ちょっと長いです。。 【子供時代~大学】 1983年、B型でサービス精神旺盛な父と、A型で控えめな母の血をちょうど半分ずつもらってAB型の私が生まれました。ちなみに私は双子です。 小学校3年の時に兄の通っていた少年野球チームに入団。その後、中学でシニアリーグを経験し高校野球と約10年間、野球中心の生活を送りました。仲間や監督やコーチに恵まれ、叱られるは褒められるはで楽しく上達。高校は県立でしたが、これまた仲間と熱心な監督のおかげで、主将として迎えた最後の夏の大会で初のベスト16入りを果たしました。大変な時期もありましたが、本当に良い思い出ばかりです。 毎回応援にきてくれた父や、毎朝僕より早く起きて弁当を持たせてくれた母には本当に感謝しています。 高校卒業以来、野球からは離れていましたが、幼馴染から誘われて、今は約10年ぶりに野球を楽しんでいます。 大学では心機一転(?)、何か新しいことを始めようということでジャンルにこだわらず雰囲気の良いサークルに入部をしようと決めていました。それがたまたまスキーサークルでした。そこで出会った先輩方が最高で、一気にスキーとチームの虜になってしまいました。先輩方は人柄もスキーもチョー憧れる方ばかりでした。眩しくてまぶしくて「先輩たちのようなカッコイイ人になりたい!!」と思いました。後輩が増える度に「あの時の先輩の様に!」と背伸びしてがんばったことをよく覚えています。 同級生にも恵まれました。全日本スキー連盟のデモンストレーターでアパレルブランド『ゲズントグロス』代表の佐藤健太君をはじめ、在学中に行政書士の資格に合格しながら高校で体育教師をしている人、スキーで生計を立てている人、某学習塾の社員として一人で複数の教室を仕切っていたスーパーウーマン、諦めずにがんばってがんばって目標だった教員になった人、生徒からの信頼度抜群の先生から母親になった人。昔も今も自分らしく輝いている人ばかりです。当然、後輩も僕が憧れてしまうような人ばかりです。 そんな素敵な仲間に負けじと、昔も今も僕は背伸びの毎日なんです。(^^ゞ そんなわけで大学の4年間は(勉強そっちのけで)大好きな仲間とスキーをして過ごしました。 1年から3年までは新潟県の赤倉にある有名な旅館で居候(朝晩の旅館業務のお手伝い。今だから言えますが、激務でした…)させてもらいながら、スキー学校で働いていました。 リフト乗車中の数分間で寝る技術を身に付けたのはこの頃です。 4年の時は仲間の勧めもあり長野県の白馬五竜スキー場近くのペンションで居候させてもらいました。とにかく滑り倒した4年間でした。 毎日新しい発見や感覚に出会えることが楽しくて楽しくて夢中になって練習しました。レッスンの時に「昨日と言っていることが違う」なんていうこともしばしばでした。 スキー経験ゼロのド素人から始めて最初のシーズンで1級。3年目でテクニカル合格。予選落ちから始まった岩岳学生大会は全国から集まった出場選手約1000人中77位まで順位を伸ばすことができました。チームとしても主将として迎えた3年時は全国総合6位で表彰され、その前後も8位で表彰されるなど大きな成果を残すことができました。 大学を卒業して2年後(6シーズン目)にスキーをがんばってきた証が欲しくて準指導員とC級検定員の資格に挑戦し、合格。そのシーズンの最後にはクラウンにも合格することができました。 スキーを通してできなかったことができるようになる楽しさ。できるように工夫する大切さ。何より、最初は下手くそでもずっと続けていればそれに見合う成果が生まれるということを学んだように思います。 また、居候生活や1週間以上に及ぶ合宿生活を通して、人の考え方や感じ方は本当に千差万別で、得意なこともそれぞれ違うのだなぁ、と当たり前のことも学びました。 【大学卒業~現在】 ・後日更新予定 最後まで読んでいただいた方、ありがとうございます。そんなあなたが大好きです!
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