※2023/4/6追記【目標金額達成のお礼】 

皆様のおかげで目標の50万円を達成することができました! ありがとうございます。 ご支援いただいた資金は大切に使わせていただきます。 

クラウドファンディング終了まで、まだお時間がありますので、今後はネクストゴールにチャレンジさせていただきます。 

ネクストゴールは100万円です! 

せっかくいただいたこの機会に、最後まで走っていきたいと思います。応援よろしくお願いいたします!

はじめまして。
株式会社エデュコンサルティング所属のキャリアコンサルタント根本豊です。

私のこれまでの人生は紆余曲折の連続でした。
幼少期の義父の虐待や親の2度の離婚、非行に走った時期もありました。
しかしながら出会う方々に助けられ、「出会いとともによりよく生きる」の繰り返しで四半世紀の時間を重ねてきました。

「会社員時代には営業や管理者として多数表彰され実績を積んだものの、組織の中では自分の思う顧客満足活動には限界がありました。そこで会社員の枠を飛び出せば、お客さまとより丁寧に、より深く、課題解決ができる。
培ってきた営業力やマネジメント力、業績回復ノウハウ、教育・採用、組織開発などのサービスにより、お客さまの課題にワンストップで解決し喜んでいただける」。

こうした思いから2012年にコンサルティング会社を立ち上げ、お客さまの課題解決を中心に、「よりよくあることの実現(Well-being)」 を目指しています。 



私は華やかなキャリアに見えるようですが、けっして順風満帆ではなく、紆余曲折の壮絶な人生でした

2度に渡る親の離婚や義父からのDV、その影響もあり高校時代はいわゆる不良少年でした。
また毎日の喧嘩によって高校を中退せざるを得なく、その後は縁ある学校に転校してなんとか卒業。

高校卒業後は夢も希望も自分には縁のないことだと人生を諦めながらも就活。
残された進路の営業の職種を選り好みしてなかなか決まらずその日暮らしだった10代。

10代最後の年に出会った人たちの影響でブライダル会社の社員になり、営業キャリアを積んだ後は会社設立(のちに失敗)や六本木での水商売などを経て、求人情報誌を扱う大手出版社の契約社員に採用されました。
出版社ではMVPを獲るなど業績がよく会社から幾度となく表彰をされましたが、なかなか社員になれませんでした。営業業績、マネジメントで一定の評価を受けたが満たされていないと何度も落ち、3度目の正直で社員試験に合格。

また恩返しのために必要な教員免許を取得するため、リベラルアーツ(仕事人間からの脱却をするための一般教養)を高めるため、仕事を学術で裏付けする目的で44歳で早稲田大学に進学。
毎日の睡眠を削り仕事と学業を両立して、最初の2年は年間マックスの40単位取得し、3年時は30単位取得、4年時はほぼ研究室で仕事に関することをテーマにした研究に没頭し社会人ながら4年で卒業を実現しました。

求人情報誌17年、関連会社7年、独立して11年の合計35年の人材業界の経験とキャリアをもとに企業コンサルタント、キャリアコンサルタント、教育コンサルタントとしてたくさんの方を支えています。
とくにキャリアコンサルタントとしては年間400組以上の就職・転職希望者と面談をして、進みたい方向へと導いています。

失敗と挫折ばかりの人生でしたが、自分のことを理解し分析しながら歩んできたことで、こんな私でも結果的に「自分らしく」生きていくことができました。

剣道でハワイに遠征

野球のオーストラリアのチームメイトと

書籍「自分らしく生きるための自己分析」は、新卒の就活、転職、40~60歳になったときにどうしようか考えたい人に読んでほしい一冊です。

書籍は60年間の私の人生をモデルとした私小説題材を使って自己分析の練習ができるようになっています。

自己分析をすることにより
■自分の人生の将来を具体的に描ける(どう生きたいか、どう生きたくないか)
■近い将来のために今、何をしたらよいのか
■人生の変遷や自身の本質がわかる
■自分に取ってのMUST(しなければならない)やWANT(ほしい)が明確になる

また本書で習得できることは、巻末付録のワークシートを使うことで
①本質を考える力がつく
自己分析を深堀りしても「ループしてしまい、うまく進まない」という方のための分析のコツを掴んでもらう。

②言語化力が身につく
自分の「強み」と思うエピソードを本書に添付されている「〇〇力」や「〇〇性」など、スキルや特性を言語化した表と照合し一言で表すワードと自身のエピソードと繋げて考えられるようになる。

③面接に強くなる
自己分析で掴んだ「強み」を簡単なロジックを使ってプレゼンできるようにして就活・転職であればエントリーシートや職務経歴書作成、面接での自己アピールなどですぐに使えるようになる。

④自分らしさが見えてくる
自己分析練習の題材に使う私小説のストーリーは私の実話がベース。家庭環境、経済的事情など10代の黒歴史から還暦までの紆余曲折が書かれていて、不幸な人生を分析練習することで、自己肯定感を持って「自分を知る」ことができる。

巻末付録のワークシートフォーマット

ワークシートの使用事例
強みは経験によって変わることが多い
10代、20代、30代、その後と変わっていく自分をどのように分析し今日に至ったかは、就職のためだけでなく、自分らしく生きるヒントとなり、よりよい人生になるよう少しでも役に立てればと考えています。



今でも思い返すと辛いことばかりだった私の人生。
実話がベースの私小説を少しお見せします。

「人間の不幸の上に人間が立っている」
黒歴史ばかりの人(私)の不幸な人生を分析材料として使ってください。

タイトル:「自分らしく生きるための自己分析」
出版:2023年5月末予定
ページ数:200ページ予定

※出版社の許可を得てリターンを実行します。
※自費出版です。

■少年との会話
多摩川大橋から見える東側の景色が好きだった。

ふとベンチを見ると高校生と思しき少年がポツンと佇んでいる。声をかけても面倒なおじさんと思われるだろうと思ったが、快晴と穏やかな風が少年への声かけの背中を押した。

「いい試合だったね」

「全然打てなかった」と試合結果についての意外な返答だった。

「まあ、そういう時もあるよ。野球は3割の確率でヒットを打つことができれば評価されるスポーツだからね。おじさんも年間110試合くらいやっていた頃は、そんなことしょっちゅうあったよ」

「110試合?」

少年は少し心を開き出し、私はこう続けた。

「ただの野球バカだよ。野球はストレスがたまるほどやりたくなる。つまりストレスの治療薬ってとこかな」

「まあ、おじさんの少年時代に命を繋いでくれた相棒だったと言っても過言じゃない。まあ要は家に帰りたくなくてね。家庭に問題があったんだよ」

「なんで?なんで帰りたくなかったの?」と少年が食いつく。

「まあ、俺の場合、単純に嫌だったのは父さん(義父)のDVだったかな」

少年はベンチを跨いで俺の話に聞き入り始めた。

母親に反対されながらも
野球少年だった小学・中学時代

■少年期(小学校) DV生活と崩壊した学校生活
昭和中期の日曜の夜8時、普通の家庭では家族団らんの時間だが、あいつ(義父)は酒を飲んで帰ってくる。

可愛がっていた手乗り文鳥を枕元で手の中に包み込み、薄目を開けながら寝たふりをしていた。
酒の臭いが近づいてくる。目をつむる。
次に目を開けた時、手のひらから抜け出した手乗り文鳥があいつ(義父)の踵(きびす)で全体重をかけられていた。

台所で母親と口論をしているあいつ(義父)へ踵を返してやろうと障子を開けた。
飛び込んできたのはあいつ(義父)のアッパーカットが母親の顎を捉え、母親の前歯が飛んでいくシーンだった。

スローモーションで今でも鮮明に蘇ってくる。

■少年期(中学生活)義父のDVからの脱出
中学に入って間もなく、また母親が訊いてきた。
「将来何になるの?」
求めている答えはわかっていた。

わずか2.5cmの傷しか残さないという盲腸手術の名医に執刀してもらったが、なぜか麻酔が効かず、手術の途中で目が覚めてしまった。
「何かが内臓を引っ張っている」。

弱々しい姿が目に入ると、あいつ(義父)にDVを受けていた小学生の自分の姿が重なり、ようやく我に返った。気がつくと救急車とパトカーの赤色灯が辺りを照らしていた。

■音 精神的放浪
この頃から家に帰るのが遅くなっていた。母親は部活の剣道をやっていると思っている。

「お金がないのよ」
母親は2度も離婚したにもかかわらず、女の意地とかで慰謝料ももらっていない。

息子の将来よりも自分の老後の心配をしている。俺は何のために生まれてきたのか。この親の面倒を見るために飼育されてきたのだろうか。
直視したくないものを詰めこんだ壺を床に叩きつけたような「音」が頭の中で木霊した。同時に悪臭が漂ってくるような気がした。

中学地区大会団体優勝 
個人戦では3位
■初めて出会った信頼・尊敬できる4人の大人 ターニングポイント
高校生活は序盤から荒れ果てた。ほぼ毎日がストリートファイトだった。怪我をしても喧嘩をし続けていた。考えることがなくなり目を瞑ると辛かったDVの記憶が襲ってきたからだ。

翌朝の牛乳配達で空瓶を届けながらバイト先の社長に報告をした。
「社長、俺、バイト辞めなきゃならないかもしれない」「いろいろ悪さが重なって、今度は学校に許してもらえないようなんです」

1人の不良少年のために尽力してくれた。3人の大人が輝いて見えた。今、教育に携わりたいと思うモチベーションの根幹はここにある。

高校2年の夏から秋への移り変わりの時期に、自分の人生も大きなターニングポイント(転換期)を迎えていた。高校時代はほぼ毎日が
ストリートファイトだった
■500人の不良組織のトップからの更生 
退学問題で揉めている時期でも、まだ未練がましく行きたい大学があった。
俺はさまざまなことで謹慎や停学になっていた。次に何かやったら学校生活は後がないと何度も通告されていた。

田舎の駅に不良の高校生が500人。警察も状況をつかめないままパトカーが何台も出動したという。そのとき俺は喫茶店にいたが、街中の警官が俺を捜していたという。

転校した高校は1クラスだけ俺が入る進学クラスがあったが、他のクラスは不良の巣窟となっていた。

■初めての信頼できる友人
俺は恋愛面でも恵まれなかった。人の愛し方がわからず、相手に対して自分本位で自分勝手に振るまうしか能のない男が当然受ける仕打ちと言ったほうがいいかもしれない。

高田はいろいろな情報を提供してくれた。キャロル、矢沢永吉、ビートルズ、オールナイトニッポンなどは全て彼の影響だった。ラジオを聴きながら5時間くらい電話で話すこともあった。

■母親の暴走
高校1年の事件以降、予想に反して女には困らなかった。17歳のバレンタインの日には「俺のファンクラブがある」と、ヤンキー女子から、いつも乗っている電車の車両に待ち伏せされ紙袋にいっぱいチョコレートをもらった。

誠子とは学校の帰りによく会った。帰ってからも毎日、電話をして話はつきなかった。

「実は昨日、あなたのお母さんからうちに電話があって、私の母親と話したの」
「なんで?どういうことだよ?」
「それでね、まあ、簡単に言えば、私があなたをそそのかして不良にしたって」
血の気が引いていった。言葉が何も浮かばなかった。

■女と裏切り
誠子との縁が遠ざかった頃、とことん幸せからは見放されていた。

ある日、愛実から電話があった。
健気な女の恋愛相談だった。そんな健気な恋愛相談を受けているうちに俺が恋に落ちてしまったのだ。

小谷さんはなかなか口説けなかった女を落とし、あっさり愛実を捨て、愛実もあっさり俺と付き合い始めた。
小谷さんも俺も相手は違うが、追いかける恋愛のスタートだった。

恋愛初心者の当時の俺は、愛実がすっかり元カレの小谷さんを忘れて俺と付き合っていると思っていた。
しかしそんなにうまくいくわけがなかった。

■決意(選べない進路)
「だめだ、このままでは俺の人生はない。飼い殺される」
「母親から逃げられない」

母親と離れたほうが双方の成長になるのではということと、もし自立した生活を望むなら未成年とはいえ他人のせいにはできないことを覚悟する、責任を持つことが自立の条件だった。それからの行動は早かった。

霧が晴れたような爽快な気分で引っ越しに臨んだ。見送る祖母の姿だけが脳裏から離れなかった。

■愛犬コロ(祖母以外の無償の愛情)
7歳になった頃、祖母が家を新築したため、引っ越すことになった。
俺は最後の往復時に荷物を積んだトラックに一緒に乗ることになった。当然コロも一緒に乗るものと思っていたし、コロもそのつもりでいるようなお座りをしていた。

しかし突然トラックが動き出し、俺は動揺した。
「コロは?コロを忘れてるって」
「今度引っ越すところは隣同士が近いので犬は無理なのよ」

■青年期 初期 自律と自立
19歳の夏が終わろうとしていた。
月1回の給料日に酢豚にチャーハン、餃子1皿にビール1本。当時の生活の中でささやかな贅沢であり、それは死ぬほど美味しい食事だった。

その求人は当時、飛ぶ鳥を落とす勢いのブライダル業界の仕事だった。人手不足だったこともあり即採用。20歳になる年の1月からの入社が決まった。

アルバイトで建設作業員をしていた時代■青年期 自己実現への覚醒
「ありがとう、ほんとにありがとう。あんたにやってもらって本当によかった」
新郎の母親が続けた。
「うちのお客さんをたくさんもてなしてくれてありがとうね。みんな喜んでくれたのよ。ありがとう」
50歳過ぎた大人が涙を流しながら俺にお礼を言ってくれている。

殺されそうになったことも死にたいと思ったこともあったが、俺は生きていると実感した。自分はどこにも逃げなくてもいいのだ。ここに留まっていいのだ。

ブライダルの会社で働いていた時代■念願
これが目標設定する人生の始まりだった。
1つ目は24歳までに会社を作り、貧困生活の記憶を塗り替えるほど経済的な安定がほしい。
2つ目はスーパーカー世代だったので成功の象徴と思っていたのか28歳までにBMWを購入する。
3つ目は35歳までに祖母のように自分の家を持つというものだった。

これまでの人生を逆転させることと、尊敬する祖母の背中を追いかけてのことだった。
現在では時期が前後したり形が変わったりしたが、ハワイ移住を除いては全て達成した。そして最後の目標に向けて活動中である。

■青年期 20代中盤の乱高下 逃避 再びどん底生活の始まり
「会社やろうかと思うんだけど一緒にやるか」
2つ返事だった。

出足はよかった。会社を辞め10か月が過ぎ、冬の声が聞こえてきた頃だった。

常務から再び突然の呼び出し。10か月前のいい話とは違っていた。嫌な予感は昔から当たるほうだった。それは突然の事業中止。青天の霹靂だった。

■応援と裏切り
そんな時に出会ったのが奈々だった。奈々は彼女の同僚の筒井まきと六本木を歩いているところをキャッチした1人だった。奈々と

「ちょっと、あんた、矢沢永吉、好きだって言ってたわよね」
夢のようだった。目の前にあの矢沢永吉がいる。
期間限定で手伝う店は六本木の20坪ほどのクラブだった。
カウンターとホールを1人でこなさなければならなかった。オリジナルのカクテルメニューを作るくらいの腕は持っていた。

六本木で水商売をしていた時代

■青年期 20代後半 リ・スタート
俺はポケベルを止めた。3週間で1本も売れないので戦力外通告か……。そんな不安を募らせながら10円を入れて使うタバコ店の公衆電話から電話をした。

結局、俺は新規顧客から大仕掛けをして、最後の3週間で大逆転に成功し、2四半期連続で目標達成したのだ。俺は調子に乗っていた。

■青年期 自分の営業スタイルの確立
昼間の仕事を始めてから少しずつ奈々とすれ違いができていた。
奈々は飼い主に呼ばれた子犬のようにベッドにもぐり込んできた。奈々の体は全身冷え切っていた。
もしかしたら冷えていたのは体だけではないのではないか……。

その後、奈々が俺の電話を鳴らすことはなかった。営業の目標達成のための努力と忙しさは、隙間ができると入り込んでくる奈々との悲劇的な思い出を追い出してくれた。それもあって2回目の売り上げ目標は、最後の一発逆転で劇的な達成ができたともいえる。これが奈々の最後の応援として自分の心を整理した。

ここまで読んできた内容を
分析練習の題材として取り組む
■青年期 チャンス到来
朝8時半に出社し1時間後の朝会が始まる前に前夜の原稿を仕上げ、当日の売り上げを見込み、朝会が終わるとすぐ外出。1日10件のアポイントがある日もあり、夕方に戻り、昼間の原稿の発注、それが終わったら夜の飲食店の営業に出向いた。

27歳で3度目の四半期は初めて井川と俺と2人そろってMVP表彰を受け、チームとしても表彰され波に乗ってきていた。

舞台で表彰スピーチをしました■青年期 新たなる苦悩
職場は混沌とした。自分も気づかないうちにストレスがたまって尿管結石ができていた。初体験であったが想像を絶する痛みにのたうちまわってさすがに休みを申請し自宅で休んだ。

翌年28歳の年齢で社員に昇格した。しかし社員試験は一筋縄ではいかなかった。業績では申し分なかったが面接では2度も不合格になったのだ。年齢は28歳、社員昇格には少し遅い年齢といわれていた。

■青年期(大転換期)建て直しというミッション
「お前、誰に言ってるの?俺流の1位の取り方を教えてやるよ」
これまで俺は足し算の業績の組み立てしかしてこなかったので興味津々だった。この時に教えてもらったやり方は、その後のマネジメントにも大きく影響し、仕事を楽しむための方略としてさまざまな場面で役に立った。

■青年期 関西への異動
全拠点、小組織ともにNO.1をとったあとは、拠点に自信と誇りという余韻が漂い次の期も好調にスタートしていた。

「えーっと新しい拠点の配席ですが、ここにあなたの席はありません」
野田さんはこういうサプライズ内示が好きな人だった。
「は?俺だけ異動ですか?」
「そう、関西。2週間後には着任なので早速準備してくれ」

■新天地
横浜にカムバックした1999年。年齢は36歳の時に話を戻すと、新任の市場戦略グループの組織のミッションに早速、取り組みを始めた。

初めは断続的な出血があったので鼻にティッシュの詰め物をすることで対処できていたが、ある日、自宅で食事をしている時に、鼻の穴から水道の蛇口をひねったかのように出血し、あっという間にゴミ箱に血が溜まってしまった。血だらけの手で死を意識しながら救急車を呼んだ。医師の診断は高血圧による鼻の血管からの出血とのことだった。

■中年期初期 選択肢
いつ独立すればいいかという引き際も探していた。独立の方向もいくつか選択肢があった。基本的にはこれまでの経験やスキルを活かしたコンサルを考えていたが、好きなものを仕事にする夢もあった。
それが1つ目のラーメン店の経営であった。

■決断
仕事から自分を引くとゼロというつまらない人間を変えたかった。
だから土日は絶対に仕事をせず、趣味やリセットの時間に費やした。

語学学習や中小企業診断士の勉強もしていた。
ただTOEICを受けるわけでもなく、中小企業診断士の試験を受けるわけでもなく、何か勉強をしているというだけで自分を安心させていた。

本当にしたいことができないので代替行動をしていることにも気づいていたが、「俺は仕事人間ではない」と、自分にそう言い聞かせるだけの材料となっていることにそろそろ向き合う時がきたとも考えていた。

その解決策は「大学への進学」だと思っていた。

■届かない手紙(支えと憎しみの喪失 精神崩壊)
2006年10月、叔母から突然の電話だった。母親が脳出血のため救急病院へ運ばれ意識不明の重体。全ての可能性を考えなければならないということだった。しかしなぜか冷静だった。

年が明けた2007年の1月、最愛の祖母が他界した。
祖母は自分の最期を悟り、私へ手紙を出すと言って寝たきりだったにもかかわらず、郵便ポストに入れようとしていたという。その必死に出そうとしたという手紙を叔母から渡された。
「俺の名前」「4人の友達」「夏」「ご無沙汰」。あの達筆な祖母が必死に書こうとしていたことが一瞬で知ることができた。

■死を考える
腎臓に親指ほどの大きな石があり、右側の腎臓が50%も動いていない可能性があり、腎臓を摘出しなければならないかもしれないとのことだった。

都内にいる尿管結石の権威を紹介してもうことになった。ここでこれから6回も手術することになるとはこの時はまだ知る由もなかった。

野球でオーストラリアへ遠征
野球は大人になっても続けている
■定期的な棚卸
親の2度の離婚。DVによる荒れた家庭環境により、野球と祖母に支えられていた精神も壊れ、小学校5年で自殺未遂。禁じられた野球の代替の剣道に支えられた時期もあった。
その後、大学にいけなくなったことにやけになり不良になった。そんな不良とDV経験の因果関係を感じながらも堕落していく自分を救ってくれた4人の大人の存在により高校は卒業し更生もできた。

ターニングポイントはこれか?

■中年期中盤 もう一つの卒業
出向時も含めて10年お世話になった会社を後にした。
日本大学の科目履修の残りの科目の合格と追加の教員免許の申請、キャリアコンサルタント資格の取得、会社の設立を目標に定めて動き出すことにしていた。

■自分の人生の意味と残された時間について
ここまで黒歴史であった幼少期から10代。それを立て直すことに必死になった20代。仕事の成功や趣味娯楽でバランスをとり人間力を高めようとした30~40代。その間、結婚は2度経験したものの、今思えば精神的、人間的に未成熟なまま結婚に踏みきってしまい一番欲しかった家庭の幸せは手に入れることができなかった。

残された人生はストレスフルな環境や人を減らし、俺がつきあいたい人間とつきあい、やりたいことをやる。それが自分にとって残された時間の使い方であり褒美であると結論づけたいと思っている。

断片的に書籍の内容をご紹介させていただきましたが、それぞれの出来事の詳細や私の心情はぜひ書籍を読んでいただけたらと思います。 


キャリアコンサルタントとして年間400組、今までに約1万人の就職・転職希望者と面談をしています。

面談しているなかで私が聞くのは

「あなたの強みはなんですか?」

もちろん、急に「強み」を聞かれても答えられる人はほとんどいません。

しかし就職・転職の面接や履歴書で必ずといっていいほど「自分の強み」は聞かれます。 

「強み」と似た言葉で「長所」などが挙げられますが、似ているようで意味はまったく異なります。 
「強み」とは仕事や社会生活で成果を出すためのスキルなのです。

会社の文化社会と合っていない社員が入ってしまった場合は、入社してもすぐに離職してしまったり、在籍している社員とうまくいかないといったことが発生してしまいます。
だからこそ企業側は学生や転職希望者の「強み」を聞いたうえで、その「強み」が自社で活かすことができるかどうかを判断するのです。

自分の「強み」を知るために、「自分らしさ」を引き出し、整理して、精査するために“過去の自分”と“今の自分”に向き合い分析してください。

自分の「強み」を知って、その「強み」を活かしてこそ“自分らしく”生きられるのです。

■いずれ就職する人
■いずれ転職する人
■人生の方向性が分からない人
■自分のことが分からない人

これからの未来を担う10代、20代の方はもちろん、40代以降の方は50代、60代をどう生きるか。

自分の「強み」をより明確に正確に伝えられるようにブラッシュアップしていくために、書籍「自分らしく生きるための自己分析」を「強み」を知る分析材料として使ってください


目標金額:50万円

2023年5月末出版(予定)の書籍「自分らしく生きるための自己分析」の出版費用に大切に使わせていただきます。

■「自分らしく生きるための自己分析」出版費用
■CAMPFIRE等手数料


■2023年5月10日 クラウドファンディング終了
■2023年5月末 書籍「自分らしく生きるための自己分析」出版(予定)
■2023年7月〜 準備の整ったリターンから実施


■書籍:3,000円
お礼のメッセージとボールペン付き

■個人スポンサー:3,000円
書籍にお名前掲載

■書籍付きキャリアコンサルタント相談60分:10,000円

■柴犬クリアファイル3種類セット:2,000円

■書籍・柴犬クリアファイル3種・柴犬Tシャツセット:8,000円
※Tシャツサイズ:S・M・L・XL

他にも魅力的なリターンを各種揃えています。詳しくはリターン一覧をご覧ください。


自分らしく生きる犬代表・柴犬

「自分らしく、柴犬らしく」

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

リターンにもオリジナル柴犬イラストのアイテムを用意していますが、なぜ私の書籍と柴犬が関係するのかわかりますか?

柴犬は縄文時代から生存が確認される犬種。
野生味あふれる性質で、昔から狩猟犬や番犬に適していました。

また 「ガンコ」で、散歩中に嫌と思ったら意地でも動きません。
「ツンデレ」でもあり、怒ったり喜んだり、表情がくるくる変わる犬でもあります。
「神経質」や「愚直」などともいわれます。

そのかわり、身内と思った人には自分が犠牲になってでも熊に向かっていくような勇敢で忠誠心のある犬でもあります。
だからこそ飼い主に一途で「自分らしく生きる」すべを知っているのが柴犬なんです。

辛く苦しい幼少期の私を支えてくれたコロも、その後に飼ったスズももちろんとってもかわいいのですが、ガンコでツンデレで「自分らしい」柴犬です。

ぜひたくさんの方に著書「自分らしく生きるための自己分析」を読んでいただき、分析によって自分の「強み」を知り、柴犬のように「自分らしく」よりよく生きられる人が増えたらとてもうれしいです。

本プロジェクトはAll-in方式で実施します。目標金額に満たない場合も、計画を実行し、リターンをお届けします。

  • 2023/08/03 22:01

    皆様61名のボールペン付きのリターン選択なさった皆様、遅れましてもうしわけありません。二日前に発送していますのでそろそろ届くことだと思います。万が一届いていない場合はご一報ください。加えてお知らせですが、8/6に電子書籍も出すことになりました。ワークシートをコピーして使わず読むだけの方はこちら...

  • 2023/07/29 08:42

    ご支援いただきました皆様表題の件ですが、先ずお詫びです。書籍のみコースをお選びになった61名の方々にボールペンが同封される予定でしたが業者の手違いでボールペンが発送されていないことが発覚ました。即送るように対応させていますので、もうしばらくお待ちください。もうしわけありません。関連しまして、ク...

  • 2023/07/05 10:08

    こちらの活動報告は支援者限定の公開です。

このプロジェクトの問題報告はこちらよりお問い合わせください