ご挨拶


酒垂(さかたる)神社 宮司の長女・藍子と申します。

当プロジェクトをご覧いただき、ありがとうございます。
この度の震災により亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。
プロジェクトについてご紹介いたします。

酒垂神社は、石川県奥能登にあり、平安時代から続く歴史ある神社です。私は関東を拠点にデザインの仕事をしながら、神社の手伝いをしに能登と行き来しています。

酒垂(さかたる)神社の名前の由来は、酒樽に乗ってアイの風(能登で北東方向からの風を言い、春先に特徴的)の吹くままに乗って流れ着いた神様を祀っていることからです。私の名前は、そのアイの風からとって父が名付けました。


能登は世界農業遺産にもなっている豊かな里海里山があります。豊漁や豊作を願い、自然と共に生きてきた能登の人々には、神様とお祭りを大事にする文化が根付いています。祭りが終わると365日のカウントを始めるくらい、町民はお祭りが大好きです。能登は高齢者が50%。過疎化や高齢化と闘う中、お祭りをすることで、若い人は遠方から帰ってきます。子どもから老人までたくさんの人で集い、温かいコミュニティを醸成してきました。

しかし令和6年1月1日、能登半島地震が襲い、私たちの日常が一変してしまいました。酒垂神社もほぼ全ての石造物が崩壊し、多くの被害を出することに。初詣で人出が多い日でしたが、幸いにも誰ひとり怪我人はでませんでした。

発災から3ヶ月以上が経ち、能登地震の報道は無くなりましたが、復旧・復興は遅々として進まず、被災地は未だ苦しい状況の最中です。今はみんなが、一歩一歩、足元を確かめながら前に進もうとしています。

町を少しでも元気づけたい。心の拠り所として酒垂神社を再建し、能登の文化を子どもたちに繋ぐ後押しをしたいです。
1日経てば、1日復興に近づく。そう信じて、皆んなで協力して前を向いていきたいと思っています。
どうかご支援をお願いいたします。


能登という特別な場所

能登は私にとって故郷であり、毎年何度も帰る特別な場所です。
能登に生まれた人は、みな同じ想いだと思います。
この場所には日本人の誰もが心に持っている、日本の原風景があり、「能登はやさしや土までも」という言葉もあるくらい、人が温かいです。

震災の前年に、酒垂神社で神前式を挙げました。
この120段ある石段の上から見渡せる、鳥居と宇出津湾の穏やかな海、水平線に浮かぶ山々、能登瓦の屋根が立ち並ぶ町なみの景色が自慢でした。

結婚式の準備をする父と私(震災前)


ここ宇出津(うしつ)の「あばれ祭」は、日本の奇祭として石川県無形民俗文化財となっている勇壮な祭りで、あばれ祭を皮切りに9月あたりまで能登のあちこちで同時多発的に夏祭りが繰り広げられます。能登町を代表する祭りで、酒垂神社は対岸にある白山神社とともにあばれ祭りを主導します。

神輿を海や川、地面に叩きつけたり荒々しく渡御します。

能登の人々はみなお祭りを1年のうちの一大イベントとして大事にしていて、「(祭りは)命やわいね」という人もいるくらい、人生の生き甲斐にしている人もたくさんいます。それくらい大事な神事です。

また「よばれ」という独自のもてなし文化もあり、各家庭でごっつぉ(ごちそう)やお酒をたくさん用意して、家の間口を大きく開けて、来た人全員に振る舞います。子供から老人まで色々な年代の人が集まり、宴会をします。食文化の継承にもつながるこのよばれ文化は、私にとって大切なものの1つです。

春になると人形で飾り立てた高さ約6m、全長8mの2台の曳山(ひきやま)を太鼓や鉦(かね)ではやしたて、木遣り唄に合わせ、子どもを乗せて町を練り回る曳山まつりで賑わいます。


大事にしてきたものが地震で崩壊してしまった

2024年1月1日16時10分、
令和6年能登地震が起き、ちょうど初詣のお勤めのため家族で神社にいた私たちは、激しく音をたてて揺れる宮から飛び出ました。周りを見渡せば鳥居や灯篭など、ほとんどの石造物が崩壊してしまっていました。神社も一部崩れ、基礎が歪んでしまいましたが、なんとか形を留めて立っていてくれました。
大津波警報が出て、120段ある階段を登ってたくさんの人々が避難してきました。お婆ちゃんをおぶって長い階段を登ってくる男の子もいました。神社の境内にみな集まり、何度も起きる大きな余震に怯えながら、どんどん迫る津波を高台から見守りました。

酒垂神社の神様が流れ着いたとされる場所に建てられ、あばれ祭で神輿の起点ともなる御旅所鳥居も、崩壊してしまいました。

あばれ祭りで重要な役割を担ってきた御旅所鳥居と宮司と叔父(震災前)

倒壊した御旅所鳥居のお祓いをする当社宮司(2024/3/3)

酒垂神社の階段の中腹にある鳥居も崩壊し階段に落ちました。ここは神輿が通る地点でもあり、穏やかな宇出津湾を眼下に桜が咲き乱れる気持ちいのよい場所でした。

震災前の春祭りの参道/震災後の参道

そして、御神木までもが。震災以降、階段の参道の斜面に立ち、なんとか数日間もっていましたが、その後の積雪による重みに耐えきれず、土砂崩れとともに倒れてしまったのです。

自慢にしていた風景が、一変してしまい、戻し難いものになってしまいました。

物理的に壊れてしまった景観やものはもちろん悲しいですが、さらに能登の文化も危ぶまれます。

コロナの影響で2〜3年ちゃんとできなかった祭り。昨年やっと、100%の祭りができ、さぁこれからという時に震災で再びできるような状態ではなくなってしまいました。住んでいた人たちも、家がなくなったりライフラインが止まり仕事がなくなったりして、どんどん町から流出していき、大事な祭りやよばれの文化が継承されない危機に直面しています。

震災前の夏頃の参道

震災後に社務所に倒木した御神木

心の拠り所として神社の再建をしたい

地震から、どうにか神社の再建ができないか、文化を守っていけないか考えました。

神社の修繕も祭りもご寄付を集めていかねばなりませんが、今は地元の氏子の皆さんが、自分たちの家すらままならない、生活の基盤も整わない状況の最中にあります。4月になってもそれは変わっていません。
できるだけその負担を減らしたい。自分を育ててきてもらった土地に恩返しをしていきたい。何より町を少しでも元気づけたい。
私は倒れた御神木を神社の再建と能登の復興のシンボルとして活用できないか考えました。

宮司と倒れた御神木

木の活用のプロとの出会い

そんな中、木の活用に長けた地域共創ユニット「QINO」の方々にお声がけいただき、私の想いに共感して寄り添ってくださいました。木のソーダなど、御神木の活用の案が次々と上がり、クラウドファンディングの立ち上げにいたりました。

またQINOの助言で、倒れた御神木の杉葉から苗木をつくり、御神木のDNAを繋いでいくプロジェクトもスタートしました。
今後境内に再び植樹することと、その一部は家を失った町民の方にお分けすることを考えています。


QINOメンバーの一部

御神木の蒸留


役目を終えた御神木を「直会」としてみなさんにお分けしたい

神道には「直会(なおらい)」という大切な慣わしがあります。
神様にお供えした米や酒、食べ物などを神前から下げ、皆でいただくのが直会です。

高台から町と人の営みを見守ってきた御神木。その年輪から、樹齢は200年ほどと読み取れます。

役目を終えた御神木に感謝し「直会」というかたちで、みなさんにお分けしたいと考えました。

希少な限られた素材ではありますが、一部は神社の拝殿の修繕に使い、それ以外の部分を加工し、応援の返礼品としてみなさんにお分けします。

神前からのおさがり、御神木のお力を皆さまとともにいただき、能登の復興を後押ししていきます。


樹齢200年以上。目の詰まった良い杉だそうです。


返礼品をつくる過程は、被災しながらも事業を続けている皆様への応援の気持ちを込めて、地元工務店、製材所、蒸留所などすべて石川県内で行います。

能登を想う、たくさんの方にご協力頂き、実現することができます。


酒垂神社から見渡す宇出津湾の朝焼け


資金の使い道

集まった資金は、

まずは二次災害の危険がある倒れた巨木の撤去を優先的に行います。200万円ほどかかる見込みです。
たくさん応援が集まれば、参道の鳥居 750万円、神様の漂流地に建てられた鳥居 750万円、神社の歪んだ基礎の修繕・壁の修繕・耐震補修 300万円、屋根の葺き替え 200万円
神社の再建費用 計2200万円の一部に使わせていただきます。


二次災害の危険がある倒れた巨木の撤去について
参道は石段になっており、斜面にある巨大な杉の木・タブの木が2本、根っこから倒れてしまっています。下には民家もあり、二次災害の危険があり、なるべく早く対応をしなければなりません。
まずはゴールである100万円を、この2本の巨木の撤去に充てたいと考えております。

大人が10人寝られるほどの根っこがひっくり返っています。

写真右側に倒れているのが杉の木です。(震災後)

鳥居や灯籠、社標などほとんどの石造物は崩壊してしまいました。

灯籠、社標などは全て崩れました。


神社は築100年以上の木造で、基礎が歪み、外壁・内壁が崩れました。/狛犬も台座から落ち、誰かが座らせてくれました。


倒れてしまった、長いあいだ能登の里山里海と人々を見守ってきた御神木



御神木を使った返礼品をご紹介します。
能登・酒垂神社 復興祈願絵馬

長いあいだ能登の里山里海と人々を見守ってきた御神木は、本殿の修復のための材となり、その一部は絵馬にします。酒樽に乗ってきた神様を祀る酒垂神社らしく、台形の酒樽型にします。能登半島へのチケットとして、絵馬をかけに、返礼しに、いずれ能登に来て、酒垂神社に訪れ絵馬を納めてもらうことを願っています。



能登・酒垂神社 
木のソーダ  御神木  杉

長いあいだ能登の里山里海と人々を見守ってきた御神木は、本殿の修復のための材や絵馬となり、その一部は蒸留して飲みものになります。境内の神聖な空気を感じるようなあじわいのノンアルコールの無糖飲料です。神前からのおさがりをみなさまにお分けいたします。


能登・酒垂神社 
御神木  お清めミスト

長いあいだ能登の里山里海と人々を見守ってきた御神木は、本殿の修復のための材となり、その一部は蒸留してお清めミストになります。お清めしたい空間にスプレーしたり、気分をリフレッシュして切り替えたい時に自身の周りにスプレーしていただいたり、お守り代わりに持ち歩いてお使いください。

能登・酒垂神社 御神木のお守り

長いあいだ能登の里山里海と人々を見守ってきた御神木は、本殿の修復のための材となり、その一部は身につけられる御守りにします。神前からのおかげをいただき、みなさまが健やかに過ごせるように願っています。
デザインは開発中で、レーザー彫刻になります。




戦後宣教師ベックマン氏に撮影されたもの

能登町宇出津に鎮座する酒垂神社は、平安時代のはじめ(833年~850年)に創建されました。県内でも漂着神伝説で最も著名な神社で、その昔、神様がアイの風(北東方向からの風を言い、春先に特徴的)が吹くままに酒樽に乗ってやって来たと言い伝えられ、「往古酒樽に乗りてこの磯に寄り給ふ」神として、酒樽が神社名の由来にもなっています。

酒垂神社に祀られている大山祇命(おおやまづみのみこと)は、山の神であり、酒を醸す神様です。長寿の神である岩長姫(いわながひめ)と、美貌の神である木花開耶姫(このはなさくやひめ)の二人の娘を宮家(ににぎ)に嫁がせたとされております。

境内から見える宇出津湾



当社宮司からのメッセージ

加藤 三千雄
酒垂神社宮司

誰も皆、役割を戴いてこの世界に生まれて来ました。未来も「あったこと」なのだと思えることがよくあります。偶然などないからです。この震災の生起を通じて、人々の心が洗われますように、毎日お祈りをいたしております。


プロジェクトパートナーからのメッセージ

高平 晴誉
株式会社fabriq代表取締役 / QINOプロジェクト主宰
https://fabriq.co.jp/


繋がりを感じることで、明日をむかえる希望がうまれる。

私には、能登で暮らしてきた親族がいます。今回の地震により生家を失い、故郷を後にする姿を見て、私は言葉が見つからず、家族の手を握ることしかできませんでした。それでも彼らはいつかまた能登で暮らす夢を持って今日を生きています。その原動力は、応援してくれる人たちの存在なのだと、教えてくれたのです。無力な私がかえって励まされることになるなんて。
そんな矢先の2月、藍子さんと知り合う機会に恵まれます。
酒垂神社の被災状況、倒木した御神木の杉。どれも決して明るい話ではありません。けれど、藍子さんの神社再建に向けた想いや、話す姿が、いつか故郷にかえりたいと私に話してくれた家族の姿に重なりました。
神社は藍子さんにとって生まれ育った場所。御神木は、ずっと見守ってくれた存在。
私は行動しました。数年前から、木の新しい使いみちを発明し、森に循環を生み出す「QINO キノ」プロジェクトを推進してきたこともあり、そこで培った経験と共創してきた人脈を活かせば、倒木してしまった御神木杉を利活用できると思ったからです。
そして今ここに、御神木のソーダというものが誕生しました。酒垂神社の長い歴史の中で、前例のないものです。
樹齢200年の御神木が醸す、高貴で神聖な香り。そこには能登の失われた大地や風土の記憶が刻まれています。
あじわうことで、能登を感じる手がかりにして頂けたら嬉しいです。
最後に、このクラウドファンディングがみなさまと能登を繋ぐご縁になることを、心から願っています。



諏訪 綾子
アーティスト/food creation 主宰
QINOプロジェクト コンセプター

石川県羽咋市生まれ。食による表現活動を行う。
http://www.foodcreation.jp/

生まれ育った能登が、数千年に一度ともいわれる規模で大きく揺さぶられ、愛おしい景色が一変しました。大切な人たちが、混乱し絶望し先の見えない状況に戸惑っています。
地震発生から100日が経ち、ニュースで伝えられることも少なくなった今も、今こそ、まだまだ支援が必要です。
そのような中でも、少しづつ前を向き、能登の未来を描きはじめている人たちの姿に、生きるとはなにかを教えてもらい、そのやさしさと強さに力をいただきます。
里山里海の豊かな自然とともに暮らし、その恵みに感謝してきた能登の人々にとって、神社や祭りは心の拠り所です。その再建や再開は、人々のなりわいや暮らしの復興へおおきな力になるでしょう。

酒垂神社の神様は「アイの風のふくままに」酒樽に乗ってこの地へといらしたそうです。能登の沖から春に吹く、豊作、豊漁、幸せをもたらすといわれる「アイの風」。
藍子さんのお名前はこのアイの風から名付けられたと聞いて、私は確信しました。
今こそ、能登の春に美しい風が吹き、能登の人々の背中をやさしく、そして力強く押すことができますように。
ご支援をどうぞよろしくお願いします。




QINO

木の新しい価値を発見し、森と水を守る地域共創プロジェクトです。
主に、木のプレミアム炭酸水「QINO SODA」、森のレストラン「QINO Restaurant」、木育授業「QINO School」など森の再生につながる、モノや体験の開発を行っています。今回、倒れた御神木を活用して返礼品を作る協力をお申し出いただき、一緒に本クラウドファンディングを立ち上げました。

https://qino.jp/


本谷 順一

能登町宇出津八坂神社 彌榮太鼓保存会 会長
酒垂神社修繕の色々なことをまかなう大工さんです。


coromoza

原宿、表参道にあるファッションのコワーキングスペースで、今回お守りのレーザー印刷をしていただきます。
代表の方が石川県出身で、何かできることをしたいと、ご協力いただけることになりました。


現在の準備状況

御神木の絵馬と御守りは、生木のまま加工をすると反ってしまうため、丸太の状態から切って最低6ヶ月間乾燥させ、10月頃から加工を始め、11月に発送予定です。

御神木の木のソーダとお清めミストは、5月に蒸留し、7月〜8月に発送予定です。


スケジュール

4月 クラウドファンディング開始
3月〜9月 御神木の乾燥
10月〜11月 御神木の加工期間
11月中旬〜 発送開始

※御神木の乾燥具合によって、これよりも後ろ倒しになる場合がございます。


最後に

1月1日を機に日常は一変し、能登の人々が先人から大事に大事に受け継ぎ繋いできたものが、一瞬で失くなってしまいました。 美しい景色や町並みも全てが変わってしまい、元に戻すことができない景色や文化もたくさんあります。
まだ震災があったことなんて現実ではなかったんじゃないかと受け止めきれない部分もありますが、能登は壊れ、生活がままならず辛い状況にいる人々がたくさんいるのは事実です。

そんな中でも、力を合わせてどうにか祭りをやっていこう、先人から繋いできた文化を子供たちにバトンを渡そうと、皆が前を向き始めています。
少しでも心の拠り所として、安心してお参りができ、祭りを続けていけるよう皆様のお力を貸して頂きたいのです。

前よりも能登をよくする機会でもあると思っています。

神前からの御神木の「おかげ」をいただき、皆さんとともに酒垂神社を、能登を復興していきたいと思います。


2019年のあばれ祭での酒垂神輿と宮司


酒垂神社
〒927-0433 石川県鳳珠郡能登町字宇出津ウ141
https://www.sakataru.com/


<募集方式について>
本プロジェクトはAll-in方式で実施します。目標金額に満たない場合も、計画を実行し、リターンをお届けします。

  • 2024/05/01 22:06

    こんばんは。藍子です。朝のラジオ番組「OH!HAPPY MORNING」(ハピモニ)で、5月2日午前9時40分から、この酒垂神社再建プロジェクトについてお話させていただきます。生放送です。 FM青森、FM岩手、FM秋田、FM山形、FM福島、FM長野、FM富山、FM石川、FM岐阜、FM三重、FM...

  • 2024/04/30 22:03

    4月20日に、春祭りが行われました。例年の春祭りは、毎年人形を作り、飾りつけた酒垂神社と対岸の白山神社の大きな曳山に子どもたちを乗せ、木遣歌に合わせて、たくさんの人で引っ張りながら町中を練り歩くものです。酒垂神社と白山神社の御神輿も町を御幸し、たがいの神社で神事を行います。今年の春祭りは、「ち...

  • 2024/04/26 17:48

    こんにちは。藍子です。皆さま、たくさんのご支援をありがとうございます。まさかの3日足らずで、最初の目標であった100万円を達成することができました。想定以上の速さで、とてもびっくりしています。この物価高の中、皆さまの大切なお金を預けていただけることに、感謝を超えてなんと申し上げたらいいかわかり...

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