鳥取県立東高等学校から韮崎市立高等学校へ転校し、山梨県立宝石美術専門学校を卒業後単身渡米。ペンシルバニアに4年半の留学後京都に移住。秘書業務、英会話学校の学校運営を経験し再び渡米。カリフォルニア州立大学ビジネス学科ファイナンスをHonorで卒業。オレンジカウンティニューポートビーチの日系デベロパーに就職し会社設立からマネージメント、弁護士通訳、経理、マーケティング全般を担う。2008年のリーマンショックで失業。同時に就業ビザが不条理な抽選もれで失意の帰国。帰国うつ病を一年半で克服し現在に至る。 2011/6/30にふんばろう東日本支援プロジェクト代表の西條剛夫と出会い関西での同団体のPRに尽力。その実績をかわれ同年8月に関西支部の立ち上げを頼まれる。11月には京都支部として独立し代表に就任。本部と連携しつつも、早期から雇用創出プロジェクトなど京都支部独自の支援活動を展開し実績をあげる。活動の基盤は、『まず被災者の声を聞き彼らの要望に沿った支援を行うこと』。 波乱万丈な運命のもと頑張って生きています。強みは弱者の気持ちが手にとるように分かること。望みはいつの日か日本に難病の子供が無料で受診出来る病院を作ること。
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