LOVE&PEACE!僕らは平和に暮らしていくのが好きなんだ。 自然の中で、笑って、歌って、踊って、満月に吠える。 朝日を浴びて、大地を裸足で踏み、大空にジャンプする。 草原に寝転がり、そよ風が頬を優しく撫でて通り過ぎる。 雨が降っても、嵐が来ても問題ない。 笑い合える仲間と祭りがあれば。

プロジェクト本文

 

22年前の8月10日、富士山で開催した「RAINBOW2000」をプロデュースした事が僕の人生を大きく変えることになった。

今の若者にしたら信じられないコトかもしれないけど、22年前の日本でオールナイト×キャンプインという、「夜を越えて朝まで踊る」大規模音楽フェスはほとんど無かった。今では当たり前になったけど、ここに到るまでの話しをしたいと思う。

RAINBOW2000から月日は流れ、齢71 “夢見るジジイ” の最後の言葉に少しの間付き合ってほしい。

                           

 

遡ることRAINBOW2000開催の8年前、1988年8月8日八ヶ岳で「NO NUKES ONE LOVE」を掲げ「いのちの祭り」が開催された。チェルノブイリの原発事故以降、危機感を募らせていた人々の思いが集中し、全国から8888人(主催者発表)といわれる観客動員があったこの「いのちの祭り」こそが、日本の「ウッドストック」だった。


今でも語り継がれる、80年代ニューエイジ・ムーブメントの象徴。


そんな「いのちの祭り」の成功が、日本独特の「まつり文化」「まつりピープル」を生み、九州では1991年から「虹の岬まつり」がうぶ声をあげていく頃、


僕は1989年から「レゲエ・ジャパンスプラッシュ」の九州・長崎の開催に参画し、当時、北海道から沖縄まで全国10か所、野外レゲエ・フェスを開催していたが、海外のような大規模音楽フェスに憧れを抱くようになる。


                          

そこで富士山、オールナイト、1万人で、踊る野外音楽フェスを企むことにした。

1996年、「ジェリー・ガルシア」の1周忌のタイミングも重なり、「いのちの祭り」のコアなメンバーや多くの「デッドヘッズ」が参加してくれたことが、RAINBOW2000を後押ししてくれたんだ。


その当時、トランスの先駆けのイクイノックスが数百人、いのちの祭りでも数千人の時に、1万人で踊ろう!って言い出した時はみんなが“無謀”って思ったんじゃないかな。


事実10日前でも3千ぐらいしかチケット売れてないし、スタッフからも「もう中止しましょう!」って言われてたくらいだからね。


そんな時、出演アーティストだったアンダーワールドの「ボ-ン・スリッピー」が世界的に大ヒット。そこから一気に前売りチケットが1万近くまで伸びて、フタを開けたら日本中から1万8千人が集まったんだ。


 

 

 

 

FacebookもTwitterもない時代に、このキーワードはハッシュタグのように日本中の若者の心を揺さぶり、口コミにより拡散された。「富士山でオールナイト、しかも1万人で踊るテクノフェスだよ!」ってね。


アンダーワールドを筆頭にケンイシイ、石野卓球、細野晴臣、岡野弘幹(aka 天空オーケストラ)他の蒼々たる出演者と「日本にもやっとこのカルチャーが来たんだ!」って喜んだのを昨日の事のようによく覚えているよ。


今までに味わったことがない音の衝撃、高揚するフェスとの一体感。

富士山から望む幻想的な朝陽、笑顔で踊る人の波、異次元空間に旅にでた18,000人。僕らは未だに虹の旅の途宙にいる気さえするんだ。            

 

                 

90年代高度経済成長の時代、海外に目を向けると、ドイツ・ベルリンで「ラブパレード」が起こり100万人が町中で踊りだしていた。


ターンテーブルを楽器にして聴衆を踊らせるDJカルチャー、パソコンと電子楽器を駆使しての「テクノミュージック」は従来の音楽の概念を変えていき、ヒトに踊るという事の大事さを説いたように感じる。


儀式や祭事など、原始時代から人々はいつの時代も踊ってきた僕らが忘れてしまった「踊る」という体験。経済的豊かさを求めるあまり、精神的豊かさを置き去りにしてきた僕らだからこそ、踊ることをやめてはいけないと強く想うようになっていった。

 

 

2011年3月11日を境に私たちの暮らしは大きく変わった。

 

うさぎ追いし かの山 小鮒釣りし かの川 

夢は今も廻りて 忘れがたき ふるさと 

上を向いて歩こう 涙がこぼれないように 

思い出す春の日 独りぼっちの夜


下を向いていたら、虹は見えないのさ!

涙がこぼれないように、上を向いて歩き出したら、虹が生まれた。

虹が生まれると、笑顔が生まれる。


皆で大きな虹を見たい。

故郷の空に大きな虹を架けたい。

 

 


熊本野外劇場ASPECTAでは100を超す豪華アーティストの祭典「RAINBOW2012ASO」を開催、2013年からは、会場を「マゼノ共和国・甲の瀬ファミリーキャンプ村」(熊本県・阿蘇郡南小国町)に変えて、「虹空」「レインボーフォレストキャンプ」というタイトルで継続してきました。


甲の瀬キャンプ村は、熊本県阿蘇郡南小国町にあり九州最大の筑後川の源流です。水が清く、四季ごとに豊かな表情を見せ、訪れる人達の心を癒します。

私は愛を込めて、“RAINBOW FOREST”と名付けました。虹が生まれる森。


そんな甲の瀬キャンプ村を管理する井上村長は、私と同じ昭和22年生まれの71歳。団塊の世代、学生運動、ベトナム戦争、ウッドストックに影響を受けた世代です。次世代に何を残すのか、僕ら団塊の世代のテーマは、「美しい大地と楽しい思い出」を次世代に繋いでいく事だと思い至りました。


「豊かな自然と草原を守ろう!」これが甲の瀬音楽祭の想いです。

世代と世代を繋ぐ虹の架け橋。そんな音楽祭を目指して、井上村長と甲の瀬音楽祭を開催致します。

 

 

2012年の「RAINBOW2012ASO」から6年ぶりにみんなで集まりませんか?ネットの中ではなく、互いに顔を合わし、想いを語りませんか。死ぬ前にみんなの笑顔が見たい齢になってきたんです。


このままヨボヨボのじいさんになっていいのか、いいや、違う。

秋のお彼岸にパーッと楽しい秋祭りをしようじゃありませんか!


そんな話しの中で、井上村長から、「九州出身・同世代のスーパー・ロックギタリスト鮎川誠さんに出演して欲しい!」との提案があり、「シーナ&ロケッツ」の出演を依頼したのです。そして快く出演を約束してくれました。


感慨深いのは僕が25歳の時、初めて企画したロックコンサートのゲストが「サンハウス」だった。後に”めんたいロック”と呼ばれる、福岡のロックシーンの牽引的な役割を果たす「サンハウス」のギタリスト鮎川誠が活動を始めた時の話です。

 

     鮎川誠 70歳 & シーナ&ロケッツ40歳 Wアニバーサル・ツアー


2018年5月2日に古希を迎えて『鮎川誠ROCIKIN'70sバースディ・ツアー』がスタートし、「シーナ&ロケッツ」40周年を記念しての、アルバムのリリースと、古希を過ぎても現役でROCKする鮎川誠には、同世代として勇気づけられます。

団塊世代にどんなメッセージが届くのか!? 若者に響くのか!ジャンルや世代を超えて繋がって行きましょう!

 

そんな理由で、学生証を所持し、保護者同伴での来場していただければ高校生以下はフリー(無料)にしたいと思います。なぜって、孫の世代とも楽しみたいからです。


しかし、甲の瀬音楽祭の運営、会場のキャンプ村の状況は、ステージ、トイレなどの老朽化が進んでいたり、舞台の制作、会場整備など予算が足らない恐れもある。

 

 

                  (甲の瀬ファミリーキャンプ村のステージの現状)


此処では「甲の瀬音楽祭」「マゼノ共和国・春祭り」など地元のブラスバンドや音楽愛好家などの色んな催し物があり、多くの人に親しまれています。


これからも、自然を楽しみ、音楽を楽しみ、川遊びやフットパスで自然に触れる、キャンプ村を次世代に残したいのです。


虹の森に囲まれた「甲の瀬ファミリーキャンプ村」に、地元南小国町の杉、檜などの木材、竹など、大地に帰る素材で舞台を作りたいと思います。


“RAINBOW 2018 ASO 甲の瀬音楽祭” を成功させ、「虹の森の舞台」を作る。

その為にクラウド・ファウンディングに挑戦させてください。

 

              

(プロフィール)

越智純 (RAINBOW ASO Project プロデューサー)


西暦1947年(昭和22年)長崎市生まれ、諫早市在住

1969年8月 22歳の時、憧れのヒマラヤに、横浜から3週間の船旅でボンベイに上陸。

ヒマラヤにトレッキングに行ったら、ヒッピーカルチャー、サイケデリックカルチュアと

出会い頭に正面衝突した。

1972年(昭和57年)25歳から、10年間、長崎にてイベンター時代

自分が住んでる町長崎が一番楽しい街!をテーマーに活動開始!

日本語のロックやフォークソングが”ニューミュージック”と呼ばれ、ビジネス・システムに取り込まれる前に熱い時代があった。長崎市を拠点に、有名無名関わらず、面白いと感じたら、ローカル・ミュージシャンやアングラ芝居など、長崎を中心に九州一円で企画。

ミニコミ誌発行。カフェや輸入盤レコード店など経営。

鮎川誠はその当時、博多でSONHOUSEのギタリストとして人気上昇中だった。


1982年(昭和57年)35歳から10年間FM長崎時代

1982年10月にFM長崎に開局イベントのプロデューサーとして参加し、番組編成、制作、事業展開などでFM長崎に10年間勤務。「ライブアンダーザスカイ雲仙」や「レゲエ・ジャパンスプラッシュ・イン・九州」などの大型野外コンサートや、ライブ番組など数多く制作。


1992年(平成4年)45歳から東京時代

FM長崎時代に企画したご縁で上京し、「タキオン」に参加。「レゲエ・ジャパンスプラッシュ」「レゲエ・マガジン」に関わり、今の「ジャパレゲ」のシーンの始まりを体験。

1996年富士山麓で「RAINBOW2000Mt.Fuji」開催。

「SoftCity」「オーロラ・サイケデリカ」「リターン・トゥ・ザ・ソース」「アースダンス」「RAINBOW PORTAL」「RAINBOW 2000 白山」など開催。

残念ながら2000年まで継続できず、RAINBOW は失速。


1999年(平成11年)長崎に戻る。2000年から九州での野外フェス「ASO SORA」

「Volcano ASO」の立ち上げに参加。

2000年の大晦日に”いのちの祭り2000ピースウォーク一行”を迎え、原爆公園に2001本のローソクを灯して、21世紀を「LOVE & PEACE」を願って迎えた。

2001年5月、地元長崎の若い仲間と「アースギャザリング・イン・有明」を開催。

毎年、8月6日‐9日広島、長崎原爆の日に「ピースギャザリング・ナガサキ」を開催。

2004年6月夏至の日・阿蘇外輪山・押戸石の丘で「WPPD阿蘇」を開催。

2005年8月5日―10日まで 「RAINBOW 2005 ASO」を開催。

2004年から2009年、糸島(福岡)にティピや小屋を建て、電気、水道なく自然生活研究&体験。2011年に東日本大震災 2012年RAINBOW 2012 ASO 開催

自然と音楽と旅が大好きな人生、不良長寿で行き当りバッチリ!

時代に踊らされるな!時代を踊ろう!RAINBOW DANCE!

 

 

 

時代が大きく変わるとき、季節の変わり目に、神代の昔から、

ヒトは集い、祈り、歌い、舞い、踊つて”まつり”をして暮らしていた。

 

Remember おもいおこせ

Alternative もともとあった

Imagination おもいで 

Network つながりあう

Beautiful  うつくしい

Organic ありのままの  

World せかい

 

LOVE&PEACE!僕らは平和に暮らしていくのが好きなんだ。

自然の中で、集って、笑って、歌って、踊って、満月に吠える。

朝日を浴びて踊る、大地を裸足で踏み、大空にジャンプする。

草原に寝転がる。そよ風が頬を優しく撫でて通り過ぎる。

雨が降っても、嵐が来ても問題はない。

仲間と音楽と大自然が、僕らに勇気と希望と笑顔を与えてくれる。雲の切れ間から、陽光が射すと、大きな虹が見えるのさ。大きな虹を一緒に見よう。 

 

RAINBOW 2018 ASO meets甲の瀬音楽祭で愛ましょう!


RAINBOW ASO Project 越智 純

2018年7月吉日

 

 

 

 

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