自己紹介

 数年前まで私は某国立大学の教授でした。専門は情報教育と国語科教育です。もともとは小学校の教員でしたが、長く教育センターで教員研修に携わりました。行政職で教育計画を作成する仕事をしているときに大学と関わりがあり、大学の教員となりました。退職してからも総務省のデジタル化推進委員や文科省の学校DXアドバイザーなどを行っています。 

 杉田庄一のことは40年以上前に「紫電改のタカ」というマンガのモデルになったパイロットらしいという話を聞いて興味をもちました。実は教員採用試験の面接の時にこのマンガの最後の場面を引用して志望動機を述べたのです。当時、私は新潟県東頸城郡松代町の小学校の教員で、杉田庄一の生家が同じ郡内の安塚町ということで個人的に調べたのですが、探し出すことはできませんでした。今のようにネットでなんでも調べられる時代と違いましたし、実は旧安塚村は安塚町と浦川原村に分村していて見当違いのところを調査していたのです。

 時はすぎて大学を定年退職する年の秋に、「杉田庄一の実績を伝承する会」の杉田欣一会長(杉田の甥にあたる方)と木村初雄事務局長が研究室に訪ねて来られ、会の顧問になることを要請されました。不思議な縁を感じて了承いたしました。コロナを機に、太平洋戦争時の杉田の日々の動静を文献や書籍から追ってみることにしました。ある程度の成果がありましたので、文献研究のまとめとして書籍化するとともに生誕百年記念パネル展を実施しようと考えています。

杉田庄一に関するサイト情報などを発信しています

杉田庄一に関するnote

杉田庄一の実績を伝承する会

杉田庄一に関するノート


このプロジェクトで実現したいこと
それは、このプロジェクトの目的は「杉田庄一の実績を伝承」することです。

そのため次の二つの計画をしています。

・杉田庄一に関する文献研究「杉田庄一の太平洋戦争」の書籍化
・生誕百周年記念パネル展

書籍については、出版社との話し合いで以下のような仕様で進めています。

A5版、並製本・カバー装、帯なし、見返しあり、スリップあり、本文モノクロ・352ページ

書籍名「杉田庄一の太平洋戦争」 予定価格 2,800円

書籍化に関して
・杉田庄一様のご遺族や笠井智一様のご遺族の承諾を得ています
・引用は出典を明らかにし、引用箇所を明確に示しています
・写真はご遺族様からいただいたもの、および関係者様から許諾を得ています
・地図や図版はあらたに起こしています


杉田庄一について

<杉田庄一>

 杉田庄一は、大正13年に旧安塚村(現上越市浦川原区)に生まれました。15歳で海軍に入隊し、予科連を経てミッドウェイ海戦後のラバウル航空戦に参戦します。初撃墜は大型爆撃機B17への体当たりでした。勇猛果敢な杉田は、激しい航空消耗戦を戦いて腕を磨き、山本五十六連合艦隊司令長官の護衛機に選ばれます。しかし、敵の待ち伏せにあって山本長官は戦死してしまいます。杉田はその後、死地を求めるような激しい戦いを行うようになり、いつしか「空戦の神様」と呼ばれるようになります。特攻攻撃は日常化した時には、その護衛と突入を見届ける役目を担い連日出撃しました。その過酷な任務に精神的に追い込まれ、自ら特攻を志願したこともあります。しかし、その腕前を活かすために内地に戻され特別編成の三四三航空隊に中核下士官として任ぜられ、本土防空の任にあたります。昭和20年4月15日、鹿屋基地を襲った米海軍機に離陸上昇中を撃たれ炎上戦死します。全軍配布感状に記載された公式撃墜数は個人撃墜70機 協同撃墜40機でした。スミソニアン博物館に写真展示されている世界のエースパイロットの1人です。

 杉田庄一は、強烈な縦社会の軍隊にある「鉄拳制裁」をきらいました。日本海軍では伝統的にバッターによる制裁が日常的に行われていました。しかし、彼は部下ができたときには「俺の愛する列機」と呼んで、毎日の訓練のあとは部下と酒を飲みながら具体的な指導(ブリーフィング)を必ず行ったそうです。長く杉田の列機を務めた笠井智一氏は、そんな杉田に殴られています。1度目は、初陣でひるんだ時。2度目は、編隊を離れて敵を深追いした時。つまり、「勇気をもて」ということと「奢りを捨てろ」という杉田の教えでした。そのことが、自分自身を生き延びさせることにつながったと述懐しています。

 また、「空戦技法は教えてもらうものではなく盗むものだ」という伝統的なしきたりや精神論的な指導にとらわれず、練習航空隊の教員だったときには実際に空中で編隊を組んで実地に教えることを優先しました。その時、同じく指導教員だった坂井三郎氏(「大空のサムライ」の著者)が殴って精神論的な指導するのに反発し、のちの三四三航空隊までも確執のある関係だったそうです。坂井氏とは年齢も階級も違っていたのですが、臆することなく接していました。その険悪な関係を源田實司令が心配して、坂井氏の転勤を考えさせることになります。

   <笠井智一氏>

 数年前、私の定年とコロナが重なり、自宅で過ごさねばならなくなったのを機に杉田庄一の生涯をまとめてみることにしました。杉田庄一は、私の住む上越市内の浦川原区小蒲生田という山奥の集落の生まれです。数年前から、私は「杉田庄一の実績を伝承する会」の顧問をしており、関係資料も多数持っていましたので2年間かけて、じっくりと杉田庄一のエピソードが掲載されていたり、関連する太平洋戦争の文献を読み込み、杉田の太平洋戦争時の日々の動静をつめていきました。不明の部分もまだあるのですが、ある程度その生涯を追うことができましたの、研究書として出版しようと考えています。


プロジェクト立ち上げの背景

 杉田庄一に関する文献研究を書籍にするにあたって、自費出版を行うことにしましたが、自己資金だけでは頼りないこともありますが、何よりもクラウドファウンディングを行うことで杉田庄一を広く知ってもらいたいと考えています。

 また、今年は生誕百周年にあたるので出版と同時に記念パネル展を実施し、上越市浦川原区小蒲生田にある墓所や記念碑についても上越市民をはじめ多くの方に周知し、杉田庄一が戦った太平洋戦争についての記録と記憶を失われないようにしたいと考えています。

<上越市浦川原区小蒲生田の生家跡の場所>

<顕彰碑完成時の記念写真>・・・「杉田庄一の実績を伝承する会のメンバー」


現在の準備状況

 杉田庄一の生誕100年記念式典および講演会を6月30日に上越市民プラザで実施いたします。また、記念パネル展も実施いたします。それまでに出版できるかどうかはぎりぎりですが、少なくても出版予約パンフレットは用意したいと考えています。出版は新潟日報事業所からを考えており、原稿の検討に入っています。

追情報 出版社の担当者様から、出版はやはり早くて10月と言われてしまいました。原因は人出不足によるものだそうです。


リターンについて

出版物「杉田庄一の太平洋戦争」(予定価格2800円)ならび杉田庄一に関する資料を用意しております。また、先行予約としてのリターンも考えているので複数冊必要な方はご利用ください。1冊でよいという方と並列でリターンを並べています。ご支援いただける額に応じて、現地での案内や出前講演などもリターンに入っております。



スケジュール


4月上旬 書籍の概略デザイン相談、noteでWEB版の杉田庄一物語マガジンを開始
4月中旬 生誕百周年記念式典および出版記念パネル展等の計画作成、役員会との相談
4月下旬 リーフレット作成、書籍の原稿打ち合わせ
5月上旬 原稿第一次校正
5月中旬 パネル展ポスター作成
5月下旬 パネル展ポスター配布
6月上旬 プレス等への告知
6月中旬 役員会との打ち合わせ、書籍予約パンフレットの作成
6月下旬 会場下見、現地視察
6月30日 生誕百周年記念式典および出版記念パネル展の実施
秋(10月頃)書籍刊行予定


資金の使い道


出版費用補助:約100万円
広報費:約20万円
パネル展:約30万円

その他、手数料(17%+税)がかかります。


最後に

戦場に立つのはいつの時代でも若者です。杉田庄一も15歳で海兵団に入り、20歳で戦死しました。敵味方関係なく多くの若者が未来を思い描きながら戦いの場に赴きました。彼らはどんな思いで戦場にたったのか、どんな世の中にしたいと思っていたのか、その思いに平和に生きているわれわれは応えられているのか。そして今も多くの若者が戦場にたっています。戦場の記録を知ってこそ平和について考える基盤ができると私は考えています。


<募集方式について>
本プロジェクトはAll-in方式で実施します。目標金額に満たない場合も、計画を実行し、リターンをお届けします。

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