■はじめに・ご挨拶

はじめまして。ではない方も多いかもしれませんが、改めてインドカレーカーマの大野 将太(おおの しょうた)です。昨年2023年6月に皆様に惜しまれつつも神保町のお店を閉店いたしました。

父の代より28年間の長きにわたり、足繁く通い続けていただきましたお客様へは本当に感謝の念が耐えません。本当にありがとうございます。

至らずの私ではございますが、閉店を決めたときとそれから1年のあいだ自分の中では様々な思いと葛藤がめぐり、人生について今一度、見つめ直しました。そんななか物件を探しながらも、ようやく新しい場所が見つかりましたことをここにご報告させていただきます。

東京からは少し離れますが、新潟県長岡市寺泊上田町にI・Uターンして「インドカレーカーマ」の9月頃(仮)オープンに向けた準備を開始します。

少し長くなりますが、これまでの経緯とご案内にお付き合いいただければ幸いです。


■今回の計画で実現したいこと


実現したいことは2つあります。

1つ目は「神保町の店舗や通販サイトでお世話になった方々に、新潟の地で発見した美味しい食材で作るカレーを届けたい」ということ。実店舗と同じ状態のカレーを冷蔵でも販売可能にする予定です。
※現在はご購入いただけません



そしてもう1つが「これから長岡でお世話になる方々に弊店のカレーをご堪能して頂きたい」と考えています。


以下、


1.長岡市とのご縁のはじまり

2.私と父とカレー

3.都心から一転、地方でカーマは成り立つのか

4.リターン品

5.資金の使い道

6.お店の情報

7.最後に


の順にご説明をさせて頂きます。


1.長岡市とのご縁の始まり


きっかけは2つあります。

1つ目はもともと私の妻の実家が長岡市にあり、以前から度々訪れていたことです。最初は地名を聞いたことはあるけれど、一体どんなところでどんな産業や観光地があるのだろう、というまったくといって知見がなかったのを覚えています。

長岡市といえばおそらく花火というイメージが真っ先に浮かぶ方が多いかもしれませんが、実は私もまだお目にかかれていません(笑)そんな長岡の地で、最初に衝撃を受けたのが「食材」です。妻の母が作る料理やお店に入って頂くものすべてに目を丸くしました。

それからというもの長岡という地に興味を抱き、いろいろ探りたいな思うようになりました。

東京からは上越新幹線で約1時間20分(260km)という距離ですが、不思議と何回か行くとそれが近いものに感じてきてしまい、そこには海の幸・山の幸・地の幸が豊富にあることがわかりました。最初の頃はそれこそ移転という考えは浮かばなかったのですが、ちょうどその頃はコロナ禍や材料の高騰が叫ばれているなかで、徐々に現実的なものへと変わってきたのです。

カレーを作り続けるためにはどうすればいいのか、連日連夜そればかりを考えておりました。

おおよその距離感とお店の場所

お店から近所の寺泊魚の市場通り(魚のアメ横)

2つ目は出会った方々の思いです。

お店の閉店後にはまとまった時間が取れたので、長岡市の行政が主催している魅力発信課に問い合わせ、「お試し移住体験」というものに参加しました。帰省するような感覚で行くのとは違い、行政の方や地域の方と交流し、少しでも地域の生の声を聞きたくなったというのが目的です。

長岡市 地方創生推進部 広報・魅力発信課と柿川不動産の方々
もちろんカレーめぐりもしました!

7日間の体験移住では行政の方や不動産屋さんが協力してくれ、空き家の見学や今後のプランを聞いていただきました。

また、先にご夫婦で都内から移住されている同業の先輩に話を伺うことができたのは大きいです。もちろん、この辺りまでのことは他の行政でも取り組んでいることかもしれません。が、長岡市は違いました。

決め手となったのはメリットもデメリットも包み隠さずにすべてをオープンに話してくれる人柄や環境にありました。移住した方が行政の方と同じ目線で意見を交わし合うことや初見であった私をより街の深い場所に案内してくれました(コアな飲み屋さん等)残りの数日は交通の流れや人の集まる場所を調べたり、食事はできる限りカレー屋さんを中心にめぐりました。

ただ、今回移住を決めた長岡市寺泊上田町ですが、ここに至るまでは本当にすったもんだの難航でした。やむを得ず長岡周辺の市まで検討し、決めようとした物件も近隣の事情で白紙になったりもしましたが、諦めずに情報収集を続けてよかったです。

その際に対応して頂きました建築関係の方や不動産屋さんの方にもいろいろとご迷惑をおかけしましたが、本当にこちらのことを考えてくださり嫌な顔一つせずに協力してくれました。

そしてようやく1年越しに長岡市の物件に決めることができたのです。ただここには何か別の縁もあったのかもしれません。

他にも新潟市で開催された「カレーの学校」に参加

2.私と父とカレー

インドカレーカーマは私の両親が1995年2月に神田猿楽町にて開業したカレー専門店です。当時は今のようなスパイスカレーが主流ではなかったため、「水っぽいカレー」「これはカレーではない」といろいろなご意見がありましたものの、次第にその味が受け入れられるようになり、気づけば経営が軌道に乗っておりました。カレー屋を始めたきっかけはメインイメージの動画にて本人が語っておりますので、よろしければご覧ください。

私は幼き頃から両親が持ち帰るカレーを楽しみにしており、貪るようにそのカレー沼にハマっていったことを覚えています。やがて大人になるとその時にはもう手遅れで、生活の一部になくてはならないものになっていました。この世に常にあるもの、消えてはならないもの、誰にでもそういったものの一つや二つはあると思いますが、私が執拗にカーマを継続させたいのはおそらくそのためであると考えております。

カウンター越しから見る両親の姿、そして気がつけば厨房の側に立っている自分、できればカウンター越しの二人の景色をずっと見ていたかったのは私だけではないと思います。

しかし、そのときというのは突然やってくるものです。忘れもしない2018年の6月に父は脳梗塞を発症し、開店前の仕込み中に倒れました。復帰して1年ほどはお店に立つことができたものの、併発していた重い認知症によりやむなく引退をいたしました。

それからは母や家族による献身的な介護をしておりましたが、今月の8日に6年に及ぶ闘病生活を終えて旅立ちました。

'95 創業当時の父 カーマにて

今わの際に間に合わなかった病室でまだ温かい手を握ると、何かがすっと入ってきたようなそんな感覚がありました。同時に「もっとさ、頑張ってみろよ」と言われた気がしたのです。

葬儀までのあいだの数日間、実家で写真の整理をしていると、どういうわけか私はおもむろに物件サイトを開いておりました。こんなときにすることではないはずなのになぜそのような行動をしたのかはわかりません。

そこに載っていたのが寺泊上田町の物件です。

私はすぐに妻にそれを見せ、普段であれば不安そうな面持ちをする妻が、条件を見て即断「明日、行ってきなよ」と言ったのです。

不動産屋さんに問い合わせ、翌日、長岡に向かい現地までは妻のご両親が車を出してくれました。翌日、葬儀で東京に来てもらうはずなのに逆に私がそこにいることがお互い不思議でなりませんでした。

父はいつも「悲しみに明け暮れる暇があるなら…」と言ってましたが、気付けばその言葉を思い出すかのように行動していたのを覚えています。

現地につき物件を一通り見たあと2階から外を眺めると、そこからはうっすらと佐渡が見えました。

佐渡は私が子どもの頃、家族で2週間以上キャンプをし、帰るときは皆が原始人のような姿になっていたという思い出の場所です。後にも先にもあんな野生的な体験はしたことはありません。

そのときすぐにわかりました。向かう道中に見つけて行ってくれたんだなと。

父は生前、老後は海沿いに住んで永遠に釣りをしながら趣味でカレー屋をやりたいと言っていたからです。私はいろいろと腑に落ちた気がしました。手を握ったときに自分の中に入ってきたのは、迷走して落ち込んでいた自分にこの景色を見せたかったのかもしれません。

遠くに見える佐渡島


3.都心から一転、地方でカーマは成り立つのか

これは私のわがままなのかもしれませんが、長らく営業していたお店を都心から地方に移転してその顛末がどうなるか、というのは予てより興味がありました。

無論、今まで営業していた場所から離れることで皆様の期待に応えられていないのではないか、という申し訳なさはあります。

興味があるというだけの動機で移住に踏み切ることはできませんが、一つの良い実証になると考えています。新規でもなく地方から都心への出店でもないというのはレアケースな気がします。

数件ではありますが、食べ歩いた印象としてやはり近しいカレーはありません。そして長岡ひいては新潟県はどちらかというと、カレーよりラーメンのほうに知名度があるのではないかと思います。有名どころでバスセンターのカレーでしょうか。

そんななかでカーマのカレーがどこまで受け入れられるのかというのは未知数な部分が多いです。

あとは都心と地方における営業収支を知ることで、次に移住される方に繋がるような知見が得られると考えております。

神保町では経費の圧迫がどうにもならず、やむなく退いた経緯があることから、次はやり方を変える必要があることがわかっていました。コロナ禍の経験とテクノロジーの発達により昔とは集客のあり方が多様化しつつあると思っています。

1年程度、検証してみてその結果を可能な限りアウトプットすることで、その情報が移転開業を検討されている方への僅かな参考になれば幸いです。

ご興味がある方は返礼品のリターン⑤をご覧ください。


4.リターン品のご紹介


①インドカレーカーマの公式HPにご支援者として名前を掲載

①現在作成中である公式HPのご支援者一覧にお名前及びロゴ・バナー(任意のニックネーム可)を掲載させていただきます。

・掲載期間:事業が存続する限り掲載

・掲載方法:文字、ロゴ・バナー掲載

・掲載サイズ:ロゴ・バナーに関しましては縦横300px程度(長方形・正方形)で表示

・注意事項:支援時、必ず備考欄に掲載を希望されるお名前(ニックネーム)や企業名をご記入ください

・支援金 2,000円


②お店で使えるインドカレーカーマ・割引定期券(本人限定)

・お会計から200円引きになります

・割引定期券をご支援頂いたご本人様のみお使い頂けます。

・ご使用は1日1回、有効期限は開店から1年間とさせて頂きます。

・割引定期券の形状を選択してください

・支援金 5,000円


③お店で使えるインドカレーカーマ・割引定期券(グループ)

・お会計から500円引きとなります

・2名様~5名様でご使用できます

・また貸しでの利用はご遠慮下さい

・テイクアウトにもお使い頂けます(テイクアウトの場合は、5個までお値引き致します)

・1日1回、有効期限は開店から1年間とさせて頂きます。

・割引定期券の形状を選択してください

・支援金 10,000円


④通販サイトで使えるインドカレーカーマ・お得なクーポン

・通常価格よりお得にカレーが購入できるクーポンです

・1枚につき300円となります

・3000円以上お買い上げにつき1回の適用となります

・5回分のクーポンになります

・クーポンはご購入時にご入力ください

・クーポンコードは発行後にメールにて通知いたします

・有効期限:事業が続く限り

・支援金 5,000円


⑤通販サイトで使えるインドカレーカーマ・超お得なクーポン+α

・通常価格よりもっとお得にカレーが購入できるクーポンです

・1年間、新商品を発売した際に1個提供(注文時に他の商品に同梱)

・1年間、グッズを発売した際に1個提供(注文時に他の商品に同梱)

・1回につき500円となります

・5000円以上お買い上げにつき1回の適用となります

・30回分のクーポンになります

・クーポンはご購入時にご入力ください

・クーポンコードは発行後にメールにて通知いたします

・有効期限:事業が続く限り

・支援金 30,000円


⑥インドカレーカーマ移転後の運営状況の共有

・こちらをご支援頂いた方は、フェイスブックの非公開グループにご招待します

・非公開グループの中で、1ヵ月毎に、営業状況(1ヵ月の活動概要と売上状況等)を報告させていただきます

・参加メンバーは、インドカレーカーマ店主と双方向のやりとりが可能です。
お答えできる範囲ですべてお答えいたします

・非公開グループへの招待は登録頂いたメールアドレス宛に、招待リンクをお送りします

・ご参加には、フェイスブックのアカウントが必用になります

・期間は開業後、1年間とさせて頂きます

・支援金 30,000円


5.資金の使い道

とても真摯な不動産屋さんと売り主様にも恵まれ、元店舗だった物件を改装してオープンいたします。

皆様からご支援いただきました資金は、主に看板と内装に使用させて頂ければと思います。幸いにも大通りから目立つ場所にあるので、大きめのものを拵えたいと思います。

市場通りの端っこにあるインドカレーカーマオープン予定物件(向かいに公営駐車場あり)


目標金額を上回った場合は商品開発や運転資金としてご使用させていただきます。


6.お店の情報

店名:インドカレーカーマ

住所:〒940-2502 新潟県長岡市寺泊上田町7618-22

メールアドレス:kama.indiacurry1995@gmail.com

公式HP:インドカレーカーマ

営業日:ホームページやSNSにて掲載いたしますので少々お待ちください

オープン予定日:2024年9月上旬~9月下旬(施工や移転作業の進み具合で変動します)



本プロジェクトはAll-in方式で実施します。目標金額に満たない場合も、計画を実行し、リターンをお届けします。

7.最後に

ここまでお読みいただき、本当にありがとうございます。
今に至るまでここには書ききれないくらい本当にいろいろなことがありました。

しかし、行動することを諦めずに続けられたのは、これまでのお客様であったり、両親であったり、妻であったり、新潟での出会いであったりと数え切れないご縁やお話があったればこそだと思っています。

改めて深く感謝を申し上げます。

これからも困難なことはあると思いますが、そんなときは自分で行った決断に対して迷うことなく進みたいと思っています。父がそうであったように。

'95 創業当時

なにとぞ温かいご支援をよろしくお願いいたします。

大野 将太

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