります。

おかげさまで今は広島だけにフォーカスを当てると知名度が高くなり、会社の名前を出せば仕事が取れるような状況になりました。

株式会社 天山
を呼べば数字が上がる

通信事業の始めて3年目くらいから、売上も順調に上がっていきます。
そして社員や派遣スタッフという、仕事をしてくれる「仲間たち」が増えていきます。

ここで僕はお金(会社の売り上げ)ではなく、この「仲間たち」の存在に心地よさを感じていることに気がつきます。

僕自身の会社経営のモチベーションは、今一緒に働いてくれている「仲間」。
社員はもちろん、派遣スタッフも大切な「仲間」。

彼らのことを好きになって、彼らから好かれることが、僕にとっては一番価値があり、僕の自己肯定感を底上げしてくれることなのではないか。

僕のように人の目が気になって、人に嫌われることが嫌いな人間は、人から好かれたり肯定されたりすると「普通の人の2倍から3倍嬉しい」のです。
「コミュ障」の僕だからこそ、この喜びを味わえて、そして自己肯定感を感じることができるのです。

結果的に「社員やスタッフのことを第一に考える経営者」が生まれることとなります。

現在は中国地方と九州地方の通信キャリアイベントで、週末には30人以上の派遣スタッフが稼働しています。

「株式会社 天山」を呼べば数字が上がる!

と言われているのは、平日は週に5日間は事務所で研修を行っている、徹底的な営業教育があるから。
派遣スタッフはもちろん、通信大手キャリアで働くスタッフにも接客やノウハウを教えています。

ミスをしたら「褒める」会社

僕の会社では「ミスをしたら褒めろ」というルールを作ってます。
社員や派遣スタッフがミスをしたら叱らずにまず褒めます。

何かミスをしました、お客さまからクレームがありました。
そんなとき、僕はまずこう言います。

「いいね!」
「その調子でがんばろう!」

社員や派遣スタッフの「熱量」を上げるためには「褒める」…これにつきます。
怒られて熱量が上がる人なんてまずいないですから。
もちろん業績をあげたとき、頑張っている人にはさらに細かく褒めます。

この「ミスをしたら褒められる会社」という言葉を僕自身がとても気に入っていて、一番のモチベーションだったりします(笑)。

 「コミュ障」こそ経営者に向いている

「他人から嫌われたくない」という思いがあるから経営者として上手くいく。
それが僕の持論です。

今ではずいぶんと他人とコミュニケーションが取れるようにはなりました。
それでも僕はいまだに「嫌われる」のが怖いし、「他人が自分のことをどう思っているか」が気になります。

僕のように他人とのコミュニケーションが苦手な人間は、従業員たちがどんなことが辛いか、どんなことに不満を感じているか…そちらに力を注ぎます。
そしてその解消のために動く。
なぜなら、自分が嫌われたくないからです。

それと同時に、働いてくれる人たちにはなるべく気持ちよく働いてほしい。
だから僕はどんな些細なことでもすぐ感謝を口にするようにしています。

これをしてくれてありがとう
働いてくれてありがとう

過去に辛い経験をしてきたからこそ、自分自身もそう動いていこう…そう思っています。



【資金の使い道】

ご支援いただいた資金は電子書籍出版費用として大切に使わせていただきます。

目標金額:30万円

■電子書籍出版費用
■CAMPFIRE等手数料

【実施スケジュール】

■2022年12月 クラウドファンディング終了
■2023年1月   電子書籍出版


■電子書籍:1,500円

■個人スポンサー+電子書籍:4,000円

■携帯電話料金の見直し相談+電子書籍:5,000円

■向田天心の人生お悩み相談+電子書籍:10,000円

■向田天心と食事会+電子書籍:15,000円
※広島市内・飲食代込み(僕がセレクトした店にお連れします!)

他にも魅力的なリターンを各種そろえています。
詳しくはリターン一覧をご覧ください。


最後までお付き合いいただきありがとうございます。

もしかしたらこのプロジェクトをご覧の方の中には、コミュニケーションに困難を抱えて悩んでいたり、引きこもりのような状態の人もいるかもしれません。

僕自身、とてもつらい時期を過ごしましたが、「僕のような経験をした人を救いたい」とは思っていません。
なんだかそれはおこがましいような気がしますし、「うつ状態」から抜け出すのがどれだけ大変なことかは、僕自身がよく知っているからです。

でも僕は今、こうやってかけがえのない仲間たちとビジネスを行うことができています。
「暴力を使わないジャイアン」だった以前の僕とは変わってしまいましたが、それでも毎日を楽しく幸せに暮らすことができています。

誰とも話すことができず、目を合わせることができなかった僕でもこんなことができる。

少なくとも僕みたいな例があるということだけでも知ってもらえれば。
それが書籍を書いた理由です。

もっと深い話、僕の空白の2年間について、そして続きは電子書籍でお楽しみください!

みなさんのあたたかいご支援・応援をよろしくお願いします!

※電子書籍はLaula Publishing(代表 森永知樹)を通しての出版になります。


本プロジェクトはAll-in方式で実施します。
目標金額に満たない場合も、計画を実行し、リターンをお届けします。

  • 2022/11/25 10:38

    クラウドファンディングのプロジェクト公開から約2週間経ちました。みなさまの温かいご支援をいただき30%達成しました。ありがとうございます!クラウドファンディング終了と書籍出版まで駆け抜けますので、引き続き応援・ご支援をお願いします。僕の住んでいる広島では、今年も冬の風物詩「ひろしまドリミネーシ...

  • 2022/11/15 09:34

    11月11日にクラウドファンディングがスタートしました。さっそくリターンを購入していただいた方、ありがとうございます!クラウドファンディングの支援目的は電子書籍出版です。僕がコミュ障になった理由や、コミュ障でありながらも起業できたこと、そしてスタッフをたくさん抱えて充実した毎日を送っている今の...

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