石川県珠洲市の食の現状

能登半島地震の発生から2か月近くが経過しました。被災地となった能登半島の一次避難所ではいまだ7000人以上が避難生活を送っています。
能登半島の先端に位置する石川県・珠洲市。市内の約8割の建物が被害を受け、いまだ、ほぼ全域で断水が続いています。


私は宝立小中学校避難所で、給食係をしている宮口です。


私たち宝立小中学校避難所には今も250名ほどが入所しています。
ここは指定避難所で、周辺には30名程度の自主避難所もいくつかあり、自宅避難者の方もおられ、ここの炊き出しをあてにされています。 400食が、あっというまになくなります。

さらに、宝立小中学校には35名の生徒が通っており、教員も含め50名の給食として提供される日もあり、大変喜ばれています。

通常は4-5名で炊き出し作業をしております

炊き出し隊には、かなり救われています。
今日、明日の食事が決まらないというのは非常に不安で、まとまってキッチンカーを調整してくださる枦山(はぜやま=キッチンカー代表者)さんのお陰で、一週間分の食の保障がされ、安心しています。


ここ宝立町を含む珠洲市全域で2月現在、水道が来ていません。仮設住宅の建設も始まっているようですが、いつ入居できるかは分からず、見通しのない避難所生活を覚悟しています。
リハビリの様子

自衛隊の炊き出しも、ゆくゆくは撤退していくという話を聞いてますし、一日に一回でも温かい食事をいただけるというのは、前を向く活力になります。

一度飢餓を経験し、食事は生きていく上で一番大切で、心身共に元気を与えてくれるものだと、本当に思います。今後も継続して、食事をいただけますよう、皆さまのご支援をお待ちしております。

TBSで被災地の現状を取材いただきました。

被災した当時の食の現状

被災した当時は道の駅におり、指定避難所であるこの小学校までは車で10分ほどかかるのですが、当時道路が寸断されていたため、一晩を車中泊し、翌日家族と合流できました。市の指定避難所のため、800名以上の人が避難所に集まり、2日目の朝には水も食料もない、物資も届かない状態でした。

自宅からBBQコンロを持ち出し、冷蔵庫にあった肉、正月用の餅などを焼き、一夜を明かしました。近くにいた方にも食べて貰いましたが、それでも800人分は到底用意することができず、悔しい思いをしました。

3日目に地元の大工さんが炊き出し場として屋根を作ってくれ、地元の燃料店の方もガスボンベを運んでくれたので、そこに食料を集めて初めてかす汁を作りました。
手づくりの炊き出し場1週間近く、停電が続き、ネットも電話もできない状況の中、家族もみな救出作業に出かけているためなかなか会うことができませんでした。

その後地震発生から2週間近くは、緊急車両優先という方針もあり、ボランティアの方がほぼ来ていただけない中、毎日の食事が本当に大変でした。援助がなく、被災者の手で炊き出しを作るしかなく、携わっていた方々がコロナなどでどんどん体調を崩していき人手が足りませんでした。

炊き出し隊との出会い

地震から10日が経った頃SNSでこの近くにケバブのキッチンカーが来ている事を知り、熊本県から防災士として来ていただいた方にキッチンカー「炊き出し隊」リーダーの枦山さんを紹介してもらいました。
これが今回炊き出しのお手伝いをいただく、炊き出し隊との出会いです。

ケバブ屋さんが来ていただきました

毎日明日の食事が用意できるか不安な日々でしたが、16日目からは炊き出し隊の方が来て下さったおかげで1週間の食事カレンダーを作ることができ、皆さんに炊き出し日のお知らせをすることができ、避難所は心が穏やかになりました。

ピザやさんに来ていただきました

炊き出しで残った食材を沢山いただいたくのは有難いことですが、食材が傷む前に調理しなければならないというプレッシャーや、大鍋をいくつも洗わなければならない、という負担も少なからずありますので、できる限り食事で提供いただけると嬉しいです。

調理室の様子現在まだ200名ほどがこの避難所で生活しております。さらに近隣の自主避難所が3ヵ所あり、それぞれ30名ほど避難されております。自宅避難の方は、いまだ缶詰などで生活しており、食事が十分にとれていない方が多くいます。将来的には、皆さんがどこに避難しているか管理ができ、炊き出し隊の方と共に、食事を定期的に提供できる仕組みが作れたらと思っております。

「日々の食事に困っている方が目の前に」


炊き出し隊リーダーの枦山です。私たちは大阪からこの珠洲市までキッチンカーで炊き出しを行っています。

「令和6年能登半島地震」被災地では、今この時もお食事に困っている方、暖かいお食事を待っている方がたくさんいらっしゃいます。キッチンカーなら断水している避難所にも、暖かくて美味しいごはんをお届けすることができます。「食べる」ことは「生きる」ことですが、人生の「楽しみ」や「喜び」でもあります。まだまだ厳しい寒さが続く被災地ではこの先も当分の間、キッチンカーに対する期待があります。ぜひ私たちの活動に力を貸して下さい!

「炊き出し隊」とは

私たちは「令和6年能登半島地震」で被災された方々に、キッチンカーで無料炊き出しを行う大阪が拠点のボランティア団体です。被災された皆様に、キッチンカーによる暖かくて美味しいお食事を組織的・継続的に無料提供することを目的に連日休むことなく活動を続け、当初1ヶ月で4万食をご用意できました。

被災地の方々に暖かくて美味しいお食事を提供し、先の見えない不安な日常のなか、「少しでも笑顔になっていただければ…」との思いから活動を続けています。機動力に富み、自己完結能力(食材調達・調理・提供・ゴミ処理など)に優れるキッチンカーは、災害時に大きな力となることを私たちは日々の活動を通じて実感しています。特に断水が続くエリアではキッチンカーの強みを存分に発揮できることを知りました。被災地でニーズがある限り、私たちはこの活動を続け、「食べる喜び」を被災した皆様にお届けしたいと考えています。

250円が1食分の温かくて美味しいご飯になります

「炊き出し隊」は1食あたり250円を目安に連日メニューを考えながらお食事を作っています。温かくて美味しいのはもちろんのこと、変化に富んだごはんを食べていただくことが大切だと考えています。

炊き出し隊のこれまでの活動(令和6年2月23日時点)

地震発生5日後の1月6日(土)、「炊き出し隊」は羽咋郡志賀町の富来(とぎ)小学校の避難所で最初の炊き出しを行い、避難されていた180名の方々及び周辺にお住まいの方々に昼は焼きそばとコンソメスープ、夜はハンバーグ丼と具沢山野菜スープを食べていただいたことからスタートしました。

以来、インフラの復旧状況や避難所の状況などをみながら段階的に活動範囲を広げ、一日最大6台体制で志賀町、輪島市、七尾市、珠洲市などの各避難所で炊き出しを行っています。

〈活動実績〉 ※2月23日時点                                 
活動期間: 2024年1月6日(土)〜2月23日(月) 49日間(うち3日間は荒天により中止)      
活動場所: 指定避難所、自主避難所など(現地と調整のうえ都度決定)
・志賀町(富来小学校、能登富士ふれあい文化センター、西浦防災センターなど)
・七尾市(御祓地区コミュニティセンター、山王小学校など)
・輪島市(輪島中学校、輪島高校、門前公民館、大屋小学校、阿岸公民館など)
・珠洲市(宝立小中学校など)
提供食数: 50,221食(1日最大2,600食)
稼働台数: 114台(1〜6台/日)
メニュー :ちゃんこ鍋、中華丼、パスタ、ミネストローネ、牛丼、肉団子定食、筍の土佐煮、野菜と甘酢あん肉団子、ハムカツ、揚げ餃子、親子丼、唐揚げ、メンチカツ、ササミフライ、ベビーカステラ、ハンバーグ、焼き魚、カレーライス、ケバブ、鶏肉と野菜の煮込み、牛すき煮、サワラの揚げ浸し、竜田揚げ丼、春巻、焼き鳥丼、チキン南蛮、中華スープ、野菜スープ、五目炊き込みご飯、野菜鍋、焼きそば、鯖の塩焼き、サワラ西京焼き、味噌汁、肉味噌あんかけ、ヤンニャムチキン、コロッケ、鶏と大根の旨煮、地鶏釜飯、旬の煮物など


炊き出し隊 日記 
※詳しくは、活動レポートをご覧下さい 

一般社団法人地域活性化プロジェクト縁GIN内「炊き出し隊」
https://engin.or.jp//notice

◆1月 
1日  令和6年能登半島地震発生
3日  キッチンカー「炊き出し隊」結成準備
4日  震源地の志賀町役場「環境安全課」に連絡、状況確認 
5日  食材調達〜仕込み
6日  炊き出し隊、第1回目の炊き出し実施・志賀町「富来小学校」(指定避難所)にて昼食、夕食をご提供
※以来、連日入れ替わり立ち替わりでキッチンカー有志が現地で活動
16日  七尾市、珠洲市、輪島市での活動開始 
※輪島市での活動は大阪府付託事業「キッチンカーあったかい食事支援隊」志賀町に現地物流拠点確保(食料・物資倉庫、スタッフ休憩所) 

◆2月 
2日  大阪府の「キッチンカーあったかい食事支援隊」活動終了
5日  活動開始から1ヶ月経過
12日  七尾市の御祓コミュニティセンター(旧避難所)にて「前へ進もう!」を合言葉にキッチンカー5台が参加して食イベントを開催。500名以上の被災地の皆様が来場
17日  吉村大阪府知事と面談、「キッチンカーあったかい食事支援隊」の活動に対する 謝辞をいただく
23日 炊き出し無料提供食数が5万食を突破
※現在も毎日炊き出し活動継続中です!

キッチンカー「炊き出し隊」リーダー枦山義彦より
「私は地震発生5日後の1月6日(土)に志賀町役場を訪ねて避難所の一覧表をいただき、飛び込みで富来小学校を訪ねて最初の炊き出しを行いました。以来、一日最大6台体制で志賀町、輪島市、七尾市、珠洲市などであったかいごはんを食べていただけるよう努力しています。その活動を通じて、私たちは本当に貴重な経験をさせていただいています。泣いて喜んで下さる方、深々と頭を下げて感謝して下さるお年寄り、すごく嬉しそうに「おいしい、おいしい!」を連発してくれる子どもたち…。皆さん自分たちが一番辛くて大変なのに、心のこもった言葉をたくさんキッチンカーにかけてくれるんです。それは私たちにとってなによりの励みになりますし、キッチンカーをやっていて本当に良かった!と全員が感じています。被災地の方に必要とされる限り、私たち「炊き出し隊」はごはんを作り続けたいと考えています。ご支援、ご協力、宜しくお願いします。」

現状の課題

炊き出し隊は、キッチンカー有志が集うボランティア組織であり、毎日数百食のお食事を提供するためには大きなコストがかかります。特に継続的に活動するためには食材費の確保が喫緊の課題となっています。
(かかる費用)
・食材費
・包材費
・燃料費
・交通費



被災者の声

◆だいごろう さん(志賀町)
「私は地震発生から富来小学校に家族で避難していました。小学校には約180人程度の方が避難しており、各教室で床に毛布などを引いて毎日を過ごしていました。
最初は 一日2食分のおにぎりを配給いただき、徐々に3食分のおにぎりやカップ麺、非常食をいただけるようになりました。数日後、家も心も整理出来ないまま余震にいら立ちながら過ごしていたところに、炊き出し隊さんが訪れてくれました。まだ 1月6日ということもあり、大きな余震が続いており、道路もほとんど復旧していない中、力になりたいとの一心でおいでになったとのことでした。あの時に頂いた焼きそばとデミグラスハンバーグ丼の味、 1週間ぶりの温かい手作り料理、美味しさだけでなく皆さんのお気持ち、一生忘れられません。50歳のおじさんですが、久々に涙がちょちょぎれました。
現在もさらに被害が大きい珠洲や輪島に炊き出しに行っておられると聞きました。勝手ながら、富来小学校避難者を代表して御礼申し上げます。まだまだ余震もおさまっておりませんので、くれぐれも気をつけてご活動いただければと思います。
今回の能登地震でいろんなものを失いましたが、炊き出し隊さんやプロ野球28会さんとの出会い、人の優しさや繋がりの大事さという「思い」をいただきました。
長々と取り留めない文面になってしまいましたが、皆様の今後のご活躍をお祈りいたします。」

◆Aさん
「1月1日(月)から約1ヶ月間、指定避難所で生活をしていました。耐震性と衛生面から避難所は1ヶ月で閉鎖になりましたが、その間、キッチンカーの皆さんは何度も、何度も、温かい食事を振る舞って下さいました。料理を作ることにも配給食料にも疲れていたので、涙が出るほど嬉しかったです。」

◆中山さん
「私は最大震度7を記録した志賀町にある富来(とぎ)商工会の職員として、発災直後に支援物資の調達や配給をしておりました。 そんな中、とある避難所でキッチンカー炊き出し隊の皆さまと出会い、彼らが志賀町だけでなく能登半島全域の避難所で連日に渡る組織的な支援をされていることを知りました。 配給のおにぎりやカップ麺ばかりの生活が続いてきた避難者にとって、出来たての温かい食事はどんなにありがたかったことかと思います。 しかしながら今なお、被災地では多くの方々が、北陸の厳しい冬の寒さに耐えながらの生活を強いられているのが実情です。 今後もこの心ある取組みを続けていただけるよう、全国の皆様にご支援をお願い申し上げます。」


「炊き出し隊」サポーター

プロ野球28会(ニッパチカイ)は、「炊き出し隊」の活動を応援しています!
28会は約23年前の2000年12月、令和6年能登半島地震の震源地・被災地で「夢・愛 球宴イン志賀」と題してチャリティーイベントを行い、志賀町社会福祉協議会を通じて高齢者の車椅子購入を目的としたチャリティー事業を開催したご縁があります。この度の災害発生に際し、志賀町役場に連絡を取り、キッチンカーを束ねる「一般社団法人地域活性化プロジェクト縁GIN」と連携しながら、事業を支援しています。

●中畑清会長のコメント
「令和6年能登半島地震で被災された皆様に心からお見舞いを申し上げるとともに、亡くなられた皆様のご冥福を謹んでお祈り申し上げます。震源地の志賀町は私たちがかつて少年野球教室やチャリティーイベントを行った思い出深い地です。皆さんがとっても温かく私たちを迎えて下さったことを今でもはっきり覚えています。2011年の東日本大震災では、福島にある私の実家も大きな被害を受け、私は”心の復興”と”犠牲者への祈り”を胸に被災地での慰問活動を1年で20回以上やりました。今年で古希を迎えたこともあり、被災地での炊き出し活動では戦力外ですが、心は常に能登の皆様と一緒にあります。28会としてしっかり後方支援していきますので、辛い日々が続くと思いますが頑張りすぎずに前を向いて進んでください。応援しています!」

参考:プロ野球28会とは?
昭和28年度生の元プロ野球選手による親睦団体。1990年の設立後、全国各地で少年野球教室やチャリティーイベントを通じて青少年の健全な育成、及び地域社会の社会課題の一助となることを目的として活動中。2011年3月11日の東日本大震災発生後は、被災地の少年野球チームに野球用具を寄贈する活動に加え、被災地での少年野球教室や野球交流会の開催、さらには東京ドーム、横浜スタジアムに被災地のチームをご招待するなど、足掛け6年にわたって活動。

最後に

Facebookにて炊き出し情報を発信しています。皆様ご確認いただければと思います。
https://www.facebook.com/tomomi.a.noto
2月1日より珠洲市での炊き出し支援を実施する際には、事前にオンラインフォームでの申し込みが必要になりました。
https://www.city.suzu.lg.jp/soshiki/61/12391.html
キッチンカー「炊きだし隊」情報はこちらから
https://www.facebook.com/profile.php?id=100067041733240

ページ制作サポート:株式会社パーシヴァル


支援金の使い道

集まった支援金は以下に使用する予定です。

  • 食材費

※目標金額を超えた場合はプロジェクトの運営費に充てさせていただきます。

  • 2024/03/31 21:27

    炊き出し隊です。クラウドファンディング終了まで約2時間になりますが、今もご支援をいただき続けており、本当に感謝でいっぱいです。どうか最後までお付き合いください。よろしくお願いします。-------------------私たち「炊き出し隊」とは震災5日後の1月6日からキッチンカー部隊による組織...

  • 2024/03/31 15:55

    炊き出し隊です。クラウドファンディングが本日終了となります。ここまでご支援と応援をいただいた皆様、本当にありがとうございます。あとわずかになりますが、最後まで応援をよろしくお願いします。-------------------「炊き出し隊」とは震災5日後の1月6日からキッチンカー部隊による組織的...

  • 2024/03/30 20:00

    2月27日(火)より始めました、【令和6年能登半島地震】被災者の健康を守りたい!温かいご飯を継続的に提供したいのクラウドファンディングもあと1日となりました。私たち「炊き出し隊」は、震災5日後の1月6日からキッチンカー部隊による組織的継続的な無料炊き出しを、志賀町、七尾市、珠洲市、輪島市の各被...

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