1970年6月 16歳で日本プロレスに入門。 1971年5月9日 デビュー。 1972年3月 新日本プロレス旗揚げ戦の第1試合に出場。12月第1回カールゴッチ杯優勝。 1975年6月 海外遠征出発。カール・ゴッチ氏のもとで修業を積みながら欧州やアメリカ、メキシコなど各国を転戦。 1978年1月 WWFジュニア・ヘビー級王座を獲得。 1981年末 ヘビー級に転向を宣言。飛龍十番勝負を戦い続け、WWFインターナショナル・ヘビー級王座も獲得。 1982年10月 メキシコ遠征から帰国した長州力に挑発される形でライバル抗争に突入。両雄の戦いは『名勝負数え唄』と呼ばれ、スピーディな展開でヘビー級のプロレスにも変化を与えた。新日本プロレスのエースとして活躍。 1999年から5年間にわたり新日本プロレスの代表取締役社長を務る。 2006年6月30日付 新日本プロレスを退団し、同年8月に『無我ワールド・プロレスリング』を旗揚げ。2008年1月より団体名を『ドラディション』と変更。 2015年3月には日本人選手2人目となる米国WWEの殿堂入りを果たした。
2022年12月1日国立代々木競技場第二体育館にて藤波辰爾デビュー50周年記念ツアーファイナル大会への大会支援費用