Yoshiyuki Miura

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 アマチュアですが、アコースティックギターによるソロギターをやってます。下関の街起こしの為に少しでも力になりたいと思っています。  音楽経歴は長いですが、紆余曲折あり。  中学2年の時に吹奏楽部に入部。トランペット。  中学2年の正月に親にアコースティックギターを買ってもらい、フォーク、ニューミュージックに挑戦。弾き語りよりも、もっぱらギターを弾いてる方に楽しみを見出した。  高校の合格祝いに親にエレキギターを買ってもらい、日本のフュージョンバンドのギタリスト(カシオペア、THE SQUARE等)のコピーに励むが、今思えば、あまりに難しすぎて、一応バンドもやったけど、全然弾けていなかったと思う。  高校でも吹奏楽部に入部。トランペットを希望したが、入部するのが少し遅かった為、トロンボーンを担当することに。それでも運のいいことに、吹奏楽コンクールでは、3年連続、中国大会金賞の一員となれたのは良き思い出。自分は大して吹けてなかったが、上手だった先輩、同期、後輩に感謝。  ただ、当時の顧問の先生が、吹奏楽コンクールで団体として上位に入るには、下手な者は「死んで生きろ。」という指導をしていて、自分もそれを言われたもの。要は演奏中に、ここが肝という部分は、上手な部員だけ吹かせて、下手な部員は吹いた真似をしろ、ということ。悔しかった。でも、その時の悔しさがあるから、今に見ていろ、という思いが続いていて、今でも向上心を忘れずに真摯に音楽に向き合える自分があるのかな、と思う。  大学では、1年の時は管弦楽団に入るが、クラシックは金管楽器の出番があまりに少なく退屈すぎて面白くなかったので、半年で退団。  スラップ系のエレキベースをやりたいと思い、ベースを買って、大学2年に、高校の後輩と一緒に音楽同好会やまたのおろちに入り、浜田省吾のコピーバンドで活動。  その後、安全地帯のコピーバンドで活動。  しかし、大学4年の時に、どうしてもカシオペア、PRISM、角松敏生等のインストバンドのコピーバンドをやりたいと思い、同好会の他のバンドのメンバーを拝み倒し、念願のインストバンドを結成した。  当時、THE SQUAREのベーシスト須藤満氏が、MOONのJJというエレキベースを使っていたのに憧れ、アルバイトに励み、念願のMOONのベースを購入。  しかし、自分の身体に対して、ベースのサイズが大きかったのが仇となり、大学卒業時にひどい腱鞘炎になり、ベースが弾けくなった。  就職して下関に帰り、何か音楽をやりたいと思っていたところ、たまたまポスターを目にしたビッグバンドのライブに行き、初めてジャズの魅力を目の当たりにし、すぐに入団。中学2年以来のトランペットを担当。  10数年、そのバンドで活動するが、自動車事故に遭い、顎と歯を痛めてしまい、後遺症に悩まされ、トランペットを断念。  しかし、楽器を演奏するという趣味を捨てきれず、腱鞘炎は完治していなかったが、アコースティックギターなら弾けるかなと思い、やってみたら、だましだましなら何とかヒジも持ちそうだったので、友人に頼んで、アコースティックギター・デュオ、DEPAPEPEのコピーを始めて、下関の商店街の祭りに出演。  しかし、音楽性の不一致で、デュオは解散。  その当時は体調も大きく崩し、ギターすら弾く気力もなく、鬱々として過ごしていた時に、行き着けの楽器店の店員さんから電話があり、ソロギターの人のライブがあるので来ませんか、とのこと。  気晴らしに行ってみるか、と軽い気持ちで行ってみたら、初めて生で観るソロギターのライブに感銘を受け、この人みたいにソロでギターを弾けるようになりたい!!という強い気持ちを持ち、ソロギターを志すことになった。  しかし、今までアコースティックギターと言えば、フラットピックか、サムピックを使って弾いて、右手の他の指は、アルペジトやスリーファインガーぐらいしか、経験がなく、道のりは険しかった。  運良く、北九州在住の本業はジャズ・ギタリストの先生と縁があり、まずはクラシックギターの入門者がやるような練習曲から始めた。  その後、ソロギタリストの南澤大介氏のソロギターのしらべシリーズに取り組み、2010年、ようやく憧れのソロギタリストさんの曲に挑戦。  同年、12月に、その方のギターワークショップを受け、一生かけて、ソロギターを続ける強い決意を心に誓った。  2011年3月上旬、ここでまた人生の転機になるようなギターの出会いがあった。  日ごろ、ギターをメンテナンスしてもらっているギター工房さんが主催のFEEL THE GUITAR CRAFTというイベントがあり、そこで二人のソロギタリストさんのライブを観て、また感銘を受け、その二人を追いかけてライブハウスに足しげく通い、そこからまた別のソロギタリストさん達、ベテランの方から中堅、若手までたくさんの方と知り合いになり、また、アマチュアでも自分のように熱意を持ってソロギターに取り組んでいる人たちとたくさんの良い縁を結ぶことができた。  以上が、私の音楽経歴です。  これからは、ソロギターの世界が、少しでも多くの人に知ってもらい、ソロギターが日本の音楽文化として定着するよう微力ですが努力して行きたいと思っています。

    【埜々下 郁】の3作目のオリジナルアルバムを作りたい

    高知から活躍するアーティスト埜々下郁の3作目となるオリジナルアルバムを制作したい。

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    現在245,500円
    支援者34人
    残り終了