プロジェクトについて



※こちらのコースの支援受付は6月30日(日)までです。7月1日以降はご支援のみ承ることとなりますのでお間違えのないようご注意ください。


私たちは新潟県長岡市で活動しているNPO法人ネットワーク・フェニックスです。主な活動の内容は「復興祈願花火フェニックス」を打ち上げるための協賛金募金活動と長岡まつり大花火大会当日約1万人収容できる「フェニックス席」の会場設営・運営を(一財)長岡花火財団より受託し実施しております。

私たちは、2004年に発生した中越地震直後より活動を開始し、翌2005年8月「震災復興祈願花火フェニックス」を打ち上げました。2006年よりNPO法人となり、現在に至ります。

毎年夏になると、普段は別の仕事をしているメンバーがボランティアで運営に参加。フェニックス花火を長岡の「地域の宝」と思っているメンバーが一丸となり、震災を知らない次世代の子どもたちにも知ってもらいたいという強い想いで活動を行っています。

2023年長岡まつり大花火大会フェニックス席設営の様子(観覧席内)テーブル席、エリア席合わせて1万人超のお客様を私たちと学生ボランティアで誘導しています。

2023年長岡まつり大花火大会 フェニックス席誘導の様子(フェニックス席入退場口)赤いTシャツを着ている学生ボランティアは「おもてなしの心」でお客様をお迎えしています。

2023年長岡まつり大花火大会 フェニックス席設営の様子(入場ゲート前)絶え間なく続くお客様の入場を安全に誘導しています。


中越地震発生から今年で20年が経ちます。昨年から私たちは「20年の節目にふさわしい花火とは何か」を企画していましたが、そんな折に発生したのが1月1日の能登半島地震でした。

復興祈願花火として、今もなお復興に向けて頑張っておられる石川・能登の人々を元気にしたい。その想いを花火で表現したいと考え、花火師さん、そして(一財)長岡花火財団と共に、20年の節目にふさわしい、皆さんの記憶に残る花火を上げるべく準備をしております。

復興祈願花火フェニックス2024は能登応援特別バージョン

長岡の空から能登の方々を元気付けるため、今年のフェニックス花火は「能登応援特別バージョン」として打ち上げることが決定しました。冒頭、能登の復興メロディとなっている「まれぞら」を使用したミュージック花火を打ち上げます。そのあと、フェニックス花火を5分間のフルバージョンでお届けします。

今回「まれぞら」を歌っていただいたのは、長岡少年少女合唱団の子どもたちです。会場の皆さんにも声を合わせて歌っていただき、能登の方々に元気を届けたい。そのような思いで今も準備を進めています。

能登に届け、フェニックス!




長岡まつり大花火大会といえば、全国からたくさんの方が訪れる全国屈指の花火大会です。私たちが運営している「フェニックス席」も毎年多くの方々にご利用いただいております。決してチケットをお買い上げいただく事が主たる目的ではなく、今回クラウドファンディングに挑戦する理由は、一人でも多くの方にフェニックス花火が生まれた理由を本ページを通して知ってもらい「花火大会の参加者」から「中越地震の記憶の語り手」へと意識を変えてほしいと思っているからです。


新潟県中越地震の発生から、もうすぐ20年の月日が経とうとしています。復興祈願花火フェニックスは応援してくださる方一人一人の協賛金で打ち上げられる花火ですが、その協賛金は年々減少傾向にあります。私たちは、この協賛金の減少を「中越地震の記憶の風化」と捉え、危機感を持っています

20歳以下の人々はすでに震災を実際に体験しておらず、なぜフェニックス花火が生まれたか知らない人も増えているのが現状です。当時の記憶をフェニックス花火を通して後世に伝え、その意義を毎年思い出し、応援してもらえるような花火でありたい。そんな思いで20年目の節目を迎える今年、本プロジェクトを立ち上げました。


今回のプロジェクトを通して、皆様に伝えたいこと、実現したいことが3つあります。

ご支援いただける方も、たまたまページを訪れてくださった方も、ぜひ本ページをご一読いただけますと幸いです。


2004年10月23日の新潟県中越地震は、長岡市を含む中越地方に甚大なる被害をもたらし多くの方々が被災しました。

2004年新潟県中越地震の被災状況

また中越地方に限らず新潟県全体においても、観光産業をはじめとした各種産業に多大な被害を及ぼしました。フェニックス花火の打ち上げは、震災に負けずに頑張っている大勢の人々を元気づけるために、また一日も早い復興を祈願して世界一を誇れるような大花火を打ち上げたい、という想いから準備がスタートしました。

新潟県中越地震時のボランティア活動の様子

そして翌年の2005年、世界中の人々の復興とご支援頂いた多くの方々への感謝のシンボルとして2005年長岡まつり大花火大会にて「震災復興祈願花火フェニックス」が打ち上げられました。翌2006年からは「復興祈願花火フェニックス」となりました。

2005年初めて打ち上がった新潟県中越地震
「震災復興祈願花火フェニックス」

初めて長岡の空に咲いたフェニックス花火は、そのスケールの大きさで多くの人を魅了しました。さらに、多くの方を感動させたもう一つの理由が、打ち上げの際に流れている音楽、平原綾香さんの「Jupiter」です。当時、曲中に何度も出てくる「ひとりじゃない」という歌詞が多くの方に勇気を与えていました。実際、当時のラジオでもリクエストが最も多かった曲でした。

震災直後から被災された方々を励ましてきた「Jupiter」とともに夜空に羽ばたくフェニックス花火に多くの方が感動の涙を流し、そして癒され、明日からまた頑張ろうと元気づけられた瞬間でした。


フェニックス=不死鳥の羽ばたきをイメージした長岡市の市章。かつて長岡藩の城下町として栄えた長岡市は、北越戊辰戦争、太平洋戦争と二度にわたる戦禍に巻き込まれ、壊滅的な被害を受けました。しかし、長岡市は戦災に負けず、不死鳥のように復興を成し遂げました。この精神を私たちは「長岡魂」と呼んでいます。この精神こそ、長岡を支える大きな力であることから不死鳥が使われています。

新潟県中越地震後立ち上がった「震災復興祈願花火打上実行委員会」

長岡まつりは、先人が昭和20年8月1日の長岡空襲の被害から立ち上がろうという力強い意欲と願いを込めて翌昭和21年に始まった「長岡復興祭」が起源です。この歴史を背景に、中越地震の際も復興の思いを強く持ち、復興祈願花火フェニックスが誕生しました。ちなみに長岡まつりは毎年8月1〜3日。1日は平和祭、2日3日が花火大会です。これは、8月1日が長岡空襲のあった日だからで、曜日が違えど日にちは変わりません。


復興祈願花火フェニックスは、フェニックス花火の打ち上げを応援して下さる一人一人の募金(=協賛金)を集めてそれを打ち上げ費用として打ち上げられる花火です。協賛してくださった一人一人の想いを乗せて打ち上げられるからこそ、感動が生まれ人々の心に響く花火になると信じ、毎年協賛金募金活動を行っています。

2023年ボランティアによる協賛金募金活動の様子

震災を知らない次世代の子どもたちにも知ってもらいたいという想いで中学生から大学生のボランティアで募金活動も行っています。合言葉は「みんなで上げよう!フェニックス」。元気な声で呼びかける学生ボランティアに「頑張ってね」と声を掛け募金をして下さる姿を見て、そこから力をもらい活動を続けています。

花火大会当日の協賛金募金活動の様子。フェニックス花火を観たお客様から「ありがとう」と言って募金をして頂けることに毎年感動します。

地元紙「新潟日報」様にも記事に取り上げて頂きました。

中越地震をきっかけに生まれた復興祈願花火フェニックスは、2005年からほぼ毎年打ち上げられています。フェニックス花火が夜空に咲く度、中越地震からの復興も進んできました。一方で、とても悲しいことに、この20年の間には新たな震災や災害も発生しました。

私たちはいつしか、中越地震に限らずあらゆる震災や災害で傷ついた人々をこの「復興祈願花火フェニックス」で元気づけたいと強く思うようになりました。震災や災害が起こるたびに、込められた想いも大きくなってきたフェニックス花火は、今や「平和と復興のシンボル」となっています。

東日本大震災が発生した際には、宮城県石巻市の8「川開き祭り」にてフェニックス花火が打ち上げられたこともあります。(2011年8月1日)

フェニックス花火が打ち上がると、悲しみや苦しみなどそれぞれの想いが溢れ、多くの方が涙を流したと聞いています。またその涙のあとは小さな希望が心に灯り、前に進むきっかけの一つにもなったそうです。

また、遠い被災地で打ち上げられたフェニックス花火の様子は、長岡市のフェニックスビジョンにも映し出されました。場所や時期は違えど、震災の苦しみと復興の難しさを知っている被災地同士をフェニックス花火が結びつけています。

2012年フェニックスビジョンに映し出される石巻の「フェニックス」

そして、記憶に新しい能登半島地震。私たちが「中越地震から20年の節目にはどんな花火をあげようか」と考えていた折に、1月1日の能登半島地震が発生しました。私たちは被災された石川・能登の皆さんの少しでも力になりたいという思いで、1〜2月に延べ4回、炊き出しボランティアを行いました。
今年のフェニックス花火は石川・能登の方々に元気なってもらえるような花火にしたい。そして、これからもフェニックス花火は震災や災害で傷ついた人々を元気にしていく存在として、打ち上げ続けていかないといけないという使命を感じています。

輪島市門前町での炊き出しボランティアの様子

このように、当初は中越地震からの復興を目指し打ち上げられた花火は、時を経て花火の持つ意味が変化していきました。復興祈願花火フェニックスは、日本や世界で起こる様々な震災や災害で傷ついた人々を元気にしたいという想いを乗せた「平和と復興のシンボル フェニックス」として打ち上がり続けているのです。


ここまで説明した通り、フェニックス花火は日本全国の方を勇気づけるため、打ち上げられ続けている大切な大切な花火です。そして、打ち上げ費用も私たちの想いに賛同し応援してくださる方一人一人の協賛金で賄われています。
その協賛金の減少という課題を解決するために、私たちにできることは、フェニックス花火に込められた想いを真摯に伝え、その想いをより多くの方に知ってもらうことだと考えています。

私たちの住む長岡の誇りとも言える長岡まつり大花火大会。そして、中越地震から立ち上がるため生まれた復興祈願花火フェニックス。
日本全国にあまたある花火大会の中でも、慰霊と復興そして平和を願う花火大会だから人々の心を打つと自負しています。今も続く震災や災害。その希望の光となるべく震災20年の節目となる今年、素晴らしい花火を打ち上げたいと思います。

長岡花火を通じて日本を元気にしたい。私たちの想いを少しでも分かっていただき応援して頂けたら有難く思います。皆様のご支援どうぞよろしくお願いいたします。



今回リターン品としてまずご用意したのは、私たちNPO法人ネットワーク・フェニックスが設営・運営をしております長岡まつり大花火大会のフェニックス席です。

長岡駅寄りの信濃川右岸(A会場)で、メイン会場よりは少し下流寄り。打上幅約2㎞の超大型ワイドスターマインである復興祈願花火フェニックスを一番きれいに見える席となります。

一昨年より全席有料席となった長岡まつり大花火大会では、有料観覧席チケットが必須となります。本プロジェクトを応援していただき、臨場感あふれる会場でフェニックス花火を体感していただきたいと思います。


また、皆さんからのメッセージを花火玉に貼り付けて打ち上げるという特別な体験型リターンもご用意いたしました。

※こちらのコースの支援受付は6月30日(日)までです。7月1日以降はご支援のみ承ることとなりますのでお間違えのないようご注意ください。


会場に来られない方や、花火大会の後も長岡花火を身近に感じたいと思ってくださる方向けに、オリジナルグッズもご用意いたしました。

さらに、能登半島地震で被災された方々を応援することを目的に、輪島市にある老舗「蔦屋漆器店」様の漆塗りをご用意いたしました。 自社の工房が被害にあわれた中、ご協力いただきました。

また、本プロジェクトの趣旨に賛同してくださる方向けに、純粋支援コースや法人様向けの協賛リターンも用意させていただきました。

皆様是非ご支援の程よろしくお願いいたします。


5月:本プロジェクトの事前告知
6月:クラウドファンディング開始
7月 :クラウドファンディング終了、リターン発送スタート
8月2〜3日:長岡まつり大花火大会


リターン品などの経費を差し引いた後、フェニックス花火の打上協賛金、そして私たちNPO法人ネットワーク・フェニックスの活動資金に充てたいと思います。


<募集方式について>
本プロジェクトはAll-in方式で実施します。目標金額に満たない場合も、計画を実行し、リターンをお届けします。

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