応援サポーターからのメッセージ(※順不同)

【女優 二階堂ふみ 様】

高峰秀子さんの出演された映画は、どの作品も私の心に残っています。フィルムに収められたその生き様は、美しさと力強さに溢れていて、時代を超えてメッセージを頂くような感じです。チャーミングで人間味溢れる高峰さんの一面を、これからも追いかけたい。そして多くの方と共有したいと願っております。


【女優 竹下景子 様】

【撮影:篠山紀信】

自分の道をご自身で拓いた勇気、傍らの人を「父ちゃん」と呼ぶ慈しみ、大好きです。



高峰秀子生誕100年実行委員会からのお願い

私たちは高峰秀子さんに会ったことがありません。

しかし映画を観て、著書を読んで、そして誰より高峰さんを理解している養女の松山明美(斎藤明美)さんから話を聞いて、高峰さんを知っています。

学歴は小学校一か月だけ。気が付いたら5歳で映画の子役にさせられていて養父母を養い、中学生からは加えて親戚十数人の生活を担わされ、文字通り"金の卵を産むガチョウ"として扱われました。

こんな自由のない、意志を無視された生活が、5歳から30歳まで、つまり松山善三さんと結婚するまで続きます。

こんな悲惨な半生を送った人だと、皆さん、ご存じでしたか?

しかし、高峰さんは日本映画史に残る大女優となり、読み書きも独学で習得して「名文家」と呼ばれるまでになり、25作の著書を残しています。

そして何より望んでいた素晴らしい伴侶と巡り合い、自分が願う”幸せ”にたどり着きました。

それは、高峰さんが自分を信じて、努力し続けたからではないでしょうか?

私たちは、高峰さんの生き方に「人間の限りない可能性」を見ます。

今この文章を読んでくださっている方の中にも、辛い半生を送られた方がいるかもしれません。中には、ご自分の恵まれない境遇を恨みながら成長された方もいるかもしれません。

それでも、このクラウドファンディングに支援しようと思ってくださる方々は、少なくとも今は、心に余裕を持った方だと思います。

そんなご自分になれたのは、あなた自身の心がけと努力だと思います。

高峰秀子さんは常に、努力する人の味方です。

私たちはあまり資金もなく大手広告代理店に依頼することもできず、手作りで生誕100年プロジェクトを準備しています。

至らないこと、失敗だらけの毎日ですが、私たちも自分自身を信じて、結果がどうあれ、ただ懸命に高峰さんの生誕100年を祝いたい、高峰秀子という人間を多くの人に知ってもらいたい、そう願っています。

高峰さんにはなれなくても、近づきたいと願っています。


私たちの仲間になっていただけませんか?

高峰秀子という、決して人生をあきらめなかった、投げなかった人に、その愛蔵品展示会で、写真展で、書籍で、映像で、会ってください。

きっと高峰さんがあなたを励ましてくれます。

「最後まであきらめるな」、そう言ってくれるはずです。

皆様とつながることを心より願っております。


高峰秀子 養女 松山明美さんから皆様へ

かつて高峰とこんなやりとりをしたことがあります。

――人生で大切にしていることは?
「潔さ。潔くありたいと思っている。仕事で大事にしていることは信用です」

――理想の生活は?
「深い穴の底でじっとしていたい」

高峰は、非社交的で目立つことが嫌いという、女優には明らかに不向きな性格でした。
事実、自ら望んで俳優になったのではなく、5歳の時、養父に背負われて松竹蒲田撮影所を訪ねた際、たまたま映画「母」の子役に選ばれて以来、「私はこの仕事には向いていない!」と痛感し、何度もやめたいと思いましたが、血縁十数人の生活を担わされ、やめることができませんでした。

その、いわば「好きになれない職業」を高峰は、「やめられないなら、せめて自分に恥ずかしくない仕事をしよう!」と、50年間、撮影には無遅刻無欠席で300余本の作品に出演して、日本映画界で最多の映画賞を受賞しました。

学歴は小学校一か月のみ、肉親の愛情なし、職業選択の自由も与えられず、肉親からは「金銭製造機」として扱われました。
 人間、こんな境遇に置かれたら、どうなるか――。

だが高峰は人生を投げることなく、不満も愚痴も言わず仕事を続け、30歳の時、松山善三という一歳年下の助監督と出会い、ようやく人としての幸せを得ました。

【松山善三と高峰秀子 撮影:秋山庄太郎 高峰秀子旧蔵】

決して幸せとは言えない境遇の中で、それでも自分が望む理想の人生をあきらめなかった高峰秀子という人に、私は目を見張る思いが今でもしています。

それでいてユーモラスで、料理が抜群に上手く、読書家で几帳面。

――整理整頓のコツは?
「いつ死んでもいいように。」

こんな人、二度とめぐり逢えないと私は思っています。

その人が生まれて100年経ちました。
皆さんにも高峰に会ってほしい。

高峰秀子の100年に参加していただくことで、人間は努力次第で己の望む理想を手に入れることができると、身をもって示してくれた高峰秀子という一人の人間に触れてほしいと、願っています。

そして200年後、300年後も、皆さんが協力してくださった跡を残したい、
私はそう願っております。

【松山善三・高峰秀子養女 松山明美(斎藤明美)】


高峰秀子という人

1924年、函館市生まれ。(本名:松山秀子)

5歳の時、実母が死去、叔母の養女となり上京してすぐに松竹蒲田の「母」で映画デビュー、「天才子役」として人気を集める。

13歳で東宝移籍、のちに自身が「私の映画の父」と敬愛した山本嘉次郎監督と出逢い、「綴方教室」「馬」など少女期の代表作を生む。

26歳で半年間渡仏、帰国後フリーとなり「二十四の瞳」「浮雲」で国内外の映画賞を受賞。文字通り日本映画界のトップ女優となる。

人気絶頂の1955年、30歳で松竹の助監督だった松山善三と結婚。以後「名もなく貧しく美しく」「女が階段を上るとき」「華岡青洲の妻」「恍惚の人」など生涯で300本を超える作品に出演。55歳で出演した「衝動殺人 息子よ」を最後に銀幕引退。映画賞受賞数は日本映画界最多。

文筆にも優れ、処女作『巴里ひとりある記』から『にんげん住所録』まで26作を著す。
自伝『わたしの渡世日記』は日本エッセイストクラブ賞受賞。

2009年、元週刊文春の記者・斎藤明美を養女にする。

2010年、永眠。享年86。


プロジェクト企画意図

2023年のカンヌ映画祭では、高峰秀子さんが主演の「宗方姉妹」がプレミア上映されました。

気がつけば5歳で映画の子役にされ、引退する55歳まで半世紀の女優人生で、高峰秀子さんが出演した作品は300余本。仕事が忙しくて小学校に一か月しか通えなかったにもかかわらず、“名文家”とまで呼ばれるまでになり、自伝「わたしの渡世日記」はエッセイストクラブ賞受賞。残した著作全25作は現在も版を重ねています。高峰の著作はアジアでも人気が高く、著書「わたしの渡世日記」は21年、中国語版が刊行され、23年は「巴里ひとりある記」が、24年は「ウー、うまい!」が中国語版として刊行される予定です。

高峰さん主演の名画の中でも、代表作「二十四の瞳」はゴールデングローブ賞に輝き、国内外で高く評価されています。また最大の代表作「浮雲」は、高峰が17本という最も多く組んだ成瀬己喜男監督による名作で、成瀬は日本の文化芸術に造詣の深いドナルド・キーンが絶賛、海外でも黒澤明、小津安二郎と並ぶ日本映画の名匠と讃えられ、海外サイトで人気の上位を占めています。

「浮雲」は殊にフランスで人気が高く、今も年に数回特集上映が行われ、フランスの映画監督レオス・カラックスは高峰の大ファンであり、以下のように述べています。「僕にとって高峰秀子は、リリアン・ギッシュからジュリエット・ピノスに至る、全ての銀幕上の女性たちの歴史を思い起こさせるものだ。彼女の顔つきは、小津映画のヒロインたちよりも日本的ではないように思える。奇妙に聞こえるかもしれないが、僕には彼女はフェルメールやダ・ヴィンチ、ラ・トゥール、ボナール、マティス等の画家のためにポーズをとっている姿が思い浮かんでしまうのだ」

『浮雲』ⒸTOHO CO.,LTD.

前回来日したカラックス監督は東宝撮影所を訪れ、正面入り口に飾られている黒澤明監督の「七人の侍」の壁画の傍で記念撮影をと担当者に促されると、「いや、僕は黒澤作品ではなく、この写真の前で撮ってほしい」と、成瀬監督・高峰主演の「女が階段を上る時」のポスターの前で満面の笑みを浮かべて記念写真におさまったほどです。

『女が階段を上る時』ⒸTOHO CO.,LTD.


「浮雲」はフランス語版が、「二十四の瞳」「名もなく貧しく美しく」は英語版が制作され、海外でも公開されています。
香港の俳優・レスリー・チャンは、高峰が映画祭で功労賞を受けた際、壇上にいる高峰に突然駆け寄り、彼女の両手を握りしめて言いました。「私は昔からあなたの大ファンです。あなたの作品は全部観ています。おめにかかれて、本当に光栄です」と。

主演作は社会的貢献も大きく、夫・松山善三の脚本・監督作品「山河あり」は、大正時代にハワイに入植した日本人の歴史を描いた名作で、高峰は主演女優でありながら衣裳係も務め、スタッフ全員の食事作りなど裏方でも活躍、戦前戦後の日系一世や二世の過酷な運命を描いて、国内外の映画賞に輝いています。

私生活でもハワイに家を持っていた高峰さんと松山監督は、晩年、ハワイ州に一億円を寄付して奨学金基金を設立、現在でも苦学して学ぶ大学生たちを援助しています。30代後半には、夫と共に渡米して、小児麻痺に苦しむ子供たちを助けるべく、全米でキャンペーンを行い、それは松山監督・高峰主演の「われ一粒の麦なれど」にも象徴されています。

映画文化で外国との交流を考えた場合、高峰秀子さんがインバウンド客に果たす役割は大きいと同時にSDGsジェンダーの観点からも当時、閉鎖的であった映画業界において、女性が活躍する姿を世に知らしめた功績は計り知れません。

また、現在、「二十四の瞳」はハリウッドでの映像化が検討されており、その初版である1954年版は、まさに殺伐とし未だ紛争が絶えない世界において日本が海外に架けた大きなかけ橋になる作品であることは言うまでもありません。

『二十四の瞳』(1954年)監督/木下惠介 写真提供/松竹

生誕100年となる2024年を機に、高峰秀子さんの俳優としての功績に限らず、人として、女性としての生き方、美学、何を大事にしたのかなどを、今の若い方々にも知ってもらいたいとの想いから、本プロジェクトは企画されました。


高峰秀子生誕100年プロジェクトイベント内容

様々な角度から高峰秀子という人物を多くの方に知って頂くために次のような内容を考えました。

〇全国の名画座さんに高峰秀子出演映画の特集上映をお願いしています。
2023年10月15日~31日  池袋・新文芸坐にて「高峰秀子と名作たち」 12作品上映

2023年11月11日      香川県立ミュージアムにて映画「カルメン故郷に帰る」上映

2024年1月1日~3日         池袋・新文芸坐

2024年2月3日~      大阪九条シネ・ヌーヴォ

2024年3月6日~5月4日   ラピュタ阿佐ヶ谷
            「昭和の銀幕に輝くヒロイン高峰秀子 少女スタア時代篇」 
             11作品上映

2024年4月7日       高知県立文化ホール
            「女が階段を上る時」「衝動殺人~息子よ」「母」3作品上映

2024年11月~約3か月  鎌倉市川喜多映画記念館「3人の映画監督と高峰秀子」

〇高峰秀子生誕100年特別展「高峰秀子が愛したきもの」展  三越日本橋本店4階呉服部
 高峰秀子デザインによる着物ほか、愛用した貴重な着物の数々を一挙展示。
 入場無料

〇高峰秀子生誕100年大特別展「逆境を乗り越えた大女優 高峰秀子の美学」
 昭和の映画史を彩った数々の出演作品のスチールや映像、プライベート写真、自筆原稿や絵画、趣味の骨とう品から生活用品まで、あらゆる角度から人間・高峰秀子を表現。一部高峰秀子の愛車も展示。

〇「巨匠が撮った高峰秀子」写真展  東京都写真美術館(予定)
 土門拳・木村伊兵衛・秋山庄太郎・大竹省二・早田雄二・立木義浩・操上和美など、そうそうたる名写真家のファインダー越しから見た女優・高峰秀子を一挙に公開。

〇エッセイストとしての高峰秀子を探る 主だった書店様に高峰秀子関連書籍のフェアを働きかけしています。
 キネマ旬報社から2023年11月1日刊行された「高峰秀子日めくり言葉31」は高峰さんの何気ない言葉ひとつひとつに頷いてしまいます。


実行委員会メンバーから

瀬戸内の小さな島、小さな町が目一杯背伸びして取り組んでいます。

皆様の応援をお待ちしています。

 【実行委員会 左から二十四の瞳映画村 有本、小豆島町 川宿田、中武】


資金の使い道

●皆様からいただいた資金は、記念事業のイベント助成費として600万円、宣伝費として400万円使用させていただきます。


<募集方式について>
本プロジェクトはAll-in方式で実施します。目標金額に満たない場合も、計画を実行し、リターンをお届けします。

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