ロメオパラディッソ、ダンサーのHIROMUです。
今は大学進学の為、東京に上京し一人暮らしをしています。
3rdの『ねむれ銀河』からロメオに参加しています。この作品では有難いことに主役のジョバンニ役を努めさせていただきました。当時は高校2年生で、最年少キャストとしてやらせていただきました。必死に役に対して考え抜いた数ヶ月、そして本気で挑んだ本番の舞台は最高以外の何ものでもありませんでした。
そんな僕がロメオに入ることになったきっかけは既に記事にも上がっている、ケントくん(ケント)、とも兄(トモキ)の存在でした。2人は僕が小さい頃から通っていたダンススタジオの生徒兼先生で僕が幼い頃からダンスを一緒に踊ってきた間柄でした。
【2人の記事はこちら】
トモキ→https://campfire.jp/updates/view/38562
ケント→https://campfire.jp/updates/view/38711
震災の時、僕は小学校6年生でした。当時、僕は自分の卒業式の練習のため体育館にいました。突如襲った大地震。天井からボールは落ち、壁は剥がれすぐさま校庭に避難しました。
普段は落ち着いている先生たちが非常に焦り、真っ青な顔をしているのを見て僕たち生徒は、恐怖心を必死に隠し、ニコニコしていたのを覚えています。
その次の日、家のテレビがつかないため、車のテレビで福島第一原発水素爆発の映像を目にしました。当然その年の自分には「ホウシャノウ」というものがなにか分からず、母親に『なにそれ〜』と尋ね返すばかりでした。そこからすぐに山形県に避難をし、少しして宮城県仙台市に自主避難をしました。福島に父を残し、母、姉、自分の3人でアテもなく仙台に自主避難をしたのです。そこで過ごした約1年半。僕はニュースをみて思いました。
『原発事故』の事が流れてこない。
そう、まるで地元福島のニュースが隠されているように報道されていないのです。もちろん、甚大な津波被害を負った宮城県のため地元優先というのもあったのかもしれません。しかし幾ら何でも報道されなさすぎる。幼い心ながらにそう思ったんです。
それから数ヶ月後、僕は高校受験を機に福島に戻りました。しかし、地元に帰っても既に目に見えないものと闘っている人は少ないように感じました。報道番組も津波のことは紹介しても放射能のことは報道しない。そのとき初めてこれが風化か、と思いました。それなら自分たちで発信すればいいんじゃないかと少しだけ感じたのがこの時でした。
福島に戻ってきて観た舞台がロメオパラディッソ2ndの『八犬伝』でした。
この時にとも兄、ケントくんが演技している姿を初めてみました。と同時に元気がないと思っていた福島でこんなにエネルギーが集まる場所が他にあるかなと思ったんです。この舞台をみてすぐにとも兄に入りたいと伝えました。
誰かが動くのを待っていては震災の風化は進むばかりです。僕たちロメオが先陣を切ってこの風化を阻止するしかないのです。
上京しても尚、福島に帰りこうしてロメオを続けるのは僕を育ててくれた福島に恩返しするためです。地元に帰ると地元の匂いがするし、実家に帰ると実家の匂いがする。帰る場所があるって本当に素敵なことです。そんな僕たちのふるさと福島の未来を、そして同じく震災があった東北の未来の応援してください。僕たちロメオパラディッソは福島の今を発信し続けていきます。
みなさんの御協力が何よりの力となります。ご支援のほど何卒よろしくお願い致します。
ロメオパラディッソ ヒロム
■ロメオパラディッソ第4回本公演【WARAJI BOYS〜オレたちの一番熱い夏〜】
作・演出:夢麻呂『熱ら。』
開催日時:2017年12月2日(土) 1回目公演/14:00~ 2回目公演/18:00~
12月3日(日) 3回目公演/13:00~
会場:福島県教育会館 大ホール
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