母の生きがいの海鮮丼屋を
もう一度復活させてあげたい!

自己紹介
皆様はじめまして。私は、輪島の小さな海鮮丼屋「わら」の店主の息子、坂口将寛と申します。ページをご覧いただきありがとうございます。
私の母、小路幸子は、3年ほど前から輪島の朝市通りの近くで海鮮丼のお店を営んでおり、私も仕事が休みの日には手伝っておりました。店名の由来である「店を出るまで〝わらって〟いてほしい」をモットーに、小さい店ながらも手抜きなしの商売を貫き、今では全国各地に「わら」のファンがいらっしゃいます。
しかし、今回の地震による輪島の大規模火災で、私たちのお店は全焼してしまいました。見るも無残な惨状に当時は何も考えられませんでしたが、時間が経つ中でここからまた立ち上がり、もう一度輪島で、母の生きがいである海鮮丼屋「わら」を再建してあげたいと強く思うようになりました。
店が消失したため、0からのスタートになります。補助金などの活用も検討しておりますが、それだけでは厳しいため、この度クラウドファンディングを立ち上げました。皆様のお力添えを、どうかよろしくお願いいたします。

輪島の海鮮丼屋「わら」とは
行列ができる人気の隠れ名店
元々私の母は、他の海鮮丼屋で雇われておりました。コロナの影響でやむなくお店を辞めることになったのを機に、かつて小料理屋を営んでいた経験も生かして朝市通り近くの空き店舗を活用し、2021年4月に海鮮丼屋「わら」をオープンさせました。
最初は宣伝もしていなかったので、客足が伸びず大変な毎日でしたが〝お客様に満足してもらいたい〟その一心で気持ちを曲げず、自分たちの信じる道を進んでまいりました。そうすることでいつの間にか、噂が噂を呼び、有り難いことに行列店にまで成長しました。輪島や石川県内はもちろん、県外のリピーター様もたくさんいらっしゃいます。
お客様と記念撮影

妥協一切なし!
地物にこだわる鮮度抜群の海鮮丼 
「わら」の売りは、なんといっても地物の魚を溢れんばかりに盛り付けた海鮮丼です。海が時化た時以外は、基本的に輪島の魚のみを使います。母は毎朝、朝市に繰り出し自ら魚を仕入れるほか、漁師さんからも直接仕入れています。
海鮮丼は、その日の仕入れによるので毎回内容は変わりますが、輪島の豊富な漁場ならでは、魚介がたっぷり約10種類のって1650円とコスパも抜群。お客様から儲けを心配されるほどでした(笑)
鮮度に気を配り、注文を受けてから下処理した魚を一切れずつ切り分けご飯に盛り付けています。魚をしっかり味わってもらおうと、一切れが身厚なのも特徴です。アボガド入りユッケ丼、スペシャル丼、ふぐの唐揚げやレモン漬けなどのメニューも人気でした。
お客様の目の前で捌きます
儲け度外視、手間を惜しまないのは「リピーターになって、また輪島を訪れてほしい」という思いから。輪島を盛り上げていきたいという気持ちで、母はこれまで店を切り盛りして来ました。

プロジェクト立ち上げに至るまで
2024年1月1日、午後4時10分。私たち家族は輪島のスーパーに出掛けており、その駐車場で被災しました。車が前後左右、あらゆる角度に激しく揺れ、あまりの衝撃にこの世の終わりだと思いました。息子の腕を掴み、必死に声を掛け続けていたのを覚えています。
その後、津波が来る可能性があったため、もう一台に乗っていた母と妹家族を同乗させ皆で高台に避難。その時、私の息子が「空が赤い」と言いました。車の中で見たニュース映像には、燃え盛る朝市通りの様子が映し出されていました。

避難所で眠れぬ一夜を過ごした翌日、母の元に知人から一本の電話。「店が燃えてなくなった」。受け入れ難い現実に、ただただ呆然とする私たち。母は肩を落とし泣いていました。ちょうど年末に「いっぱい捌いてくれ」と新品の出刃包丁を母にプレゼントしたところでしたが、その包丁も一度も使うことなく炎の中に消えてしまいました。母はそれからしばらく私のかほく市の自宅に避難しておりましたが、一ヶ月後、一緒に火災跡に行きました。

母を心配していましたが、そこには現実を受け入れ奮起する、強い母の姿がありました。「場所を変えてでもまた店をやりたい」という気持ちを新たに固めたようでした。
そして、全国からのあたたかい励ましの言葉にもたくさん勇気をもらいました。「店を再建してほしい」「復活したら絶対に行きます」というメッセージに、どれだけ前を向く力をいただいたかわかりません。
昔から人をもてなすことが好き、働くことが好きな母。再び店に立ち、美味しい海鮮丼で多くの人を笑顔にしてほしい。クラウドファンディングを立ち上げ、復活への足掛かりにしたいと思います。

再建したら実現したいこと
この大地震で、能登の観光資源はことごとく破壊されました。止むを得ず店を畳む事業者さんも数多くいます。観光を支える第一次産業や伝統工芸の担い手の減少も危ぶまれます。しかし、私たちは地震から立ち上がり、新しい輪島を創っていかねばなりません。復活したらまたお客様にたくさん来てもらい、地域経済にも貢献したい。自分の子供たちの世代に、明るい輪島を見せてあげたい。それが何よりの願いです。



再建後も能登の魚を使った海鮮丼屋を
この地震による海岸線の隆起で、輪島港から船が出せない状態が続いています。これまでお世話になってきた朝市の皆さん、漁師さんたちの心情を考えると大変心苦しい思いです。
「わら」も、これまでのように輪島の魚を売りにした商売は難しいと思いますが、能登の魚には引き続きこだわり、宇出津、富来の西海、七尾の魚を扱う予定で話を進めているところです。
店主からのメッセージ
「わら」が開店して2年8ヶ月。思いもよらない今回の地震からの火災、多大な被害に 落胆しかありませんでした。時間か無情に過ぎて、ただ呆然と……そんな中、少しずつ グーグル、ライン、インスタと、色々お客様からの声が届き、また会いたい、食べてほしいとどんどん気持ちが膨らみ、開店前に抱いた感情が蘇ってきました。止めたくて止まった訳じゃない、まだやれると子供達にも励まされ今に至っております。どうぞ皆様、今一度、力を貸していただけないでしょうか。「わら」を一緒に作りましょう。宜しくお願い申し上げます。
お客様と記念撮影

リターンについて
能登の魚、もしくは、石川県内の魚を使った干物、加工品などを送らせて頂きたいと思っております。是非、能登の味、石川の味をご堪能して頂きたいと思います。
スケジュール
輪島市の復興のタイミングを見て再建したいと思っております。再建するにあたって近況などを逐一報告いたします。
資金の使い道
集まった資金につきましては「わら」再建のための資金に使わせていただきます。厨房機器、備品、テナント、などの備品にも活用します。

最後に
2024年1月1日、pm4時10分頃、私たちは家と店を失ってしまいました。亡くなられた方も大勢います。御冥福をお祈りいたします。
中々気持ちの整理もつけれなくて本当に毎日が辛い日々です。ですが、いつまでも下ばかり見ていられない、前を見て、一歩ずつ踏み出していかなければ!生かされたのであれば踏み出さなければ!そんな思いです。
当たり前じゃない状況に見舞われ、当たり前がとてつもなく遠くに感じ、本当に前に進んでいけるのか?という精神状態でした。
でも、下を見ていても何も変わらない、何も進まない、だから這い上がります!上を見ます!前を見ます!突き進んでいきたいと思っています!輪島にもう一度、光を!
奥能登にもう一度、光を!
絶対に「わら」を復活させて、お客様に最高の笑顔と、最高の海鮮丼を。




<募集方式について>
本プロジェクトはAll-in方式で実施します。目標金額に満たない場合も、計画を実行し、リターンをお届けします!

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