1985年(昭和60年)4月にジャイアント馬場氏が率いる全日本プロレスに入門。入門後はジャイアント馬場氏の付き人をしながらプロレスデビューを目指していたが頸椎損傷と内臓疾患を患いプロレスを引退。 1986年(昭和61年)骨法武術館に入門。入門後には船木選手や山田選手ともスパーリングなどを行う。 1988年(昭和63年)に骨法を退館する。その後韓国武道である圓和道に魅力を感じ、1993年から1998年まで韓国で過ごす。 韓国から帰国後は整体治療院を開業しながらも私生活では離婚をし、更にてんかん発作で2回病院送りを経験し、2018年の10月に大腸がん手術を行い現在に至っている。現在は整体の仕事をしながらも日韓友好や心のカウンセリング、新し経済システムの構築など幅広く活動している。
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