自己紹介

はじめまして
まずはこのページを気に留めてくださりありがとうございます。
わりと長いですが、最後まで読んで下さると嬉しいです!


私は大阪から石川県への単身移住者です。
今現在でトータル移住は8年目になりました。


「何か自分が力になれる事は無いか」「自分のアイディアを、町おこしの何かに繋げれることは出来ないか」

大阪で生まれ育ち、親戚一同関西人の私は田舎や故郷という概念がまったく無く、そのことから「ふるさとを作ること」へ強い思いを馳せており、縁あって石川県に移住をし、ちょうど今から1年前に石川県の能登地方にある「七尾市」の物件に移り住んだ所でした。

大阪時代はやった事もないDIYも「出たとこ勝負」でやって、1年かけて家を1人でフルリノベしたりパワフル移住の最中でした。

都会は便利をお金で買えるけど、田舎は自らで作り出さねばならぬ不便さがあり、でもそこに真の強い人間らしい感覚が育つ様な気がしています。


※DIYの例:まずはこの小汚い壁の上にペンキ


その上に壁紙を貼り付け。柄合わせがものすごい大変でした

外国のお家みたく、モールディングを着けましたが、実はペンキ塗ったスポンジです

ちなみに四角い部分は100均の額縁


一年前の真冬、12月の末に引っ越し、その時は荷物の整理やリノベに明け暮れていたので、今年は初めてのゆっくりした正月だったんですよね。

今回の石川県能登半島地震では、私は猫2匹と被災し、右も左も知らない土地で、避難所の場所や、津波警報から逃げる場所もわからないままパニックに陥り、一晩中余震で揺れる車の中で、震えながら恐怖の一夜を過ごした記憶はまだまだ消えません。


軽くPTSDにもなり、めまいと吐き気が10日は治らなかったです。

家も沢山の箇所の亀裂や、剥離して隙間が出来た箇所、斜めになった場所もかなり多いです。 


私は古美術商免許を取るほど骨董が好きで、オークションなどに出て沢山のコレクションがありましたが、もちろんそのほとんどを失ってしまいました。


これは諦められなくて自分で泣きながら貼り付けた「フランケン招き猫」


飼い猫2匹がとても怯えますが、勝手に「我が家の復興のシンボル」にしています



【のどかな新年が一変】
※地震が来る1時間前に撮ったのどかな時
この直後震度6強の地震が、この地域を襲いました


この時いち早く、2匹を連れて避難所に入れない困った状況をSNSで発信しておりましたが、それをネットニュース社に取り上げて頂き、その記事はYahoo!ニュースに載りました。

そのおかげで、沢山の方からの励ましの声や物資を送って貰える事になり、結果SNSで発信する真の強みを感じることになりました。



今回の震災は、報道されているよりも全体の被害はもっと酷く、醜く、残酷で、私の友人も亡くなったり、家が全壊した知人も多くおります。

※被災した知人提供


どこの市町も酷い箇所だらけで、まだ余震が続く中、2次被害3次被害も出てきており、ニュースを観るたび心が締め付けられます。


とくに七尾市は能登地方で最大の断水が起きており、徐々には水が通っては来ていますが、完全に通水するのは4月だと言われております。

未だ世帯の六割以上が断水被害にあっており、毎日毎日寒い中給水などの列に並び
お年寄りから皆が重い水のボトルを運んで、日々を翻弄されながら暮らしております。

朝起きて、通常通りすぐにトイレができない・・・
真冬の北陸での水不足の不便さは想像以上です


もうじき二ヶ月経つのにまだこの状態で放置されており、倒壊した家々を何度目にしても、まったく心が慣れません


このプロジェクトで実現したいこと

私が様々な避難所で見て、聞いて、感じた事として『食べること』が非常に大事だと思いました。


もちろん人間食べなければ生きていけません。ですが、避難所ではまだ「食べれたらいいでょう」という場所も多く、そこでの『我慢』と『惨めさ』が、余計に心を苦しめたこともありました。

※震災6日目 ある避難所の晩御飯


私も被災者ではありますが、まだ家に住めること、仕事があること、ケガもなく暮らせていること
その「生かされた恩」に意味があると感じ、時間を作って避難所支援に行っております。

主な支援はクレープなど「甘い物」
人が笑顔になりやすいことや、老若男女食べれること
もし炊き出し部隊が事前に入っていた時に、甘い物だとバッティングしても失礼にならないと考えました。

私個人で思いつき、行動しているレベルの支援なので、規模はとても小さいものですが
先日は輪島市の門前町に支援に行き、ぜんざい100食・クレープ100食・ドリンク40食分これを1人で作るのは根気が入りましたが、有難いことに皆さん食べてくれすべて無くなりました。


現地でお手伝い下さった被災者の方々


温かい炊き出しや甘い物が喜ばれるのは、やはり人の心に、身体に、想いが響くからだと感じます。


この子はおいしくて、2回もおかわりに来ましたよ!笑


【生きることは食べること】

それが日常を思い出す一番最初の要因であり、人を笑顔にし、心が安らげる大事な事なんだと
自分も被災者で支援者なので、両方の立場になってみて気づきました。

ドリップで淹れたコーヒーはとても喜ばれました

※他者様の画像は掲載許可頂いております


この活動の様子は「北國新聞」にとりあげて頂け、沢山の方から応援メッセージをいただきました


プロジェクト立ち上げの背景

私は今現在、石川県で飲食店を経営して4年目です。開業2年目でコロナが蔓延し、田舎町なので閉業の危機を迎えましたが
「関西人の負けん気」で踏ん張り、修行などないまま急きょラーメン店に業態転換をし、おかげさまで今では常連客が着いてくれ、顔馴染みさんも沢山作れました。

店の場所は七尾市から車で45分かかる宝達志水町という町で、幸いにもここの被害は破損程度で済んだため、9日から仕事を再開させる事ができました。

この店に設置した募金箱、あと「売り上げの半分を支援金にする」という名目の限定メニューを作り
ウチのお客様方の大事な想いが詰まった資金を活用して、震災支援活動をさせていただいております。


私は「自分になにができるのか」を信念に移住したので、今までも店をやりながら子ども食堂を運営したり、コロナ禍では弁当を配達したり様々な活動を「1人でもやる!!」と決めて、熱く動いて来ました。


※30組み以上の親子が来てくれた 子ども食堂の様子


石川県の良さは他県民だからこそ発見しやすく、その観点から【石川県観光特使】にも就任しまして、日々の石川県での移住の小話はブログにて毎日365日発信中です。

※任命式に、前県知事谷本さんと


【今だからできること】【必要なこと】

食を日常とするならば、やはり飲食の大事さ、必要性を見失いたくない

七尾市には様々な名店、地域に愛されるお店がありましたが、その半数以上のお店が倒壊や断水で今現在も店を再開できない状況下にあります。 

七尾市は能登地方では最大の市で、隣の富山県氷見市からのアクセスも良く、海に浮かぶ能登島や、そこにある「のとじま水族館」

有名な温泉地「和倉温泉」を持ち観光にも強い市で、国指定重要無形民俗文化財に指定されている「青柏祭」(せいはくさい)など、春を彩る絢爛な祭りもあり、でか山と呼ばれる重さ20トンもの曳山は圧巻です

漁港も牡蠣の養殖場もあり、能登では「寿司王国」と呼ばれるほど寿司屋があります。

古い歴史あるお店から、チェーン店、新たな起業店なども多い
「何事にもちょうどいい町」それが能登の中心地七尾市です。

今回の能登半島地震を受け、まずは能登の真ん中七尾から!能登を元気にすべきでは?!と思い【シェアキッチン】を作ることを考えました。

被災したお店の店主さんが手ぶらでも仕事しに来れるように、ある程度整った設備を用意してあげたい。

馴染みのお客さま方と安否を喜び、ひとまずの再会を喜べる場所が、今はとても重要だし、とても必要で大切なことだと確信しています。

それを考え付いたキッカケとしては、七尾市内でも現在水の供給があり、何十組のお客さまが来ても処理できる大型浄化槽を持った店舗。そんな奇跡みたいな場所がちょうど使われないまま空いており、これまた奇跡的に被害はそこまで酷くはありませんでした。

※改装予定の店舗の状態


ここをリノベーションし、必要箇所を直し、被災者支援として被災した方々(特に店舗オーナー様)に
無償提供することを決めました。

物件のリノベーションは、現地の私の店のお客様や知人に呼びかけたり、DIYの時のような度胸でセルフでやってみようと思っています!


ただ、できない箇所として

⚫︎トイレのタンク一式交換(震災でヒビが入り取り替え)

⚫︎分電盤の入れ替え(アンペア容量変更に伴うもの含め)

⚫︎浄化槽のブロワーの交換(震災で破損)

ここの資金をクラウドファンディングしたいです。


ここが使えるようになり、人々が行き来できるようになれれば
子ども食堂も再開できますし、物資やお弁当の無償提供の場に避難所を使わなくても良くなります!


いつかはご自身の店を再建される皆さんにとっても、被災した皆さんにとっても、ひとときでも笑顔になれることが今は大事。

ふとした時に、この場所が意味を持ち【七尾に住んでてよかったよ】と、すこしでも思っていただけたら、それが私の存在意義かと思っています。


今現在は被害のあった物の片付けや掃除に追われています。

仕事が休みの時にしか行動できず、すこし時間はかかっていますが、最近やっと終わりは見えてきました



リターンについて

基本的には、クラウドファンディングが終わったあとも、成長を見守って欲しい想いから
店のメニューの命名権や我が家のアイドルのブロマイド、能登のおいしい醤油など特産品にしております

特にドライフラワーは他所で販売もしておりますが、とても評判の良い物です
能登で育てたお花をぜひお家に飾って欲しいです

プレゼントにも喜ばれますよ(^^)

本当はリターンに準備したい能登商品は山ほどありましたが・・・
今はまだ震災の余波で個数も確保できなかったり、連絡がつかない会社も多く、種類はあまり準備できませんでした

あと支援者様からのご提案で「リターンなし」の枠も数点設けました♪
ただ応援したいという方はそちらをお願いいたします


スケジュール

●5月末に店舗ビジュアル、コンセプト決定
●6月~工事スタート
●6月中にプレスリリース&参加者公募
●6月工事終了後、飲食店許可、製菓製造許可申請
●希望者面談のうえキッチン担当者決定
●7月~リターン開始

※工事の内容、店のコンセプトや詳細などは随時既存ブログで発信(8年半365日執筆中)


【資金の使い道】
トイレタンク交換:約15万円
ブレーカー交換電気周り接続工事費:約24万円
浄化槽ブロワー交換:約48万円
手数料(17%+税):約15万円

計102万

ここに自己資金56万で、設備設置工事と足りない備品購入などをします


最後に・・・

この長々した文と写真で何が言いたかったかまとめますと

①人のためになんかしたい大阪人が石川県で被災

②食の大事さ必要性を肌で感じた

③なんとか食で被災者支援をしたい

④その為には場所が必要

⑤幸い水の出る空き飲食店物件がある!

⑥ただ、ここも被害を受けてるのでリフォーム必須

⑦もちまえのパワフルさで、なんとか必要最低限の被害箇所のリノベはできるかも!

⑧それ以外の箇所を直す資金は、私も自分の家の被害箇所直すのに必要であまり残りがない(地震保険も一部損しかおりずで…)

⑨なので皆さんにご支援をお願いしたい


こんな流れです(^^)/


私がなぜ被災者でありながら、被災者支援活動をしたいのか・・・
それはただの「使命感」なのかもしれません

この酷い震災被害にあいながらも
私も2匹も元気でケガもなく、2日から水は出てるし、下水も家は単独浄化槽なので使えたし
家は数十か所「要修繕箇所」はありますが、住めてるし
職場も被災地から40分は離れているため、仕事も出来ているし

だから、生かされた宿命を勝手に背負ってみています('◇')ゞ

自分の家の修繕費はすこし足りなさそうなので・・・
8月から4か月だけ、神戸市に出稼ぎに行くことを決めました!!

先月神戸市が開催している「食のチャレンジ企画」のコンペにチャレンジし、見事合格
4か月の期間、市が用意してくれた店舗にて自分の店を開業させてもらえるので
がんばってそこで資金を稼ぐつもりです!!
(神戸の家賃、駐車場、七尾市の家賃、今の店の家賃と支払うわけやけども・・・)

三ノ宮でラーメン店を出店予定なので、関西の方はぜひ遊びに来てね♪


できる事はできる人がしていかないと、このままでは人口減少に拍車もかかるし
被災者の皆さんも、今後立ち上がる余力が小さく小さくなってくる


今でしょ!!

ただこの精神力のみで御座います


移住も、起業も、支援活動も、石川観光特使も業態転換も・・・すべて1人で考え1人で行動してきましたが
今回ばかりは1人では難しく、みなさんのお力をぜひお借りしたいです

大切な支援金は大事な支援に活かします

どうぞよろしくお願いいたします

<募集方式について>
本プロジェクトはAll-in方式で実施します。目標金額に満たない場合も、計画を実行し、リターンをお届けします。

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