2013/03/05 16:43
先週末は土日で宮城県南三陸町を訪問してきました。
今回で被災地を訪れるのは記憶の限りだと9度目で
中でも南三陸町は最も多く5度目だと思います。
前回が昨年の10月でしたのでちょっと間があきました。

町の様子は防災庁舎以外はほとんどが取り壊しが済んでいて
少しだけですが道路の舗装工事もはじまっていたりと
復興に向けて進んでいる様にも見えました。
ただ、海岸近くは地盤の液状化の対応ができてないようで
多くの場所で水たまりができていました。
復興に携わる方々の努力には本当に頭がさがりますが
本当に主観ですが2年前とそう変わってないなあと思うところもあります。
季節的なこともありますが、
地元の方が言うように復興商店街も以前のような活気がないように見えました。

今回は1sinの帽子の製造をお願いしている
宮城県唯一の帽子工場との打ち合わせがメインでしたが
刺繍をしてくれているお母さん達ともお会いしてきました。
皆さん本当にパワフルで素敵なお母さん達です。

年末に家を新築して仮設から引っ越したお母さんが
家にご招待してくれました。
もとは海岸近くに住んでいたのですが
津波で流されてしまい、
もとの場所には住むことができないので
新しい家は高台に建てたそうです。
海岸近くに住んでいた方々はもとの場所に家を建てることは
行政から禁止されているので
未だにたくさんの方が仮設住宅で暮らしていています。

もとは一部が林だった場所を夫婦で切り開いて新築された家は
ひとりの大工さんが全部つくってくれたそうで
すべて「木」でできたとてもとても素敵なお家でした。
そのお母さんもやっぱり嬉しかったんでしょうね
家中を案内してくれました。

家財道具の一部が支援物資だったり
まだ全部が整ってなかったりするそうですが
「自分の家」はやっぱり格別なんだろうと。

本当に素敵なお家で
僕もついつい長居をしてしまって
あれこれと話し込んでいると
ふと、そばにあった写真の話になったときに
「その写真はね親戚がくれたの、全部流されてしまったのよ」って。

あまりに素敵なお家だったので
そこが被災地だと忘れてしまっていたのですが
新築ということはそういうことなんです。
50年生きていて、
それまでの思い出がすべて流されてしまった。
言葉になりません。

僕が知り合った方々は皆さん前を向いていますが
きっとまだ前を向けない多くの方がいるのだと思います。

僕は心のケアもできないし、ボランティアでもありません。
1sinで仕事をお願いできる人数も僅かだし金額も微々たるものです。
正直なところ現状ではすべてが手一杯です。
自分の生活も大事だし、日曜日は家でゴロゴロしてたいです。

2年経っても、何回行っても答えはまったく見つかりません。

ただ、1sinを立ち上げて、復興に関わることになって
おばちゃんやおじちゃんと仲良くなったので
「なんとかしてえなあ」ってだけです。
それだけです。

今回は地元の帽子工場との打ち合わせが目的と書きましたが
少ない僕の脳みそをこねくりまわして考えたのが
「いかに地元の企業の資源を有効活用するか?」です。
NPOやボランティアの方々の様には動くことができないので
1sinにしかできないアプローチを考えています。

以前も書きましたが
理由はともかく、日本の製造業は大ピンチです。
仮にタイムマシンで復興前に戻せたとしても
製造業はジリ貧なんです。
復興の先につながる仕組みを考えなくてはいけないと思っています。

今回の帽子工場との打ち合わせでは
僕なりのプロジェクトをぶち上げてきました。
社長さんも「俺の出来ることはここで続けること」と
「これまで世話になった人に恩返しがしたい」でした。
見た目はおっかないんですがアツい人なんです。

長期的なプロジェクトなので
いつスタートするかは分かりませんが
僕なりの答えにつながるかもしれません。

プロジェクトには皆さんの力が不可欠なので
その際にはぜひとも力を貸して下さい!